―略奪山脈― 冒険者達は白嶺を目指す。

ねくろん@カクヨム

一日目

 聖女の名を冠するセレスティア岳を我々は進む。


 濡れた髪が頬に張り付くのは気持ちの良いものではない。

 体を前のめりにするたびに、鎧と体の間に隙間ができ、そこに入り込む空気が汗ばんだ体を通り抜けていく。それが唯一の救いだった。


 山裾は陽を遮るものが一切ない。陽の光は容赦なく私達を灼きあげる。

 これが正午を過ぎ、日が傾いて全てが陰になると、雪男も逃げ出すほどに冷え込むのだから……まったく大した悪女だ。


 こんなひどい山道に、どうして聖女の名をつけようと思ったのだろう。


 薄い氷の張った地面が足を支えてくれるのを確かめ、私たちは前進する。

 今回の探索に参加した冒険者は、総勢で7人。


 私を含めた3人はベテランだが、3人は中堅、最後の一人はズブの素人だ。

 なぜこんな中途半端なパーティで、この山に挑戦することになったのか?

 

 一介の冒険者、私ことレックスの冒険の始まり。

 それを今から語ろう――


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 2週間前、私はススラフの村に居た。この村は緑肌のオーク共に住処を追われたドワーフの落人が起こした村で、20人ばかりが住んでいた。


 しかし落ち延びた先も安全ではなかった。食い詰めた傭兵、山賊、そういった者らと彼らは戦う羽目になった。


 村長らに聞き及ぶ所によると、前日にもひとりの働き手と引き換えに、5人ばかりの山賊を仕留めたという。

 この何十年、そういった事がずっと続いているそうだ。


 ススラフの周辺の村や道を威嚇し、恐怖で支配する山賊共は、活気づいている。

 100年近く続いていた大いくさが終わり、無用になった連中は武器を持ったまま放り出された。そういった連中ができることはひとつしか無い。――略奪だ。


 我々もススラフへの道すがら、屋根を失った家や、骨組みだけになって焼け落ちた納屋を目にしてきた。山賊共に略奪を受け、荒廃した村々は多い。

 このあたりだけでも、数百もの農民が殺され、隊商も略奪を受けているそうだ。


「それで村長、話というのは?」


 私の目の前には子供のような背丈の老人が居る。ドワーフだ。

 村長はしわがれた手を、粗末なテーブルに付くと、要件を語り始めた。


「冒険者さまに、わしらが捨てた、祖先の要塞を探してほしいんでさ」


「祖先の要塞だと? ドワーフの要塞ということか」


「へぇ……白耳山、人の名付けだとセレスティア岳の中腹にある、わしらの祖先の要塞までの道を拓いていただきたいと」


「報酬は?」


「何ぶん貧しい村ですんで……出せるのは麦くらいなもので。」


「くだらん、麦ごときに命が張れるか」


「そこをなんとか罷りませんか」


「ならん。冒険者を麦で雇うなど、聞いたことがない」


「道具はすべて用意しました。しかし、登り手がおらんのです」


「登り手か? ドワーフにとって、山など大した問題にならんだろう」


「平地に降りて150年は経ちました。もはや、道を知るものもおらんのです」


「ふむ……なぜそこまで要塞にこだわる」


「祖先の遺したきんです。美髭公ドムルグの遺した遺産、それを使って、牛を買い、井戸を掘り、村を立て直したいのです」


「残っているかもわからん金、場所も定かではない要塞に命をかけろと?」


「へぇ……」


「半分だ。金の半分をよこせ。それで依頼を受ける」


「……無体なと言いたいところですが、他に受けるものもおりゃせん」

「それで結構でごぜぇます」


「よし。」


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 百姓共の強欲さには閉口するが、人のことは言えない。

 私は遺跡探索の目的を隠し、6人の仲間を集めた。


 星見術師、偵察員、そして剣士を二人に弓使いを一人。

 最後に荷物持ちを一人だ。

 彼らはこの探索行の本当の目的を知らない。

 私が彼らに語ったことは「ドワーフ要塞の発見」それだけだった。


 私の組んだパーティはセレスティア岳に入り、現在位置は山の中間、5合目まで進んだ。順調に思えるが、山登りは基本、進めば進むほど辛くなる。

 楽になることはない。

 

 さて、セレスティア岳で特に困りものなのは、頻繁ひんぱんに山肌の様子が見えなくなることだった。光の悪戯で、わずかな勾配が、その傾きや厚みを示す影を作らなくなるのだ。


