173 今日は彼女の誕生日

 8月21日。世間の話題は毎年恒例で夏の甲子園一色だ。

 息詰まる投手戦。馬鹿みたいな打撃戦。下剋上。大逆転劇。

 バラエティに富んだ試合展開が繰り広げられ、大会は大いに盛り上がっている。

 そんな中、優勝候補の3チームは危なげなくトーナメントを勝ち進んでいた。

 誰もがその激突を待ちわびており、時間と共に熱気が高まってきている。

 そして昨日。遂にベスト8が出揃った。

 今日は休養日で試合はないが、明日準々決勝の4試合が行われる予定だ。


 正にその内の1つ。

 東京プレスギガンテスユース対兵庫ブルーヴォルテックスユース。

 優勝候補のチーム同士の対決。

 尚且つ、新旧神童対決再びと煽られてもいて非常に注目度の高い一戦だ。

 そんな試合の直前に設けられた休養日。

 ある意味焦らされる形となった人々の興奮は、ピークを迎えようとしていた。


 完全復帰した正樹と磐城君の勝負だ。

 俺も明日が待ち遠しい気持ちはある。

 しかし、その前に。

 完全な別件で、大事な大事なイベントが俺達にはあった。


「おはよう、あーちゃん」


 今日は金曜日で、村山マダーレッドサフフラワーズはホームでの試合がある。

 そして今は、毎度のルーティーンの如く朝早くに鈴木家を訪れたところ。

 あーちゃんが出迎えてくれたので、俺は彼女に微笑みと共に挨拶をした。


「おはよ、しゅー君!」


 対するあーちゃん。

 いつもとは違って目に見えてご機嫌だ。

 いや、勿論、普段も俺が来れば嬉しそうな感情が伝わってくるけれども

 今日は見て分かる程の笑顔を浮かべ、あからさまに声まで弾んでいる。

 逸る気持ちを抑え切れない様子でソワソワしていた。

 彼女が何故、そんな状態になっているのかと言えば――。


「あーちゃん、お誕生日おめでとう」

「ん! ありがと、しゅー君」


 今日は彼女の18歳の誕生日だからだ。


「早速、行く」

「いやいや、待って待って」


 俺の腕を取って玄関から外に駆け出そうとするあーちゃんを慌ててとめる。

 物事には順序というものがある。


「そもそも、加奈さんに連れてって貰う予定でしょ?」

「む。そうだった。おかーさん!」


 急かすように加奈さんを呼ぶあーちゃん。


「いや、だから待ってって。挨拶が先」

「…………ん。仕方ない」


 ちょっと不満げな彼女に苦笑しながら、一緒にリビングに向かう。

 すると、明彦氏と加奈さんがテーブルの奥で並んで座って待っていた。

 さっきのやり取りが聞こえていたのか、あーちゃんを見て呆れた顔をしている。

 とりあえず、彼女と一緒にテーブルの手前側に座る。


「おはようございます。おじさん、加奈さん」

「ああ、おはよう。秀治郎」

「おはよう、秀治郎君。そう呼ばれるのも今日までかしらね」

「はい。……じゃなくて、まず形式を踏ませて下さいよ……」

「分かった分かった。とは言え、通勤前の時間だから手短にな」

「いや、おじさん……それでいいんですか……」


 一応、娘の大事だろうに。


「いや、だってなあ。書類の作成とかも全面的に手伝ったしな」

「ええ。それに、この1週間ぐらい茜はずっとその話しかしないもの。もう耳にタコよ。ビジターゲームの時ですら夜に電話してきたり」


 チラリと隣に座るあーちゃんを見ると、彼女はスッと目を逸らした。

【以心伝心】で日に日に落ち着きをなくしていたのは分かっていたけれども。

 そんなことまでしていたのかと思わず苦笑してしまう。

 とは言え、それだけ俺のことを想ってくれているのだと思えば嬉しさしかない。


「あー……ちょっと空気がアレですけど、とにかく言わせて下さい」

「ええ、どうぞ」

「コホン。……お義父さん、お義母さん。お嬢さんを俺に下さい」

「ああ」

「勿論。好きなだけ持っていって」

「……軽い」


 即答した明彦氏と加奈さんに、あーちゃんがジト目を向ける。


「そうとしか言いようがないじゃない。茜に秀治郎君以外なんてあり得ないもの」

「それは当然」

「そもそも世間的にも婚約してるってことが知れ渡ってるのに、今更過ぎてな」

「しゅー君は真面目だから」


 真面目なつもりは全くないけれども、ケジメは必要だと思っている。

 それと、前世では絶対に起こり得ないシチュエーションだったから1度ぐらいはやってみたかったという気持ちもなくはない。


 あーちゃんと言うパートナーを得たこと。

 明彦氏や加奈さんとの縁を得ることができたこと。

 こればかりは、あの野球狂神に純度100%の感謝を捧げてもいいだろう。


「よし。じゃあ、早速役所に行きましょうか」

「ん。早く行く」

「気をつけてな」


 一方で、茶番は済んだとばかりに3人は一斉に動き出した。


 ……うーん。

 俺が余計なことを考え過ぎなのか?

