232 今度は磐城君の番

 ペナントレースは様々なイベントを内包しながらも恙なく、淡々と進んでいく。

 日本プロ野球の1部リーグという今生の社会において一際特別な場ではあるものの、全体的な日程そのものには特別なことなど何1つとしてない。

 俺達がどれだけ非常識な数字を残そうとも、試合は例年通りに消化されていく。

 そして現在。交流戦の最終盤。

 残る対戦カードの中で目を引く組み合わせは1つだけだった。

 今日から2日間で行われる東京プレスギガンテス対兵庫ブルーヴォルテックス。

 開催地はインペリアルエッグドーム東京。いずれもナイトゲームだ。


 ちなみに我らが村山マダーレッドサフフラワーズの本日の試合は、13時開始のデーゲームでビジターゲームだった。

 こちらは比較的短い時間で勝負が決し、俺達の勝利という結果で終わっている。

 明日も同じ対戦カードなので、今日は現地のホテルで宿泊する予定だ。

 球場から大分近かったので既に各々部屋に戻り、自由時間に入っている。

 しばらくしたら外食するために外出する選手もいるだろう。

 一方、いつものメンバーは俺とあーちゃんの部屋に集まって試合観戦モードだ。

 夕食はルームサービスをこれでもかと頼んである。

 しばらくしたら料理が運ばれてくるはずだ。


「――にしても、数日でいきなり実戦投入って本気なのかしら」


 間もなく試合開始というところで、美海ちゃんがちょっと心配そうに言う。

 東京プレスギガンテスの先発は大松君であることが予告されていた。

 だからこそ、こうして備えつけのテレビの前に集合しているのだ。


 尚、兵庫ブルーヴォルテックスの方は磐城君ではない。

 開幕当初のローテーションからスライドされたり戻されたりした結果、1ヶ月以上前の段階で今日の試合で彼らがかち合う予定ではなくなっている。

 残念ではあるが、予想できていたことなので別にガッカリはしていない。


「大松君。SIGNでは感覚が掴めたとか自信満々に言ってたっすけど……」

「まあ、実際に試合で投げてみないことには効果の程は分からないからな」


 練習ではよくても実戦のマウンドでは今一、なんてことは往々にしてある。

 ましてや相手がいての話だからな。

 余裕があれば試してみるのは悪くない判断ではある。


「しかし、これ。多分、磐城君相手に初お披露目するつもりだな」

「絶対そうよね。度胸があると言うか、向こう見ずと言うか……」

「い、いや、一応色々と考えた上でのことだとは思うぞ?」


 呆れ気味の美海ちゃんに苦笑しながら、大松君のフォローをしておく。

 試運転の相手に磐城君を選ぶのは、確かに中々チャレンジャーだ。

 もし打たれでもしたら、また劣等感に苛まれてしまうかもしれないのに。

 それでも大松君は自分でそうすべきと判断し、そうすることを選んだのだろう。

 自分の中にあるモヤモヤしたものを、どうにかして解消するために。

 もしかしたら少し焦りもあってのことかもしれない。


「……大丈夫なのかな」

「それは分からない。けど、抑えられる保証がないと投げないってのも違うし、他の選手で試して問題なかったからって磐城君を抑えられるって話でもないからな」


 磐城君程のバッターなんて現状数える程しかいないのだから。

 申し訳ないけれども、正直そこらの選手が試金石にはなるとは言いがたい。

 彼に通用するかは彼自身に試さないと判断のしようがない。


「まあ、それはそうだね……」


 何より、他のバッターに先んじて投げると新球の存在を認識されてしまうしな。

 不完全な球でも前情報がない方が抑えられる可能性が高いという考え方もある。

 今日を逃すと磐城君と確実に勝負できる場は当面ない。

 まずライバルの1人を打ち取っていいイメージを作り、次のステップに向かう。

 そう考えると、試用するにはいいタイミングとも言えるかもしれない。

 ……打たれない前提の博打じみた話ではあるけれども。


 とは言え、納得がいくまで仕上げれば確実に抑えられるという訳でもない。

 結局は自分の中の感覚と相談して自分で決める以外にないのだろう。


「っと、始まったわね」


 そんな風に話をしている内に18時になり、定刻通りに試合が開始される。

 まずは1回の表。兵庫ブルーヴォルテックスの攻撃から。

 早速、大松君がマウンドに上がる。

 しかし、やはりと言うべきか、まだ新球を使うつもりはないようだ。

 通常通りのラインナップの変化球で危なげなくアウトを取っていく。


「初回は3者凡退。順調な立ち上がりね」

「磐城君との勝負は2回表の頭っすか」


 1回の裏は東京プレスギガンテスもまた3者凡退。

 兵庫ブルーヴォルテックスよりは内容がよかった。

 とは言え、3アウトは3アウト。攻守交替。

 2回の表が始まり、磐城君との本日最初の対戦機会が巡ってくる。


