花粉症の魔術師と優しい仲間たち

霖しのぐ

――前編

 ああ、うららかな春の日差しが憎い。


 わたし――フィーネ・フィン・リブラは天をあおぎ、腫れぼったくなった目をごしごし擦った。かゆい。顔じゅうがまるで焼かれたように痛い。見た目もきっと涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていて、酷いものだろうと思う。


 今年もこの季節が来たかと、大きなため息をつく。


 わたしの職業は魔術師。王立魔法学院フォセルバ校を卒業し、老舗の魔術師ギルド『トレ・トレス』に所属して三年目だ。召喚・送還術を特に得意とし、日々舞い込む依頼をこなし続けている。


 ハックション……ズルズル。はあ、失礼。


 出身校は名門と言っても差し支えないし、決して落ちこぼれというわけではないんけど……ある理由でわたしは春になるとすこぶる調子が悪くなる。


 今は三月の半ば。今年も先週あたりからどんどんダメになっていき、なんというか、今日は本当にありえない失敗ばかりだった。詠唱すれば途中でくしゃみが挟まってぐちゃぐちゃ。術式書いても滝のように出てくる鼻水で集中できなくてぐちゃぐちゃ。もちろん繰り出された魔術はぐっちゃぐちゃ。


 結果、一軒家の庭先になぜかキリンの群れを呼び出してしまい、あわや依頼者のお宅を潰してしまいそうになったのだ。


 情けないことに後輩に尻拭いをお任せしてしまった。そして、失意のうちにギルドのロッカールームに戻ってきた。


「ごめ゛ん゛ね゛」

(ごめんね)


「いいんですよう。ミッテも今までフィーネ先輩にたくさん助けてもらいましたしい。大丈夫ですかあ?」


 今日の相棒、一年後輩のミッテちゃんはわたしを上目遣いに見ると、亜麻色の巻き髪の先をくるくると弄ぶ。話し方や態度があざといとか言われることもあるけど、気のいい子だし、魔術の腕も確かだ。


「だい゙じょゔぶ」

(大丈夫)


「ならいいんですけどう。しんどいならお休みですよ。早く元気になってくださいねえ……はい、これ、元気が出るやつですう」


 手を取られ、飴玉をみっつ握らされる。包装紙に印刷されたマークは王都に本店がある高級店のものだ! 後輩の優しさが心に染みる。


「……ゔゔ……あ゙り゛がどね゛」

(うう、ありがとね)


「いいえー。じゃあ、ミッテは報告書書いてきますう」


 そう言い残し、ミッテちゃんは妖精みたいに軽やかな足取りでロッカールームを立ち去った。


 ひとり残されたわたしは、手の中の飴をじっと見た。これは口の中でどんどん味が変わると話題の新商品で、確かまだ本店でしか手に入らないもののはず。王都までは汽車で何時間もかかるのに、さすが流行に敏感な子は違うと感心した。


 今食べてもせっかくの味がわからないので鼻づまりが治ったら食べることにして、鞄のポケットに大切にしまった。


「ああ、リブラ君、ここにいたのか。マスターが呼んでるぞ」


 涙を拭いながらロッカールームを出たところで、先輩魔術師に声をかけられる。ああ、とうとうこの日が来たと、わたしは腹を括った。



 ◆



「あ゙の゛、わ゛だじ、づい゙ぼゔざれ゛る゛ん゛でずが?」

(あの、わたし、追放されるんですか?)


 ギルドマスターに急に呼び出された者はギルドを追放されると相場が決まっている。今まで読み物や歌劇で散々見た展開だ。それに最近の自分のことを思えば、致し方ないことだと思っている。


 マスターは普段は糸のように細い目をまんまるに開くと、、上着のポケットからしっかりとプレスされたハンカチを取り出し、広い額を二、三度押さえる。


――やっぱ図星かな。わたしもとうとう無職になるのかと思うと、もう頭がぐちゃぐちゃ。ついでに鼻も。あと目を擦りたいのを我慢しながら、マスターの言葉を待った。


「いや、何言ってんの。そんなわけないでしょ。君の働きには感謝してるのに……いやね、ここんとこ調子悪そうだし、しばらくお休みとって欲しいんだわ」


 あれ?


