028

 冒険者ギルド内酒場。俺は飲めないが、仲間が飲むから、付き合っている。酒臭くて敵わないが、まあ少しくらい辛抱しよう。家族も居なければ恋人も居ない。そういう奴らにとって酒は最高の嗜好品だ。俺だってまだ冒険者になったばかりで少し心細く思う事もある。冷たくしてもメリットは無い。あれだけ意気揚々と宣言しておきながら情けない限りだが、そもそも国外に出るという経験も冒険者になってからが初めてなんだ。ビビるくらいが丁度良い。


「ライラック、お前、最近戦い方がまともになったなぁ!」


「そうか?」


「俺ァ、太刀筋とかわかんねぇけど、魔物に対しての動きは格段に良くなっていると思うぞ。何せ魔法が撃ちやすくなった」


「……そうか。なら良かった」


 正直仲間に入れてもらえるとは思っていなかった。暫く一人でという事になるんだろうと思っていたけど、窓口にはそういうパーティ構築のアシストをする役割もあった様で、登録と同時にこのヒト達の仲間として迎えられた。近接が一人結婚しちまったからその代わりが欲しかったらしい。そこに俺が入るのはどうかと思ったのだけど、初めては誰にでもある、とかなんとか。気さくなヒト達で助かった。


「やっぱあれか? あのミーシャちゃんだったか? あの子の姿を見てからだよな? 良くなったのはよ」


「…………………………、」


「若いって良いねぇッ! 俺もそういう出会いが欲しかったモンだぜ全く!」


「出会い求めてわざわざファブナーに来たもんな、お前。いっそ清々しいよお前」


「馬鹿お前、冒険には出会いが付き物だぜ? まあ大体はバケモンだがよ」


 がははは、と笑う。かなり酔っているなこいつ。今何杯目だ。そろそろ控えさせた方がいいんじゃないだろうか。


「にしても、お前、良く冒険者になるって決めれたな。商人の子だろ、ライラック」


「…………約束したからな。父さんも別に厳しいヒトじゃない。その気になれば養子を取るだろうし、約束しちまった以上絶対に果たせって、熱いヒトだ。俺が成るって言っちまった以上、あのヒトは何も言いはしないんだよ」


「……優しいんだか厳しいんだかわかんねぇな。お前も何度か経験した通り冒険者は死と隣り合わせの最悪な仕事だ。大抵は成人してからなるモンだが……お前はまだ十二だろ。もう少し遅くても良かったんじゃないか?」


「……あいつが頑張ってるのに俺だけ遅れて出立するのは耐えられなかったんだよ」


「一途だなァお前も。まあ十二にしてはかなり物腰柔らかだし、きちんと自分の意思を持っている。俺ァ驚いたんだぜ?」


 ミーシャが一人頑張っている。それはこの前再確認した。俺だって止まる訳にはいかない。躓こうが起き上がって進まなければ。強くならないといけない。約束なんだ、昔からの。ずっと大切にしてきた俺にとってお守りだ。


「色恋沙汰でヒトは強くなるとは言うが、お前は覚悟決まりすぎなんだよ。死なせはしないが、死にそうになったら逃げろよ」


「…………………………あぁ」


 死ぬ気なんてさらさら無い。それじゃミーシャに顔向け出来ない。俺が言ったんだ。言った張本人が守れないとか、情けなさすぎる。けど死地を乗り越えなければ、強くはなれないってそう思う。地道な鍛錬だって強くなる為のどれか一つのファクターにしかならない。それこそ何かしら困難を乗り越えなければ……。


「ま、ファブナー付近は平和だからな。教会の魔導士やら騎士やらが危険な魔物をギルドと連携して討伐する仕組みがある以上、それだけ死人も少ない。結界によって守れている城壁内に魔物が侵入する事も無いし、お前の命が危険に晒されることなんてそうそう無いとは思うが……」


「何が起きるかわからねぇからな。俺たちゃ死なねぇ為に冒険者やってるが、お前は違うんだ。生き急ぐ必要は無いだろう。オヴィレスタにも入った事がねぇんだしよ。まあ最近まで禁止令出されてたからなんだが……」


