閑話18 ナックルVS○○(美海ちゃん視点)
翌日。
再びインペリアルエッグドーム東京に訪れた私達は、今日の撮影と練習試合に関する説明を受けた後でウォーミングアップのためにブルペンに向かった。
「……にしても、まさか私達が先発だとは思わなかったわ」
「どうやらテレビ局の意向って奴みたいっすね」
このエキシビションマッチには、いくつか特別なルールがある。
代表的なものとしては、どちらのチームも必ず全員出場させること。
投手は怪我などの特別な事由がない限り、打者3人以上に投げること。
それと、番組全体における勝敗は試合の勝敗とイコールにならないことだ。
試合の得点をポイントに換算して、今までの競技で得たポイントにプラスする。
その結果を以って勝ち負けを決めることになっている。
とは言え、昨日の競技も含めて当然プロ野球選手チームが余りにも有利だ。
その是正のために、試合の得点には補正がかけられることになっていた。
アマチュア選手チームの得点は3倍。プロ野球選手チームの得点は等倍だ。
現時点でアマチュア選手チームが2ポイント。
そしてプロ野球選手チームが6ポイントだから……。
例えば試合でアマチュア選手チームが5点、プロ野球選手チームが10点取った場合、17対16でアマチュア選手チームの勝利となる。
最後の最後まで番組を面白くするための工夫って奴ね。
クイズ番組の最終問題のノリに通ずるものがある。
まあ、その辺は余談だけども。
とにかく、全員出場することはルールで決まっていることだった。
なので、私達にも出場機会があるのは最初から分かっていた。
ただ、出番が来るにしても余り目立たない場面だと思っていた。
と言うのも、練習試合の監督は最年長の選手が務めることになっているからだ。
まあ、実態は合議制みたいだけど……。
いずれにせよ、年上の選手の意向が強くなるのは否めない。
となれば、年功序列気味に選手を起用するはず。
私はそう推測していた。
にもかかわらず、私が先発投手ということになってしまった。
これは恐らく彼らが意図したものじゃない。
何とも不服そうな顔で伝えられたのがその証拠だ。
恐らく未来の推測通り、どこかから何かしらの働きかけを受けたのだろう。
深く嘆息する。
「こういう特別扱いはやめて欲しいわ。ただでさえ、捻じ込まれた感があるのに」
この練習試合は、彼らにとっては重要なアピールの場でもあるのだ。
うまく行けばドラフトの順位が入れ替わる可能性もあるし、プロ入り後の首脳陣の目も変わってくるかもしれない。
そこへ高校生の女性野球選手が割り込んできた。
挙句、起用に横から口を出される。
「反感を抱かれかねない、と言うか、抱かれてるでしょうね……」
「でも、しょうがないっすよ。ウチらは半端な立ち位置っすから」
「成人したところで、所詮被扶養者だものね」
今の私達は知名度こそあれど、そういうのを跳ね除ける力も何もない存在だ。
プロで実績を作らなければ、発言権なんてないに等しい。
商品価値はあるのだろうけど、まだ物言えぬ商品でしかない。
「今は波風を立てないようにしておくしかないっす。雌伏の時って奴っすよ」
「まあ、そうね……」
そうすべきなのは理解できる。
けど、秀治郎君のクイズのせいで不安しかない。
明後日の方向から荒波が襲いかかってきそうで怖い。
「とにかく、今は投球練習っす。申し訳程度のハンデでウチらが後攻っすからね」
「ええ。早く肩を作らないと」
柔軟を終えて、テレビ中継で見覚えのあるブルペンのマウンドへと向かう。
インペリアルエッグドーム東京の投球練習場は観客席からは見えないところにあり、グラウンドとは別の閉じた空間になっている。
昨日は全力投球をする予定がなかったこともあって、ウォーミングアップはグラウンドでキャッチボールをするぐらいだった。
そのため、この球場のブルペンに入るのは今日が初めてのことだ。
画面越しに見た場所に立っていると思うと、少しだけ気分が高揚する。
もっとも、今は気がかりなことにすぐ意識を持っていかれてしまうけれども。
まあ、何にしても投球練習だ。
「……じゃあ、とりあえずストレートからね」
