十二話

 病院で怪我を治療したり、入院したりするのに、お金を払わなきゃいけないことを僕は知らなかった。てっきりタダでやってくれてたと思ってたのに、シルヴィナからそうじゃないって教わって、予定より早めに退院するのも仕方ないと納得できた。お医者様は最低でも一ヶ月間は具合を見たいと言ったけど、シルヴィナは三週間が経つ前に退院することを決めた。理由はお金だ。入院する日が増えれば増えるほど、当然お金を多く払わなきゃいけなくなる。お屋敷でせっかく貯めたお金をここで使い果たすわけにはいかないから、お医者様に引き止められても行くしかなかった。シルヴィナの身体も動けるようになって、アザも大分消えて、怪我の痛みも引いて、元気を取り戻しつつある様子から、お医者様は渋々退院を許可してくれた。こうして僕達は再び港を目指す道に戻った。


 節約のために退院したんだから、もちろんお金はあんまり使いたくないわけで、街を通っても僕達は野宿をした。季節はもう冬になる。植物は枯れて落ちた木の葉は地面を覆う。日に日に寒くなってたけど、燃やせるものはそこらじゅうにあるから、暖を取るのには苦労しなかった。それでも雪が降る日なんかは、さすがに野宿はできなかった。二人とも凍死は避けたいと、そういう日だけは宿屋に泊まった。


「……また、働かないと駄目かもね」


 宿屋に泊まったある夜、シルヴィナがそう言った。元気になりつつあると言っても、怪我のせいか、シルヴィナの足は前より遅くなってた。一日で歩けた距離も、今は一日半や二日かかったりする。その分、食べ物を買ったり宿屋に泊まる回数も増えるから、それでお金も使うことになる。でもまあ、働いて稼げば済むことだ。すでに経験してるから、僕は大して不安には思わなかった。


「じゃあ、仕事探しに行って来るわね」


 シルヴィナが出かけてる間、僕は街の外れで見つけたぼろい家で待った。宿屋に泊まり続けることができないから、どこか休める場所はないかと探して見つけた家だ。小さな家で、壁や床は腐って穴が開いてる。でも屋根は無事だから雨や雪で濡れることはないだろう。一つしかない部屋は空っぽで人が住んでる様子はなかったから、多分入って休んでも怒られないと思ってここを選んだ。とりあえず僕は床に溜まってた埃や枯れ葉を掃いて綺麗に掃除した。これで寝転がって寝られるだろう。でも穴から入り込んでくる冷たい風で風邪ひきそうだな。次はこれをどうにかしないとな。


 数時間後、帰って来たシルヴィナは仕事を見つけたと笑った。雑貨屋の手伝いをするらしい。治療と入院費の分を稼ぐだけだから、前ほど長く働くことはないし、何も心配することはないはずだった。でも仕事から帰って来たシルヴィナの顔は、暗く沈んでた。


「思い通りに、上手くいかないものね……」


 そう言って僕には笑って見せるけど、それはすぐに消える。聞けば仕事で失敗したらしく、店主に叱られたという。いきなり完璧にはできないんだから、そんなのしょうがないと思ったけど、どうやら普通の失敗じゃないらしい。


「片目で物を見る感覚に、まだ慣れなくて……」


 それを聞いて僕は、シルヴィナが店で買い物してる時に、店員から商品を受け取り損ねた場面を思い出した。その一回だけじゃない。退院してからここまで、物や相手との距離を間違えてぶつかったり、すれ違ったりするようなことが何度かあった。片目だとそういう距離感が狂うようだ。だからシルヴィナはしっかり距離を測ろうと、慎重にゆっくり仕事をしてたらしいけど、今度は遅いと叱られてしまう。それじゃ落ち込むのもわかる。失敗しないように頑張ってるだけなのに。


「どうにかクビにだけはされないようにしないとね」


 笑いながらシルヴィナは、買ってきたパンをちぎって食べる。青アザも傷も、ほとんど治って目立たなくなったのに、眼帯とかいうのを付けた左目だけは今もずっと痛々しく見える。シルヴィナは痛みはもうないって言うけど、見てる僕にはまだある。あの、ごろつき達に殴られて、血で汚れた姿と一緒に……。


「僕も、働くよ」


「え? 大丈夫よ。慣れればどうにかなるから」


「だけど、まだ慣れてないんだろ? クビになっちゃったら――」


「心配なんてしなくていいの。本当に大丈夫だから。それより、あなたのほうこそ平気? 節約で大したもの食べられてないけど、お腹が空いてるならちゃんと言ってね。私のあげるから」


「僕はこれで腹いっぱいだから、平気」


 残ってたパンを僕は口に放り込んだ。


「……そう言えば最近、本屋を見かけてもおねだりしてこなくなったわね。もしかして気を遣ってる?」


「ち、違うよ。読み終わった本を読み返してる最中だから、今は別にってだけで……」


「読み書きの勉強はしてるのね。新しいものが欲しかったら遠慮なく言うのよ」


「うん……」


 僕はこれまでいろいろ学んだ。本一冊でパンが五個くらい、高ければ十個以上買える値段もするって。持ってる本はもう何度読み返したかわかんない。正直新しい本が読みたかったけど、シルヴィナが頑張ってるのに僕がわがままを言うわけにはいかない。港で船に乗るまではお金を使わないようにしないと。