「オヴィレスタフォーレって、どんな魔物が出るんだ?」


 国外に出てすぐの平原でしか魔物の討伐をした事が無い。定期的にギルド側が依頼として張り出すんだ。そうじゃないとジャッカロープなんて金策にもならない魔物を狩る必要が無い。危険性も無いが、周辺に難民キャンプが出来た事で、分かりやすい程に依頼が多くなった。猪狩りとか、熊狩りとかもあるが……俺の限界はまだ猪。熊はちょっと厳しい。


「熊と猪と兎と幽霊木と……あと狼と……。まあ沢山だな。森なんだから沢山居る」


「……幽霊木ってアレか、たまに杖に使われるっていう」


「オヴィレスタフォーレの飽和した魔力……エーテルによって生み出された疑似妖精だな。知性は無いが、何しろデカイ。剣じゃ対抗出来ないぜ」


「そりゃ怖い」


 じゃあ俺にはどうしようも出来ないじゃないか。剣しか使えないぞ、俺。


「炎を見せれば逃げていくさ。まあ大体の魔物に言える事だけどな。生物は本能的に炎を嫌うんだよ。ヒトが特殊なだけ」


「大抵の魔物には炎魔法ぶち込んどけば良いって聞くだろ。あと爆発な」


「案外適当なんだな」


 曰く、聖方にはあった属性という概念が消えてからそこらが虚ろになった、と。ううむ、魔法式が変わったからって弱点とかが変わるのだろうか。まあ良いか。俺にはあまり関係の無い話だ。


「魔法といえば、アリシア様が有名だよな。魔法の王だとか魔王だとか言われてるらしいぜ?」


 アリシア様。知っている。ミーシャを養子にした方だ。ファブナーリンドの建国王だとか図書館の司書だとか、魔法使いにおいて最上のヒトだとか、色々噂を聞くが、本人と会った事は無い。図書館なんて行ってしまえばミーシャと会えてしまう。それに、学校に行くと言ってたからギルドに行く時間は、ミーシャが講義を受けているであろう時間を選び、講義が終わる前に退室。報告は仲間に任せるか、翌日行う様にしている。これでもかなり気を遣っているんだ。会うのは約束が違う。この前のはノーカンだノーカン。声を掛けるべきでは無かったと反省しているんだよこれでもさ。


「そんなに凄いヒトなのか?」


「引き合いに出されるセニオリス様が神子様に対して一方的に蹂躙出来るらしいが、アリシア様はセニオリス様にも勝てると専らの噂だ。十三砲台だってアリシア様が作ったモノだし、この国のインフラは全てアリシア様によって支えられているらしいぞ」


「それは、なんというかこの国大丈夫か?」


 その理論だとアリシア様が居なくなればこの国は崩壊すると言っているようなモノだが。対策はされているだろうが、不安になるな。


「でも実際に戦っている所を見た事があるのか?」


「…………無いな。皆無いだろうよ。あのヒトが暴れる程の事件が起こるわけがないからな」


「アリシア様が本気を出したら国さえも消し炭にするとかしないとか。そういうレベルの世界だ。俺達が対処出来る問題が永遠に続くのが平和ってモノなんだよ」


「……恐ろしい事実がサラリと流されたな。まあ関わる事はないだろうけどさ」


 ミーシャがどういう対応をするかで決まるな。彼女がアリシア様を母親の様に慕っている場合、俺、もしかして詰むのでは? 国一個滅ぼすような実質的な兵器の女性に対する礼儀なんて俺知らないが? ……育ての親の方にも一度話をするべきなんだろうか。養子に出したとは言え、あのヒト達はミーシャの事を心から愛していた様に思う。あのヒト達も悩みに悩んで決断したんだ。


「……? さっき神子様の話が出たが、神子様って強いのか? 戦うイメージは一切無いが」


「魔法の使い手ではあるが、どちらかというとヒーラーだな。前線には出ずに後衛で広範囲ヒーラーやってる」


「……騎士と魔導士が出動するレベルの事件起きてたか?」


「現神子様が着任する直前、地脈が乱れた事があった。その影響が神子様が着任した後にやってきたんだ。魔物は地脈の流れを読み取り縄張りだとか決める厄介な奴らだ。それで、ファブナーリンドってのは地脈が交わった点の上に建っているから、指標にしやすかったんだろう。魔物の大群が押し寄せてきた事があった。アリシア様に応援を要請しようという声を押しのけて神子様は魔導士と騎士、そして冒険者たちと協力し事に当たった。その時に神子様も戦場に出てきたんだよ。お前は小さい頃だから覚えてないかもな」


