幕間(3)

真夏の納涼会


 兎園寮所属の滋丘しげおかは、自宅のパソコンの前で和やかに談笑していた。

 滋丘が顔を向けるモニターには、分割された画面にそれぞれ同期の顔が映されている。


 怪異観測機関に所属する人間は、事情がそれぞれに異なるため、入ってくる全員が同じ研修課程を受けるわけではない。だが学校卒業後に入った者、いわゆる新卒者に関しては、4月の丸ひと月の間に、同じ場所で研修を受けるようになっている。内容は、社会的な一般常識からこの業界ならではの“特殊知識”などだ。怪異観測機関には「本社」というものは無いため、場所は毎年四部門の本部をローテーションによって指定される。

 滋丘たちの代は、裏神祇事務局が研修場所だった。癖の強すぎる長官を目の当たりにして、内心引いていた滋丘だったが、自身が配属された兎園寮長官の穏やかさに大いに安堵したのは記憶に新しい。


 同じ時期に怪異観測機関に入ったものの、全員が違う部門に配属されたために、モニター越しとはいえ、こうして顔を揃えるのは数ヵ月振りのことであった。


 裏神祇事務局に配属された海老名えびなは、滋丘が関西と中部地方を中心に調査している話を聞いて羨ましそうな声を上げる。

「いいなぁ~、そっちは色んな場所に行けて。俺もあちこち旅行、じゃなかった、調査に行くの楽しみにしてたのに。やってることはほとんどSNS巡回とか、神社巡りしてる人のブログのチェックばっかで、ずーっと座りっぱなしだよ」

 海老名の言葉に「旅行って言ったな、おい……」と突っ込みを入れるのは、境越祓所に配属された刀岐ときだ。

 友人に指摘された海老名は、誤魔化すように笑うと「逆に、境越は忙しいだろう? なんか怖い事件とかあったか?」と尋ねた。


 怖い事件と問われ、刀岐は記憶を巡らせる。

 日常的に怪異と接触しているので、なにが怖くてなにが怖くないのかが分からなくなってきていたのだ。

「じゃあ……怖いかどうかは分からんが、記憶に新しいから先週のやつでいいか?」


 そう言って、刀岐は語り始めた。





 長崎のとある港町で、毎年お盆の前に行われているお祭りがあるんだが、今年おかしな現象が起きたとかで調査に行った。

 祭りの名前は「亀子石叩きかめこいしたたき」というもので、どんなものかというと、その地区の12歳以下の子供たちで6人グループを形成する。若い世代の多い町で、だいたい5~6班くらいができるらしい。

 T字路の突き当りに地蔵を祀った小さな祠があって、祠の前に丸い石が置いてある。それが「亀子石」だ。子供たちは1班ずつ地蔵の前で歌って踊る。盆踊りのようなリズムに似ているが、踊り自体は盆踊りとは全然違って……えーっと、うまく表現できないな。円になってぐるぐる回るんだが。

 あー、そうそう、かごめかごめの真ん中に誰もいないバージョンが近いか。

 歌詞は「かめのこさま かめのこさま つるして まわして ごくらくじょうど」という簡単な節を6回繰り返す。

 それが終わったら、次の班の子供たちが同じことをやるというものだ。


 ところが今年、最初の班の子供たちが違う歌詞で踊り始めた。

 内容はこうだったらしい。

 「かめのこ つるされ はなからちがでて てんのくに」


 「はなからちがでて」ってのは、鼻血が出てってことだろうな。

 最初の班の子供たちはその歌を歌った後、昏倒したらしい。そう、集団昏倒だよ。

 祭りは当然中止になって、大人たちはなんでこんなことが起きたのか自分たちなりに調べたそうだ。熱中症でもない、食中毒でもない、そうやって色々な方面から調べたらしい。そうしたら、最初の班にいた子供の内、小学5年生の2人が少し前に学校で「天使さま」という、遊びをやったということが判明した。

