試合経過02 弟の複雑な気持ちと(昇二視点)
僕にとって兄さんがどういう存在か。
それを一言で言い表すのは凄く難しい。
時期によっても大分違う。
しかも、その時々の思いは昇華されずに胸に残り続け、複雑に絡み合っている。
改めて振り返ると、最初は傷を舐め合うような関係の兄弟だったように思う。
多分に漏れず、テレビで見たプロ野球選手に強く憧れて学外チームに入った。
けれども全く上達せず、周りから馬鹿にされ続けた。
それでも兄さんと2人で必死に練習に励んだ。
まるで夢に呪われてしまったかのように、頑なに野球にしがみついていた。
その頃の僕らは兄弟である以上に、同じ境遇にある仲間でもあった。
それが一気に変わったのは小学校の高学年の辺り。
秀治郎と本格的に関わるようになってから。
兄さんが突然、野球の才能を開花させたのだ。
12歳で最高球速150km/hを記録し、全国小学6年生硬式野球選手権大会では単なるクラブ活動チームを全国優勝に導いた。
その功績が認められ、U12の日本代表チームに召集されてワールドカップの決勝戦に進出。アメリカ代表相手に完封勝利を収めた。
将来を有望視され、神童とまで称された。
そして、東京プレスギガンテスジュニアユースの特待生としてスカウトされた。
ここまでは正に栄光の時代。
当時の兄さんは眩しくて、眩しくて。
その弟であることが誇らしくて。
……妬ましかった。
元々は同じような落ちこぼれだったはずなのに。
何で兄さんだけ、と。
けれども、輝かしい日々は長くは続かなかった。
中学校時代の3年間。
兄さんは苦しみの中にあった。
小学校で伸び代を全て使い切ったかの如く、成長が滞ってしまったからだ。
とは言え、兄さんはそうなって尚、中学生ながら超高校級のピッチャーだった。
それは間違いない。
たとえ全く成長できずとも、プロ野球選手になることは容易かっただろう。
でも、兄さんは納得しなかった。
進歩のない自分自身に対する焦りが、心の奥底で大きくなっていった。
世代No.1のプライドとか、そういうものじゃない。
何せ、小学校の最後に秀治郎に伸びた鼻っ柱を完全にへし折られていたから。
兄さんを最も追い込んだのは周りの目の変化だ。
成長が頭打ち。
期待外れ。
堕ちた神童。
失望と共に扱いも徐々に変わっていく。
繰り返しになるけど、たとえ成長してなくとも兄さんの実力は超高校級だった。
期待値が高過ぎたり、持たざる者の妬み嫉みもあったりしたのだと思う。
いずれにしても、兄さんはそうした視線と言動に心を蝕まれていった。
決定的だったのは中学3年生の全国中学生硬式野球選手権大会。
その全国大会決勝戦で、既に新たな神童として名を馳せていた磐城君を中心に据えた僕達、山形県立向上冠中学校野球部チームに完敗してしまったことだ。
世間の格づけが完全に決まってしまった。
兄さんはそれによって劣等感に支配されてしまった。
とは言え、それは全てにおいて悪いことじゃない。
練習のモチベーションにはなった。
しっかりと自制することができてさえいれば何の問題もなかったはずだ。
あるいは、周りが手綱を握ってさえいれば。
けれども兄さんは磐城君を超えて世間や周囲の人々を見返すために、無茶苦茶なトレーニングに励むようになってしまった。
結果。靱帯を損傷。
その時はまだ保存療法で済むレベルだったが……。
長く辛いリハビリは兄さんの焦燥感を増大させるばかりだった。
無理が祟って今度は靱帯断裂。
靱帯再建手術を受けざるを得ない状態になってしまった。
2度の大怪我にさすがに懲りたのか。
あるいは、その後に秀治郎と会って話したことが切っかけになったのか。
実際に何がどこまで影響を及ぼしたのかまでは分からない。
いずれにしても、兄さんが今度こそ自分を律して医師の指示に従ってリハビリに取り組むようになったのは事実。
そして、それを乗り越えたことで兄さんは目を見張るような成長を見せた。
球速が大幅に上がり、新たな変化球もいくつも身につけた。
今までの停滞は何だったのかと思う程に。
堰き止められていたものが一気に流れ出したかのように。
再び、僕の憧憬と嫉妬の対象となってくれた。
そんな兄さんと夏の甲子園の舞台で優勝旗をかけて戦う。
大会が始まる前にそうなればいいなと思い描いていたこと。
それが実現した。
嬉しかった。
けど、あの準々決勝の195球が引っかかった。
既に一度靱帯再建手術を受けている兄さんだけに、中3日で決勝戦に登板して本当に大丈夫なのか心配になってしまった。
勿論、準々決勝の後すぐに連絡を取った。
メディカルチェックで問題がなかったことを兄さん自身の口からも聞いた。
でも、不安は消えない。
そこへ来て虻川先生もとい虻川監督の作戦。
「兵庫ブルーヴォルテックスユースと同じように瀬川正樹君を消耗させて引きずり降ろそう。東京プレスギガンテスユースに勝つ可能性が最も高い戦法はこれだ」
作戦としては理解できる。
難敵を攻略する方法としては普通も普通だ。
けど、納得はし切れなかった。
それでもキャッチャーとしてのプレーには特に関係のない部分だったから、そこはいつも通りにやれていたと自分でも思う。
ただ、いざバッターとして兄さんに挑むとなったら迷いで心が乱れてしまった。
ネクストバッターズサークルで俯いてしまう程に。