 そうなのか。そんな事があったとは知らなかった。大人はその話をしないし、されないから知るはずもない。神子様が着任する前って事は、八年くらい前に地脈が乱れてその影響が半年後くらいに出たという事だろうか。なんで半年後だったんだろうか。魔物の構造については知らないから分からないな。何かしら理由があるのだろうか。


「さて、と。そろそろ帰るか。学校もとっくに終わっている時間だろうし、ライラックの言うミーシャちゃんももう家に着いてる頃だろうさ」


「あぁ。悪いな、暇潰しに付き合ってもらって」


「俺が飲みたかっただけさね。気にするな。それに、ヒトの色恋沙汰ってのは面白いからな」


「良い性格をしている」


 嫌味ったらしく言って立ち上がる。


「それじゃ、俺は帰るよ。今なら商店街で買い物も出来るだろ」


「徹底しているな。そんなに約束が大事か?」


「命より大切だな」


「……そうか。気を付けて帰れよ」


 その言葉を最後にそのまま出口へと向かう。俺は何も注文していないし、最初から全て自分で払うと言っていたから俺はびた一文払わなくて良い。本当は水くらい飲もうかと思ったが、貯金はしておかなければならない。近々実家を出て一人暮らしを始めようかとも思っているのだが……。十二歳では厳しいよな。そういうのは大抵成人するか、親が名前を貸してくれたりとかそういうのじゃないと難しい。残念ながら父さんは名前なんて貸してくれないだろう。俺だけでどうにかしないといけない。


 ギルドを出る。夕暮れ、もうすぐ日が沈み少しだけ涼しくなる時間帯。背中に背負った剣の手入れだとか、色々とやる事があるが、その前に商店街で腹ごしらえをしなくては。自立を宣言したが家を出るのが難しい為に、飯だけでも自分で用意する事にしている。とは言え家で食べる訳ではなく、屋台で買って立ち食いして帰るのが俺のいつもの食事だ。ギルドで食べると高いんだよな。確かに冒険者には色々と割引が効くが、それでも商店街で買った方が安いし美味い。


 中央広場から商店街に向かう。少しだけ魔法学校の制服を着ている子達を見る。ミーシャが居ない事を確認して商店街に入ると、暫く商店街の中心の方へ歩いていく。良い匂いが鼻孔を擽る。金属を叩く音はこの時間は聞こえない。この時間からの武器の手入れも請け負っている店は無い。俺が行う手入れは磨くだとか、そういうの。切れ味を整えるのはまだ少しだけ先で良い。明後日くらいかな。


 商店街には飯を食いに来ただけだ。他の用事は何も無い。ジャッカロープを焼いたのが美味いんだ。つっても俺は美食家でも何でもないから、俺の中での趣味嗜好の中での美味い、だが。あれでも魔物だ。ジャッカロープの肉は柔らかくて食べやすい。角は錬金術の材料にもなるらしい。


 腹の虫を鳴らしながら、いつも買っている屋台に着く。


「よぉ兄ちゃん。いつものかい?」


「お願いします」


「はいよ、もうすぐ焼き立てが出来る。ちょっと待ってくんな」


 何本か売り物として櫛に刺されているが、それとは別に焼き立てをくれるらしい。嬉しいモノだ。


「兄ちゃん一人暮らしか?」


「いえ、まだです。まだ成人してないモンで」


「そうかい。にしてはしっかりしてんなぁ。親の金ってわけじゃないんだろ?」


「えぇ、まぁ。自立はしたいと思っているので」


「偉いなぁ。俺の息子なんてまだまだ自立しようとしねぇ。来年成人なんだが……と、ほらよ。出来たぜ。お代はきっかり頂戴するぜ」


「はい。これで」


「応、丁度だな」


 金を渡して肉を受け取る。たったこれだけでは腹いっぱいにはならない。他に何を食べようかと迷いながら肉を齧ろうとして、


「……女の子?」


 六歳……いや五歳歳か? それくらいの女の子が一人で歩いている。それだけだったら別に何も思わないのだが、やけに汚れている。腹を空かせているのかお腹の辺りを擦りながら、屋台をじっと見ている。あの様子だと金も持っていないのだろう。


