満月侍

南雲麗

第1話 登場、満月侍

 西暦一八五四年、日本は黒船の圧力に屈する形で遂に開国を選択した。しかしその選択は同時に、東洋の神秘を求める暗黒陰謀結社や、日本の夜明けを目指す不逞の集団などを励起させるものともなってしまった。

 本作は歴史の影に存在した、そんな陰謀と暗闘を描いたもの……と、なるのかもしれない……。


 ***


「くっ! どうにもならんか!」

「旦那。こいつぁどうしようにもねえ。与力のお方も散々だぁ」


 江戸のいずこか、かつては醤油蔵だったと思しき場にて。同心と岡っ引きが絶体絶命の危地を迎えていた。与力、捕方は這々の体で物陰に隠れ、二人はいつしか敵手の最前線にあった。

 背中合わせの二人を囲むのは、髑髏覆面を顔に付けた二十人からの群れ。ぐるぐると間合いを測り、突貫の機を窺っていた。もちろん手にはめいめいの得物があり、嬲り殺す構えがありありとあった。


「畜生、せっかく髑髏しゃれこうべ党の尻尾を掴んだってのに、このザマではお奉行に顔を合わせられん。デコ八、せめて」

「ええ。少しでも抗って、与力の皆様を逃しまさぁ。さあ、矢でも鉄砲でも持って来やがれってんだ」

「あたぼうよ。しかしどうにも合点がいかん。こやつ等、我々の捕物を待ち構えていたかのようだった。一体どこから、捕物があると掴んだのだ?」

「鬼塚様、それは生きて帰ってから考えやしょう。今は」

「そうだな。皆を逃がすことだけを考えるとするか! 来い!」


 おお、見よ。今ぞ二人は真に心を重ね合わせた。鬼塚はその鼻筋の通った顔に気勢を漲らせ、家伝・冥鬼一刀流の構えを取る。デコ八も普段は緩みがちの顔を引き締め、十手を構えて髑髏覆面の連中を睨み付けた。

 しかし気構えだけで包囲が緩むはずもなく、むしろ一歩、二歩と間合いを詰めてくる始末。嵩にかかって攻め掛からない辺りに、訓練の度合いが読み取れた。


「ちぃっ……」


 二人のうちのどちらからともなく、舌打ちが漏れた。その時である。

 その風は、突如として蔵の外より流れ来たった。包囲の一人が投げ刀によって眉間を割られたかと思えば、ついで一陣の風が包囲網へと襲い掛かったのだ。


「ぐわっ!」

「ぎえっ!?」


 訳の分からぬままに髑髏覆面がバタバタと倒れ、鬼塚とデコ八の視界に突破口が開く。視線の先には頭と口元を黒色の布で覆い、漆黒の着物に身を包む二本差しの男が月に照らされていた。胸元に輝く紋所は黄金満月。いささか奇妙な出で立ちである。


「だ、誰でえ!?」

「天網恢恢疎にして漏らさず。月光もまた同じなり。我、月よりの使いなり」

「月よりの使いか、かたじけない!」

「旦那!?」


 なおも誰何を重ねそうなデコ八の襟を引っ掴み、鬼塚が機先を制して頭を下げた。侍とも、何者とも分からぬ相手。しかし絶好の機会を逃せばこの場も凌げぬ。状況判断による行動だ。鬼塚は仲間の元へと赴くと、すぐさま態勢を立て直すように促していく。追わんとした賊、髑髏党の前には、自称・月よりの使いが立ちはだかった!


「民守る、正義の戦士は追わせぬぞ」

「――!」


 うめき声ともつかぬ声を上げながら、賊が使いを半円に取り囲む。しかし男は、彼らの前から一瞬で消えた!


「――!?」

月兎げっと宙返り。月よりの使者、簡単に捉えられると思うなかれ」


 おお。読者の皆様におかれては、今こそその動体視力を全力で行使していただきたい。月よりの使者を名乗る男、地面を蹴ったかと思うや否や、包囲陣の上空で三回転の宙返りを披露、そのままひらりと連中の後背へと舞い降りたのだ!


「――――!?」

「ハッ!」

「――ッ!」


 さらにはそのまま滑らかな動きを見せると、髑髏覆面どもに対して鮮やかな峰打ちを披露! いつの間に抜刀していたのか、大小二刀を打ち振るって次々と敵を打ち据えていく! 向かうところ敵なし!


「――!」

「――――!」


 散々に打ち据えられた髑髏党の面々は仕草ジェスチャーで連携を取り、痛みを堪えて飛び跳ね、この場から逃げ去らんとする。しかし蔵の出口は月の使者が来たった一方のみ。当然そこには――


「オラッ! さっきまでの威勢はどうした!」

「お上を騒がす髑髏党め、きっちりお縄につきやがれ!」

「御用! 御用!」


 デコ八、鬼塚を始めとした奉行所の面々が待ち受けていた。一度退避したとはいえ、態勢を整えれば彼らとて強い。まさに飛んで火に入る夏の虫。全員強かに十手で打ち据えられ、刺股で動きを止められ、あえなくお縄頂戴と相成った!


「ふー……」


 全員が縛についたことを確認した自称・月よりの使者が刀を納める。その正対に鬼塚が立った。両者の視線が、にわかに交わる。


「……」

「かたじけない」

「ごめん!」


 鬼塚が頭を下げ、二人の視線が一度途切れる。一声が上がり、鬼塚が顔を上げた時には、すでに月よりの使者の姿はかき消えていた。


「見たか?」

「いんや。声の次には、もう」

「そうか……。また会うことはあるのだろうか」


 デコ八が首を横に振り、鬼塚は小さく息を吐く。

 これが江戸北町奉行と自称・月よりの使者、その初対面ファーストコンタクトであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る