 朝の弱い光が散漫に広がっている時、日が地面に直角に当たる時、そういった時は、地面につくる影、一切の濃淡というものがない時間帯が生まれるものだ。


 しかしこの山は、そういった時刻以外でも、たまに影が消える。

 雪を被った尾根同士が光を反射し、影を打ち消しているのだ。


 まったくもって迷惑極まりないが、痘痕あばたひとつない白い世界、近東の雪絹布を思わせる雪景色は、無上の美しさに満ちている。


 しかし、一歩踏み出せば、そこには落とし穴があるかもしれない。もし雪の下にある岩に足を取られ、骨を折りでもしたら、親兄弟でも置いていくしかない。


 山はこの世のものとも思えぬ幻想的な美しさに満ちているが、現実は残酷だ。

 一歩踏み外せば、そいつはそのまま山の一部となって、永遠を約束される。


 山肌をなでる風は、静かで穏やかだった。だがそれは、この後の変化を思わせる不気味さをあたり一面に立ち込めさせていた。


 山の美しさは私の感覚を圧倒するが、私の感じる不安や恐怖までは消せない。


 正直な話、私はこの依頼を受けたことに、後悔すら感じ始めていた。

 目の前に広がる光景は、私が思っていたよりも遥かに壮大で限りなく見える。


 自分の引き受けた仕事が、なんとも偉大なものだったのか?

 それを思うと、身がすくむ思いだった。


 本当に成し遂げられるのか? そういった恐怖は、次第に私を追い詰める。

 しかし、それでも私の足を前に進めるものがあった。


 金? それも確かにある。だがそれ以上のものだ。

 出来っこない、そう言われると、私はついそれを試したくなるのだ。

 そして出来た! そう言って鼻を鳴らしてやるのが何よりも楽しかった。


 私の初めての冒険は、小さな自尊心を満足させるものだった。

 隣の家の少女が飼っていた、黄色い毛色の丘猫、そいつが庭にあるニレの木の上に登ったまま、降りられなくなったのだ。


 少女が止めるのも構わず、私は木によじ登り、丘猫をひっ捕まえにいった。

 しかし、丘猫のやつは私から逃げるついでに地面に降り、私は派手に尻を打って痛い思いをしただけで終わった。

 けれども……丘猫を再び抱いた彼女の驚きと歓び、それが私の心を満たした。


 こんなことくらいできるよ! 私の冒険の原風景は、あの少女と丘猫にあった。


「レックス、地図と違う気がする。向かいの尾根は見えないはずだ」

「……何だと、クソ! 一旦止まろう」


 偵察員のクルツの一声で、私は我に返った。

 そして、星見術師のニルファに、できるだけ苛立ちを押さえながら声を投げる。


「ニルファ、一旦観測し直せ。クルツが言うなら間違いない」

「あ、あぁ……すまない」


 これ以上道に迷う前に、一度足を止めることにした。


 有能な星見術師がついていても、方向を見失うのはよくあることだ。


 移動中に時間の感覚を失い、ひとつの星を見続けてしまったのだ。必要以上に星を見続けると、その星の移動に引きずられ、正しい進路から外れてしまう。


「うん、西にずれている。おおよそ……2000歩のズレだ」


「何を他人事みたいに言ってやがる!」


 間違いを取り戻そうと、冷静に観測するニルファの態度が癪に障ったのだろう、剣士と弓使いを率いるヴァンが彼を挑発する。私はたまらず口を挟んだ。


「やめろ、ヴァン。プロだって間違えるんだ」


「ああそうかい、そりゃぁだ」


 彼の皮肉を受け流し、私は再度、現在地を確認する。

 損失としてはそれほど大きくない。クルツが早くに気付いたため、2時間ほどのロスで済んでいる。しかし予定地点には今日中にたどり着けないだろう。


 これ以上移動する意味はない。

 私はパーティにキャンプを張るよう指示した。


 幸いここは吹きさらしじゃない。

 尾根に近ければ、軽く掘るだけでシェルターを作れる。

 早めに野営をはじめさせれば、それだけ温かい寝床を用意できる。


 私たちは野営の準備をはじめ、セレスティア岳での最初の一日目を過ごした。


 黄昏時、太陽が地平線に沈みこむ、ほんのわずかな時間。

 神の存在を感じる、荘厳なひとときだ。


 赤い空は、布をひっくり返したように暗い青になり、姿を変えていく。

 その一瞬の光の変化は、灰色だった雲を淡い紅に輝かせた後に闇に溶かす。


  このあまりの美しさに、私は声を失っていた。

 孤独な山嶺のなかで、自分が宝石の中に閉じ込められたような感覚を覚える。


 傾いて低い位置にある太陽は普段決して日の当たらない場所に日を注ぐ。

 地を這っている草や木々は、きっとこの奇跡の光を垣間見て、それを求めるために背を伸ばそうとしているに違いない。


 この一瞬、垣間見ることが出来た光。それを求めるために天を目指すのだ。

 私はこの時見た光を、終生まで忘れることはないだろう。

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