「すんません、もう一本もらえます?」


「はいよ、珍しいな」


「まぁ、たまには良いかと」


「じゃあこれ持ってけ。同じく焼き立てだ」


「ありがとうございます」


 金を渡して肉を受け取る。両手に肉だ。食いしん坊と思われるな、これは。本当はあまりこういうのは良くない。別にスラムだとか奴隷とかそういうのじゃないと分かっている。スラム街は無ければ法律で奴隷制度は禁止されている。でも、そのみすぼらしい姿には、目も当てられない。


 少し思い出したんだと思う。


「お嬢ちゃん」


 声を掛けると少女は強張った顔で俺を見上げる。近くにあった倒れた空樽を足で起こして、少女を誘導して座らせる。


「これを」


 ジャッカロープの焼き串を渡そうとすると少女は首を横に振る。施しは受けないと、そういう事だろうか。ふむ、困った。こんな小さい子を一人放置してお腹を空かせさせているのはどうか。最低だ。ミーシャに見られればとんでもない表情で睨みつけて来るだろう。それは嫌だ。嫌われたくない。


 それ以上に、俺自身が見過ごせない。似ているんだよ、あの時のミーシャと。腹を空かせて、使い古された服を着ていたあの時と。だから、


「困った。俺は食いしん坊なんかじゃないのに、こうやって両手に持っていると間違えられてしまう。それに、俺は天然だから、そこまでお腹が減っていないのに二本も買ってしまった。どこか優しい子が俺の代わりに食べてくれないだろうか~」


 俯き気味の少女が俺をじっと見る。


「困ったな~、あぁ困った。優しい子は居ないだろうか」


 きょろきょろと回りを見渡すフリをしてみる。少女は痩せこけている。服の上から分かる程に痩せこけて、少し力を入れれば折れてしまいそうな腕と足。肌の色も悪いし、それに顔色だって。髪もボサボサで手入れされていないのが丸わかりだ。


 極めつけには、無数の傷跡。……何があったのだろう。孤児? いや、それだったら全て教会へと送られるはずだ。あそこの孤児院ならヒトらしく暮らせる最低限の設備が整っていると聞く。あとは孤児次第とも。だったらこの子は普通に親が居て暮らしている? 冒険者の子だってここまで酷い状態にはならない。


「わ、たしが……もらってい、の……」


 か細い声。もう少しヒトが居たら多分聞こえていない。弱った子猫が出す鳴き声の様な声で、彼女は問いかける。


「あぁ、そうしてくれと俺は凄く助かるなぁ」


「……………………っ! じゃ、じゃあ、たべ、るっ……ね」


 俺の手からジャッカロープの焼き串を受け取って、少女は大きく口を開けた。似ている。ちくしょう似てやがる。ミーシャにパンをあげた時と、似た顔だ。耳と尻尾は無いにせよ、あの日見た顔とそっくりだ。庇護欲が擽られる。


「お嬢ちゃんはどこから来たんだ?」


「…………あっち」


 少女は居住区の方を指差す。あっちって言われてもわかんねぇな。まあでも大体の方角が分かっているなら、近くまで行けば思い出して帰れるだろう。食べ終われば連れて行こう。少女の隣の樽をもう一つ起こして体重を乗せる。たぶん、ジャッカロープの焼き串を売ってくれたおっさんの使っている樽だろう。壊すわけでも無いから文句も言われない。前も使って怒られなかったし。


 にしても、親は何をしているんだろうか。比較的治安の良いファブナーリンドといえども、子供一人をこの時間に放っておくか? それにこの傷跡、まともに食事をさせられていないであろう痩せ方。


 首を突っ込むべきではない。最高に嫌な予感がするんだ。こうして肉を与えた事も間違いだったかもしれない。どういう境遇なのか分からない。


 単純に考えて虐待、だろう。…………だったら俺にしてやれる事は無い。胸糞悪いが、俺自身にどうこうする権利も無ければ力も無い。


 罪悪感。でも仕方ない。


 ミーシャに顔向け出来るのか?


