第8話 死して後始まる〜死而後始〜

 


「そもそも。玄徳公でさえ三顧の礼を尽くして、やっと会うことが出来るほどのお方。今、ここで死んでも、孔明先生は私に会ってくれるのだろうか?」

 私の思考は真剣に「今、あの世へ逝ったらどうなるか?」という現実と向き合っていた。


「同級生や担任教師にいじめを受けているのは、生きている価値がないから。それが今の私。そんな私が百万回謁見を求めたところで、孔明先生には会ってもらえず、門前払いされるだけだろう。ということは……」

 十三歳の私なりに必死に、現実的に思案した結果 


「中国語を話せるようになって、尚且つ、孔明先生が会って下さるような人間にならなければならない!」

 この人生に於いて生きる原点が明確になり、

「イジメに負けて死んでいる場合じゃない! あの世で孔明先生に会うために、生きよう!」

 孔明先生こそが人生の師であると命に宣言すると、この先、何が遭っても、何が何でも、生きようと思えた。


 それは私の人生から自殺という選択肢が削除された瞬間でもあった。


「あの世で孔明先生が会ってくれる人間になる」

 これは、十三歳の時から今日まで私が一途に掲げている、人生最大の目標である。 

 余談だが、今、こうして生きているのも、当時の自分との約束を果たすためである。私の人生は、ただ、それだけである。


 だが、私が生きるには、それだけで十分である。

 それだけが全てである。


 死して後已む(死而後已)ではなく、死して後始まる(死而後始)と言ったところだろうか。

 そう思うと、担任教師やクラスメートと同じ空間にいながら、異なる次元と時空で生きられるようになり、言葉と心の通じない彼らの言動は気にならなくなった。


 彼らの嫌がらせに付き合っているほど私は暇ではないし、何よりも、広い地球で、この教室だけが全てではないのだから。


 とはいえ、敵もさるもの。


 何が何でも生き抜くことを決意したが、そんな決断を快く思わない担任教師が私に向けたのは、夢と心を殺傷する言刃ことばだった。

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