「はいっす」
まずは直球一本で体を慣らす。
最初は未来を立たせて何球か。
それから座らせた彼女に力を入れて投げる。
「球は走ってるっす。コントロールも問題ないっすね」
「そう……でも、私のはあくまでも140km/hちょいのストレートでしかないからね。球種がそれだけだったらプロに通用する訳がないわ」
球質自体は悪くないはずではある。
回転軸、回転数共にトッププロに匹敵すると秀治郎君からお墨付きも貰った。
けど、球速はプロ全体からすると平均以下でしかない。
たとえネットでゴリラ呼ばわりされていても、その程度だ。
このレベルの直球一本でやっていける程、野球というものは甘いものじゃない。
「ナックル、行くわよ」
「了解っす」
未来の返事を待ち、投球動作に入る。
私達の生命線たる変化球。
もし問題が生じる部分があるとすれば、真っ先にここが思い浮かぶ。
「ん……」
「思ったよりも悪くないっすね」
秀治郎君の言葉を受けて改めてナックルについて調べたところ、この変化球は環境に大きく左右される球であることを再認識した。
風の有無、強弱、向き。
温度。湿度。気圧。それらが複合的に関わってくるのだ。
そして、風の影響を受けにくいドーム球場ではナックルは変化しにくい。
だから、天候の問題やオフにイベントで活用しやすいこともあってドーム球場が多い日本では、ナックルボーラーは余り活躍できないとネット記事にあった。
秀治郎君とビデオ通話した時もドーム球場であることに引っかかりを覚えていた様子だったので、正にそれがクイズの答えかと思ったのだけど……。
野外球場より確かに変化していないものの、そんな棒球みたいにはなってない。
「……杞憂、だったのかしら」
何球か試してみても、十分変化している。
これぐらいなら、いくらプロでも初見では打てないんじゃないかと思う。
「もしかしてっすけど……ブルペンとグラウンドで空調のかけ方を変えてくる、とかそういうことじゃないっすか?」
「え? ……そんなこと普通する?」
常識的に考えて、ブルペンとグラウンドは同じ設定にするだろう。
そうじゃないとパフォーマンスに違いが出てしまう可能性がある。
「いくら何でも、そんな嫌がらせみたいな……」
ホームチームがビジターチームに対してそういう小細工を仕かけるってことだったら、まだ構図としては理解できなくもない。
あくまでも構図として、だけどね。
都市伝説的に、そんなような話を聞いたこともある。
けど、バレたら大炎上しかねないことを実行するとはとても思えない。
影響が出る程の風なんて出していたらバレバレだし、湿度や気圧といった要素は攻守交替の短い間に気づかれずに切り替えられるものじゃない。
「でも、逆に湿度とか気圧ならブルペンとグラウンドで変えられる……?」
インペリアルエッグドーム東京のブルペンは別室だし、できると言えばできる。
できるからってやるか? って話だけど。
そもそも、この試合は単なる番組の企画であって公式戦じゃない。
そこでそんなことをして、一体何の利益があるって言うのか。
「……私達が打たれることで得をする人間がいるってこと?」
「一応、勝ったチームには賞金が出るっすけどね」
「八百長じゃないの。って言うか、それは参加してるプロ野球選手の利益じゃないのよ。番組やら球場やらに働きかけてまでやることかしら」
何か得がなければ、番組側もそんなことに加担するとは思えない。
袖の下を送って……なんて、本末転倒もいいところだ。
それこそ賞金よりも出費の方が大きくなりかねないし。
「世の中、思いも寄らないことを考える人間がいるっすからね」
「…………考えたくはないけど、そうね」
悪意というものは、どこに潜んでいるか分からない。
何が引き金になって標的にされるか分からない。
私達は女性野球選手として有名になってしまったものだから、そうなってしまう可能性は普通よりも遥かに高いだろう。
「けど、予想で思い悩んでても仕方ないっすよ。なるようにしかならないっす」
思考を放棄したように未来が言う。
実際、根拠なんてない。
秀治郎君のクイズのせいで疑心暗鬼になってるだけとも言える。
