073 静まる球場

 突然のあーちゃんの暴言に、球場は静まり返ってしまった。

 どうやら彼女の声はしっかりと選手全員に届いてしまったらしい。


「あ、茜」


 明彦氏が慌てて彼女を窘めようとするが、もはや後の祭り。

 吐いた言葉は飲み込めない。

 一番ガタイのいい大法選手が眉をひそめながら近づいてくる。


「……いくら専務のお嬢さんだからと言って、それは聞き捨てならないな」


 他の選手達も不愉快そうに俺達を睨んでいる。

 当然の反応だろう。

 むしろ中学生になめられてヘラヘラしていたら問題だ。

 大人の余裕というものを完全に履き違えている。

 企業チームノンプロに負けても気にしていない、なんてレベルの話じゃなくなる。

 プライドも糞もない。

 自分の野球人生全てに砂をかけているようなものだ。


「その子に教わるべきだって?」

「そう。しゅー君の方が上手だから。間違いなく」


 物凄い体格差の相手を前に、表情も変えずに正面から告げるあーちゃん。

 余りに淡々とした様子に、逆に大法選手の方が少し怯んでしまうぐらいだった。


「……だったら、勝負してみるか?」

「望むところ」


 売り言葉に買い言葉。

 あーちゃんは全く退く気配がない。

 即答された大法選手は一層微妙な顔になる。

 少し圧をかければ撤回して謝罪するだろうと簡単に考えていたのかもしれない。


「勝負の内容はどうする? バッティング勝負でいいか?」

「しゅー君はピッチャーもできる。1打席勝負で十分」

「…………勝手に決めてるが、君はそれでいいのか?」


 あーちゃんの頑な過ぎる振る舞いに大法選手は大分冷静になったらしい。

 彼は若干困った様子で確かめるように俺に尋ねてくる。

 本質的に、全く悪い人ではないのだろう。

 と言うか、この場は間違いなく彼らの方が被害者で、あーちゃんの方が悪者だ。


 積極性を発揮してくれるのはいい。

 けど、これはさすがに暴走だな。

 泥を被るような真似をするなら、相談してからにして欲しいところだ。

 あーちゃんが悪く見られるのは、俺としても望むところじゃないからな。

 後であーちゃんにはそう伝えておくとしよう。

【以心伝心】に頼ってコミュニケーションを疎かにしてはいけない。


 それはともかく、大法選手に答えを返さなければ。


「ええと、まあ、大丈夫です。やります」


 いずれにしても、あーちゃんが俺のために作ってくれた機会だ。

 今はこの流れに乗るべきだろう。


「けど、ちょっとアップさせて下さい」

「ああ、勿論。じっくりとやってくれ」


 一応、動き易い服装で来たから着替えをする必要ない。

 グローブも持ってきている。

 軽くウォーミングアップすれば準備完了だ。


「あーちゃん」

「ん」


 ストレッチで体を解してから、あーちゃんとキャッチボールをする。


「よし。もう大丈夫です」

「……本当か?」


 ぴったし10球投げて言った俺に、心配そうに尋ねる大法選手。

 俺には【怪我しない】があるので長々とやる必要はない。


「ええ。問題ありません」

「たったの10球でか?」

「はい。俺も怪我はしたくないので、嘘は言いませんよ」

「……そうか。じゃあ、始めよう」


 俺がキッパリと断言したので、大法選手は納得したようだ。


「新垣さん、キャッチャーを――」

「キャッチャーはわたしがやる」

「は?」


 奥にいた選手に声をかけようとしたのを遮ったあーちゃんに、ちょっと間の抜けた声を出してしまう大法選手。


「しゅー君の女房役は譲らない」

「いやいや、あーちゃん。大人用の防具しかないだろうから、駄目だよ」

「むぅ。なら、防具なしでいい」

「ダメダメ。あーちゃんに怪我して欲しくないから。ね?」


 普通に捕球する分には大丈夫だろうが、ファウルが怖い。

 まあ、バットに当てさせなければいい話ではあるけれども……。

 それは傍で見ている明彦氏の精神が持たないだろう。

 さすがにやめておいた方がいい。


「うー……仕方がない。けど、正妻はわたし。それは忘れないで欲しい」

「はいはい。分かってるって」

「ならいい」


 渋々ながら引き下がるあーちゃん。

 その突飛な姿に球場の雰囲気が若干おかしくなる。


「専務のお嬢さん。変な子だな」

「まあ、あれがあの子の可愛いところです」

「そ、そうか。…………蓼食う虫も好き好き、って奴か」


 どうやら俺まで変な子認定されたっぽい。

 解せぬ。


「まあ、胸を貸してやるから、好きに投げてみろ」

「はい。あ、ええと、すみません。名前を――」

「ああ。俺は大法豊だ」

「では、大法さん。よろしくお願いします」


 頭を下げてからマウンドに向かう。

 さっきキャッチャー役として指名されかけていた人が待っていた。


「新垣九朗だ。サインはどうする?」

「俺から出してもいいですか?」

「ああ。構わない」


 1打席勝負なので、簡単なものでいいだろう。

 大まかなコースと3つ程度の球種のサインを決める。


「大法! 加減してやれよ!」

「怪我させたらことだぞ!」

「ああ。分かってる」


 若干イベントを楽しむような声援が飛び始める。

 チームの選手達の間に流れる空気は、当初に比べて柔らかくなった。

 あーちゃんの奇行(一般的に見て)のおかげだろう。


「では、行きます」

「来い」


 帽子のツバと左腕の特定の場所に触れてから振りかぶる。

 まずは内角高めいっぱいにスピンの利いたストレートだ。


 ――バコッ!


 鈍い音と共に球がミットに収まる。

 軌道を見誤り、少し捕る位置がズレてしまったのだろう。

 新垣さんはちょっと痛そうに顔をしかめている。


「新垣さん、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫だ。問題ない。続けろ」


 そう告げながらボールを投げ返してきた彼に頷く。

 何はともあれ、大法さんは手が出ず見逃し。

 とりあえず1ストライク。

 まあ、この状況での対戦だ。

 1球目は振ってこないと思っていた。

 俺を侮っていただろうしな。

 だが、それもさっきまでの話だ。


「……中学生なのに、投げる球は全く可愛げがないな」


 クラブチームでは余りお目にかかれないだろうキレのある直球。

 それを目の当たりにして、一気に真剣な表情になる大法さん。

 球場もまた、あーちゃんの暴言直後のように再び静まり返ったのだった。

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