「今は勝つことだけを考えなさい。正樹君の性格から言って、怪我を案じて手加減なんてことしたら兄弟の縁を切られかねないわよ」
そんな僕に、浜中さんが発破をかけるように言った。
彼女も秀治郎同様、長いつき合いの幼馴染だ。
まあ、僕は秀治郎のおまけみたいな扱いだけど、気にかけてはくれている。
「続投させるか降板させるかなんて、あっちの監督の判断でしょ?」
そんな彼女の言葉に、少しだけ心が軽くなった。
ちょっと乱暴な物言いではあるけども。
敵チームのピッチャーを好き勝手交代させる権限なんて、こっちにはない。
球数を投げさせるなどして、そういう方向に持っていくことぐらいはできるかもしれないけど、最終的にどうするかを決めるのは僕達じゃない。
当たり前のことだ。
だけど、自分以外の人から告げられて、ようやく飲み込めた気がした。
「勝ちたい理由は人それぞれでしょ? けど、負けたいなんて思ってる人は、少なくともこのチームにはいないはずよ。違う?」
違わない。
僕の中には兄さんに勝ちたい気持ちが確かにある。
小学校の頃からずっとあった兄さんへの引け目。
その感情は僕にとってのモチベーションだった。
勿論、劣等感しか心になかったら、どこかで諦めてしまっていただろう。
けど、秀治郎がずっと言ってくれた。
僕の活躍の場はもっと先だと。
秀治郎の言葉を道標に、兄さんへの気持ちを原動力に。
僕は今日までやってきた。
多分、僕の実力はまだまだ足りない。
高校生になってから急成長した自覚はあるけど、大きな怪我を経て覚醒を果たした兄さんに比べれば何段も下だ。客観的な事実として。
それでも。
いや、だからこそ今はただ挑もう。
いつの日か兄さんに勝ち、胸を張って肩を並べるために。
今日、皆と一緒に勝つために。
「……とは言っても、やっぱり厳しいなあ」
さすがに意気込みだけで打てる程、兄さんは甘くない。
少しは粘ったけど、結局は空振り三振に倒れてしまってベンチにトボトボ戻る。
「まあまあ。気にすんなって」
悔しさが顔に出てしまっていたのか、大松君がフォローを入れてくる。
「野球は0で抑えれば負けることはないんだからサ!」
まあ、それだと勝てもしないんだけどね。
そう思うけど、頭の中で反論するだけに留める。
「むしろ延長まで行ってくれても問題ないゼ! 俺のアピールの場が増えるからな」
0で抑える前提の理屈。
彼のそういうポジティブな部分は凄いと思う。
長く引きずらないところも含めて、間違いなく投手向きの性格だ。
逆に大分ネガティブが入ってる僕は、ピッチャーなんてやれやしないだろう。
「息詰まる投手戦。相手は復活の神童。ここを投げ切って勝てば、名実共に俺が今大会最優秀ピッチャーだ!」
今のところ兄さんへの申告敬遠以外はノーヒット。
調子は万全。
少なくとも大松君が崩れることはないだろう。
点を取られる可能性は極めて低い。
ついさっき大松君が言った通り、点を取られなければ負けはしない。
けれども、野球は1点取らなければ勝てないのもまた事実だ。
「さって。次の回もきっちり抑えようゼ」
「うん」
3回表も結局3者凡退に終わり、攻守交代。
3回裏も大松君は圧倒的なピッチングで相手バッターを手玉に取っていく。
しかし、こちらもこちらで彼を降板させられては負けになってしまう。
なので、球数が嵩まないようにストライク先行を徹底する。
少し(当社比ボール半個分ぐらい)甘くなってもいい。
球の威力で押していく。
大松君の性格的にも、その方がノれるだろうから。
3回裏も3人で終わって4回の表。
こちらの攻撃は3番から。
大松君がネクストバッターズサークルに向かうが、彼は申告敬遠だろう。
正にその予想通りに1アウトからランナーが出るが、後が続かない。
球数を少しずつ増やしながらも、兄さんもまた0で抑えていく。
4回裏の東京プレスギガンテスユースは2番打者から。
2アウトから4番打者の兄さんにも回るけど、こちらも申告敬遠。
後続は凡退に切って取る。
4番打者への申告敬遠の応酬。
余り健全だとは思わないけれど、2人は打者としても別格だ。
この一発勝負の決勝戦。
高校生活最後の夏。
真っ向勝負をした方が大幅に不利になるとなれば、やるしかない。
もし1回の表の段階で東京プレスギガンテスユースが大松君との勝負を選んでいたら、申告敬遠しにくい雰囲気ができ上がっていたかもしれないけど……。
そうはならなかった。
選択の時は過ぎ去った。
余程のことがない限り、2人は全打席申告敬遠となるだろう。
その是非は試合の後で存分に議論して貰うとして、僕達はそれを前提にしながら勝利を目指して懸命に戦うだけだ。
後は。
兄さんに負担をかけないように、できる限りのことをしよう。
勿論、チーム方針に反するつもりはない。
勝利とそれを両立する。
そのために、やるべきことは――。
「まずは先制点をもぎ取る。そのままリードを保つ」
そうして延長戦に突入しないようにする。
それ以外にない。
「とにかく1点。1点が欲しい」
東京プレスギガンテスユースもその気持ちは同じだろう。
けれども、そんな僕達の渇望とは裏腹に。
互いのエースピッチャーはかつてなく素晴らしい出来で……。
スコアボードには0という数字のみが並んでいった。
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