223 思わぬ幕切れ
試合は現在8回の表。村山マダーレッドサフフラワーズの攻撃中。
点差は更に広がって35−0。
これでもまだ逆転の目があると思える人間はまずいないだろう。
そんな状況ではあるが、スタンドの空席は然程増えていなかった。
ただ、消沈したように声援は乏しい。
もはや立ち上がって帰る気力すらなくしてしまっているのかもしれない。
「……にしても、結局ここまで全打席申告敬遠だったわね。秀治郎君」
「いや、まあ、それは今日に限ったことじゃないから別にいいさ」
「むしろ、しゅー君相手に勝負した昨日が大間違い」
何故か得意そうに言うあーちゃんに、美海ちゃん共々苦笑する。
ちなみに、今日の俺のこれまでの成績は0打数0安打2打点2盗塁7四球。
これを見て分かる通り、満塁で2度打席が回ってきて2度共申告敬遠された。
盗塁に関しては、そもそも1回表と2回表に出塁した時しか試みていない。
今日はこちらの数字をもっと稼ぎたかったが、早々に点差が広がり過ぎた。
アンリトンルールもあり、ちょっと外聞が悪い気がして自粛した結果がそれだ。
この試合が終われば次の開催地に移動しなければならないし、必要以上に試合を長引かせると自分達の首を絞めかねないというのもある。
そんなこんなで思い通りには数字を稼げず、多少はもどかしさもあった。
だが、7回も自動出塁させて貰った上に後続もしっかりと打ってくれている。
なので、この試合については申告敬遠されても特に大きな不満はない。
どうやら【死中求活】も点差に比例している訳ではなさそうだったしな。
これまでの海峰永徳選手の打席を見る限り、10から20点差の間のどこかのタイミングで能力の上がり幅が控え目になっている可能性が高い。
21点差だった第2打席の時点で体感、昨日の最終打席の95%ぐらいだった。
35点差ついている今はもう、ほとんど遜色ない状態になっているはず。
彼と本気の勝負をするには十分だ。
「――ところで、後6人だけど行けそう?」
「それは……次の回次第だな」
美海ちゃんの問いかけに味方の攻撃を眺めながら答える。
27者連続三振での完全試合についてだろう。
更に今は、全打者3球三振がかかった状態になってしまっているが……。
彼女がその部分を特別意識しているかは分からない。
尚、当然ながら3球三振は最初から狙っていた訳ではない。
しかし、海峰永徳選手が持つ【不幸の置物】の悪影響のせいでトントン拍子にことが運んでしまい、図らずもそんなことになっただけだ。
こういうことに拘ると大抵碌なことにはならないもの。
だから俺は意識しないように心がけ、配球にはボール球も組み込んでいた。
「次の回……先頭打者ってことよね」
「ん。前の打席も当ててくるとは思わなかった。少し厄介」
あーちゃんの言葉に「そうだな」と同意して頷く。
【死中求活】のステータス上昇によって大リーガー並のスイングスピードを得たおかげか、見極めに使える時間が僅かに伸びたのだろう。
危うく外角低めへのシュートに対応されるところだった。
しかし、結果は当てただけのファウルチップ。
掠った打球は軌道を変えたが、彼女は【直感】を働かせて捕球してくれた。
そのおかげで、あるいは、そのせいで。
3球三振が継続することになった訳だ。
まあ、アウトを取ってくれて悪いことなんて何1つとしてないけれども。
何はともあれ。
完全試合が継続した状態では、4番の海峰永徳選手は8回の先頭打者となる。
この調子であれば、それが今日最後の対戦だ。
後々のためにも、心が折れんばかりに抑え込まなければならない。
昨日のホームランを心の支えにできないように、最高の状態の彼を叩き潰す。
「しゅー君」
「……よし、行こうか」
あーちゃんに促され、気合いを入れ直して立ち上がる。
8回の表はそれ以上の追加点はなく、35-0の状態で3アウトチェンジ。
攻守交替。8回裏の埼玉セルヴァグレーツの攻撃が始まる。
「後2イニング。頑張ってね、秀治郎君」
「ああ、任せろ」
美海ちゃんにそう応じてからマウンドに向かい、軽く投球練習を行う。
それから俺は、バッターボックスに入ってくる海峰永徳選手の様子を観察した。
表情にもあからさまに滲んでいた敵意が抜け落ちている。
それぐらい集中していることが、その様子から見て取れる。
「プレイ!」
まずは初球。
これまでの打席では、彼には低めの球を続けてきた。
なので、インコース高めから。
大きく振りかぶり、抉り込むような高速スライダーを投じる。
対して海峰永徳選手は、確実にストライクゾーンに来るものと認識していたようで躊躇なくバットをフルスイングしてきた。
2打席目よりも更にスイングスピードが増している。
もはやWBWアメリカ代表並だ。
――バキッ!!
