047 別の道へ行く前に②

「さて。もう負けを認めるか?」


 敗北感に沈む正樹に対し、若干煽り気味に問いかける。

 それを受け、彼はハッとしたように顔を上げて歯を食いしばった。


「ま……まだ、まだだ! 俺が3打席連続でホームランを打てば、俺の勝ちだ!」

「ああ。そうだな」


 自分を奮い立たせるように言って立ち上がる正樹の姿に少し微笑んで頷く。

 ここで負けん気を出せる人間だからこそ、彼に力を貸したのだ。

 そういうところは何も変わっていなくて安心した。


 そして攻守交替。

 俺はマウンドに向かい、正樹がバッターボックスに入る。


「行くぞ」

「来いっ!!」


 振りかぶって1球目を投じる。

 アウトコース低め。

 ボール2個分外したストレート。

 明らかなボール球故に、正樹はバットを振らない。

 速さは120km/h弱。


「ふっ」


 正樹は見送った格好のまま小さく笑った。

 これなら確実に打てる。そんな雰囲気だ。

 しかし、前世のプロ野球界には120km/h台の直球と、それよりも遥かに遅い変化球を巧みに操って何勝もあげた大投手もいた。

 野球は球のスピードを競うスポーツじゃない。

 点を取り、アウトを取るゲームなのだ。

 勿論、速いことのメリットはかなり大きいが、それが全てではない。


 2球目。

 バッターに当たるかという軌道から大きく曲がってくるスローカーブ。

 正樹は大きく仰け反るが――。


『ストライクワンッ!』


 インコース低めに入っている。

 1ボール1ストライク。


「どうした正樹。遅い球だぞ?」

「くっ、次は打つ!」


 3球目。

 ふむ。インコースを意識して肩が開いているな。

 こうなると外角が遠くなる。

 対角線の投球をするのなら、そこまで見た上で投げなければならない。

 アウトコース低めギリギリにストレートが決まる。


『ストライクツーッ!』


 スローカーブからの直球で、球速以上に速く見えたのだろう。

 手が出ずに1ボール2ストライク。追い込んだ。

 構えがまた少し変わる。


 ……迷ってるな。

 なら、次はこれだ。

 真ん中低め。半速球気味の少し甘く見える球。

 しかし、ストレートよりも回転が意図して抑えられている。


「舐めるなっ!!」


 正樹が振りに行く。

 そこでボールに制動ブレーキがかかり、急激に重力に引かれていく。

 ホームベースでワンバウンドし、バットは空を切る。

 フォークボール。三振。

 1対1なキャッチャーはいないので振り逃げはなし。1アウトだ。


 ここでコントロール抜群のフォークはちょっと大人げない気もする。

 今の正樹の頭にはなかった球種だろう。

 だが、彼の知っているものが野球の全てではないと教えておく必要がある。

 これから別の道へと踏み出す前に。


「まだ続けるか?」

「当たり前だ!」


 成績を比較すると既に俺の勝利は確定している。

 けど、そのやる気を買おう。


 勝負を続けるために投球動作に入る。

 2打席目第1球。

 インコースから入ってくるスライダー。

 今度は振りに来たものの、バットは空を切って1ストライク。


「……っ!」


 正樹の顔つきが変わった。

 侮りを捨てて集中しているな。

【超早熟】の効果によってバッティングもまた既にプロ級。

 経験不足も精神的な未熟さも、目の前の1球に没頭すれば覆すことができる。

 補正後のステータスにはそれだけの差がある。

 空気が張り詰めてきた。

 本当に、俺にとってもいい経験だ。


 2球目。

 外角ボールゾーンから低めに入ってくるシンカー。

 正樹の鋭いスイングが迎え撃つ。


――カキンッ!!


 芯を食った甲高い音が響く。

 だが、ほんの少しタイミングが遅れていた。

 ライト線に特大のファウル。

 僅かに切れた。


 少しだけ間を取る。


 3球目。

 同じくシンカーを、内角低めから僅かにボールになるように投げる。

 コースに当たりをつけていたのだろう。

 正樹はうまくオープンスタンスからバットに当てる。

 しかし、ストライクゾーンから外していた分、打球は上がらなかった。

 上がらなかったが、痛烈なゴロが3塁ベースを直撃して外野に抜けていく。


「これは、ヒット。それもツーベースかな」


 3塁ランナーがいてサードがベースに張りついていたり、極端なシフトを敷いていたりすれば捕れたかもしれない。

 だが、ピッチャーとバッターの勝負としては、うまく打った正樹の勝ちだ。


「……集中してるな」


 正樹は俺の言葉に反応もせず、既に構えを取っている。

 初めての強敵を前にして、自然と超集中状態にまで入っているのかもしれない。

 雰囲気があるとはこのことを言うのだろう。

 さすがにこれはヤバいと肌で感じる。

 1打席目、2打席目の感覚で投げると間違いなく1発打たれるな。

 真剣勝負。

 この感覚、悪くない。

 前世とは違い、本気で生きている感じがする。


「投手としての今の俺のスペックは、打者としての正樹の遥かに格下。けど、それはいつかアメリカ代表に挑む時も同じことだ」


 U12で見た彼らは【特殊生得スキル】なるチートを持っていた。

 たとえ俺がフルスペックになったとしても上回れない絶対的な差がある。

 格下として、格上を倒さジャイアントキリングしなければならない。


 ならば、どうするか。

 弱者が正攻法で正面衝突しても勝ち目はない。

 工夫を凝らし、時に奇策を用いて彼我の差を埋めなければならない。

 目の前の正樹は、今の俺にとってそういう相手だ。

 だから――。


「秘策の1つ。ここで見せてやろう」


 将来のいい予行演習になる。

 だから、3打席目第1球。

 俺は不敵に笑いながら振りかぶった。

 テイクバック時の腕の位置、体勢を大きく変える。

 これまで俺はスタンダードなオーバースローで投げていた。

 だが、化物達に近づくため、それを変える。


 普通ではないやり方を。

 異質な投げ方を。

 ルールの範疇で最も珍しいフォーム。

 アンダースローからアウトコース低めに投げ込む。


『ストライクワンッ!』


 目から1番遠いところに、地面すれすれから投じられたストレート。

 正樹は感覚が掴めずボールと判断した。

 しかし、ストライクゾーンにかすめている。


 速度はオーバースローと全く同じ。

 ステータスのスペックを無理矢理引き出した形だ。

 実際のフォームとしてはアンダースローと言うよりは、体を過剰に斜めにしたサイドスローあるいはスリークォーターとでも表現した方が適切だろう。

 ステータス通りの数値を叩き出すために、それ以外は全て度外視した投げ方。

 無茶苦茶過ぎて負荷が半端ない。

 前世ならどんなトップアスリートでも100%怪我をするだろう。

 しかし、【生得スキル】【怪我しない】を持つ俺ならば、その心配はない。

【怪我しない】の効果を逆手に取った特殊投法だ。


 ――キンッ!


 2球目。

 同じコースから低めのボール球になるシンカー。

 正樹のバットはかすったが、ファウルとなって2ストライク。

 そして3球目。


「これで終わりだ」


 インコース高めのボール球。

 アンダースロー特有の浮かび上がる軌道。

 幻惑された正樹はストライクと誤認し、スイングに入る。

 しかし、経験不足からイレギュラーな軌道と高低差に対応し切れない。

 空振り。三振。


「俺の勝ちだな、正樹」

「………………くそっ」


 3打数1安打2三振。

 そんな数字を出さずとも、勝負の結果は明白。

 悔しげに膝をついた正樹の姿こそが、勝敗を何よりも雄弁に物語っていた。

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