 いや、まあ、実際のところ。

 明彦氏の言う通り、俺の両親共々婚姻届や他の書類を用意する手伝いをして貰ったから今更過ぎる話なのは確かだし……。

 今はシーズン中だから式を挙げるのも大分先のことではあるけどさ。


「しゅー君、早く。混むといけない」


 あーちゃんに引っ張られ、ちょっと釈然としない気持ちのまま家の外へ。

 それから加奈さんの運転で役所に向かう。

 彼女の母親を伴って婚姻届を出しに行くのは、俺達らしいというか何と言うか。

 保育園時代から家族ぐるみのつき合いがあるが故、だな。


「ちょっと早かったかしら」

「それぐらいが丁度いい」


 駐車場で役所が開くのを少し待ってから。

 受付が開始されるのと同時に、窓口に突撃して婚姻届一式を提出する。

 しっかりネットで書き方や必要書類を調べ、何度も確認している。

 なので、不備はない。はずだ。


「はい。問題なく受理されました」


 対応してくれた職員さんに言われ、ホッと胸を撫で下ろす。

 大丈夫だとは思っていたが、人生の一大事だけにちょっと緊張してしまった。


「ご結婚おめでとうございます。野村秀治郎選手。そして、野村茜選手」

「ありがとうございます」「ありがとう」


 祝福の言葉を送られ、あーちゃんと並んで感謝を口にする。

 さすがに今回ばかりはマイペースな彼女も素直な笑顔で応じていた。


 ちなみに。

 役所内に設置された婚姻記念撮影パネルを利用して広報用の写真を撮りたいと事前に伝えていたので、俺達が地元プロ野球球団の選手だと自ら明かした形だ。

 反応的に最初から気づいていたようだが、気づかない振りをして応対してくれていたと職員さんの名誉のためにつけ加えておく。


「これで、わたしとしゅー君は夫婦」


 加奈さん改めお義母さんに何枚か写真を撮って貰った後。

 役所を出て車の後部座席に戻ったところで、あーちゃんが弾んだ声で言う。

 しっかりと俺の腕を抱き締めながら。


「今日から野村茜」

「そうね……」


 心の底から嬉しそうなあーちゃんの様子に、お義母さんが感慨深げに呟いた。

 家ではあれだけ軽い態度を取っていたが、ここに至って実感が湧いたようだ。


「あの病弱だった茜が『お嫁さん』になれるなんてね」

「全部、しゅー君のおかげ」

「そうね。その通りだわ。……ありがとね、秀治郎君」

「い、いえ。俺もたくさん感謝しているので。お相子です」


 前世の記憶を持つ転生者であるが故に、間違いなく変な子だっただろうから。

 ずっと関係を続けてくれたことに俺の方が感謝したい。


「……それで? 今日は球場まで迎えに行かなくていいのよね?」


 若干湿っぽくなった空気を変えるように。

 どこかからかうような声の調子でお義母さんが問う。


「ええと、まあ、その、はい」

「試合が終わったら、久し振りのディナーデートでお泊まり」


 ちょっと言い淀む俺とは対照的に、あーちゃんが率直に答える。


 今日はあーちゃんの誕生日を祝う意味も込め、昨年クリスマスイブにも行ったラグジュアリーホテルのレストランに行く予定だ。

 そして、そのまま2人切りで過ごすつもりでいる。

