127 これからのこと

 父さんが意識を取り戻してから10日が過ぎた。

 医師の話では、症状の経過は後遺症の重さからするとかなり良好らしい。

 実際、既に簡単なリハビリが始まっているぐらいだった。

 そこに関しては、間違いなく明るいニュースと言える。

 しかし、同時に本当の闘いの始まりを意味してもいた。

 父さん自身にとっても、母さんにとっても。


 そして今、最も追い詰められているのは母さんの方だろう。

 多少なり状況が落ち着いてきたことで、否応なくこれから待ち受ける様々な問題に目を向けざるを得なくなってしまったのだから。

 勿論、どちらがマシということではない。

 後遺症のこと。リハビリのこと。

 父さんはまだ他を気にする余裕がなく、自分の体のことで手一杯なのだ。


 ただ、母さんが精神的にまずい状態なのは確かだった。

 言葉にこそしないものの、時折深く悩むように考えに沈んでいる時がある。

 話しかけてもしばらく気づかないぐらいに。

 仕事を増やすことも検討しているらしく、色々調べているようだ。

 妻として、母としての責任感からか、完全に1人で抱え込んでしまっている。


 これで息子が普通の子供だったなら、ほぼ確実に共倒れしていただろう。

 しかし、ここにいるのは前世の記憶を持ち、野球狂神によってWBWでアメリカ代表に挑むことを運命づけられた存在だ。

 あるいは、どうせ転生させるなら悲劇的な結末を迎える家族1つぐらいついでに救わせようかという意図でもあったのかと思うぐらい都合がいい。

 まあ、あの野球に狂った神が、そこまで考えているとはとても思えないが。


 ともあれ、明彦氏にも相談を済ませて諸々の目途が立ったので、俺は話があるからと休日に母さんを連れ出して鈴木家を訪れていた。


「それで、その、お話というのは?」


 挨拶もそこそこに、母さんが訝しげに問う。

 視線の先には明彦氏と加奈さん。

 どうやら2人が主体の会合だと思っているようだ。

 場所が場所なのでそう勘違いするのも無理もないが、今回の主催は俺だ。


「母さんに話があるのは俺だよ」

「秀治郎が? ……それは、家では駄目だったのですか?」


 どうして鈴木家まで巻き込んでいるのかと一層不審そうな顔をする母さん。

 家では……と言うか、2人きりでは駄目だ。

 周りの目がないと、まともに話を聞いてくれないかもしれない。

 それに、これから口にする内容の信憑性を高めるには明彦氏の存在は不可欠だ。

 とは言え、そこら辺を逐一説明していくのは時間の無駄になる。

 なので、俺は質問には答えず、一呼吸置いてから話を切り出した。


「俺、高校を辞めて村山マダーレッドサフフラワーズに入ろうと思うんだ」

「こうっ!? ……え?」


 高校を辞めるなんてとんでもないとでも言いたげな声を一瞬出した母さんだったが、後半部分の意味が今一分からなかったのか疑問の表情を浮かべた。

 伝えるべき情報はまだまだあるので、そのまま話を続ける。


「実は、来年の1月から体制が変わって村山マダーレッドサフフラワーズはクラブチームから企業チーム、いわゆるノンプロと呼ばれる立ち位置になるんだ」

「ノンプロ……?」

「うん。ザックリ言えば、野球をしてお金を貰えるってこと」


 余談だが、明彦氏の会社は12月決算。

 なので1月始動という形になった。

 ちなみに、1月までは尾高コーチのアシスタントのような形でアルバイトをさせてくれることにもなっていたりする。


 ……まあ、それはともかくとして。

 母さんは真偽を確かめるように明彦氏に視線を向けた。


「秀治郎の言う通りです。つまり、所属選手が部費を払って勤務時間外で活動する形から、会社が選手に給料を支払って仕事として活動する形に変わります」

「仕事として野球を……ですか」

「はい。勤務時間の5割から7割ぐらいは野球をするのが業務になります。通常の業務もありますが、そこまで負荷のあるものではありません」

「そ、そこに、秀治郎を加えていただけると?」


 目の前の多くの問題を解消する余りにも都合のいい話。

 だからこそだろう。

 母さんは逆に疑念の色濃い声で問いかけた。

 対して、明彦氏は「はい」と頷いて簡潔に肯定する。


「それは……その……同情からでしょうか」

「違います。昔から秀治郎を知る人間としてではなく、取締役社長として多大なメリットがあると判断したからです。父である現会長も了承しています」


 去年社長に就任した明彦氏。

 実はその頃から企業チーム化の根回しは進めていた。

 勿論、このタイミングになったのは父さんが切っかけの1つではある。

 それは間違いない。

 しかし、同情だけで実行するには話が大き過ぎるのもまた事実だ。


 人を1人雇えば、年に数百万の経費がポンと上乗せされる訳だからな。

