第5章 石川、虹の麓に辿り着いた男

第1話


「優李くん、優李くん、石川県の『任太郎伝説』って知ってる?」


 軽い調子で問われた梶優李ゆうりは箸をいったん置くと、テーブルを挟んだ向かい側に座る先輩に顔を向けた。

 梶の先輩にあたる中村清太は、食堂の中華そば定食を食べ終わっており、今は空になったガラスコップに水を注いでいる。半分以下になっていた梶のコップにも注がれ「あ、どもっす」と梶は小さく頭を下げた。


 梶は、兎園寮に入って今年で1年目の新人だ。先輩たちに付き添って実地調査に行くこともあるが、大半は兎園寮本部で事務仕事をしている。本人が望めば実地調査を中心に任されるので、現状は梶が望んだことだった。


 対する中村は特に担当エリアを決めずに、調査依頼のある場所に意気揚々と駆け付けている。ときには自分でネットから奇怪な情報を見つけてきては、上長である鈴川に調査許可申請書を出しに行き、そのたびに「それは境越に任せなさい」と追い払われている姿を、多くの所属員が目撃している。



「『にんたろう』の『にん』って“任せる”って字を書きます?」


 質問を返された中村は「そうそう」と頷く。

「あれ? 読み方間違ってた?」


「いえ、地元の人はそう呼ぶので一般的にはその名称で通っていますが、正式にはなんと読むのか明らかになっていないみたいです」


 すらすらと淀みなく答える梶に、「さすが優李くん、博識だね~。じゃあ伝説の内容もとっくに知ってるか」と中村は感心したように数度頷く。


「いや、そんなに詳しくはないですよ。『むかしむかし、任太郎という男が虹の麓に辿り着いてお宝を見つけました。任太郎は持ち帰った宝を村人に与え、みんなが幸せに暮らしました。めでたしめだたし』ってくらいの内容しか知らないですから」


 慌てて付け足す梶だが、中村は「そう、それ!」と人差し指を立てる。


「普通はさ、なになに伝説って題名が付く説話って、もっとこう起承転結? みたいなのがあるでしょ。例えば、桃太郎だったら『桃から生まれた桃太郎が鬼退治に出て、お供を見つけて、鬼退治をして、めでたしめでたし』てな感じで。浦島太郎なら『いじめられていた亀を助けて、竜宮城に行ったけど、故郷が懐かしくて帰ってきたら、時間の流れが違っていて知っている人は誰もいませんでした。玉手箱を開けた浦島はおじいさんになりました』とかさ」

 中村がなにを言いたいのか察せられず、梶は「はあ、まあそうっすね」と相槌を打つ。


「任太郎はなぜ虹の麓に行ったのか、そこでどんな冒険をしたのか、その辺りのことがごそっと抜けているんだよね~。……ねえ、気にならない?」


 梶は、『まあ気になりますね』と当たり障りのない受け答えをしようとして、その言葉を呑み込んだ。会話の流れから、嫌な予感を得たからだ。


 大体、この話題を振ってきたのが中村清太という男であるところが問題だった。仕事で調査に行っているのか、心霊スポットに嬉々として行っているのか、なにもないはずの場所で心霊現象を引き起こしているのか――などなど、彼に関する所業は、平穏に生きたい梶からは遠ざかっておきたいものなのだ。