 シルヴィナは仕事、僕は留守番という日が続いた。暗い顔をして帰って来ると、また失敗したんだとすぐにわかった。でもそれもだんだん減ってきて、片目の感覚に慣れてきたシルヴィナは、どうにかクビにされずに済んでた。


 その間の僕はボロボロの家を直してた。と言っても大工さんみたいにはできないから、街で拾ってきた木材とか布で、穴や腐った箇所を塞ぐだけだけど。でもそれだけでも風が入り込むのは防げた。おかげで夜に寒くて目が覚めることはなくなった。他にも、机と椅子代わりの木箱とか、短くなったろうそくとか、何にもなかった部屋に物を揃えてみた。街中をぶらぶら歩いてると、本当に何でも見つかるから助かる。ゴミならどこでも見つかるから選び放題だ。シルヴィナも快適になったって喜んでくれた。その言葉だけで僕は協力できてるってことを感じられて、もっと良くしようという気持ちになれた。


 だけど、そんな日が続くことに、僕はふと疑問を感じた。何でシルヴィナのために頑張ってるんだろう。僕はこの女に親を殺されてるのに。恨んで、憎い敵のはずなのに……。いつからか、僕の中のシルヴィナを殺すっていう意識が薄れ始めてた。気付かないふりをしてたけど、もう明らかにわかってた。でもそれを感じたくない自分もいるから、ずっと無視してたんだ。だけどもう無理だ。自分で自分の気持ちがよくわかんなくなってきて、無視できなくなってた。


「……ねえ」


 朝から雨がザーザー降る日、僕は思い切ってシルヴィナに話しかけた。今日は雑貨屋が定休日とかで、仕事が休みのシルヴィナは家にいた。


「うん? 何?」


 木箱の椅子に座って荷物の整理をしてたシルヴィナは、手を動かしながら返事をする。


「僕のこと、ちゃんと教えてよ」


「……え?」


「どこから誘拐されたのか、何でお前が来たのか……よく、知らないから……」


 手を止めてこっちを見たシルヴィナは、不思議そうな目を向けてきた。


「べ、別に、お前の話を全部信じたわけじゃないけど、ちゃんと聞いたことないなって思ったから、ちょうど今、暇だし、聞いてみるかって思っただけで……」


「そんな言い訳しなくたって、いつでも教えてあげるわよ」


 シルヴィナはにっこり笑うと、僕と向き合うように座り直した。


「どんなことを知りたいの?」


「僕が、誘拐された子だって……本当の親が、いるって……」


 恐る恐る聞いた僕に、シルヴィナは静かな声で答えた。


「あなたはどうしても信じられないでしょうけど、それは本当のことなの」


「じゃあ、どこから誘拐されたっていうんだよ」


「ここから遠く離れた場所……自然に囲まれた小さな村があってね。グロンドっていうの」


「そこに僕は、いたのか?」


「ええ。あなたはそこで生まれて、大事に育てられるはずだった。でも一歳の時、深夜、寝てたあなたは誘拐されて……」


 そこまで言ってシルヴィナは気まずそうに視線を外した。


「……その誘拐犯が、僕の母ちゃんと父ちゃんってわけ?」


「そうよ。あの二人が、犯人なの」


「誘拐したのを誰か見たのか? 深夜だったら真っ暗で見えないと思うけど」


「その瞬間は誰も見てないわ」


「それじゃ犯人かどうか――」


「見てなくても住人は皆わかったのよ。翌朝、二人だけが村から姿を消してたから」


「だけど、いなくなっただけじゃまだ――」


「他にも理由はあるわ。あの夫婦はまだ若くて、金銭的に苦労してる様子だった。だから他の住人は不憫に思って野菜や作った料理を時々持って行ったりしてたの。同じ村に住む人間として、できるのはそれぐらいだったから。なのに、あの二人は、恩を仇で返すような真似をした」


 シルヴィナは不愉快な顔で自分の足下を見つめた。


「だから、お金目当てで誘拐……?」


「ええ。間違いない。……あなたがエルデバ病にかかってることは、基本的には家族と出産に立ち会った人間にしか知られない。けどグロンドは本当に小さな村だから、隠してたつもりでも、些細なことから知られるなんてよくあったわ。そして一旦知られれば、全住人の知るところになるの。現にあなたのエルデバ病も、生まれてから一週間後にはご近所に知られてたぐらいだし、あの二人もおそらく、それを耳にして誘拐を思い立ったんでしょうね」