 名前は「天使さま」っていうやつだけど、内容はこっくりさんと同じだ。

 それで悪いものでも取り憑いたんじゃないかってことで、俺と先輩で現地行って調査した。子供たちには低級の動物霊が憑いていただけで、浄霊はすぐに終わった。


 だけど、謎なのはこのお祭り自体なんだ。

 「亀子石」の名前になった「亀子」っていうのは、江戸初期に実在した女性の名前らしい。この女性、キリシタン弾圧のときに「穴吊り」っていう拷問を受けても最後まで棄教せず、拷問の果てに亡くなったそうだ。穴吊りか? 結構えげつないんだけど……。こう、深い穴を掘って汚物をぶちまけて、そこに人を逆さに吊るすんだよ。それで、耳の後ろに穴を開けて……そしたら耳とか鼻から血が出て、長く苦しむらしい。

 ……な、残酷だろう。


 えっと、話戻すな。

 亀子が亡くなった後のことなんだけど、亀子の実家は大きな商家で、金を大量に役人に渡してどうにか彼女の遺体だけは引き取ったという。引き取られた後、実家の宗派であった浄土宗の仏式で葬儀を行ったんだと。最後までキリシタンである己を捨てなかったのに、まさか家族によって仏式で葬送されるなんて、って感じだよな。

 「亀子石」は、亀子の棺桶の蓋の重石に使われた石だそうだ。なんでそれをお盆の前に町ぐるみで祀ってるのかは謎なんだけどな。


 まあ、一番の謎は「亀子石叩き」っていう名前そのものなんだけど……。

 このお祭り、亀子を祀ってるのか? それとも、死後も貶めてんのか?





「それにしても、お前ずっとラーメン食ってんなぁ」

 話を締めくくった刀岐に呆れたように言われた、八百白館所属の浜門はまかどは咀嚼を終えると重々しく口を開いた。

「うちのとこ……ちょっとラーメン食べづらくなって。その反動で、家でめっちゃ食ってる」

「え? どういうこと」

「ラーメン限定? なんで?」

 同期から怪訝半分、興味半分といった様子で尋ねられるも、浜門は黙秘を示すように一度きゅっと口を山型に結んだ。


「言わない。俺は先輩の名誉を死守する!」

 その代わりに別の話をしてやるよ、と浜門は汁だけになったラーメンのカップを手が当たらない場所に置くと、自身の見聞きしたことを語り始めた。





 刀岐が「天使さま」というこっくりさんの話したから、それ関連の話。

 神奈川のとある高校で、教師が不審な事件に遭うということで原因を探ることになった。その学校は美術関係の授業に力を入れていて、卒業生が芸大に進学する率も高い。要は芸術家志望の学生が多い学校なんだ。そのため、教師も芸大卒だったりと、絵を専門的に学んだ人が多い。


 相談内容を詳しく言うとだな――出勤時間になっても職員室に来ない教師がいて、連絡を入れると電話にはあっさり出たそうだ。寝起きのような声で、さては寝坊でもしたのかと聞いてみると、こう答えが返ってきた。


「携帯の音でさっき目が覚めました。今、自分は山の中にいるみたいですが、ここがどこかも、なぜこんな場所にいるのかも全く分からないんです」


 学校側も不審に思ったけど、そのまま山の中で遭難されても困るからというので、スマホのGPS機能をオンにするように指示して、捜索隊を出した。

 教師はすぐに発見された。

 というのも、学校の北に位置する山の中にいたからだ。


 ここまでも不審な流れなんだが、ここからが本題。

 山から戻ってきた教師は、美大卒で油絵が得意だったそうなんだけど、その日以降、絵がめちゃくちゃ下手になっていたらしい。

 いや、下手って言い方は語弊があるな。

 絵が描けなくなっていたんだ。

 言葉通りだよ。絵を描こうとすると、頭で思っているものが描写できなくて形が崩れるというか、ぐちゃぐちゃに色を重ねたような絵しか描けなくなってしまった。線を引こうとすると、ぐにゃって歪んだり。