 それで約束は果たせるのか?


 …………仕方ないじゃないか。何も出来ないんだよ。虐待は悪だ。当たり前の話。子供でも分かる。ネグレクトってのは最悪だ。親と名乗る資格も無い。けれど、だからって俺に何が出来る? 助けようと手を伸ばすか? それでどうする。どうやって助けたなんて証明する。そもそも彼女がそれを望んでいるか? 勝手な価値観で彼女の幸福の値を数値化して不幸だなんて呼ぶのか?


 クソ、考え過ぎだ俺は。単純に助けられるか助けられないかだけで良いだろうが。結論はとっくに出ている。心底腸が煮え滾る思いだ。けど、俺には何も出来ない。


 俺が弱いから。それもある。助けた所でどうするのか分からない。父さんに養子として迎えてもらうか? 無理だろ。孤児院に預けるか? 馬鹿言え、それは俺が決められる事じゃない。


 成人していたら、一人暮らしが出来ていたら、経済的に余裕があれば。或いは……ッ。


「……おいし、い」


「────────────ッ」


 似すぎだろ、ちくしょう。あの時のミーシャも、笑顔で美味しいと言ってくれた。どうしてもフラッシュバックする。どうしても思い出してしまう。最悪な気分だ。重ねたくないに決まってる。俺は、それ程節操が無い訳じゃないだろ。獣か、俺は。


「食べたら、家の近くまで送るよ」


「…………やだ」


「そうは言ってもさ、一人じゃ危ないだろ?」


「…………やだ! 痛いのはやだ……っ」


 震えた声。くそ、声掛けるんじゃなかったッ! 少女の言い草から、凡その予想が当たっているのが分かるのも最悪だ。


「おうちには帰らないと、寒いし、怖いヒト達が沢山だよ」


「………………でも」


「お兄さん、途中まで送ってあげるから。な?」


「…………………………………、」


 こくりと、渋々頷いた。たぶん、これは間違ってる。どうしようも、無い。決死の思いで家を出たかもしれない。こんな布切れみたいな服一枚で、金だって持たずに、それに、裸足じゃないか……。こんな子を、明らかにネグレクトを受けていると分かる子を、家に帰すなんて、ここで出来る選択肢の中でも一番最悪だ。


「行こうか」


 でも俺にはそれしかない。屋台のおっさんに頼む? 無理に決まってる。無駄に困らせてどうするんだよ。経済的に余裕があるのは商人の過程くらいだ。残念ながら、俺の家は除外されるし、他の商人の知り合いも居ない。


 少女の手を取る。心が、締め付けられる。俺は、優しくなんてない。その癖、すぐに手を伸ばしてしまう。ミーシャの時はなんとかなった。…………いや、違う。どうにもなってない。あいつの弱みに付け込んだだけだろ、アレも。


 少女の歩幅に合わせてゆっくり歩く。彼女を送り届ける頃にはとっくに日は沈むだろう。本当は完全に暗くなる前に送り届けたかったけどそれは難しい。転移でもなんでも使えるのなら、良かったんだが、俺は魔法使いではないからな。


 暫く二人黙って歩く。この子も活発な子じゃないのだろう。痛いのはやだ。そんなの皆同じだと思う。けど、こんな小さい子にそんな事をあんな顔で言わせるのは、どうかしている。俺は、これから、加害者側に回るんだ。知っておきながら見過ごすというのはそういう事だ。罪悪感に呑まれそうになる。食べ終わって残った串を受け取る。親が親なら、こうやって黙って肉を食べた事にさえ怒るかもしれない。少女の口元を俺の裾で綺麗に拭いてやって、再び歩き出す。


 ……地獄だ。声の掛け方が分からない。こんな小さい子に対してどんな言葉を投げかけるのが正解か分からないんだ。さっきのは俺なりに結構頑張った結果なんだぜ? 本当にさ。