「野村君にも別に、打たれないようにしろ、とは言われてないんすよね?」
「癪だけど、そうよ」
あくまでも、打たれる原因、打てない原因を探れってだけだ。
「じゃあ、もう当たって砕けろっすよ。砕けたら原因を探るっす」
砕けたくはないのが本音ではあるけど……。
別にこれで人生が終わる訳じゃない。
ここまで来て降りる訳にもいかないし、覚悟を決めるしかないか。
とりあえず予想したような荒唐無稽なことが起きたとしても、何も考えずに試合に臨むよりは取り乱さずに済むだろうし。
今はそれでよしとしておこう。
「――そろそろ時間です」
「あ、はい。分かりました」
撮影スタッフに呼ばれ、未来と共にグラウンドに向かう。
そうしてマウンドに立つと、心なしか空気がひんやりしている気がした。
嫌な予感を覚えつつ、まずは懸念のあるナックルから投球練習を行う。
すると――。
「嘘、本当に……?」
ナックルは変化がいつもよりも乏しかった。
勿論、全く変化しない訳じゃない。
けど、ブルペンとは雲泥の差だった。
その事実に動揺する。
ただし、まさか予想通りになるなんて、という方向の動揺だ。
だからパニックにはならずに済んだ。
にしても、本当に湿度や気圧を弄って……?
いや、もしそうだったとして、それだけでここまで変わるものなの?
未来から返ってきたボールを揉むように弄りながら考える。
気が逸ってすぐ投げちゃったけど、何かいつもと違う部分がなかっただろうか。
「みなみん」
呼ばれて顔を上げ、未来を見る。
彼女はストレートのサインを送ってきた。
とりあえず頷いて、フォーシームのスタンダードな握り方でボールを握る。
ちょっとだけ間を置いて、気持ちを落ち着けるように息を吐く。
そこで微妙に違和感を抱いた。
そのままストレートを投げてみると、何となく指の引っかかり方が違う。
結果、制球がちょっと乱れてしまった。
もしかしてボールの縫い目の高さや幅がいつもと違う……のかしら。
もう一度ストレートを投げる。
今度はうまくコントロールできた。
けど、やっぱり感覚が違う。
ボール自体が違うのなら、ナックルの変化がおかしくなるのも不思議じゃない。
ナックルはボールの縫い目にも強く影響を受ける。
だから、そこにバラつきがあると変化の不規則性も増すそうなんだけど……。
日本のボールは形状の精度が非常にいいらしい。
それもまたナックルボーラーには不利に働くとのことだ。
そんな日本で明らかにボールがいつもと違う。
こうなると、いよいよ誰かの意思のようなものを感じざるを得ない。
「プレイ!」
この問題に何か対策を講じる前に、エキシビションマッチは始まってしまった。
そもそも、この場でできることなんてほとんどなかったけれども。
精々、このボールにアジャストしようとするぐらいしかない。
ただ、そんな悠長なことをプロ相手にできるはずもなかった。
――カンッ!
――カンッ!
――カンッ!
――パカンッ!!
「くっ」
変化してない訳じゃない。
苦肉の策として、ストレートも交えて緩急も使っている。
けど、140km/hそこそこの直球といつもより鈍いナックル。
この2つだけでは1部リーグのプロ野球選手を抑えることはできず……。
あれよあれよという間に3連打。
そこから4番打者の海峰永徳に満塁ホームランを打たれてしまった。
その後も釣瓶打ちの様相で打者一巡。
結果から言えば、私は1回も持たずにノックアウトされてしまった。
そして、打席に立つ機会も得られないまま交代。
未来は最後まで出場したけれど、バッターとしては無安打。
キャッチャーとしては、まともにリードさせて貰えもしなかったようだ。
秀治郎君の懸念通り。
私は打たれ、未来は打てなかった。
プロの洗礼を諸に浴びてしまった形だ。
何も考えずに挑んでいたら、絶望していたに違いない。
けれど、いずれも明確な理由がある。
そしてそれは、実力と言うよりは全く別の要素だ。
そうと分かっているから、私達は下を向かずに済んだのだった。
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