第97話
私はヴァイシャル学園の学生、ユーカ。戦闘・戦術科に優秀といえる成績で入学を果たした私だったけど、入学早々に上には上がいることと自分が未熟であることを学んだ。
その両方の切っ掛け……というか、原因そのものだった同じクラスのアル君だけど、あれ以来意識しなくても目で追うことが多くなってしまった。
冒険者の母さんが憧れの対象であり、実際に一流といわれる実力者だったから、私は友人に対してもどこか冷めた目でしか見てこれなかった。“下に見ている”というとあまりにも言葉が悪いけれど……、実際の話として冒険者の中でも強者であるあの母さんを身近に育てば誰だってこうなる。
そして、だからこそ母さんとその周囲の人にしか感じたことがなかった“強者の雰囲気”をまさか同い年の男の子に感じるだなんて……。
正直にいうと、アル君を目で追うのはただ彼の強さが気になったからというだけじゃないのは自覚してる。注意深く見るうちに、長身だけどやや華奢な肩幅や、整った顔とそれを縁どるふわふわとした金色の髪、そして貴族ならではの洗練された所作。物語に出てくる王子様もかくやといったその姿に、こっそりと憧れている女の子は学園にも多い。
だけどさすがに、私は恋愛に浮かれるような気分にまではなれなかった。母さんは……冒険者ヨウは私の憧れ。そこを目指すのが私の生きがい。なのに、入学以来私は強くなったという実感がこれっぽっちも得られていない。
シェイザ領東の遺跡を二度にわたって探索したあの実習も、スケルトンを蹴散らしたところで何にもならない。
……そういえば、あの時集合に遅れたアル君はどうしてあんなに傷だらけだったんだろう。彼の実力ならあの遺跡でああなるはずはない。“寄り道”なんて言っていたけど……きっと何かがあったんだ。そうしたものに気付く嗅覚と、恐れずに首を突っ込む勇気。そういうものが強い人の条件なのかもしれない。
そんなことをここ何日か考えていたからだろうか……、私は普段以上に無茶な行動をしてしまった。
「どけっ!」
ヴァイスの街を歩いていた時、何となく不穏な気配を感じて路地に入り込むと、大きな――それこそグスタフ君くらい――女の人が、長くてうねった赤髪をなびかせながら向こうから走ってきた。汗まみれにしたその顔には大きな痣もあって、とても普通の状況じゃないことはまだ距離があってもわかる。
この辺りの路地は色んな場所に繋がっているから、きっとどこかの通りからこっちへ逃げてきたってところなんだろうけど……何から?
そう、逃げるってことは追う何かがないとおかしい。この人は痣をつけたのであろうその何かからこんなにも必死に逃げているんだ。
「待ってください、治療は必要ですか?」
狭い路地だ、真ん中にこうして立つだけでも通り過ぎることは難しくなる。私からかけた言葉は心配するものだけど、じりじりと足を動かしていつでも飛び退くことも、逆に飛び掛かることもできるようにしておく。
正直にいって、私はこの人を警戒している。人を見た目で判断するのは良いことじゃないけど、だからといってこの人はどう見ても衛兵とかに追われる側だ。大体、抜身のダガーを手にしたまま全力疾走している時点で見咎められても文句をいえた立場じゃない。
「殺すぞガキが! どけって言ってんだ、あたいは!」
やっぱり私の予想通りのようだ。そして普通に考えると、学生である私はとっととこの場から逃げて、衛兵か冒険者にでも伝えるのが一番賢いはず。
でもそれじゃだめ。私の憧れる正義は、脅されたって屈さない。強い力と……意思で、悪い人にも勇敢に立ち向かうんだ!
「そっちこそ武器をしまって立ち止まりなさい! 私は魔法薬を持っているから、素直に従えば治療もしてあげる」
ただの散歩だったから、武器なんて持ち歩いていない。学園ではいつも細剣を吊っている腰がやけに軽く感じる。
それでも!