「──────────────」


 何かあれば冒険者ギルドでも教会にでも飛び込めば助けてくれるかもしれない、なんて無責任な事を言うわけにもいかない。実際に助けてくれるか分からないのに無意味な希望を押し付けた所で彼女の首を絞めるだけだ。


 居住区に入ると、少女は俺から手を離す。


「……こっち」


「そっか。後は一人で帰れる?」


「…………うん」


「良し、良い子だ。気を付けて帰るんだよ」


 選択を間違えている。決定的に最悪な結果をもたらすであろう選択をした。後悔していると? あぁ、してるさ。当たり前だろ。けどそれ以上に、この選択を正当化しようとする自分の心に嫌気が差す。


 少女は駆け気味で居住区へと入って、角を曲がり見えなくなった。


「………………………………………………」


 これで良い訳が無い。何度だって言う。良い訳がないッ! 俺に出来る事はこれくらいだった。本当にこれだけだったんだ。選べた選択肢は最悪なモノだった。


 心臓が痛い。細く、頑丈な糸で締め付けられているように、キリキリと痛む。忘れるな。お前がした選択が、少女に何を招くか分からない以上、お前がした選択はこの世で最も最悪な偽善の一端だ。


「………………………………ミーシャ」


 バクバク鳴り続けるうるさい胸を両手で抑える。ミーシャ、俺は弱い。お前が思うような聖人君子じゃない。泥臭いただのガキだ。何も出来やしない癖に出来ると信じてお前に声を掛けた。その結果、お前の助けになろうとして、失敗し続けて来た……ッ! お前が度を越して優しいから、お前は勘違いしているんだよ。本当だ。俺は、弱くて情けなくて、お前の隣に立つような男じゃないんだよ。


「………………………………ッ」


 強くならなきゃいけない。あいつが俺に重ねた理想像みたいな男にならなくちゃならない。助けなきゃならない。守らなきゃいけない。隣に立ちたい。あいつに認められるような、優しい男にならなくちゃならない。何一つ、出来ていないんだ。


「やあ少年。思いつめているね」


「…………誰、ですか」


 後ろから声を掛けられた。女性の声。いや、少女……か? 振り向くと、黒い少女が居た。黒いとんがり帽子に、黒いドレスのような服。その上から隠す様にコートを羽織っている。


「ただの通りすがりの魔法使いのお姉さんだよ」


「アリシア様、ですよね」


「……、通りすがりの魔法使いのお姉さんだよ。そう呼んで欲しい。ミーシャちゃんに怒られちゃう」


「…………、俺を見ていたんですか?」


 自称魔法使いのお姉さんは帽子の鍔の位置が気になったのか、片手でばっちり決まる場所を探しながら、首を横に振る。


「では、何故、俺なんかに声を?」


「気まぐれ。キミがライラックだって気付いたのも、声を掛けてからだからね」


「…………、」


 そうだ、さっきの子を、アリシア様に報告すれば、少なくとも無駄にはならない。彼女なら、なんとかしてくれるかもしれない……ッ。だってこの方は建国王にして、ファブナーにおいて最良の魔法使いだ。


「さっきの子を、助けてやれませんか」


「……、それはキミの意思かい? ミーシャちゃんの為かい?」


「…………ッ、厳しいことを言うんですね」


「ただの確認だよ」


 仮称魔法使いのお姉さんは、ようやく気に入った角度を見つけたのか、帽子から手を離す。片目が隠れているが、それで見えるのだろうか。


「それで、どっち?」


「…………、両方です。ほんの少しだけでも関わってしまった以上、あの子が気になります。ですが俺じゃ何も出来ない。何かしてやりたいのに出来ないってもどかしさから、貴女に任せる事で逃げられるのではないかと。……それに、もしここであの子を見捨てたら、俺はミーシャに顔向けできない。ミーシャが求めた理想にはなれない……ッ!」


「キミ、案外熱い男だね? 良いよ、そういう方が好きだし」


 一人称が魔法使いのお姉さんはふふ、と笑う。


「助ける。とは一体どうしろと言うんだい? あの子はあれで幸せだと思っているかもしれないだろう。魔法使いのお姉さんは今日は厳しく行きます。何故ならミーシャちゃんのご飯がこの後食べられるので」


「……………………………………」


「お、なんだね、その顔は。ははは、それがヒトにモノを頼む顔かね?」


 クッソ、このヒト性格めちゃくちゃ悪いぞッ! なんでこんなヒトが建国王なんかやってんだよおかしいだろ。ミーシャの手料理とか羨ましいに決まってるじゃないかッ!