 僕は昔の母ちゃんと父ちゃんを知らない。あの山の家にいる時の生活ぶりしか知らないんだ。僕はあれが普通の生活だと思ってたけど、今思えばそんなに余裕のある暮らしじゃなかった。僕の服は全部手作りで、二人の服も継ぎはぎだらけだったし、捨てるような痛んだ野菜も、まだ食べられるかもってずっと取っておいた。自覚はなかったけど、多分、あの生活は貧乏だったんだろう。それが誘拐の理由……シルヴィナはそう思ってるんだ。


「お前は、前に確か、頼まれて助けに来たって言ってたけど……」


「私もグロンドの住人でね……あなたの本当の両親に、頼まれたのよ。ジュリオを助けてほしいって」


「友達だったのか?」


「まあ、そうね。歳が同じだったし、よくおしゃべりする仲だった」


「何で自分で助けようとしないで、お前に頼んだんだ?」


「それは……彼女、あなたがいなくなってすごく衝撃を受けて、体調を悪くしてたの。だから動ける私に頼んできたんだと思う」


「夫婦なら旦那さんがいるはずだ」


「旦那さんは、弱った奥さんを独りにするわけにはいかないでしょ? 助けに行きたくても行けなかったのよ」


「それで友達のお前に頼んだのか……」


「そういうこと。昔から体力には自信あったし、私なら見つけられると思ってね。で、その通りあなたを見つけた。でもここまで事故に遭うとは思ってなかったけど」


 うつむいたシルヴィナは、フッと鼻で笑った。事故……それは僕のためでもあり、頼んできた友達のためでもあって、本当ならシルヴィナがこんなに傷付く理由はなかったんだ。だけど僕のことを頑張って守ってくれた。痛い思いをしても、最後まで……。


「……村の両親に、会ってみたい?」


 じっと見つめてくるシルヴィナが聞いてきた。一瞬、どう答えるべきかわかんなかったけど、でもすぐに僕は言った。


「親は、お前に殺されたんだ。だから、もうどこにもいない。会う理由なんか、ない……」


「そう、よね……ごめん。嫌なこと聞いちゃって」


「別に……」


 何だか気まずくなって、僕はシルヴィナに背を向けた。それ以上シルヴィナも話しかけてくることはなかった。ザーザー鳴る雨音だけが部屋に聞こえ続ける――僕は自分で言った答えが嘘だとわかってた。これまで親は母ちゃんと父ちゃんだと思ってたから、その態度を変えたって見られたくなくてああ言うしかなかった。だからこれは正直な気持ちじゃない。


 シルヴィナに連れ出されて、僕は初めて家の外の世界を知った。たくさんの人がいる街、お金っていうもの、そのために悪いことをするやつ、そして、僕がかかってる病気のことも。それを知ってから時々、考えるようになってた。シルヴィナが言ってた通り、僕は本当に誘拐されてきたんじゃないかって。その考えが強くなったのは、僕の病気を知ったやつらに狙われたからだ。特に親切なふりをして僕を閉じ込めたおじさんは、思い返すと父ちゃんや母ちゃんに似てなくもない。僕の世話はしてくれるけど、勝手なことをするとすごく怒って叱ってくる。たとえば家から出たり、大きな声で騒いじゃったりした時だ。でも言われた通りにしてれば優しくしてくれる。あのおじさんは僕をなつかせようと思ってそうしてたんだろう。結局そうはならなかったけど。


 そう考えると、母ちゃんと父ちゃんは僕を上手くなつかせてた。他に頼れる人がいなかったせいもあるけど、たまに遊んでくれたり、おもちゃをくれたり、二人ともちゃんと親になってた。だけど僕には何も教えてくれなかった。大きくなって必要なこと……文字の読み書き、街の暮らし、お金の使い方、社会の仕組み。唯一教えられたのは畑の世話の仕方だった。シルヴィナは言ってた。二人はあなたを所有物と思ってるって。その時は何言ってんだって言い返したけど、あれはその通りだったのかもしれないって今は思う。僕をただ側に置いておきたかっただけじゃないのかって。身体が金に変わって死んじゃうその日まで……。


 そうは思ってるけど、だからってシルヴィナの全部を信用してるわけじゃない。同じように優しくして、僕をなつかせようとしてるのかもしれないし、言ってることは嘘だらけかもしれない。だけど、僕はそれでもって思う。母ちゃんと父ちゃんが教えてくれなかったことを、シルヴィナはちゃんと教えてくれた。僕を縛り付けずに自由に出歩かせてくれて、話も聞いてくれる。何より、危ない目に遭っても、僕を見捨てずに必ず助けてくれた。ただお金が欲しいだけで、殺されるかもしれない相手に立ち向かえるものだろうか。シルヴィナは今までの悪いやつらとは何か違う気がする。僕がそう思いたいだけなのかもしれないけど、でも、シルヴィナからは気持ちみたいなものが感じられる。僕に対する真面目で真っすぐな気持ち……これが勘違いであってほしくない。嘘だったって裏切られたくない。確かめる方法がないから、僕は半信半疑でシルヴィナを見るしかないんだ。本当の両親はいるかもしれないし、いないかもしれない。だけどもしいるとすれば、僕は会ってみたい……これが、正直な答えだ。

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