「
何て威圧感のある詠唱……っ! だけど魔法が苦手な私には肉食獣の咆哮みたいにしか聞こえない。
「あぁっ、うっ!」
赤髪の当人よりも先に私へ到達したのは小さな石のつぶて。おそらくは魔法の発動に半ば失敗して、形をうまくなさずに放たれたものだと思う。けど、それでも高速で顔めがけて飛んできた硬い石に、私は手で顔を覆って呻くことしかできなかった。
「うらあっ!」
「きゃあぁっ」
私をどかして走り抜けるための雑な一閃。だけどそれすら、魔法に怯んでいた私には無様に倒れ込んでかわすことしかできなかった。……いいえ、制服の肩のところが裂けて血が出ているから、かわすこともできていない。
自分から明らかな厄介ごとに首をつっこもうとして、何もできずにただ怪我をした……。これじゃ私、単なる馬鹿じゃない……。
「……うっうぅ」
一瞬のうちに遠ざかっていく背中を見ていると、惨めで泣けてくる。そして、こんなことで泣こうとしている自分の弱さに、さらに泣きそうになる。
「ぐっ、むうぅ」
唇を噛んで、なんとか潤んだ目から涙がこぼれないように堪えた。そして他人に施そうとしたばかりの魔法薬で自分の傷を癒して、一層と惨めさを胸の内に抱えながらなんとか歩き出す。
「あれ?」
と、いくらもいかない内に、さっき私が揉め事を起こしたのとは別の路地から通りへと出てきた二人組がこちらに気付いて近づいてくる。
「どうした、ユーカ? またガキ大将と喧嘩でもしたのか?」
そんな私の幼い頃のことを持ち出して聞いてきたのは、母さんだった。
「ありゃ、治療は……したようでやすね」
どこか憎めない口調で制服の裂けた肩口を見ているのは、母さんの同僚でヴァイスでも知る人ぞ知る実力者のトンマーゾさんだ。
「あ……その……」
ついさっき晒した醜態を思い出して言葉に詰まる。
「これは……」
「……?」
と、母さんはトンマーゾさんに変わって私の肩を見て、酷く真剣な眼差しになっていた。
「ダガーで斬られたんだな? 赤髪のデカい女か?」
「あ、うん、そうなの。止めようとしたけど……何もできなくて……」
憧れの母さん相手だからこそ、隠したい気持ちもあったけど、結局は聞いて欲しい気持ちの方が強くて口にだしてしまう。
正義感の強い母さんは、不甲斐ない娘を叱るだろうか……? 失望はされたくないな……。それとも、野放しになっている犯罪者を追いかけにすぐ走り出す……?
一瞬のうちに、私の頭を色々な思考が過ぎったけど、実際はそのどれでもなかった。母さんは真剣な目でしばらく肩の裂けた部分を観察した後、トンマーゾさんに向き直って口を開く。
「逃げたあいつで間違いないな。さっきは遠目だったから確信はなかったが、この切り口……ダガーの腕だけでも相当なものだ」
「加えて魔法でやすか……、確かに俺っちでもちょいと手を焼きそうかと」
さっき……遠目……? もしかして母さんは、私が会う前からあの赤髪女を見ていたってこと? だったら、どうしてそんな普通に歩いてきたの?
「俺かメンテでもなければ、苦戦はするだろうな。けどあんな盗賊はまあ、どうでもいい」
続けて母さんから出てきた言葉はさらに信じられなかった。
「母さんっ! 街中でダガーを振り回すような犯罪者だよ!? 放っておいたら弱い人たちがどんな目にあわされるか――」
急に大きな声で割り込んだ私に、母さんは迷惑そうな表情をする。確かに母さんは冒険者らしく荒っぽい人だけど、正義を蔑ろにするようなことは……。
「いいか、ユーカ。俺は確かに、冒険者として、そして強い者の義務として、目につけば人助けもしてきた」
頷く。それこそ私がずっと憧れてきた母さんの姿。正義そのものだ。
「それをお前が何か勝手に誇大妄想しているのも知ったうえで、まあ悪い価値観じゃないと思って放置してきたが……、ここまで勘違いしていたとはな」
は?
「冒険者は基本的に魔獣を狩るのが仕事だ。というより依頼があって初めて動く。人間の犯罪者を捕まえるのは衛兵の仕事で、その領分に勝手に首突っ込むのは正義じゃなくて余計な手出しっていうんだ。裏社会の連中じゃあるまいし……、縄張りだの面子だので暴れる訳にもいかないからな」
え?
「それはそうと、ユーカお前、学園で金髪の優男と赤茶坊主の大男を知らないか? 特に優男の方は魔法と格闘術の達人で――」
…………
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