 病院で検査しても、脳にも腕にも異常は無かった。なにか精神的なことかとも思ったが、それ以外の日常生活には問題がないという。

 学校側は技術面ではなく知識面を教えるということで、教師が仕事を続けられるようにしようとしたんだが、本人のほうが現状を受け入れられずに教職を辞めたらしい。


 この最初の事件は5年前に起こった。

 それから、今年に入るまでこの学校では、同様の事件が3件起きている。

 さすがに変だということで、学校が色んな方面に調査を広げたところ、うちに行き着いたというわけだ。


 俺は柴咲先輩に同行して学校に行った。

 うちの部門では、学校関連での調査といえば柴咲先輩! という流れでさ。なんていうのかな、学生との距離が近いというか……説教臭さがないけど頼り気のある、姐御って感じの人。当の本人は、「なんでこっちに話来たんだろうね。境越そんなに人手不足なの?」って、今回の件に関してちょっと不思議そうだったけど。あ、そうなんだ。やっぱ忙しいんだなあ。

 生徒たちと面談する機会もあったんだけど、学年主任の先生には頑なに口を閉ざしてた子が、柴咲先輩が会話仕切っていくうちに口を開いたりとかしてさ、それで色々分かったことがあった。


 あの学校には、「ベンテンサマ」っていうこっくりさんが一部の学生の間で流行っているらしい。流行っているというか、受け継がれているというのが正しいな。

 このこっくりさんのことを知っていたのは、デッサン部と彫刻部に入っている生徒だけ。「ベンテンサマ」のことは、卒業した先輩から聞いたそうだ。


 こっくりさんといえば、自由に質問して答えを得るっていうやつじゃんか。でも、「ベンテンサマ」はちょっと違う。質問事項は1つだけ。

 嫌いな相手の名前と生年月日を声に出して『差し上げてもいいですか?』って「ベンテンサマ」に尋ねるらしい。

 10円玉が「はい」を示せば『今晩差し上げます』と言って、教室のゴミ箱に紙を捨てる。「いいえ」なら『お許しください』って言って、紙を燃やして川に流すらしい。


 結局……まあ、あまり気分の良くない話だけど、教師いじめだよ。

 気に入らない先生に呪いをかけるっていう……やった本人たちは遊び半分だったと思うけど、「ベンテンサマ」はガチの呪術だった。

 裏神祇事務局から資料貰ったんだけど、教師が失踪していた山にはさ、かつて弁財天が祀られていたらしい。

 「差し上げます」って、多分教師の「才能」だったり「技術」なんだよな。

 名指しされた教師は、ふらふらと無意識に山に入って、そこで芸術の神様に自分の芸を奉納したという形になった。

 あれは、そういう術式らしい。


 「ベンテンサマ」のことを知っていた生徒全員に、先輩が「呪術のリターンの怖さ」についてたっぷり教え込んでたから、まあ、もう安易にやる奴は減ると思うけど。


 え? 祠をどうにかすればいいだろ、って?

 それがさ……戦時中に空襲に遭ってさ、祠も神体もどこにあるか分からないんだよ。

 壊れたか、土中に埋まってしまったか……そういう手掛かりすらナシ。


 学校側でさえ、校舎の裏山にそんな歴史があったなんて知らなかったみたいだし、一体誰が「ベンテンサマ」なんて作って広めたんだろうなぁ。





「なんでそんな殺伐とした調査ばかりなの…」

 滋丘は他部門に配属された同期たちの話を聞いて、頬を引き攣らせる。


「兎園寮は違うのか?」

 殺伐としているだろうかと疑問に思いながらも、刀岐が尋ねると「うーん、少なくとも、僕は違うかな」と答える。




 例えばどんなことをしているかって?

 噂話程度の怪奇現象の実態を調べたり。あとはそうだなぁ……、社というほどじゃない、小さな祠があるでしょ。そういうのを実地調査して、どういう謂われで建てられたものか由縁を記録して八百白館と共有したり、民間伝承を地元の人に聞いたりとかかなあ。

 八百白館って、自分のところで保管している資料を随時更新しているけど、怪異から民俗関係まで幅広くて一部門では手が回らないみたいなんだ。だから手分けして、こっちでは神事や祭事方面での記録の手伝いもしているんだよ。昔より今のほうが映像綺麗に撮れるし。1人で行くこともあれば、先輩に同行してもらったり色々。


 あれは先月だったかな。先輩と奈良南部のフィールドワークをしていたとき、境越にいる先輩の同期の人から連絡が入ったんだ。さっきもちらっと話したけど、僕は基本、関西とか中部のほうを見て回っているからね。

