2023.3.26 向いていても、いなくても。似合っても、似合わなくても
「あなたには、もっと向いている場所があると思う」
「あなたには、もっと向いている仕事があると思う」
ここは向いていない、と言われているのと同じなわけだが、これらの言葉は、親身で言ってくれている事が分かる場合、その心が嬉しい。けれど、物事を悪くしか捉えられないほど病んでいる時には苦しい言葉だ。
「じゃあ、向いているところに行きます」と言えるようなら、サッサと行っている。はっきり言って私の行動力はピカイチなので。
向いている場所? どこだそれは?
向いていない仕事はやめればいいのに、と言われれば、迷惑をかけている実感がのしかかる。
メンタルやられて身体症状が出ているような時に「向いてないことはやめて」、「向いている所へ」「向いている仕事を」と言われると、思考が危ないところへ行く。
電話のない職場はほぼ無い。会話のない職場もほぼ無い。人間関係のない職場もほぼ無い。私にも得意な事はあるだろう。でも苦手なことをしなければいけない状況が全くない環境、そんなものは地球上に無い。向いていないことを避けるというなら、……。
「そもそも生きている事自体、私は向いていない」
知ってるよ。暗い考え方だって。本当に探せばそんな理想郷もあるかもしれないし、自分で作り出すものなのかもしれない。でも追い詰められているときは、そう思えない。
色々な事が上手くいかなくなった時に、「向き、不向き」を考え始めると結局毎回そこへ行き着くので、私は別の考えで生きている。
「向いていても、いなくても、私はここにいる。居続けようとするかどうかを決定するのは私だ!」
しょうがないんだよ。これで押し切るしかないんだよ。迷惑でも。
本当に迷惑なら首にしろ。
似合わなくても、着る必要があるから服を着る。向いてなくても、生活のために職場に行く。迷惑だろうと、生きる。
だから、正直「向いてないからやめなよ」「似合わないからやめなよ」、ということを言う人と意見が合うのは途中までだ。
「より似合うモノを見つけられたらいいよね」と楽しめる部分まで。
※発達障害のある子供を見ていると、恐らく将来、私も「向いていないことにこだわりすぎなくていい、向いていることがあるんだからそれを選んで、幸せに向かえ」と言いたくなるだろうし、愛情から出る言葉でもあるのはよくわかる。
受け取るのは、私のためを思ってくれている、その優しさだけ。
ある程度以上落ち込むと、ドン引きされてなんぼじゃい、と虚勢を張るようになってくる。「必要なので」と言い訳をしながら申し訳なさそうに「必要なことだけ、させてもらう」というのが、ばかばかしくなってくる。
「やりたいこと」をやり、「着たいもの」を着る、それをやめたら心が死んでしまう。だからやりたいことをやる。
向いていないことをするな、というのは、生きるのに向いていない人間にとって、本当に致命的な言葉なので、せっかく優しさで、アドバイスで言ってくれているのだから、無益になるところまで自分を思い詰めてはいけない。
この世界にいるのはやめない。向いていても、いなくても。
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