07 揺れるイヤリング

 マルガレットはきょとんとした様子でジスデリアの様子を静かに窺った。


「サンドイッチですか、なんだか親近感が湧きますね」

「そう?」


 わたしも好きなんですと言いかけて、やめた。今更ジスデリアとどんな顔をして話せばいいのかわからなかったからだ。

 しかしこともあろうことかジスデリアはつい今しがたまでマルガレットが横になっていた二人掛けのソファに腰掛け、マルガレットにも座るよう促した。さすがに隣に腰掛けるわけにもいかず、マルガレットはそっと斜め前の一人掛けのソファに腰を下ろした。


「ああでも、こんなに湿気てるのはちょっとね。……もしかしてきみ、僕と別れてからずっとこの部屋にいたの?」


 嘘だろとでも言いたげのようにジスデリアは顔をしかめた。


 そんなに驚かれてしまうほど時間が経ってしまったのかしら。ほんの一休みのつもりだったのだけれど。


「ええ、わたくし随分寝てしまったみたいですね」

「もうすぐ二十三時を回るけど」

「まあ、そんなに! それではわたし今夜はキースさまとジスデリアさまと踊って、あとはこの部屋で寝て過ごしただけになってしまいました」


 きっと帰ったらお母さまに叱られてしまうかもしれないわね。


「……きみすごいね、普通令嬢っていうのは華やかなパーティーを楽しむものじゃないの?」

「そうですね、でもわたくしはキースさまやジスデリアさまと踊ったり、こうしてこちらのお部屋でゆっくり紅茶やサンドイッチをいただいてなんだかんだとっても満喫できましたわ」

「あ、そう」


 まあジスデリアさまに悪く言われたり、後で食べようと思って残しておいたサンドイッチを横取りされてしまったことはとても残念だったけれどね。そんなつもりはなかったけれど今の発言厭味ったらしかったかしら。


 こっそりジスデリアの顔を横目で窺うと、当の本人はもうキラキラした姿や表情をつくるのを完全にやめてしまったらしく、どうでもよさそうに足を大きく投げ出してソファにもたれ掛かっている。

 

 そういえばわたし、先ほどもジスデリアさまに生意気なことばかり言ってしまったけれど謝罪したら許してくださるかしら……


 マルガレットはしばらくの間そわそわした。が、話を切り出す決心がついた瞬間、部屋の扉が何者かにノックされる。ジスデリアは不思議に思いながらも扉の向こうにいる者に優しい声音でどうぞと投げかけた。


 部屋に入ってきたのはヨシュアだった。ヨシュアはマルガレットとジスデリアの取り合わせに一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに嬉しそうに顔を綻ばせる。


「なかなかマルが戻ってこないから心配したけど、まさかジスデリア王子が付いてくださっていたとは」

「わあ、ヨシュアくん!」


 扉が開くと同時に立ち上ったジスデリアはすっかり王子モードで、入室したのが使用人ではなく招待客のヨシュアだと気づくなり目をまん丸くさせて手を叩きながら喜ぶ仕草をしてみせた。


「ごめんね、心配させちゃったよね。マルガレットと話していると楽しくてさ、それでついこんな時間まで話し込んじゃったんだ、ね?」


 ジスデリアは可愛らしく首を傾げる。口角は上がっているのに目は笑っておらず、まるで自分に合わせろと指示しているかのようだった。ヨシュアに余計な心配をかけさすまいとマルガレットはジスデリアに合わせることにした。


「そうなのよお兄さま、わたくしジスデリアさまと気が合うみたい」

「へえ。仲がいいのはたいへん喜ばしいけど今夜はもう遅いからそろそろ……」

「そうですね、お兄さま」


 ヨシュアがやってきてくれてマルガレットは安堵した。それにやっと帰れるらしい。長すぎる休息に今夜はなかなか寝付ける自信はないが、ようやくジスデリアと離れることができるのだ。マルガレットはそれだけでも十分嬉しかった。


「それに帰ったら父上からマルに大切な話があるんだ、早く戻らないと」

「こんな時間にですか?」

「そうだね、でもそうも言っていられない内容だから」


 僅かに目を泳がせたヨシュアは今までマルガレットもあまり見たこともないような動揺ぶりだった。何か大きな問題でも起こったのだろうか、もしや宝石商の仕事のことでトラブルでもあった?マルガレットは急に胸がざわついた。


