8 変身魔法

 それから一週間。


「うん。だいぶものに出来てきたね」

「お褒めに預かり光栄にゴザイマス」


 防音をかけたフィリベルトの私室で、アルニカはフィリベルトが用意した既成のドレスを身に纏い、高いヒールの靴を履いて、彼とくるくる回っていた。


「始めて一週間でこれだけものに出来るのは、凄いことなんだよ? アル」

「あっそう。俺、ダンスの才能があったんだなぁ。でもこれ、簡単なやつで、もっとめんどいヴェニーズとかいうやつがあるんだろ?」

「仮面舞踏会ではそこまでやらないから大丈夫さ」

「そっかぁ」


 気のない返事をしながらも、アルニカの体はきちんと動く。

 クローズドチェンジ、ナチュラルターン、リバースターン。ナチュラルスピンターン、ホイスク、シャッセ。バックホイスク、ウィーヴ、バックロック、クローズドインピタス。プログレッシブシャッセ、アウトサイドチェンジ、ターニングロック、レフトホイスク、コントラチェック。

 これらの個々の動作は完璧。

 ナチュラルウィーヴ、ヴェニーズクロスターン、スローアウェイオーバースウェイ。ウィング、オーバースウェイ、ダブルロンデ、スリップピボット、オープンテレマーク。オーバーターン、ホバー、プロムナードロック、ライトランジ、チェックドナチュラル。ランニングスピンターン、サイドロック、フォーラウェイリバース。テレマーク、テレスピン。スウェイチェンジ、ドラッグ、セイムフット、エレベーション、ディベロッペ。セイムフットランジ、ウィーブフロムセイムフット、ナチュラルフォーラウェイホイスク、などなど……。

 これらの動作は少し危うい。

 加えて、これらを組み合わせて、会場では人とぶつからないように動きながら、ワルツを踊りきらなければならない。

 今まで使ったことのない筋肉を使い、アルニカはここ一週間、ずっと筋肉痛だった。

 音を記録・再生する機器から流れてきた曲が終わり、フィリベルトとアルニカは離れ、互いに礼をする。


「──で、ネリ。見ていてどうだった?」


 扉前に控えていたコルネリウスは、フィリベルトの問いに真面目な顔つきで答える。


「最初は良かったのですが、次第にアルの顔から力が抜けてきて、それに合わせてステップも緩んでいきました。最後まで気を抜かないことが大切かと」

「ああ、スンマセン。体力は魔力で補助してんですがね、こう、だんだん面倒っちくなってきて」


 アルニカは頭をガリガリとかき、続ける。


「殿下に恋して一緒にダンスを踊れることに喜びを感じている女性、ていう設定が、うまく体に馴染まなくて。……ああ、でも、これ、俺がって考えてるから難しいんかな。別人になっちゃえばいいかな」

「どういうことだい?」

「こういうこと」


 首を傾げたフィリベルトにアルニカが答えるのと同時に、アルニカの周りに光の粒子が舞った。

 それはアルニカを包み込み、収束し、解ける。

 そこに立っていたのは。


「こんなモンかな」


 艷やかで腰まである長い茶色の髪と紫の瞳、豊満な胸と細いウエスト、女性にしては少し高い背丈、そして何より、誰もが目を惹くだろう美しい容貌を持った女性だった。


「どうだ? 今まで見てきたご令嬢やご婦人方を参考にしてみたんだけど。あ、ちょっとこの胸の大きさだと、ドレスがキツいな」


 あでやかな声で問うてみるが、返事がない。二人はアルニカを凝視し、微動だにしない。


「……殿下? ルター兄ちゃん?」

「……ああ、本当にアルなのか」


 フィリベルトが珍しく驚いたような声で言うものだから、


「そうだけど?」


 アルニカは眉をひそめる。


「それは、……所謂変身魔法というものなのかな?」

「え? うん、そう」


 それが何か? と言いたげなアルニカに、フィリベルトは苦笑し、コルネリウスはやっと再起動しだした。


「アル。変身魔法はね、もうそれが失われてから百年以上になるんだよ」

「へえ。……これが?」


 アルニカは、自分を指差す。


「そう、それが」


 頷くフィリベルトを見て、アルニカは腕を組み、


「なんでそんなにポンポン失われていってんだよ? 魔法」

「それを扱えるだけの人材が現れないからだよ。二百年ほど前から、魔法使い達が内包する魔力量も、使用する魔法の質も下がり続け、魔法の文化は衰退の一途を辿っている。むしろどうして君が扱えるのか知りたいね」

「これはじーちゃんに教わったんだけど」

「……ベンディゲイドブラン殿は、一体どういう人物なのかな」

「ただの魔法使いだよ。加えて、拾い子の俺をここまで育て上げてくれた素晴らしい人だからな」

「……君は、彼の血を受け継いでないのか」


 また、少しだけ驚きの声を上げたフィリベルトに、「そうだけど?」とアルニカは腰に手を当てる。


「血は繫がってなくとも、俺のじーちゃんであることに変わりないんだけど。何か?」

「いや、気分を害してしまって申し訳ない。……アル、魔法使いは基本、血筋で大体の能力値が決まるとされているんだ」

「血筋で」

「そう。だから私は、国の端にひっそりと暮らす魔法使いがいるという情報を得た時、その弟子も、家族か親戚なのだろうと思っていた」

「へえ」

「なのに、君は彼の養子だという。……君の出自が気になるね」


 興味深そうに緋色の目を細めたフィリベルトに、


「どうぞ? 調べるなら調べれば? 俺は自分がどこでどう生まれたかなんて気にしてねぇから。で」


 アルニカは一歩前に進み、フィリベルトの目と鼻の先に立ち。


「これで上手く踊れるかやってみようぜ。殿下もこの見た目のほうが気分が乗るだろ?」


 で、その結果。


「うん。背丈の差が小さくなったことで踊りやすいし、何より頬を染めて熱っぽく私を見てくることが出来ていた。一気に上達したね」

「どうも」

「ネリは見ていてどうだった?」

「先ほどよりしっかりと踊れていたと思います。あとは練習を重ねるのみかと」

「それは良かった」

「どうも」


 コルネリウスの言葉にフィリベルトは笑顔を見せ、アルニカは瓶ごと浄化した果実水を、これまた浄化したグラスに注ぎ、ゴクゴクと飲んでいた。


「アル」


 それを見ていたフィリベルトが、苦笑しながらアルニカを呼ぶ。


「なん?」

「本番では立ち居振る舞いを、ちゃんと貴族らしくするんだよ?」

「分かってるって」

「出来るのかい?」

「今やってみようか?」


 アルニカは瓶とグラスをテーブルに置くと、


「わたくし、フィリベルト様とご一緒できてとても光栄ですわ」


 その艷やかな声が室内を満たした。


「……ねぇ、フィリベルト様」


 アルニカはゆっくり、焦らすようにフィリベルトの側まで来ると、


「私のこと、想ってくださっているのですよね……?」


 フィリベルトの胸に手を当て、見上げ、吐息がかかるほど顔を寄せ、囁く。

 その顔は、何かをねだっているようで。それでいて、獲物を狙う捕食者のようで。


「……」


 その顔を静かに見つめ返したフィリベルトに、アルニカはふわりと微笑み、


「はい。殿下に惚れつつその皇族という身分と殿下の体を狙うご令嬢バージョンでした」


 パッと離れる。


「どう? 俺の演技」

「……うん。君は大女優になれるよ」

「そっか」


 笑顔で応えたフィリベルトに、アルニカは素っ気ない声を返した。



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