当たったのはバットの根元。
細くなった部分が砕かれ、鈍い音が場に響いた。
打球の行方を追わんとあーちゃんがマスクを外しながら後ろを振り返る。
しかし、その時にはボールはバックネットに当たって落ちてきていた。
初球の結果はバットを粉砕してのファウル。
一先ずノーボール1ストライクとなった。
「前の打席よりタイミングが合ってきてるな……」
口の中で小さく呟く。
ステータス上昇の効果、バットコントロールも精密になっているようだ。
……いや、それ以上に何よりも。
海峰永徳選手もまた、間違いなく超集中状態に入っている。
そのおかげだろう。
進退窮まり、全身全霊でこの打席に臨んでいるのかもしれない。
鋭く、敵意なく見据えてくる瞳に肌がひりつく。
ここでもし打たれたら。
目の上の瘤が更に大きく強固になってしまうに違いない。
久し振りに緊張感のある場面だ。
こちらも全力で、思い切り腕を振っていこう。
真っ向勝負だ。
……そんな俺の意思と彼の意地。
カンストし、スキルで補正もされている俺の投手能力。
【隠しスキル】【死中求活】で本来の限界以上に上昇した彼のステータス。
全てがその結末を作り上げる要素だったのだと思う。
続く2球目のことだった。
俺が選んだのは渾身のストレート。
外角低めいっぱい。
対して、海峰永徳選手は再びフルスイングで応じた。
彼の狙いは悪くなかった。
だが、直球の伸びに完全には対応し切れなかったようだ。
ボールの少し下を。
僅かに遅れたタイミングで。
バットの先端付近で叩いた。
――ガッ!!
打球は1塁寄りのファウルゾーンに飛び、フェンスにぶつかる。
2球目もファウルだが、明らかに初球よりも内容がよくなっている。
ヒヤリとする。
紙一重の領域。
次は前に飛ばされるかもしれない。
場合によってはスタンドまで持っていかれることもあり得るだろう。
WBWアメリカ代表クラスまで矯正されたステータスから繰り出されるスイングは、そう思わせる程に驚異的だった。
恐らく、アメリカとの戦いでは全ての打者が最低でもこのレベルにある。
分かってはいたことだが、厳しい戦いになる。
そう改めて認識した次の瞬間のことだった。
「あ、あああ゛あ゛あ゛っ!!」
海峰永徳選手の苦痛に満ちた呻き声が聞こえてきた。
見ると彼は苦悶の表情を浮かべながら膝を突き、左手首を右手で抑えていた。
尋常ならざる様子に、トレーナーがダグアウトから飛び出してくる。
海峰永徳選手はそのまま球団スタッフにつき添われ、ベンチ裏に歩いていった。
その光景を呆然と見送る。
『海峰選手、負傷のため、しばらくお待ち下さい』
「う……」
そのアナウンスに思考が追いつき、血の気が引く。
スポーツにおいて俺が最も忌避している怪我。
それを自分自身のプレイで与えてしまったことに。
視野が狭まり、心臓の音だけが聴覚を支配する。
指先が冷える。
日本代表から排除したかったのは確かだ。
しかし、だからと言って怪我なんて形を望んでいた訳じゃない。
頭がグルグルする。
「──君……しゅー君!」
冷たくなった手を温もりが覆う。
それと共に、彼女の声が耳に届いた。
「あ、あーちゃん……」
「しゅー君、落ち着いて」
【以心伝心】で俺の動揺を読み取ったのだろう。
逆に、こちらには彼女の気遣うような気持ちが伝わってくる。
「怪我をさせようとしてのことじゃない。普通のプレイの中で起きたこと」
「い、いや、けどな……」
「しゅー君」
改めて落ち着かせようとするように。
あーちゃんはギュッと強く俺の手を握りながら呼びかけてくる。
それから真っ直ぐに目と目を合わせて言葉を続けた。
「そもそも怪我の度合いもまだ分からない。想像で判断しちゃダメ」
「そ、れは……そうだけど……」
「…………しゅー君、これから厳しいことを言う」
慰めるような方向性のフォローでは心に響かない。
そう判断したのだろう。
彼女は少し考えてから再び口を開いた。
「これが選手生命に関わる怪我だったとする」
「……うん」
