第二十四話 現実 -4
週末はジェロームのことが気がかりなまま、久しぶりに真理恵と二人で自分の実家に戻った。
「マイボーイ!」
「父さん、やめてよ。もう俺は家庭を持っているんだよ」
でも嫌ではなかった。熱いハグを受けて父の背中を叩いた。
「真理恵ちゃんは好きだから……」
言い訳めいたようにマフィンと飲み物を母が持ってくる。紅茶もコーヒーもあるからきっと迷ったのだろうと思う。母は自分に対しておどおどしているようにも見えた。
「俺がやるよ」
コーヒーには触れずにみんなに紅茶を用意した。もちろん、自分にも。
「最近はちゃんとした店に入ってないから本格的な紅茶を飲むのは久しぶりだよ!」
誰よりも先に口をつけた。
「ああ……やっぱり美味しいね、ウバは」
母の笑顔が少女のように見えた。それを見る父も嬉しそうだ。振り向くと真理恵も自分に笑いかけてくれた。
(こんなことでみんな喜んでくれるのに)
今さらながら自分がいかに甘えて生活してきたかが分かる。ジェロームと一緒に過ごすようになって、そういうものが見えるようになってきた。
マフィンは普通のものと小さなものがあった。小さなマフィンを口に放り込むと、母の物問いた気な顔が目に入る。
「美味いよ、これ。リンゴのシャーベットの次にね」
「あ、用意してあるの! 食べる?」
「食べる!」
いそいそとキッチンに行く後姿が少し痩せたように見えた。
「父さん、母さんどこか悪い? 痩せたように見える」
「私も気になってね、先々週病院に連れて行ったよ。でもどこも悪くなかったから心配要らないよ」
それを聞いてほっとした。
「華……心配してくれてありがとう」
「父さん! そんなこと言わないでよ……俺さ、今までのこと悪かったって思ってる。父さんにも母さんにも辛く当たって……あれは単なる八つ当たりだ。ガキっぽかったって思ってる」
「そんなことはないよ! 君が怒るのは当然だった。私たちは……育児放棄をしていたんだから」
互いに過去を思い出して言葉が途絶える。真理恵の手が華の膝を撫でた。
「2人とも謝れて良かったね! 華くんが大人に見えるよ」
「なんだよ、それ」
全てを知っている真理恵の前だから誰も隠すところなど無い。母も戻ってきて「なぁに?」と聞いた。
「俺、バカだったなぁって思ってたところ。俺の親友がさ、家族を亡くしてるヤツなんだけど。俺がただの甘ったれだったってことに気づかせてくれたんだ」
「華に、親友?」
両親とも驚いた顔をしている。
「うん。ジェロームっていうヤツなんだ。あいつ、すごい頑張り屋でさ、それも自然に頑張るんだよ。俺はあいつを大事にしていきたいし、……尊敬してるんだ。年下だけど見倣わなくちゃって思うことがたくさんある。……あの事件、覚えてるよね?」
二人とも忘れられるわけが無い。華にとっての事件と言えば柿本のことを差す。簡単には返事をすることができないほど、今思い出しても心が痛くなる。
「あれより辛い目に遭ったんだ、ジェロームは」
息を呑む。あの華が蘇る。
『俺は汚れたんだよ』
「あいつ、今必死なんだ、這い上がろうとして。俺もあいつを支えたくて……でもね、時々どうしようもなく自分にはその力が無いように感じる。父さんも母さんもこんな思いをしたんだって……今ならすごく分かるよ。あいつね、それでも頑張るんだ、一生懸命。だからずっとそばにいてやろうって思ってる」
途中から二人は泣いていた。
「ほらぁ、すぐ泣くんだから」
勝手知ったる真理恵がタオルを2枚持ってきた。
「はい、まさなりさん。はい、ゆめさん」
二人とも目にそのタオルを押し当てた。その姿に、自分はなんと贅沢だったのだろうと再度思った。
(俺、あの時勝手にこの二人を突き放してたんだ)
「家族がいるって……いいもんだね……」
その言葉に真理恵が抱きついてきた。
「華くん! だぁい好きっ!」
自分と真理恵を見る目が温かい。
「二人が結婚したこと。私たちにとっても救いだし嬉しいことだよ」
「ええ。華の目がこんなに素直になるなんて思ってもいなかったわ。真理恵ちゃん、本当にありがとう」
「華くんって男前だから。亭主関白なの。私が頑張んなくてもいいんです。最高の旦那さん!」
真っ赤になっているのを意識して余計に赤くなる。
「華、お前はまた美しくなったね。今度は男性としての美しさだ。今度真理恵ちゃんと二人を描きたいと思うよ」
「美しいって、父さん。俺は男だよ」
「囚われてはいけないよ。男とか女とか、そういうことに。人と人だ。大事なのはそこであって他は些末なことだよ」
まだ今の華には分からない。男も女も関係無い、ただの人だ。そう言い切る父の言葉は何度聞いただろう。
(でも父さん。結ばれるのは結局男性と女性だよ)
翌月曜は朝からジェロームが三途川と一緒に来た。気遣いはしたものの、仕事をしている姿にほっとする。遅れて課長が出勤してきた。
「珍しいですね、課長が遅いなんて」
そんな言葉をかけられて曖昧な返事をした課長がジェロームの姿を見て止まった。
(課長?)
ここのところ課長に見える焦燥感に自分まで不安に包まれる。
午前中は問題なく過ぎた。
「久しぶりに二人で飯食いに行こうぜ」
ジェロームを誘ってデザートのあるレストランに行った。三途川家がヤクザ一家だったと驚いて報告するジェロームに笑う。
そしてその後の言葉に息が止まるほど驚愕した。
「ねぇ、教えてほしいことが……あるんだけど」
「なに?」
「……課長さん……」
(課長さん?)