 数拍の間の後、梶は生ぬるい笑みを浮かべて答えた。

「いや、全く気になりませんね」

「ええっ、ここまで話しておいて!?」

 中村は、否定されるとは思ってもみませんでしたと言わんばかりの驚愕の表情を浮かべる。


「いやいや、もう全然、毛の先程の興味もありませんね。あ、中村さん、もうすぐお昼終わりますよ。お先に失礼しまーす」


 立ち上がりかけた梶に「ちょっと待て待て。逃げようとしないでー」と中村は制止の声をかける。一応先輩の顔を立て、不承不承といった様子で梶は椅子に座り直す。



「仮に、仮にですよ。俺が興味持ってるって言った場合、どういう流れになるんです?」


「俺と一緒に任太郎伝説の発祥の地で、謎の祠調査に行こう~!」


 拳を作った右手を軽く掲げた中村に、やはりと梶は溜息を吐く。だが、さすがに何度も断り文句ばかりを言うのは気が引け、自分が対象から外れるような誘導を試みる。



「そもそも、なんで俺なんっすか。北陸地方を担当している人がいるじゃないですか、ほら、あの」と、梶は脳裏に無精ひげを生やした天然パーマの男を思い浮かべる。


「あー、龍之介くんね。彼は……実は今は動けなくて」

「え、なんでっすか?」

「富山のある町でご神体を移す神事の記録をするのに、裏神祇事務局の人と一緒に行っていたんだけど。お祭りが終わった夜にね……町内会に誘われて晩御飯をごちそうになったんだって。でも、そこで……」


 そう言って深刻そうな表情を浮かべる中村の様子を見て、梶は恐怖から鼓動が速まるのを感じた。


(なんだろう、儀式がうまく行かなくて村人と一緒に霊障に遭ったとか? うわ嫌だ、聞きたくない。いやでも気になる)


 ごくりと唾を飲み込んで、中村の言葉を待った。


「集団食中毒になって、現地の病院で今は入院しているんだ。なんか、ジャガイモが原因らしい」


「ふざけんな、ちくしょう!」


 実際に食中毒になって苦しんでいる人たちにとっては、十分に災難な出来事なのだが、人智の及ばない奇怪な事件を想定した梶にとっては拍子抜けであったことと、そんな顛末によって自分にお鉢が回ってきた現状に、同情よりも先にやるせない感情が湧き出た。



「優李くん、咄嗟に口悪いの出るよね」


 中村は右手で頬杖をつき、乾いた笑い声を出す。梶はハッと口元を押さえると「すんません」と詫びた。


「いやー、大丈夫大丈夫。でさ、今この中で手の空いてる子は……ってことで、優李くんはどうかなーって」


 今は9月。秋になると、田畑や海の恵みに感謝する祭りが全国各地で行われる。八百白館と協力して伝統行事の記録を残している兎園寮は、忙しさに拍車がかかるのだ。

 人手不足を理由にされてしまうと、梶には断ることができない。



「分かりましたよ……行きますよ」


 観念した梶に「そうこなくっちゃ! 石川旅行楽しみだな~この季節はズワイガニが美味しいって聞くし、せっかくだから海鮮めいっぱい食べようね」と中村は明るく笑って席を立った。


 去り際に「これ事前資料だから読んでおいて」と、リュックから取り出したA4ファイルを中村から渡される。中には数枚の用紙が入っていた。







 ホテル・リゾート事業を基本領域とするエンターテイメント企業・タラサラボから行政を通じての依頼があり、これを受諾する。

 タラサラボは「海を感じる癒し空間」「地域と共に発展する」をキャッチフレーズとし、周辺地域の景観を損なわないデザインの宿泊施設を展開していることが特徴。今回新たに石川県羽咲市(はさき-し)虹峠町(にじとうげ-ちょう)の麓一帯を開拓し、「海を五感で感じる旅館」をコンセプトにリゾート計画が進行している。


 2022年8月10日、切り開いた森林区内で「忌太郎之墓」という墓碑と小規模の祠を発見する。地域の文化や経済を保護することを企業理念として掲げているタラサラボは工事を一時中断し、この遺物に関する対応を町役場に相談。だが町役場では、そのような墓碑や祠が建てられた経緯は過去の郷土史から確認できなかった。地域の高齢者数名から聞き込みを行ったが、いずれも実りある回答は得られなかったという。

 よって兎園寮が現地にて祠を調査し、今後の対応を役場と企業側に助言することが求められる。




※気になる点

・墓碑には「○○之墓」あるいは「故○○之墓」と書かれるのが一般的だが「故」ではなく「忌」が使われているのはなぜか。

・「太郎」とは誰を指すのか。虹峠町では「任太郎伝説」があるが、関係あるのか。

・「任太郎伝説」は一部を切り取ったように、不自然なほど語られる内容が薄い。現地調査において、分かったことがあれば資料にまとめ、八百白館と共有する。



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