Episode8:再び異界へ

 翌朝、冬依は重い体を引きずるようにベッドから起き上がった。


 昨夜、突如として赤嶺家に転がり込んできた異世界の王女様(自称)、エナ・リディアの存在が、彼の平穏な(?)日常に大きな波紋を広げている。


 彼女が城に戻らない限り、いつギルドに捜索依頼が出され、面倒な事態に発展するか分からない。

 何より、愛する妹・秋葉の安全と、二人だけの聖域を守らなければならない。


(……仕方ない。腹を括るか)


 冬依は覚悟を決め、出社前にスマートフォンを取り出すと、会社の人事システムにアクセスし、一週間分の有給休暇を申請した。


 理由は「私用のため」


 これだけまとめて休むのは入社以来初めてのことだ。


 申請を送信した直後、ポケットのスマホがけたたましく鳴った。

 表示されている名前は「定田英輔」。予想通りの反応だ。


「もしもし……」


「もしもし、じゃないだろ冬依!

 ふざけるなよ!

 一週間有給!?

 今、月末でどれだけ忙しいか分かってるよね!?」


 電話口からは親友である英輔の怒りと焦りが入り混じった声が飛んでくる。

 彼の言うことはもっともだ。


 経理部にとって月末は繁忙期。そのタイミングで一週間も休むなど、常識的に考えればありえない。


「申し訳ない、英輔

 本当に急な用事ができちまったんだ

 悪いが、あとは頼んだ

 埋め合わせは必ずする

 後で何か美味いものでも奢るから」


 冬依は心の中で謝罪しながらも、冷静に、しかし有無を言わせぬ口調で告げた。


「おい、待て!

 それだけで納得できるか!

 って、おい!」


 まだ何かギャアギャアと叫んでいる英輔の声を無視し、冬依は一方的に通話を終了させた。


 すまない、友よ。だが、今はこれしか方法がないんだ。


 リビングに行くと、秋葉は既に学校へ行く準備を終えていた。エナはまだ寝ているようだ。


「お兄ちゃん、顔色悪いけど大丈夫?

 本当に休むの?」


 秋葉が心配そうに尋ねてくる。


「ああ、ちょっと疲れが溜まっててな

 少し休むことにした

 秋葉も学校と部活を頑張れよ」


 冬依は妹の頭を撫で、笑顔で見送った。


 秋葉が出て行くと、ちょうどタイミングを見計らったかのように、エナが寝室からあくびをしながら出てきた。昨日借りた秋葉のTシャツとスウェット姿だ。


「ふぁ〜あ、よく寝た……

 おや?

 冬依、今日は仕事ではないのか?」


 エナは不思議そうに首を傾げる。


「ああ、休みを取った

 テーブルにご飯を用意してあるから、それを食べておけ

 俺はちょっと出かけてくる

 秋葉は夕方には帰ってくるはずだから、それまで大人しくしてるんだぞ」


 冬依はまるで小さな子供に言い聞かせるように言った。


「なっ!

 我を一人で置いていくつもりか!?

 この異世界で!?

 無責任であろう!」


 エナが途端に不安そうな顔になって叫ぶ。


「王女様でもお留守番くらいできるだろ?

 大丈夫、この家は安全だ

 それに、すぐに戻るわけじゃない」


 冬依はそう言うと、自室に戻ってスーツから動きやすい私服に着替えた。

 再びリビングに戻ると、玄関には既にエナが先回りして立ちはだかっていた。

 腕を組み、仁王立ちになっている。


「で、冬依

 お主は一体どこへ行くのだ?

 我も連れて行け!」


 その瞳には、不安と好奇心が混じっている。


「……お前が元の世界に帰れるように出かけるんだ

 ささっと大臣とやらを探してくるから

 だからお前は連れていけないぞ」


 冬依は正直に答えた。これ以上、この家に置いておくわけにはいかない。


「秋葉には急な出張が入ったとでも言っておいてくれ」


 そう言い残し、冬依はエナの脇をすり抜けて玄関のドアを開けた。


「しゅっちょう?

 しゅっちょうとは何なのだ!?

 説明しろ、冬依!」


 背後からエナの叫び声が聞こえたが、冬依は振り返らずにドアを閉めた。


 マンションを出た冬依はすぐにスマートフォンを取り出し、ギルドの仲間である若菜と潤貴に連絡を取った。

 事情を説明し、至急合流したいと伝える。

 場所はトンネル近くにある、ハンター御用達のカフェを指定した。


 30分後、カフェのテラス席で三人は顔を合わせていた。

 冬依は、昨夜の出来事――路地裏でのエナとの遭遇から、彼女がリディア王家の長女を名乗っていること、そして現在、赤嶺家に居候していることまで、包み隠さず話した。


「……はぁ!?

 王女様がウィンの家に!?

 まじで!?」


 若菜は目を丸くして驚きの声を上げた。無理もない反応だ。


「それで、ウィンはどうしたいんだ?

 まさかとは思うがその『やばい大臣』とやらをどうにかするつもりか?」


 潤貴は、冷静に状況を分析しながら尋ねた。


「そうなんだけどな

 まずは城に潜入して情報収集が必要だ

 城への潜入なんて、それこそ専門家が必要だ

 ……そんな能力があるのは、俺たちの仲間には一人しかいないだろ?」


 冬依はそう言うと、じっと潤貴の顔を見つめた。


「……マジかよ、ウィン」


 潤貴は冬依の意図を察し、テーブルをバンと叩いた。


「いくら俺でも王城に忍び込むなんて無茶だぞ!?