 それで、奈良にいるなら調べてほしいことがある、って言われたんだ。

 境越の人が言うには、奈良のある村での霊的数値が年々上がっているらしい。

 簡単に言うと、普通に民家とか田畑しかない場所なのに、神社みたいな清浄な空気になっているそうなんだ。

 近くだし様子を見に行って、こっちで手に負えないようだったら境越の人たちに任せようって話になって、とりあえず村を見に行った。


 村境を越えた途端に、すごく爽やかな空気を感じた。夏なのに風が涼しくて、呼吸しているだけでなんか身体の中が綺麗になっていくみたいな感じだったよ。

 先輩も「これはなにかあるぞ」って不思議がってた。


 村に入ってすぐに、一匹の犬が僕らに付いて来た。

 真っ白な毛並みなんだけど、尻尾だけが黒いんだ。ちょっとぽやっとした顔が可愛くて、秋田犬並みに大きかった。毛艶が良くて、野良犬には見えなかったよ。どこかの家が放し飼いにしているのかも、ってこの時は思ったなあ。

 そうしたら、先輩が言うんだ。この犬、式神の気配に似ている、って。

 先輩は陰陽師、弓削一族の子孫で、夢占が専門なんだけど、動物型の式神も契約で持っていて……その式神たちと目の前の犬の気配がなんか似ているんだって。


 犬のことは気にしながらも、とりあえず引き続き探索しようと田舎道歩いていたら、葛餅屋さんが見えた。

 ちょうど甘いものが欲しい気分で、先輩と一緒にその店に入ることにした。旅行気分じゃないって……そう、休憩だよ、休憩! 店に入ったというか、たこ焼き屋さんみたいな小さな出店で、受付窓から注文して外の椅子に座って食べる感じ。

 そうしたら、店番していたおばあちゃんが白い犬見て「シロじゃねぇか~」って言うんだよ。先輩が、ここの飼い犬なのか聞くと、びっくりする答えが返ってきた。


 おばあちゃんが語ってくれたのは、この村に関する説話だった。

 千年以上前のことらしい。この村の猟師が山で怪我をした犬を拾って手当てをしたという。その犬、実は仏様の従者だったんだ。仏様は、自分の修行が終わるまでの間、犬に村の守護をして恩を返すように命じたそうだ。

 それ以来、この村では何十年かに一度、山から尾だけ黒い白犬が下りては、村に住み着くようになった。犬が村にいる間は、天災や飢饉なんかがなかったらしい。

 それでこの村では、山から下りてくる白犬を村ぐるみで世話をして大事にしたんだそう。


 今でもその習慣が残っているらしくて、とりあえず村に入り込んだ迷い犬は保護しているらしい。保護というと大袈裟なんだけど、村の中で放し飼い状態になってて誰ともなく餌をあげたり、雨が降ってたら屋根のあるところに入れたり……と、そういう感じ。村全体で飼っている、っていうのが近いかな。


 先輩曰く、目の前にいる白犬はどう見ても霊犬なんだけど、まあ本人? 本犬がこの扱いで満足しているみたいだし、手出しせず放置しておくかーって報告書だけ送って終わった。


 え、なんで最近になって村の霊的数値が上がったかって?

 確か先輩が言うには、霊犬の格が年々上がっているからじゃないか、ってことだったけど。ほら、長く大事にされると神が宿るっていうアレ。この場合は仏様の従者だから、神力じゃなくて仏力っていうのが正しいのかな。

 最初に村全体で犬を世話しようと考えた人、すごいよね。あれがもし個人宅で、例えば村長だけが世話をしていたなら、村長の家だけが霊場になってたかもしれないけど、村ぐるみで霊犬の世話しているから村全体が霊場化したみたいだよ。





「まあ、大体いつもこんな感じかな」

 そう言って締め括った滋丘に対し、「なんでそんなに平和なんだよ」と浜門は羨ましそうな声を出す。


「まあまあ、……ところで、なんで俺たち休みの日にまで仕事の話してんだろうな」

「いまさら!?」

「いや、言い出しっぺお前だから」

 話題を切り替えようとして失敗した海老名に、滋丘と刀岐がすぐさま言葉を返すのを背で聞きながら、浜門は2杯目のラーメンの蓋を開けると熱湯を注いだ。

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