「あの子が、逃げ出したいと思っているのなら、貴女の力でどうにかしてください。それくらいの権力あるでしょう」


「驚いた。キミ、物怖じしないんだね? 大抵のヒトは魔法使いのお姉さんにモノを頼む時は色々と畏まるんだけど。いやぁそれでこそミーシャちゃんの王子様だなぁっ!」


 蔑称、クソ野郎が腹抱えて笑う。うぜぇ。凄くうぜぇ。なんだこいつ。マジでうぜぇ。


「あい分かった。キミがそういうなら請け負うよ。……、個人的に気になることも多いしね?」


「気になること?」


「あぁいや何でもない。魔法使いのお姉さんは色々と心当たりがあったり無かったりするのだよ。乙女の心情まさぐるモノではないぞ少年よ」


 腹立つ。めっちゃ腹立つ。俺の肩をポンポンと軽く叩きながらうんうん分かるぞぅ? と頷くクソ野郎。めっちゃ腹立つ。なんというかこのヒト、距離感おかしくないか? 俺の中でのこのヒトの呼び方はクソ野郎に決定だ。ロクでも無いぞたぶん。ミーシャ、悪い子に育ってない? 大丈夫?


「キミが言った通りあの子はきちんと見ていよう。何かあれば、冒険者ギルドを通してキミに通達が行くと思っておくといいよ」


「……、いえ、待ってください。良く考えればおかしい。何故俺なんかの言う事を貴女が効くのですか。貴女は建国王だ。そんな偉いヒトが、何故……っ」


「忘れたかい? 通りすがりの魔法使いのお姉さんなんだよ、私は。建国王? 何それ知らん。怖いねキミ意味の分からない事言ってさ。誰だよマジで。立場? 権力? 違うね。ヒトとして、キミの代わりにキミがしてあげたい事が出来るからするんだ。とは言え、自分から動くなんてちょっと知り合いに熱を計られかねないからね。他のヒトに頼まれたという事にするのさ」


「…………、ありがとうございます」


 クソ野郎は良いクソ野郎だった。少しだけランクアップ。その調子でミーシャの料理の話も聞ければ、魔法使いのお姉さんって呼んでも良い。


「ま、気まぐれだよ気まぐれ。そう思うと良い。……あと、強くなりたいなら、キミの場合剣だけを振るんじゃなくて、魔法と併用した方が良い。これは純粋なアドバイス。深くは聞かない様に」


「魔法と併用……? でも俺は魔法なんてからっきし……」


「そりゃ魔法を使う機会が無いからでしょーが。君は聡いのか疎いのかどっちなんだよ。どっちづかずはミーシャちゃんに嫌われるよ」


「…………………」


 やりづれぇ! 何かあればミーシャの名前を出しやがる。良いクソ野郎と言ったが、やっぱ撤回して良いか?


「老人の冒険者が近くギルドに来るだろうから、そのヒトに教わると良い。ミーシャちゃんを、守るんだろ?」


「…………、アドバイスありがとうございます。ですが、何故俺にそんなアドバイスを?」


「単純な話だよ。娘には幸せになってもらいたいモノだろ?」


「………………………………そうですか」


「それと、これは餞別だ。老人の冒険者に見せると良い」


 ブレスレット……? を渡された。かなり古い。鉄製なのだろう、既に錆びている。何故こんなモノを。剣士に見せるたってこんな汚いモノを?


「それじゃお姉さんはここで。ミーシャちゃんのご飯が待っているのだっ!」


「…………一々主張しないでください。恨みますよ」


「はははっ! まぁ、結婚すりゃ沢山食べられるんだ。それまで精々愛想尽かされない様にね」


「会う事も出来ないので何とも言えませんね」


「そこは男なら、はいで良いんだよ。それじゃあね。あの女の子の事は私に任せて」


「はい」


 通りすがりの魔法使いのお姉さんは杖をこつんっと突いて、そのまま消えた。

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