「大切なお話があるなら一刻も早く帰った方がよさそうだね。名残惜しいけど、きみと話せて楽しかったよ。ありがとうマルガレット」

「……こちらこそありがとうございました、ジスデリアさま」


 ヨシュアはきっとまた近々会える気がするよと意味深な言葉を放ち部屋を後にする。

 ジスデリアもまた扉が閉まるまで手を振り続けた。そのときのにこやかな表情はマルガレットの脳裏に焼き付き、胸騒ぎは激しくなるばかりだった。


◇ ◇ ◇


 馬車がタウンハウスの前に到着するとヨシュアは先に降りて、マルガレットに手を差し伸べる。完璧なエスコートだった。


「ふう、やっと着いたね。ゆっくりしたいところだけど、父上から話があるからもう少しだけ頑張って」


 ヨシュアの様子から見てスティングからの話について何か知っているようだったが、馬車での移動中も彼がそのことについて何か言うそぶりはなかった。あくまで本人から直接話を聞けということなのだろう。


 先にタウンハウスに到着して一休みしているというスティングとアメリが待つ談話室にヨシュアと数人の使用人に付き添われながら向かう。

 談話室の前に到着すると、室内にいる執事長の合図で部屋の中へと通された。


 スティングもアメリもまもなく日付が変わるというのに身なりに一切の隙はなく、マルガレットとヨシュアを待っていてくれたのか着替えずにいたようだった。促されるようにマルガレットとヨシュアもようやくソファに落ち着いた。


「父上、ただいま戻りました。お待たせして申し訳ありません」

「ヨシュア、マル、お帰りなさい。いいのよ、それよりも二人とも舞踏会は楽しかった?」

「それが聞いてよ母上、マルったら休憩室でジスデリア王子と二人きりでずっと談笑されていたそうだよ」

「マル、それは本当か」


 まだ婚姻前のわたしが男性と二人きりだなんてお父さまもお母さまもきっとよく思わないに違いないわ。お兄さまもすぐに告げ口だなんていじわるね。


 マルガレットは渋々はいお父さまと言ったあと続けて謝罪の言葉を述べようとしたが、なぜかスティングやアメリそれにヨシュアまでもが安心した様子でそれが不思議でたまらなかった。マルガレットは叱られるものだとばかり思っていたが、どうやらそうでもないらしい。


 スティングは大きく息を吐き、それから短く咳ばらいをした。ようやく本題について触れる準備ができたようだ。


「マル、落ち着いて話を聞いてくれ。……お前の婚約が決まった」


 マルガレットの耳のピンクダイヤモンドのイヤリングが小さく揺れる。


「……そうですか。それで、お相手はどなたなんでしょうか」


 マルガレットはまだ十七歳だったが、この時代では特別珍しいことではなかったからそこまで驚くようなことでもない。

 

 途端、悪い考えが頭をよぎった。結婚の相手が僻地に住むとんだ変わり者やら、ずっと年上の見知らぬ男性、そんな相手だったらどうしようかと。

 キースであればいいのにとも思った。とはいえ、一国の王子と自分が釣り合うわけもない。


「ああ、それがな、我が国の第二王子……ジスデリア・ヴィントルーヴさまだ」


 なんとマルガレットの婚約相手は一国の王子であった。

 

 わたしが、ジスデリアさまと結婚……

 あんなにわたしのことをめちゃくちゃに言ったお相手よ、上手くやっていける気がしないわ


 まるで夢を見ているようだ。紛れもない悪夢。きっとジスデリアも嫌な思いをしているに違いないとマルガレットは思う。


 軽く放心状態のマルガレットの耳には後ろで控えている侍女の息を呑む音すら聞こえる。本人のマルガレット以上に喜ぶ姿は想像に難くなかった。彼女はいつだってマルガレット思いの優しい侍女だ。


「驚いたわ、マルがジスデリア殿下とダンスをしていたから。いつの間に仲良くなったの?」


 ジスデリアとダンスを踊ったのは成り行きだった。ジスデリアの様子を見るにただの気まぐれだったのだろう。マルガレットが休んでいた部屋にジスデリアが訪れたのも偶然だ。誰もいないと思ってのことで、もしも彼女が部屋にいることをはじめから知っていたのならあのように悪態を吐くはずもない。


 それとも部屋にわたしがいることをジスデリアさまははじめから知っていたのかしら。わたしとの結婚が嫌だから、わざとあのような態度をとった?


