3 能無しの第一皇子

「へえ、これはまた随分、広いですね」


 家に入ったフィリベルトは、辺りを見回し、天井を見上げる。

 その室内は、家の外観の五倍はありそうな、広々とした空間だった。


「ただの空間圧縮の魔法じゃ」

「それはそれは。確かその魔法は、五十年ほど前に失われた筈では?」

「そうかの。それは残念なことだのぅ」

「ここ、まだ玄関ですので」


 アルニカがそう言うと、フィリベルトは笑顔を深め、


「へえ。この家は、一体どれくらいの広さを持ってるんだい?」

「さあ。じーちゃんが増改築を繰り返すので、あたしにも……じーちゃんにも、正確なところは分からないかと」

「それはまた。本当に魔法使いの家だね」


 楽しそうに言うフィリベルトに、ベンディゲイドブランは厳しい言葉を飛ばす。


「お主らは客ではないからの。話をすると言うならここで話すが良い」

「じーちゃん」

「ここは譲らんぞ」

「……先程から、お嬢さんの名を頑なに口にしませんが」


 フィリベルトは、ベンディゲイドブランに笑顔を向け、


「私が彼女の名を知ると、なにか不都合があるのでしょうか」

「お主は女誑しで有名だからの。警戒するのは当然のことじゃ」

「ああ、その話ですか。いや、こんな所にまで私の噂が届いているなんて、光栄なことですね」


 爽やかな笑顔を崩さないフィリベルトを見て、ベンディゲイドブランはより不機嫌になったようだった。


「早うせい。こちらも暇ではない」

「ええ、分かりました。ネリ」

「はい」


 ネリは胸ポケットから、銀色に輝く平たい楕円形のものを取り出す。


「……ふむ、防音の魔道具か」


 それを一瞥したベンディゲイドブランが静かに言うと、


「おや、知っておいででしたか。まだ市場には出回っていないのですが」

「ふん、そのような解りやすい機構のもの、見ただけで何か判別がつくわい。その上、完全な防音機能を持ち得ていないな。この子の魔法の方が遥かに性能が良い」


 ベンディゲイドブランは、アルニカの頭にぽん、と手を置く。


「……そうですか」


 それに目を細めたフィリベルトを見て、ベンディゲイドブランは得意げに、


「ほれ、見せてやりなさい」

「はい」


 言われたアルニカは、左の手のひらを上に向ける。するとそこに、青白い球体が現れ、一気に膨らみ──


「……?!」


 目を見張るフィリベルトとネリの目の前で、音もなく割れた。


「……。今のは、失敗かな? お嬢さん」

「いえ、成功です」


 フィリベルトの問いに、淡々と答えるアルニカ。


「今ので、玄関内に防音の膜が張られました。それとこの膜は、こちらの音は通しませんが、外からの音は通します。外で何かあれば、すぐに気付けると思いますので、ご心配なく」

「へえ? じゃあ、ネリ。それは用無しになったらしい。仕舞ってくれ」


 ネリが胸ポケットに防音の魔道具を仕舞い終えるのを見てから、


「それで、お話をしていただけるんですよね? 殿下」


 口を開いたアルニカの問いかけに、フィリベルトは笑顔を返す。


「ああ、話そう。君が言った通り、皇族には代々、成人すると専属の魔法使いが就くという伝統がある。その専属魔法使いというのは、常に、主人とした皇族に侍り、主人を守る役目を果たす。ここまではいいかな? お嬢さん」

「はい」

「では、この国の成人年齢と、私の今の年齢を知っているかな」

「どちらも十八でしょう? あなたは先月成人し、国内各地ではお祭りが開かれたと聞きました」

「うん、そこまで知ってるなら話が早い。私は伝統に則って、専属の魔法使いを見つけなければならないんだよ、お嬢さん」

「そんなもの、お主らが囲っておる魔法使い集団から選べば良かろう」


 ベンディゲイドブランが吐き捨てるように言うと、


「それが無理なんですよ、私の場合」


 フィリベルトは苦笑を返し、


「先程、私を女誑しと仰いましたが、私の他の呼び名はご存知で?」

「遊び人、放蕩息子、公務も満足に行えない能無しの第一皇子、だったかの」


 つらつらと並べられるその蔑称に、


「その通りです。よくご存知で」


 フィリベルトは恥じるでもなく、一つ頷く。


「で、そんな頼りない皇子ですから、私には信用がない。皇室が囲っている魔法使いの方達は、私には見向きもしない訳です」

「で、遠路遥々ここまで探しにやって来た、と?」

「正確には、探しにやって来たフリをして、見つけられなかったという事実を作りたいんじゃないかな、じーちゃん」

「何?」


 ベンディゲイドブランとフィリベルトが目を向けると、アルニカは再び口を開く。


「殿下が噂通りの人物なのかは知りませんが、頭の回らない能無しではないということは、この短い時間でも理解が及びます。で、そんな殿下が、お忍びのていで、突然やって来た。しかもその理由が、じーちゃんを専属にしたい、じゃなく、じーちゃんの弟子を専属にしたい、だった。殿下のことですから、じーちゃんが弟子を大事にしていることは調べがついているんでしょう。じーちゃんの性格についても。だから、最初から叶わない望みを口にした。そして、手ぶらで帰れば──」

「こやつの評価はまた落ちる、という訳かの」

「そう。で、殿下のそもそもの狙いがそれ、だと、あたしは見当を付けているんですけど。合ってますか? 殿下」

「……」


 フィリベルトは、アルニカと、ベンディゲイドブランとを見比べて。


「……いや、私もまだまだなようだ」


 肩を竦めた。


「どうしてそこまで分かったのかな、お嬢さん?」

「ですから、殿下の口調、表情、仕草、態度、諸々を総合して見当を付けました。あぁ、それと」

「それと?」


 アルニカは、ネリへと目を向ける。


「本当に頼りない能無しだったら、部下にこれほど信頼されていないでしょうから」


 その言葉に、ネリが榛色の目を見開くのと。


「へえ?」


 と、フィリベルトが興味深そうな声を出すのは同時だった。


「で、話は終わりかの」


 ベンディゲイドブランはつまらなそうな、


「終わったなら、そろそろお帰り願いたいのだかの」


 加えて乾いた声で言った。


「そうですね。話も一区切りつきましたし──」

「まだ終わってないよ。じーちゃん」


 フィリベルトの言葉を、アルニカが遮った。


「そもそも、調べはついてるんですよね、殿下。あたしがじーちゃんの弟子だと」


 アルニカは胸に手を当て、フィリベルトを正面から見上げ、


「あたしを、専属魔法使いとして雇ってくれませんか?」



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