幕間(5)

双子石トンネル


 ――どちらまで行かれますか。


 ――双子石ふたごいしトンネルの手前までお願いします。場所、分からなかったら誘導しますので。


 ――いえ、大丈夫です。……先週も、案内したばかりですから。




 ――ドライバーさんも大変ですよね。この時間だと、酔っ払いとかも多いんじゃないですか。


 ――あはは、そうですね。でもまあ、昔に比べたら大分良くなりましたよ。


 ――そうなんですか。


 ――ええ、ほら……こうやって後部座席との間に防犯ボードも付けられるようになりましたし、ドラレコも付いてますので。


 ――ああ、なるほど。


 ――……うちの会社が全車にドラレコつけるようになったのは、実はある事件があってからなんですよ。


 ――え、事件ってどんな?





 ――もう20年以上前のことですがね……。この頃はまだドラレコを付けるタクシーも少なくて、安全面を考えて夜間運行のタクシーにだけ付けていたそうです。


 ある夜、一人のドライバーが時間になっても帰社しなくてですね、走行記録を辿って周辺を捜索したんですよ。最後には警察まで呼ぶことになったんですが、そのドライバー、タクシーごと海に沈んでいたんです。

 なにかあれば無線に入るはずなんですが、そういうのもなかったそうですよ。


 タクシーの中を調べたら、内側に付けていたドラレコが奇跡的に無事でしてね。持ち帰って映像を調べたら……そのドライバー、海に落ちる寸前まで後ろに座っているお客さんと楽しそうに話しているんです。


 でもね、タクシーを引き上げたときは、車の中に乗っていたのはドライバー一人だけだったんですよ。海の中に落ちて底に沈んでいっているのに、ドライバーはそのことに気付いた様子もなくずっと笑顔で喋り続けているんですけど、そのときには後部座席にはもう誰も映ってないんです。


 ……変でしょう。映っていたお客さんは、どこに行ったんでしょうね。


 こういうことがあって、全車にドラレコを付けるようになったんです。映像はリアルタイムで本社のコールセンターと繋がっていて、ちょっとでも変な状況になれば無線が入るようになっているんです。まあ、そうそうそんなことは無いんですけどね、ははは。


 …………しかしまあ……実は、私も最近ちょっとヒヤリとすることがあったんですよ。


 先週のことなんですが、深夜の2時過ぎに駅前で一人の女性のお客さんをお乗せしましてね。目的地に向かって車を走らせていたんですが、突然会社のコールセンターから無線が入ってきたんです。


『今すぐ車止めてください!』って、慌てたような声で。


 言われた通りに道路脇に車を寄せて停めて、どうしたんですかって聞いたんです。

 私のタクシーが賃走状態になったから、念のためモニターで車内の様子を確認しようとドラレコと映像を繋いだところ、私が誰も乗せていないのに誰かと会話しながら車を走らせているって言うんですね。それで慌てて車を止めるように無線を入れてくれたんですよ。


 あのまま走っていたらどうなっていたかと思うと、ちょっとヒヤリとしますね。


 私が乗せたはずのお客さんですか。


 無線の内容を聞いて、恐る恐るバックミラーで確認したら、いつの間にか消えていたんですよ。確かに、20代くらいの女性客をお乗せしたはずなんですがね。


 それで、ですね……言われて向かっていた先が……双子石トンネル前なんですよね……。





「そう言って、ドライバーさん、めちゃくちゃ恐る恐るって感じで、ミラー越しにこっちを見たのよ。そこまで言われてやっと気付いたんだけど、私のことお化けか何かかと半分疑ってたみたい」



 熊本を本拠地として構える兎園寮内――調査から戻ってきた水野が語る現地での話を聞いていた弓削は、堪えられずに笑いを零した。


「まー、ド深夜に、同じ場所から乗ってきた、同じような年代性別の客が、同じ行き先を指定してきたら、少なからず警戒はするよな!」


「どうりでチラチラ無線に視線遣ってたわけだよ」


「もー、これ以上笑かすなぁ……」

 笑いすぎて荒くなった呼吸を整え、弓削は「というか、本題はどうだったんだよ、そのトンネル」と言いながら目尻に浮かんだ涙を拭った。



 双子石トンネルという名前のトンネルは愛知県南部に存在しており、トンネルのある埴尾はにお阿武あたけ(旧阿武郡)は区画の中央地を小さな山が境界になる形で連なっている。