 右投げの大松君に対し、磐城君は左のバッターボックスに入る。

 1球目。インコースを抉るようなフォーシーム。見逃し。ボール。

 2球目。外から鋭く曲がって入ってくる高速スライダー。見逃し。ストライク。

 3球目。真ん中低めに落ちるスプリット。バットをとめてボール。


『4球目。外角低めへのシュートは見逃しでストライク! 大松選手、磐城選手を追い込みました! カウントは2ボール2ストライク。平行カウントです』

「ストレート、変化球、変化球、変化球」

「速い変化球ばかりだから、ここら辺で緩い球を投げてもよさそうだけど」

「4球目アウトローからの……キャッチャーの構えはインハイっすね」

「となると、ここで来そうだな」

「だね」


 配球とキャッチャーミットの位置。

 ここらで全員の認識は統一されたようだった。

 次の投球を、固唾を呑んで見守る。

 すると、俺達の予想通りに――。


『大松選手、5球目を投げました! ストライク! 見逃し三振!』

「お」「ん」

「な、何か物凄く変な感じのする球だったっす」

「つまり今のが……」

「新球。うまく決まったみたいね」


 腕の振りとボールの軌道が何となく一致していない。

 倉本さんの言う通り、画面越しでも分かるような妙な違和感があった。

 すっぽ抜け感のあるそれは正に制御された抜けスラ、あるいは抜けカット。

 螺旋回転をしつつも直球っぽい軌道の漫画的ジャイロボールもどきだった。


『磐城選手、大きく仰け反りましたが、内角高めいっぱいに決まりました!』


 リリースの仕方から瞬間的にスライダーが脳裏をよぎってしまったのだろう。

 磐城君はインコースから更に体の方に変化してぶつけられかねないと判断し、咄嗟に回避しようとしたようだったが……。

 実態は浮き上がってくるような直球らしき謎の球だった。

 ボールは想定していた変化をせず、ストライクゾーンのギリギリを通過してキャッチャーミットに収まってしまった。


『磐城選手、首を傾げながらベンチに戻っていきます』


 すっぽ抜けを利用した全く異質な球。

 正統派のピッチャーに適応している選手程、幻惑されてしまうに違いない。

 初見ならば尚更のことだ。


「けど、本当にもう実戦で使えるぐらいになったのね」

「いやあ、単なるマグレかもしれないっすよ」


 まあ、まだたった1球うまくいったに過ぎないからな。

 たまたまコントロールできただけという可能性はある。

 疑いを抱く倉本さんの気持ちも分からなくはない。

 さすがにそんなレベルの球を実戦で投げようと思うかって話ではあるけれども。


 いずれにしても。

 初お披露目でうまく決まった以上、今後はもう躊躇なく使ってくるはずだ。

 それこそ磐城君以外にも。


『大松選手の浮かび上がるような直球に対して、兵庫ブルーヴォルテックスのバッターは手も足も出ません! 3者連続三振で3アウトチェンジです!』

「……もう隠さないで行くみたいだね」


 案の定と言うべきか。

 東京プレスギガンテスバッテリーはこの新球を解禁し、配球に組み込み始めた。

 特に、綺麗なフォーシームとの投げ分けが効果的に決まっているようだった。

 そのまま大松君は三振の山を築き上げていく。

 俺達はそれを、ルームサービスで来た料理を口に運びながら見守り続けた。


 磐城君との2回目の対決は5回の表。

 これまで完全試合ペースで来たので先頭打者だ。

 その結果は――。


『磐城選手の第2打席はスイングアウト。空振り三振となりました』


 大松君は再び新球を決め球とし、磐城君を2打席連続三振に切って取った。

 更に8回の表。磐城君の第3打席目。


『ああっとバットが折れた! ボールは力なくファウルゾーンへ! キャッチャー追いかけてキャッチ! 磐城選手、ファウルフライでアウトとなりました!』


 彼も徐々に対応してきてはいたものの、芯を食うには至らず。

 ボールはバットの先端付近に当たり、その威力でバットを圧し折ってしまった。

 その後、少し気が抜けてしまったのか、大松君は出会い頭のような形で下位打線に通常の変化球を打たれて2本ヒットにされてしまったが……。

 後続は抑え込み、磐城君との対決は結局この3打席で終わり。

 今日の試合は大松君の2安打無四球完封勝利。

 磐城君との勝負もまた、3打数無安打と大松君の完全勝利で終わった。

 ホームランで勝利打点のおまけつきだ。

 そうした数字以上に手応えがあったのだろう。

 ヒーローインタビューで興奮した様子で話す大松君が印象的だった。


「磐城君は悔しいでしょうね」

「だろうなあ」


 そんな美海ちゃんの言葉を肯定するように。


 ――ピロンッ!!


 その晩、磐城君からSIGNのメッセージが届いたのだった。

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