 マスターは虚をつかれたみたいにオロオロとした様子で言うと、ハンカチをポケットにしまう。なんだかこっちまで拍子抜けしてしまった。


「え゙っ……わ゛だじ、げん゛ぎでずよ゛?」

(えっ……わたし、元気ですよ?)


「いやいや。どうみてもステータス異常でしょ」


 強がりを見抜いたように、マスターは真っ白になった髭を撫でながら、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっているわたしに苦笑いを向けた。


 職なしになるわけではないみたいなので安心したけれど、それとは裏腹に鼻水は絶えずせせらいでいる。垂れてきちゃたまらないので、できるだけ音を立てないようにすする。


 魔術師としてここで働き出して三年目。新人から中堅にステップアップする時期で、まさに今が頑張りどきである。だから休めと言われて素直に休んでる場合じゃない。必死で頑張らないと。


 いやまあ、それはそれとして、今すぐ目玉を取り出してじゃぶじゃぶ洗いたい。


 今日は特に症状がひどい……痒すぎてぐちゃぐちゃになった目を、左手に大きく設られた窓の方に向けた。涙で霞んでいたけど、恨めしいほどの青空がめいっぱいに広がって、暖かい日差しがさんさんと降り注いでいるのがわかる。


 街ゆく人々もようやく長い冬が終わったことを喜んで、明るい色の服に着替え、そろって浮き足立っているのを知っている。木々が芽吹き、まずは春の訪れを告げる白い花が咲き、やがて色とりどりに咲きそろう。


 そう、春は喜びと希望に満ちた始まりの季節。


――でも、わたしにとって春は地獄の季節なのだ。


「どに゛がぐ、じごどばでぎる゛の゛で。あ゙な゛を゛あ゙げる゛わ゛げに゛ば」

(とにかく、仕事はできるので。穴を開けるわけには)


 ズルルっと鼻水が出てきた。強がってみたけど、本当に体調が悪い。涙が止まらない。


「んんー。そんなぐちゃぐちゃな顔で言われてもねえ。見てて気の毒だし、それのせいで魔術も失敗しまくってるらしいじゃないの。お客さんにも変な病気じゃないかって詰め寄られたりもしたんでしょ?」


「ゔゔっ」


痛いところをつかれた。


「リーヴァさんも育休明けて戻ってきたし、有給もだいぶ余ってるじゃない。ちゃんと王立病院の診断書ももらってるから、公的な休職手当も出るし。ね」


「ぐぬ゛……へっくしょん!!」


 ……雇い主を前にしているというのに、我慢できなかった。鼻水がつららのようにぶら下がってる。もう、最悪。


 マスターはまた目をまん丸にしてから、ちり紙を箱ごと差し出してくれたのでありがたく二枚引き抜いた。たぬきの置物みたいな愛嬌ある見た目だけど、中身はジェントルでイケてる紳士なのだ。


 申し訳ないとは思いつつ、背を向けて思いっきり鼻をかんだ。わたしにはもはやひと目をはばかる余裕もない。マスターからくずかごを差し出される。ああ、なんて気がきくのだろう。頭を下げて捨てる。


「んんー。しかし、ほんと大変だね。カフンショーだっけ?」


「え゙っど、『花粉症』でずゔ……」


 イントネーションが微妙だったので、すかさず訂正した。


「僕もこの仕事始めて長いけど、君が初めてだよ。スーギィーの花粉がダメな魔術師なんて。まあ今はゆっくり身体を休めて、元気になったらまたよろしくね」


「ずみ゛ま゛ぜん゛」


 こうして、わたしは別にギルドを追放されることもなく、一ヶ月間休職させてもらうこととあいなった。

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