 しかも情報収集って大臣が悪事を働いてる証拠でも掴んでこいってのか?」


 潤貴は珍しく焦ったような表情を見せた。

 彼の得意分野は隠密行動や暗殺だが、一国の王城への潜入となると、リスクが桁違いだ。


「悪い、潤貴

 だが、今の状況でそれができる可能性があるのはお前しかいないんだ

 俺達はその大臣の場所や王家の内情について情報収集をする

 その間に、頼む」


 冬依は、普段の彼からは考えられないほど真剣な表情で、潤貴に向かって深く頭を下げた。


「……ちっ

 ウィンにそこまでされたら、断れねえじゃねえか」


 ぶっきらぼうな冬依が頭を下げる姿に、潤貴は毒気を抜かれたように溜息をつき頷いた。


「分かったよ、やってやる

 ただし、無理だと判断したらすぐに撤退するからな

 それと、成功報酬はきっちり貰うからな!」


「ああ、助かる

 報酬は俺が払う」


 冬依は顔を上げ、安堵の表情を浮かべた。


「よし、決まりね!

 じゃあ、さっさと異界に行きましょうか!」


 若菜が、リーダーらしくテキパキと仕切り始める。


「だけど、どうやってトンネルを越えるんだ?

 何も用がないのにトンネルを越える事はできないぞ?

 許可が下りないんじゃないか?」


 潤貴が、現実的な問題を指摘した。

 通常、ギルドハンターが異界へ渡航するには、正式な依頼を受けている必要がある。


「それなら、ひとまずギルドに行ってみましょ

 ひょっとしたら、ロゼ周辺での簡単な依頼が何か出てるかもしれないわ

 それを受ければ、堂々とトンネルを通れるでしょ」


 若菜が名案を思いついたように言った。


(こういう時のこの二人の発想力と行動力は本当に頼りになる)


 冬依は口には出さなかったが、二人の仲間に心の中で深く感謝した。


 3人はカフェを出て、スキャッターギルドの湾洋区支部へと向かった。

 ギルド支部はトンネルから少し離れた繁華街の一角、きらびやかなネオンサインが輝くビルの地下にあった。

 表向きは会員制の高級クラブのような外観を装っている。

 入り口には、黒服にサングラスという、いかにもな風貌のガタイの良い男が二人、門番のように立っており、通りかかる一般人を威圧していた。


 若菜が慣れた様子で男たちに自分のハンターライセンス(カード型の電子証明書)を提示すると、男たちは無言で頷き、重厚なドアを開けた。三人は薄暗い階段を下り、ギルドの内部へと足を踏み入れる。


 中は外観のイメージ通り、落ち着いた照明のバーカウンターと、テーブル席がいくつか配置された空間だった。

 しかしそこにいる客たちは、普通のバーの客とは明らかに雰囲気が違う。

 皆、どこか影があり、鋭い目つきをしている。


 傭兵崩れのような男、フードを目深にかぶった怪しげな女、明らかに人間ではない異種族の姿もちらほら見える。

 ここが、湾洋区の裏社会と異世界が交差する場所、スキャッターギルドだ。


 若菜は迷うことなくバーカウンターへと進み、カウンターの中にいた、妖艶な雰囲気を持つ女性バーテンダーに声をかけた。


「ねえ、リサさん

 アスティア地方、できればロゼ周辺で、今日中に受けられる簡単な依頼って何かある?」


 リサと呼ばれたバーテンダーは、無表情に頷くと、カウンターの下からノートPCを取り出し、キーボードを叩き始めた。

 カタカタというタイプ音だけが、店内に響く。しばらくして、彼女は顔を上げた。


「……1件だけ、ありますね

 C級案件ですが」


「内容は?」


「ロゼの北、迷いの森に住むという魔女から、特殊な薬草をいくつか受け取ってくる、というものです

 依頼主は、湾洋区の製薬会社ですね

 危険度は低いですが、迷いの森は文字通り迷いやすいので、方向感覚に自信がないと難しいかもしれません」


「オッケー!

 それ、私たちが受けるわ!」


 若菜が即座に答えた。

 リサは、少し訝しげな目で若菜を見た。


「あなたたち、B級パーティの『クリムゾン・エッジ』でしょう?

 C級の使い走りみたいな依頼を受けるなんて、珍しいですね」


「まあね。

 ちょっとロゼの方に個人的な買い物に行きたいんだけど、CFの目が厳しくて

 こういう時、立場はうまく使わないと損でしょ?」


 若菜は、悪びれもせずにウインクしてみせた。


「ああ、なるほど

 そういうことですか」


 リサは納得したように頷き、再びPCを操作して依頼の受諾処理を開始した。


 数分後、正式な依頼受注の電子データを受け取り、三人はギルド支部を後にした。

 時刻は、既に昼下がりを過ぎている。


「さて、それじゃあ、改めて出発しましょうか!

 目指すは異世界、アスティア地方よ!」


 若菜が、いつものように威勢よく号令をかける。


「おう!」


 潤貴と冬依の声が重なった。


 3人のハンターは、それぞれの思惑と、新たな任務を胸に、再びあの境界線――異世界へと繋がるトンネルへと向かって、歩き出した。

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