「なんていう人?」
「え……?」
「他の人、聞きにくいし……三途さん、はっきり言ってくれないし」
背中を冷めたいものが這うような気がした。
「河野蓮司、去年の4月からお前の上司だ。お前を最初に人として認識してくれて、最初に受け入れてくれた人だよ。部下のためならどんなことにでも盾になってくれる。お前もそうやって助けてもらったんだ、ずっと」
華は内心の焦りを隠してゆっくり説明した。
(どうした、ジェローム! なんで課長を忘れちゃうんだよ! 何があったんだよ!!)
「どうした? 課長のこと、思い出せないのか?」
「……うん……」
「何かその前に課長と揉めたかなんかした?」
「覚えてない、分かんないんだ……」
「お前、俺のことは分かるよな?」
「分かる」
映画ではあった、時間と共に何もかもを忘れていくというストーリー。
(そんなの、生きてるとは言えないじゃないか!)
「何か忘れちゃってさ、まずいって思ったら聞けよ、他の誰かにじゃなくって俺に。ちゃんと教えてやる。知りたいことは何でも聞け、分かることは全部教えるから」
「うん……病院でも聞いたんだ……どうしたら思い出せるの? って……でも……」
聞いているのが辛い。
「無理だって?」
「じゃなくて。自然に待つのが一番いいって……でも……思い出せなかったらどうなるの!? 俺……いつか空っぽになっちゃうの?」
答えられるわけがない。どうしたら楽にしてやれるんだろう……
「お前、不思議だよな。だってそんな中で仕事は何も忘れてないんだから」
努めて明るい声で言った。
「なんか楽で」
「そうか、楽なのか。今週の俺たちの予定はどうなってるんだ?」
「変だよ、スケジュール華さん把握してるでしょ?」
「俺、そういうのすっぽ抜けるの知ってるじゃないか」
すんなりと話を変えていく。違うことを考えさせたい。
「それ、これからチーフになるのにまずいと思うんだけど」
「そのためにお前がいるんだ」
「俺に頼りっぱなし?」
「そ! お前いなかったら俺の仕事、止まっちゃうからな。俺を管理すんのはお前の仕事なんだから」
「池沢チーフはそんなこと人に押しつけなかったよ」
「俺には俺のやり方があんの。なんだよ、俺の面倒見るの嫌なのか?」
「嫌じゃないけど、しっかりしてくんないと」
「そういうの、俺に言えるのはお前だけだろ? だから。万一チーム編成でお前と離れたら思いっきりごねてやるからな。ま、有り得ないけど」
ジェロームが少し不安そうな顔をする。けれどさっきの顔よりうんとマシだ。
「ホントに華さんと離れない?」
「ばぁか。離れたら俺、仕事やんないから。でさ、肝心のスケジュールは?」
「木曜に課長が新人に面談して、その次の月曜にチーム発表だよ。だから俺は華さんとずっと仕事」
「よし!」
ジェロームが安心したような表情を浮かべた。華は心の中で焦燥感に襲われている。
(お前と課長……何があったんだよ……)
何かが点滅しているようで。ジェロームの辛い顔も課長の疲れた顔も、華の心に突き刺さる。
[保護者]と[誰からも保護してもらえずにきた者]。
二人の関係はなんと複雑なのだろう。
(そうだよ。課長が事故で入院した時だって……)
けれどそんな課長の記憶が、なぜジェロームの中から消えてしまったのだろう。
時間はそれでも流れていく。
仕事はジェロームとの相性が良くて、ちょっと躓いても二人で切り開いた。
昼食は一人にしない。頻繁にジェロームの目が課長に行くのが分かる。間に入っていいものかどうか迷い、やめた。精神的に不安定なジェロームをせめて自分は追い詰めたくない。だからなるべく課長の話は遠ざけた。
メールを見てジェロームが慌てた。
「どうした?」
覗いてみるとチーム編成に関するメールが課長から来ていた。
[各チーム新人育成担当]とある。それに怖気づいていた。
「華さん……俺、無理だ……」
「何言ってんだよ! 俺んとこはお前と二人なんだぞ。それにお前は適任だと思うよ」
ジェロームの気にかかっているのが新入社員の石尾健だということは分かっている。砂原と一緒に面接を担当した時にかなり不穏な空気になったと聞いていた。
「堂々とするんだ、お前は仕事にかけちゃもうベテランなんだ、呑まれるな、呑んで返せ」
(大丈夫だって。お前ならちゃんとやって行けるよ」
そういう点を心配する必要は無いと華は思っている。仕事でジェイが信頼を裏切ったことなど無い。
しばらく経って、オフィスに課長と入ってきたジェロームには久しぶりの笑顔があった。課長を見上げる顔がぱぁっと輝く。
「おい、課長と来たんだな!」
「華さん! 俺、ちゃんと思い出せた!」
嬉しそうな顔に自分が嬉しくなる。ジェロームと一緒にいるとどんどん自分が変わっていくのが分かる。
『いいことだよね! 華くんがこんなに誰かのことで一生懸命になるの、初めて見るよ』
(マリエって不思議だ……ジェロームも不思議だけど)
自分の思いを全部受け止めてくれる。一緒に考えてくれる。
『一人っ子の華くんに弟が出来たんだもん、本当に良かった!』
(そうだよ、お前は俺の大事な弟なんだ)
それにしてもジェロームと課長のことが気になった。思い出せたのは良かったがそもそもその原因はなんなのか。
(やめよう、余計な詮索だ)
どこかにラインが必要だと思う。大切だからといって鬱陶しい存在にはなりたくない。
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