 俺は一足早く18歳になったので、宿泊施設も含めて予約を問題なく取れるようになった。勿論、お酒は20歳になってからだけれども。

 もう俺達は青少年健全育成条例違反にはならない。


「明日の試合には支障が出ないようにするのよ。それと家族計画はしっかりね」

「もち」


 明け透けな話題は相変わらず肩身が狭くなる。

 俺が弱るのはこの手の話題がほとんどなので、2人共わざとやってる節がある。


「孫が楽しみだわ」

「あー、お義母さん。その、申し訳ないですけど、それは最低3年待って下さい」

「ええ、分かってるわ。茜と一緒にWBWに出たいんでしょ?」

「はい。少なくとも俺達が20歳の時のそれには、あーちゃんは不可欠なので」

「む。わたしはずっと必要不可欠」

「いや、うん。勿論それはそうなんだけどさ。そういう訳にもいかないだろ?」

「……分かってる」


 ちょっと声色に葛藤を滲ませるあーちゃんだが、結論は決まっている。

 20歳か22歳のWBWで彼女は野球から引退するつもりだ。

 と言うのも。


「子供は最低9人。わたしとしゅー君の子供で野球チームを作る」


 あーちゃんはいつしか、そんな夢を抱くようになっていたからだ。

 チームメイトの木村さんの家庭に何度かお邪魔してからは特に。


 しかし、9人ともなると年子だったとしても9年以上。

 現役を張れる時間の大半が激しい運動を控えなければならない期間となる。

 仮に【マニュアル操作】でステータスを弄ったり、スキルの力を活用したりしたとしても、さすがにプロ野球選手との両立は無理だろう。


 俺達にとって最初のWBWあるいは2回目のそれまでの間。

 あーちゃんと一緒に優勝を目指せる機会は少ないと思っておく必要がある。

 まあ、それはさて置き。


「ふふ。たくさんの孫に囲まれる老後が今から楽しみだわ。ね、秀治郎君」

「あ、はは……」


 お義母さんからそんな風に話を振られ、さすがに反応に困って曖昧に笑う。

 間違いなく、からかって楽しんでいる。

 けれども、多分しばらくは甘んじて受け入れないといけないだろうな……。


 そんなことを考えている間に山形きらきらスタジアムに到着する。

 何にせよ、まずは試合だ。

 責任ある大人として振る舞わなければならない。


「と、とにかく行ってきます」

「行ってきます」

「はい。行ってらっしゃい、2人共」


 言いながら車を降りた俺達にそう応じてから、お義母さんは更に続ける。


「試合も頑張って、誕生日を幸せに過ごしてね」

「……はい。今日は登板日なので、まずは勝利をプレゼントにしますよ」

「女房役として、妻として、一緒に記念日に華を添える」


 いつになく気合十分なあーちゃんと頷き合う。

 相手チームには悪いけれども、今日ばかりはチームを成長させるための手加減も一旦忘れてフルスロットルで行かせて貰うつもりだ。


「よし。行こう」

「ん!」


 果たして。

 村山マダーレッドサフフラワーズは当然のように勝利を飾った訳だが……。

 27奪三振での完全試合は、いくら2部リーグでもやり過ぎたかもしれない。

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