あなたは恋人

逢瀬くんがわたしの恋人として振る舞うようになったのは、今から十年前の逢瀬くんが二十歳になった日のことだ。

そもそも、逢瀬くんは親御さんとの関係が悪いせいなのか、出会った大人を親だと認識してホイホイ距離を詰める悪癖がある。

その為、わたしとも出会ったばかりの時から隣に立ってニコニコ笑っていたり手を繋ごうとしてきたり、彼の対人関係の距離感はとてつもなく狂っていた。

これは矯正しないと、下世話なゴシップの格好の餌食だ。

上京したばかりの知り合いが一人もいない土地で、酷く寂しい思いをしたのだろう。

マネージャーという立場も手伝って、一緒に行動する頻度が高いおかげか、逢瀬くんのわたしに対する好感度は飛び抜いて高い。


彼がわたしに向けている感情が恋愛感情と呼べるほど成熟した感情だったのか定かでは無いが、当時のわたしは彼がわたしからの強い関心を必要としていたことに気づいていた。

きっと、親しい大人に見放されたら死んでしまうと勘違いしていたのだ。

当時のわたしは逢瀬くんをトップアイドルに相応しい存在にすることに躍起だった。

仕事で結果を出さなければという焦りもあったが、なによりも彼にはアイドルとしての零れ落ちんばかりの才能がある。

アイドル史を塗り替えるほどの才能の原石、潰すには惜しい逸材。

告白された時は驚いたけど、わたしはキャリアの為に彼からの好意を利用することにしたのだ。


九年前、初めて逢瀬くんの家に行った日、恋人同士といえど特にアダルティな雰囲気になる訳でもなく、ベッドの上でお互いにぐでーっと寝そべっていた。

異常である故に成り立つ無垢な瞳を伴って、逢瀬くんはわたしに問いかける。

「甘奈ちゃんはオジサンが好きなの?」

モチロンヨ!と歯を光らせて親指を立ててほしいのだろうか。

「あのキモいスタッフと仲良いじゃーん。プロデューサーにも愛想振りまいて……あんなうぜーやつらと仲良くするなんて、オジサンが性癖ってことぐらいしか俺には考え至らないんだけど」

逢瀬くんを溺愛している乙野(おつの)プロデューサーが聞いたら泣き叫んで首をくくる最悪の言い分である。


「仕事付き合いだから仕方ないじゃない。別に枯れ専ってわけじゃ……」

「俺も早く老けたーい」

乙野プロデューサーが聞いたら逢瀬くんを愛憎入り交じった感情のまま刺殺してきそうな願望を口走った。

逢瀬くんは眉根を寄せ、目が右に寄り、自身の心の奥底を覗くように遠い目になる。

険しく、細い目だ。

「俺はさー、自分が嫌い。大っ嫌い。死んでしまえばいいと思う」

「……何よ、藪から棒に」

わたしの素っ気ない返答に逢瀬くんは「あー」だか「うぎー」とかの苦悩に満ちた奇声を撒散らし、やがて悪い憑き物が祓われたように動かなくなり、真っ白い枕に顔を埋めた。


それから、顔を上げると微睡むように曖昧に微笑む。

「甘奈ちゃん、デートしよ。俺は甘奈ちゃんの彼氏なんだよね?」

「……ええ」

逢瀬くんは黒いマスクに同色の帽子を目深に被り、簡易な変装をする。

その日は朝から曇り空で、夕方頃に雷雨になるという予報が出ていた。

わたしと逢瀬くんは傘を持って家を出る。

駅前にあるデパートには、十四時三十分過ぎに到着した。

特に言葉を交わさず十階に到着し、喫茶店へ並んで入店する。

白を基調とした内装は、窓から覗ける空模様に相まって、モノトーンの世界観を演出していた。


四人がけの椅子に座ってメニュー表を開き、注文を決めて店員さんに声をかける。

わたしは自分の分のショートケーキとホットコーヒーに加えて、逢瀬くんの分のホットケーキとアイスティーを代わりに頼むと、店員さんは注文内容を繰り返し、営業スマイルを浮かべ立ち去る。

「ほんっと店員さん相手だと黙り込むわね。前まではあんなに誰にでも着いていきそうな感じだったのに」

「……、別に、甘奈ちゃんが……」

逢瀬くんは少し言いよどんで、意味と感情のない顔を作成した。

突然、見知らぬ女の子の声が割り込んだ。

「ねえ、アンタが逢瀬の彼女?」


わたしは気づかなかったが、さっきからわたし達を見ていたらしい。

視線が合った途端、奥の席からつかつかと歩み寄って来た。

パッツン前髪の黒髪ツインテールに乙女チックなピンクのブラウスと編上げリボンのスカート、ドール系メイクが施された顔。

年齢は、おそらく逢瀬くんと同い年くらいだろう。

「うん。付き合ってるよ。知ってるだろ」

「ちょっと……逢瀬くん、知り合い?」

逢瀬くんは不愉快そうな目つきだった。

鬱陶しそうで見下してそうで、目の前の女の子を単なる異常者としか見てない顔だ。

「……まあ」


「同級生です。逢瀬と一緒に家から出てくる姿を何度も見ました。単刀直入に言います。責任取って逢瀬を幸せにしてください。さもなくば殺します」

何やら不穏なことを言われた。

「逢瀬くん、この子ってストーカー……?」

「ち、違います!大学の都合で引っ越したらたまたま家が近くになっただけです!今日も偶然同じカフェに来てしまっただけで……というか、後から来たのはそっちだし……」

口調は過激だが、悪い子では無いのだろう。

うつむいてごにょごにょと言っている姿を、わたしは素直に可愛いと思った。

「逢瀬くん、この子と付き合ったら?」

「あ?」

「えっ」


間違えた。

二人はわたしを凝視する。

逢瀬くんに至っては今にも青筋が額に浮かび、「甘奈ちゃんを殺して俺も死ぬー!」とか叫びながらカッターを喉笛に突き刺しかねない。

「間違えました。ジョークジョーク」

「な、なーんだ。びっくりした……逢瀬とアタシはそういうのじゃないですからね。そもそもアタシって男は無理だし」

「もう関わってくんな、甘奈ちゃんが不安がるだろ」

同級生を名乗った女の子に対しては声が低くなり、ゴミを見る目を向けた後、何も無かったかのように明るいトーンでわたしに話しかける。


「甘奈ちゃん、俺は甘奈ちゃんの為にずっと一緒にいるからね」

「ジョークとシャークって似てるよね」

「……逢瀬、この人大丈夫?」

「あ?部外者に甘奈ちゃんの何が分かるんだよ」

「喧嘩腰になるのやめてよ。それに、所詮は他人なんだから逢瀬も別にこの人の全部がわかるわけじゃないでしょ」

「ふざけんな、他人じゃねーよ。俺は彼氏だ」

「恋仲なんて法的拘束力が無い契約関係じゃない」

「……うざっ、死ねばいいのに」

女の子と逢瀬くんの口喧嘩を他所に、頭の中で先程の言葉がリフレインしていた。

それにしても、責任、か。

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