「それを気にしなくていいとは言わない。罪悪感を抱くのもいい。けど、このことで萎縮したり、立ちどまったりしたら絶対ダメ。それ以上に罪深いことはない」
「罪、深い……」
「ん。絶対に許されないこと」
あーちゃんにしては厳しい口調、そして厳しい内容だったからかもしれない。
その言葉はむしろ乱れた意識にすんなりと入ってきた。
「わたし達は色んな選手の野球人生を変えてきた。直接的にせよ、間接的にせよ」
「それは……うん」
直近では、村山マダーレッドサフフラワーズの代わりに降格した球団の関係者。
彼らの中には、そのまま野球界から去った者もいる。
そうでなくとも生活が苦しくなった選手もいるだろう。
アマチュア時代にも、俺達という壁に阻まれて野球を断念した人が何人もいる。
仲間達も、目の前にいるあーちゃんもまた、俺に人生を捻じ曲げられた存在だ。
「しゅー君には、その全員のために活躍し続ける義務がある。野村秀治郎に負けたのなら仕方がない。あの選手に負けたことはむしろ自慢。そう思わせるぐらいに」
「……ああ……そう、だな。そうだ」
彼女の言葉は全く以って正しい。
今更、俺の感傷や罪悪感程度で「プロ野球選手野村秀治郎」を終わらせることなんて決して許される話じゃない。
その輝きをくすませることすら許されない。
この1球の結果がどうなるにせよ、それもまた背負わなければならないものだ。
「100人の夢を打ち砕いたなら1000人に夢を見せられる人間になればいい」
「……美海ちゃんの言葉だな」
もう合言葉みたいになっていて、思わず微かに苦笑してしまう。
都合のいい理屈だと非難されるかもしれない。
しかし、そう己に言い聞かせてやっていくしかない。
深く息を吐き出してから、それを自分で肯定するように「うん」と頷く。
「……もう、大丈夫?」
「うん。大丈夫だ」
少しは落ち着くことができた。
そう自覚できる程度には平静を取り戻せたようだ。
あーちゃんはそれを【以心伝心】でも感じ取ったのだろう。
彼女は安堵したように僅かに表情を和らげた。
「ありがとう。あーちゃんがいてくれてよかった」
「ん。これぞ内助の功」
真正面からの感謝に恥ずかしくなったらしい。
ちょっと顔を赤くして、冗談めかして言うあーちゃん。
だけど、本当にその通りだ。
試合中だし、精神安定系のスキルの効果はあったはず。
それでも尚、こんな状態になった訳だからな。
彼女の言葉がなかったら、それこそイップスにでもなっていたんじゃないか。
そう心の底から思う。
『4番、海峰永徳に代わりまして――』
そこへ代打を告げるアナウンスが球場に鳴り響いた。
海峰永徳選手の怪我の程度はまだ分からない。
しかし、どうやら出場続行は無理だったらしい。
「しゅー君、今日は配球を変えちゃダメ。どこかで必ずストレートを投げること」
「分かってる。初球から行こう」
時間を置くと、それこそイップスになって直球を投げられなくなりかねない。
あーちゃんもそれを懸念していたようだ。
俺の返答に満足げに頷き、彼女はキャッチャースボックスに戻っていく。
「プレイ!」
試合再開。ノーボール2ストライクからの
意図的に全く同じコースへと全力で直球を投げ込む。
相手バッターも、怪我をした海峰永徳選手が脳裏をよぎったのかもしれない。
あるいは俺が動揺してボール球を投げると思ったのか。
いずれにしても、代打のバッターは全くスイングする気配もなく――。
「ストライクスリーッ!!」
見逃しの三振で1アウトとなった。
バックスクリーンの表示は170km/h。
最高球速ジャスト。
「……よし」
影響はない。大丈夫だ。
問題なく投げられる。
18.44m越しにあーちゃんと頷き合う。
このまま最後まで投げ切ろう。
色々と考えるのはそれからだ。
そうして俺は、その後も淡々と三振を積み重ねていき……。
球数81球。9回無四球無失点。
全打者3球三振という異例の記録と共に、完全試合を達成したのだった。
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