魔法使いに育てられた少女、男装して第一皇子専属魔法使いとなる。

山法師

1 来訪者

 それは、突然やって来た。

 日の光が強くなり、木々の緑が濃くなって、虫や動物達がより活発に動き出す、夏の初め。

 その午後。

 運命は動き出した。


 ◆


 ここに、一軒の家がある。

 それは、ウェスカンタナ大陸にある国々のうちの一つ、大陸では大国の一つとして名を知られるグロサルト皇国の、東の国境の端に連なる山々の中腹にある、小さな家。


「……」


 赤い屋根のその家の前に、うなじあたりで束ねた腰まである真紅の髪と、鮮やかな緑の虹彩を持つ少女がいた。くすんだ赤茶のワンピースとブーツという出で立ちの少女は、

 ザッ、ザッ、ザッ。

 箒で、玄関前を掃除しているらしい。箒が地面を撫でるたびにする、ザッ、ザッ、という音に合わせて、風で玄関に溜まった葉や、枝や、土の汚れなどが見る間に集まっていき、その家に相応な広さの玄関前が綺麗になってゆく。


「……ふぅ……ぅうーん! ……、……?」


 掃除が一段落し、伸びをした少女の耳が、遠くから聞こえる、ガラゴロという車輪の回る音を捉えた。


(……荷車? この前村に降りたばかりなのに……)


 少女はそれに耳をすませ、車輪の音とともに聞こえる耳慣れない蹄の音に気付き、自分の予想が間違いであると知る。そして、眉をひそめた。


(……ロバ...…いや、馬を複数頭連れてる。……馬車、だ。……しかも)


 少女──アルニカは、急いで残りの掃除を済ませ、道具を仕舞うと、家に入り、


「じーちゃん! 誰か来た!」


 と、大声で、奥に向かってそう言った。


「……誰か来た、じゃと?」


 奥からぬっと現れたのは、背の高い老人。色が抜け真っ白になった、けれど豊かな髪と長い髭を沢山のリボンで留め、ゆったりとした紺の服を着ている、その老人は顔をしかめ、


「このような場所に、誰が、何用じゃ?」


 と、髭をなでながら言った。


「分かんない。けど、村の人たちじゃないよ。馬を複数連れてる。多分来てるのは馬車だ。……それも、魔力を纏ってる馬車。……じーちゃん、どうする?」


 アルニカは、その猫を思わせる緑の瞳を細め、『じーちゃん』へと問いかける。


「ふむ、馬車、か。一応出迎えようかの。気に食わない者達だったら門前払いじゃ」

「分かった」


 アルニカはこくりと頷くと、また玄関の扉を開け、外に出る。アルニカに続いて外へと出た老人は、


「……ほう?」


 興味深そうな声を上げた。

 それを見上げ、首を傾げたアルニカは、


「!」


 老人が出した声の意味に、すぐ気付く。


「ほれ、アルニカ。気付いたろう。それはなんの形をしておる?」

「形……」


 アルニカは神経を研ぎ澄ませ、こちらに近付いてくる馬車の魔力を捉える。


(……馬車の複数箇所から、垂れ流すみたいに魔力が放出されてる、のは分かる。位置からして、家門を示す紋章が刻まれてる位置……。なら、これは、紋章を象った──……?!)


 そこまで読み取り、その紋章の詳細な形を認識したところで、アルニカはパチパチと目を瞬かせた。そして、右隣の老人を仰ぎ見る。


「……じーちゃん」

「うむ」

「真ん中に冠、左にユニコーン、右に獅子。そんで周りを囲む蔓薔薇の紋章って、あたしの覚え間違いじゃなけれれば、この国の皇族の紋章だった気がするんだけど」

「うむ。その通りじゃな。さて、その馬車、皇族が乗っておるのか、皇族もどきが乗っておるのか。確かめねばならんのう」


 老人が髭をなでながら言っていると、車輪と蹄の音が近くなってゆき、やがて、その馬車が見えてきた。

 地味な色合いで、一見しただけでは簡素な作りに見える、二頭立ての馬車だった。そしてその後ろにもう一台、同じ作りのものが連なっている。


「……」


 不釣り合いだ、とアルニカは思った。

 この、鬱蒼と茂る森の、半分獣道と化した道を征くには、あの馬車はとても不釣り合いだ。

 色合いは辻馬車に近くとも、どれだけ簡素に見せようとも、その頑丈で精巧な造りと、わざわざ魔力だけで刻まれた皇族の紋章のおかげで、格の高さがありありと分かってしまう。

 まあ、それが分かるのも、『じーちゃん』の教えのおかげだが。

 二台の馬車は道を抜けると、家の周りの、幾分か開けたその場所に停まる。そして、前の馬車の御者台から一人、御者ではなくその隣に座っていた、肩を越す黒髪を左耳の下で纏め垂らしている青年が降りてきて、その馬車の扉の下に台を置き、扉を叩き、開けた。


「やあ、着いたのかな」


 爽やかな声とともに馬車から降りてきたのは、肩までの薄い金髪と赤い虹彩を持った、美しい顔立ちの青年。その服の形や色合いは小金持ちの家の人間を想起させたが、服や靴に使われている素材は一級品だと、アルニカはひと目見て気付いた。


(……薄い金髪、赤い瞳。……あたしより、少し年上)


 アルニカは、彼の色味と外見の年齢と、皇族の紋章という情報から、ある人物を思い浮かべる。


「やあ、はじめまして。こんにちは。突然の来訪になってしまい、申し訳ない。こちらは、かの魔法使い、ベンディゲイドブラン殿の邸宅で間違いありませんか?」


 馬車から降りた青年は、にこやかな笑顔でこちらに歩いてきて、そう問いかける。


「だとしたら、何じゃ?」

「では、あなたがベンディゲイドブラン殿でしょうか?」

「ふむ、名を聞く前にまず名乗れ、と教わらんかったかな」

(……じーちゃん……)


 伝統として、名を名乗る際には身分の低いものから。アルニカは隣に立つ老人からそう教わった。

 なのに、その老人は、この青年──しかもアルニカの予想が当たっていれば飛び抜けて身分の高い青年──に名を聞いている。しかも、皮肉を込めて。


「これは失敬。私はこの、グロサルト皇国の第一皇子、フィリベルト・グロサルトと申します」

(やっぱり)


 フィリベルトの簡潔な自己紹介に、自分の予想が当たっていたと、アルニカは思う。


「あなた方のお名前を、お伺いしても?」

「ふむ。フィリベルト殿、そなたの言う通り、儂の名はベンディゲイドブランだ」

「あたしは──」

「答えんでいい」


 ベンディゲイドブランに止められ、アルニカは口を閉じる。


「で、このような辺境の山の中に、皇族の、しかも第一皇子が何用かの?」

「ええ、とても大事な用がありまして」


 フィリベルトはにっこりと笑みを顔に貼り付けたまま、


「あなたにはお弟子さんがいると聞きました。そのお弟子さんに、私の専属魔法使いになっていただきたく」


 そう答えた。



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