第8話 脱獄、内通。そして決闘

 西暦一八五四年、日本は黒船の圧力に屈する形で遂に開国を選択した。しかしその選択は同時に、東洋の神秘を求める暗黒陰謀結社や、日本の夜明けを目指す不逞の集団などを励起させるものともなってしまった。

 そんな怒涛の時代。江戸北町奉行所は、不逞の集団・髑髏しゃれこうべ党との攻防を繰り返していた。そして彼らの擁する実戦部隊、黒色部隊が亜久馬あくま博士の新発明、そのお披露目会へと襲い掛かった。会場を人質に、博士を連れ去ろうとする髑髏党。しかし会場内に潜入を済ませていた月よりの使者がその能力を余すところなく振るい、さらには民草から大名家家臣に至るまでの奮闘で事態は逆転。黒色部隊は敗走を余儀なくされた。だが髑髏党の首領には、白銀部隊なる一手が残されていた……。


***


「ここのところは平和ですねえ」

「ああ、いいもんだ」


 先の騒動から幾分か経ち、江戸には望外の平和が訪れていた。髑髏の者による散発的な治安破壊行為はあれども、北町奉行所はそのすべてを大事に至らぬうちにさばいていた。しかし。


「下っ端をしょっぴこうが、竜を叩こうが、ホコリの一つも出やしねえのはなんとかなりませんかねえ」

「なったら苦労しねえよ。ほれ、食え」

「ありがとうございやす。……へへ」


 いかに平和であろうと、それは『髑髏党が動いていない』という事実の上に立つ、仮初めのものにすぎない。鬼塚は出店を冷やかしながら、デコ八に適当な団子を食わせてやっていた。


「くふ。美味いっすねえ。これが、平和の味ってやつですかい」

「かもしれんな」


 喜びの声を漏らすデコ八とは対象的に、鬼塚の顔は真剣なままだ。通りではなく遠くを見つめ、常でもおおよそいかめしい顔を、さらに厳しくしていた。最初は素知らぬ顔をするつもりだったデコ八も、遂に耐えかねて声を発した。


「……どうしたんですかい、鬼塚の旦那」

「いや。あまりにも静けさが過ぎると思ってな」

「はあ……」


 デコ八は首を傾げたままに再び団子を頬張る。二口、三口ほど食べて舌鼓を打つ頃には、上司への疑問もすっかり吹き飛んでいた。しかし。鬼塚の懸念はまさにこの時、とある場所にて現実となっていた!


***


「……そうか。伯爵様は遂に」

「ええ。白銀部隊と、直属の配下を動かす腹積もりで」


 伝馬町牢屋敷。その奥の奥。かねて予告されていた通りに奥座敷へと収容されたるはかつて月よりの使者と剣戟を交わした男、『殺しの竜』。その豪傑然とした姿は、多少の不潔さを物ともせずに維持されている。否、髭や月代さかやきが伸びた分だけ、野性味を増してさえもいた。

 では、彼と言葉を交わす男は一体? とくと見よ。奥座敷の周囲は、不自然に人払いがされている。そして男の腰には拝領の十手が備わっている。顔は竜の正面を向いていて窺い知れぬが、どう見ても奉行所の者であることは明白だった。つまるところ、内通者である!


「……潮時か。大将お出ましの前に、俺が般若とやり遂げねばならん」

「では」

「ああ、出る。手筈は」

「すでに」


 おお、見よ。すでに伝馬町牢屋敷は髑髏党黒色部隊の浸透を受けていた。内通者が右手を上げれば、黒髑髏の男どもが現れたではないか。それも、複数人である。江戸の平和を担う施設の一角が、こうも蹂躙されていようとは!


「おお、そうだ。鬼塚とやらが、お主の同僚にいたな」

「おりますよ。家伝だかなんだか知りませんが、剣客気取りの同心が」

「伝えとけ。『俺様たちは、また出るぜ』と」

「……承知」


 こうして竜は、そこがあたかも己の屋敷であったかのように伝馬町牢屋敷から脱獄した。最後に残されたのは。


「クソッ、あの剣客気取りが!」


 鬼塚に向けた、内通者の悪罵だった。


***


 かくて、今日も今日とて夜は来る。だが、今宵ばかりは常と異なる夜だった。一人夜廻りをする鬼塚の前に、あの男が現れたのだ。


「……使者どの。何故」

「竜が出ると、踏んでいるのだろう? お主はあえて自分が出ることで、奴を誘わんとしている」

「……」


 頭と口元に黒色の布。身にまとうのは漆黒の着物。腰には大小二本。そして胸元には黄金満月の紋所。見るもまごうことなき、月よりの使者だった。


「お主では勝てぬ、とのたまうつもりはない。だが、お主を追えば奴と般若が現れる可能性はあると踏んだのは事実だ。許せ」


 使者が頭を下げる。鬼塚は何事かを答えようとした。しかしそれを遮ったのは、闇より響く二つの声。人通りの少ない広い路地で、図らずも殺意が交錯する。


「ほう。鬼塚どのだけかと思えば、気狂いの満月やからも居りましたか。ほうほうほう!」

「般若。月よりの使者とやらは俺様がる。お主は」

「仕方ありませんねえ。お譲りしましょう」


 道の向こうより、奇妙な組み合わせの男たちが来る。藍色の上下に身を包む男は身体が大きく、小さな男は山高帽に洋装とマント。そして顔には般若の面と、極めて奇妙な風体をしていた。


「改めて名乗ろう。『殺しの竜』だ」

洋刀サーベルの般若」

「北町同心、鬼塚」

「天網恢々疎にして漏らさず。月光もまた、同じなり。月よりの使者」


 四つの視線が交わり、それぞれが頭を下げる。だが直後。めいめいに得物を構えて散開した。そして竜と使者が、般若と鬼塚がそれぞれの位置で対峙した!


「いざ!」

「勝負!」


 誰からともなく声が上がり、四つの蛮声がこだました!

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