 山で阻まれた両地区間の移動を楽にするために、明治時代初期に阿武郡の住民が手掘りで貫通させたのが双子石トンネルの成り立ちとされている。


 道路が整備されたこととトンネル内部の劣化による危険があり、今は使われなくなり、鉄柵で封鎖されている。


 トンネルが使われていた頃に事故が遭ったとか、誰それが自殺したというような噂も全く無いこのトンネルだが、2000年代に入りネット掲示板を中心に心霊スポットとして知られるようになった。

 とはいえ、トンネル付近で着物姿の子供がいたとか、黒い人影とすれ違ったとかいったもので、「気のせい」程度の現象に、心霊マニアの間でも狭く知られているスポットに過ぎない。



 双子石トンネルの噂話が出た当初、兎園寮と境越祓所で合同調査をしたものの、特に怪奇現象も起こらず、穢れが生じるような場所ではないというのが結論だった。


 ところがここ1ヶ月前に「【恐怖の双子石トンネル】この動画を見ると悪夢を見る」というタイトルで、双子石トンネル付近の映像が動画配信された。

 映像を撮った配信者は、鉄柵を越えて崩れかけのトンネルに近寄ったりと危険な行為をしていたため、すぐに動画は削除された。


 消される前の動画を発見して視聴したのが、兎園寮の中村だ。


 彼は動画を見た日の夜に「ゲルニカの世界に迷い込んだみたいな夢を見たんですけど!」とのことで、翌朝さっそく鈴川長官に興奮気味に報告を入れていた。

 鈴川長官が苦虫を十匹程かみつぶしたような表情を浮かべていたのを、偶然居合わせた弓削が見ていたらしい。


 話題に上がったからには無視はできないということで、中部地方担当の一人である水野が調査をすることとなった。




「怪奇現象はなにも起きなかったよ。ドライバーさんの言う、女の霊にも遭遇しなかったし。許可貰ってたから、鉄柵の奥越えて実際にトンネルも見てきたけど特になにも……ああ、でも」


「でも?」


「鉄柵の手前にね、小さな石が置いてあって、そこに真新しい花束やワンカップのお酒や線香の燃えカスみたいなものがお供えされてたんだよね……ちょっと気味悪くて」


「ええ……なんだそれ。別に死亡事故の話とかは無いんだろ? そこ」


「うん。でも明らかにお供えものって感じで、花束とかがあるせいか、石も心なしか墓石に見立てたものっぽく見えたし」

 そう言って撮影した画像を弓削に見せる。



「……なんかこれってさ、火の無いところに煙が立ったってことかもな」


「どういうこと?」



「だって、この土地は別に曰くがあるとかそういう場所じゃないし、穢れが溜まるような事も起こってないんだろ。でも、噂レベルの心霊現象はあって、こうやって誰かがお供えをしてる……“なにか”に対して」


「ああ、そっか……。御霊ごりょう信仰とかがこれに近いのかな。神様がいるから信仰するんじゃなくて、信仰することで神様に祀りあげるっていう」


「そういうことかもな。つまり、なにも無いのになにかがあるみたいに形を作ってしまった、ってやつ?」


 水野は考え込むときの癖で、口元に拳を当てる。

「でも中村先輩は実際に悪夢を見たんでしょ。コメント欄にもそういう書き込みが多かったらしいし」


「そうだなぁ。……悪夢って、要は頭の中で起こる現象だろ」と、弓削は人差し指で自身の側頭部を押さえる。


「最初は、現実世界に及ぶような現象じゃなかったはずなんだ。双子石トンネルが心霊スポットだと決めるのも、人間の頭の中で考えたことだ。勝手な思い込み。でも、石を置いて形として祀って……この場合は供養か。そうしたことで、霊的な力を持つようになった。まだそれは、頭の中という夢だけで起こっていた現象だけど……水野がさっき話したタクシー運転手のおっさん」


「……! 映像に映ってない霊と会話したって言ってた」


「トンネルとの因果関係は分からないけど、もしかすると、少しずつ実体化しているのかもな」



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