 それに見合う効果がなければ、普通は承認されるはずもない。

 まあ、往々にしてコネでその当たり前が覆されることもあるけれども、この世界では野球関連でそれをすると風当たりがヤバい。

 それを思えば、同情だの何だのでリスクを背負えるレベルではない。


「……その、私も夫も運動音痴で、秀治郎の野球の上手さが実際どの程度のものなのか分かりません。野球で一生食べていける程なのでしょうか」

「ああ――」


 母さんの言葉を受けて、明彦氏は呆れ気味の視線を俺に向けながら苦笑した。


「秀治郎はずっと手加減してますからね。毎度話題になるのもチームメイトの方でしたし、本当の実力を知らないのも無理もない」


 言われて気づく。

 思えば、ガチで野球をやっているところを両親には見せたことがない。

 そのせいで母さんに無用の心配をさせてしまったようだ。


 折角のうまい話も持続できなければ意味がない。

 失敗に終われば、高校中退の男が社会に放り出されるだけ。

 それなら学歴を積み重ねた方が将来のためになるのではないか。

 そんなところだろう。


 母さんは家計以上に俺の将来について気を揉んでいたようだ。


「手加減? 本当の実力?」

「この際、ハッキリと言いましょう。秀治郎は世代No.1どころか、日本プロ野球を見渡しても現時点で既に最上位の実力があります」


 母さんは信じられない様子で、俺と明彦氏の間で視線をさまよわせる。


「その評価は我がチームのコーチも認めるところです。彼は元2部リーグのプロ野球選手として、入れ替え戦で1部リーグのチームと戦ったこともあります」


 だからこそ、1部リーグのプロ野球選手の力を知っていて比較できる。

 明彦氏はそう暗に示す。


「本、当に?」


 やはり元プロ野球選手という肩書の権威は大きいのだろう。

 母さんは少しずつ信じ始めたようだ。


「本当です。正直なところ、新たに企業チームになるようなチームにいていいレベルの選手じゃない。むしろ我々が申し訳ないぐらいです」

「いやいや、約束したじゃないですか。俺がチームに入って強くするって」

「……ああ、そうだったね」


 俺の言葉に嬉しそうに笑う明彦氏。


 当然、約束は守る。

 それも含めての計画だ。


「……母さん、そんなに心配なら通信教育とか高卒認定試験とかもあるしさ。今はとにかく皆で分担しよう。母さんだけが無理をする必要なんてないんだから」


 それで倒れられでもしたら、本末転倒以外の何ものでもない。


「秀、治郎……」


 若干俯き気味になりながら、目に涙を溜める母さん。

 そんな姿を見るのは、初めてのことだ。

 やはり、相当追い込まれていたのだろう。


 この10日間。苦しませてしまって本当に申し訳ない。

 明彦氏の父にしてあーちゃんの祖父である現会長の前でデモンストレーションを行ったり、尾高コーチと話したりで少し時間がかかってしまった。

 ぬか喜びをさせる訳にはいかなかったからな。


 しかし、もう母さん1人で抱え込む必要はない。


「それと、医療費等で生活が厳しければ、お金をお貸しすることもできます。これも秀治郎に対する投資のようなものとお考え下さい」


 補足するように明彦氏が告げる。

 投資。

 若干屁理屈染みている内容だ。


 それでも。

 返済が見込める借金であって無条件の施しではない。

 貸す側にも利がある。

 そうした体裁が重要なのだ。

 これからも末永くつき合いを続けていく上では。


 ともあれ、これで当座を凌いだら後は働いて返すのみ。

 プロ野球選手になれば、金銭的な問題はないに等しい。

 生活面の懸念は、ある程度払拭することができたと言っていいだろう。


「う……くっ……」


 そう思っていると、近くから嗚咽が聞こえ始めた。

 母さんが堪え切れなくなってしまったようだ。


「み、美千代さん、大丈夫ですか?」

「加奈さん……私は、自分が、情けないです。まだ成人もしていない子に……」

「……情けなく思う必要なんてないですよ。私達だっていつか子供に助けられ、世話にならなければならない日が必ず来ます。それが少し早かっただけのことです」

「そうですよ。むしろ誇るべきです。こんな孝行息子を持ったことを」

「……はい……はい。お2人共、どうか秀治郎をよろしくお願いいたします」


 明彦氏と加奈さんに深く深く頭を下げる母さん。

 とりあえず変に話が拗れることなく、説得することができたようだ。

 やはり明彦氏の社会的信用性は段違いだし、妻として、母として加奈さんも近しい立場で寄り添ってくれて助かった。

 2人のおかげだな。


 ……父さんの病は想定外だったが、計画全体に支障はない。

 家族を守りつつ、次のステップに進むとしよう。

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