「お父さま一つ質問があるの、ジスデリアさまはあらかじめわたくしとの婚約を知らされていたのでしょうか」

「いいや、殿下も今頃知らされているはずだよ。なぜだい?」

「……そうなのですね」


 どうやらマルガレットの勘は外れたようだ。

 きっと今頃ジスデリアさまはマルガレットとの婚約に大喜びだろうなとヨシュアが言うが、むしろ逆だろうとマルガレットは思う。すぐさま大きく舌打ちをするジスデリアが浮かんだ。


「マル、嫌かい? でもブルーヘミア国の王子との結婚だなんてこれ以上にないほど名誉なことなんだよ」

「ええ。もちろん謹んでお受けしますわ」


 マルガレットは安心させるべく両親とヨシュアの顔を見やると、それはもう嬉しそうに指と指を絡ませて微笑みかける。


 断る権利がないことは重々承知だった。王家との結婚はジルスチュアード家の発展にも繋がる。またとないチャンスであることはわかっている。だとしてもなぜ自分が選ばれたのか。優秀な姉でもなく、大した取柄もない自分なのか。

 

「そうか、そう言ってもらえてよかった。それでなんだが明日の夕方にももう一度王宮に行って王様と王妃様、それからジスデリア殿下との顔合わせを兼ねた晩餐会を開いていただくことになっているんだ」

「随分急ぎなのね」

「仕方がないのよ。来週末にジスデリア殿下の誕生パーティーが王宮で開かれるのだけど、そのときに二人の婚約が発表されることになっているの」


 いくらなんでも明日顔合わせを兼ねた晩餐会をして来週末には婚約を発表だなんておかしい。


「もしかして結婚式までの具体的な日程も決まっているのでしょうか」

「察しがいいな、結婚式は来年の春ごろを予定している」


 来年の春だなんて、今は九月だからもう約半年しかないじゃない。こんなに急ぐのにはなにか訳でもあるのかしら。


「今回の結婚、なにか特別な事情があるのですね」


 マルガレットの問いにスティングは言い淀む。アメリやヨシュアまでもが居心地を悪そうにし、スティングは手元の紅茶をひと口啜るとようやく口を開いた。


「ああ、実は……」


 

 ジスデリアとの結婚についての全貌を聞かされたマルガレットはまだ腑に落ちない部分もあったが、話を聞いたからには納得せざるを得なかった。なぜ急ピッチで結婚の話が進むのか、なぜマルガレットが選ばれたのか。


「もう遅いからここまでにしよう。明日は大切な晩餐会だ、今夜はゆっくり休むといい」


 部屋に戻り一息ついていると、しばらくして侍女のベルタがマルガレットの着替えを手伝うために扉をノックした。マルガレットよりも頭一つ分身長のあるベラは同い年でありながら大人びた女性だった。


「今夜は色々あってお疲れでしょう、バスタブにお湯を溜めてあります。また後ほどお着替えがお済みになりましたらハーブティーをご用意いたしますね」

「ありがとう、ベルタ」


 ベルタは少し前までは婚約の件を話したそうにうずうずしていたが、マルガレットの様子ですぐに汲み取りいつも通りの世話をした。


「マルガレットさま、それではお着替えを」

「うん、」

「グローブをおあずかりしますね」


 黒いベロアのグローブを外したマルガレットの右手の中指には大粒のサファイアが埋まった指輪が嵌められていた。夜のほの暗い照明の中でも一段と煌めいている。


 そういえばわたし、あの日キースさまから預かった指輪を返せていないままだわ。どうしましょう。


 幼き日、マルガレットは少年にサファイアのブローチを贈った。そして別れ際に少年がマルガレットに向かって投げたもの、それは偶然にも同じくブルーのサファイアが埋め込まれた指輪だった。


 当時マルガレットはとても驚いたが、それ以来次に会ったときいつでも返せるようにとマルガレットは肌身離さずサファイアの指輪を身に着けた。幼いころは少し緩かった指輪だったが、十七歳になったマルガレットは今でもその指輪を嵌めることができていた。

 それほどまでに彼女の指はしなやかで細かった。


 婚約者の持つ身でありながらその婚約者から預かった指輪をし続けるなんてとんでもないわね。早く返さないと。


 マルガレットは中指のサファイアを静かに眺めた。月の光を吸収したサファイアはなんとも美しかった。


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