第22話母の愛情
「──ロレッタ! 待ちなさい!」
バルトルはわたしの手首を掴む力をさらに強める。
広間を出て、屋敷の玄関に向かうわたしたちを母が追ってきていた。
「ロレッタ。わたしの……愛しい娘。どうか、わたくしの話を聞いて!」
「……っ、バルトル」
「ロレッタ、聞かなくていい。足を止めないで」
バルトルの歩みの速さに、わたしは小走りでついていく。
「ねえ、ロレッタ! 今日まで、辛く当たってきてごめんなさい。でも、今日という素晴らしい日を迎えるには、必要なことだったの! 見た? あの男の無様な姿、あなたを不貞の子と思い込んで、本当の不貞の子を自分の娘と可愛がってきて……裏切られたあの姿!」
母の声は悲痛で、そして絡みついてくるように甘やかで、愉しげでもあった。
「ロレッタ、お願い。立ち止まって、お母さまとお話をしましょう。あなたはアーバン家の血と魔力を持った最後の一人! あなたがアーバン家の当主となるの。そして、これからはお母さまと一緒に楽しく過ごしましょう? わたくし、本当はあなたとやりたかったことがたくさんあるの! あなたに似合う流行りのお洋服を着せてあげたり、あなたの誕生日パーティを盛大に祝ったり……」
まるで、わたしを『愛している』のだとばかりに喚かれる母の言葉に困惑する。
どうして、という気持ちしか湧いてこなかった。
どうして、それなら、今までそれをしてくれなかったの? どうして、今それを言うの?
どうして──それをわたしに受け入れられるのだと信じている?
今までずっと諦めてきた母の愛を突然浴びせられたわたしの背はゾッとするほど冷え切っていた。
バルトルは力強くわたしを引っ張っていく。わたしの手を握るその力強さが、母の言葉に抉られてじくじくする胸の痛みを誤魔化してくれた。
母の叫びを掻き消さんとばかりに、硬いフロアーの床を足音立ててバルトルは歩いて行った。
やがて、玄関にまで辿り着く。
「ロレッタ。先に行っていてくれ。玄関を出たら、すぐに御者に声をかけるんだ」
「バルトル、でも……」
「……君は、この人の言葉をもう聞く必要はない。さあ、行って」
「ロレッタ!!!」
耳をつん裂く甲高い悲鳴。
重たい玄関の扉をバルトルが開き、そして少し乱暴にわたしの手を引き、扉の外へと背中を押した。
「ねえ! わたくしはあなたに貴族令嬢として必要なことを教えてきたわ。マナーや礼節、他の貴族たちの情報、魔力の糸の紡ぎ方だって! あなたを愛していたから! あなたがいつかこの家の当主となる日がきたら、あなたがけして苦労することがないように!!! ロレッタ──」
「……ッ!」
重い扉はゆっくりと閉まっていき、母の叫びは最後まで聞き取れなかった。
◆
「そこを退きなさい、バルトル・ガーディア」
「……彼女は僕の妻です。妻を傷つける人間をそばに行かせられません」
「何を言うの、わたくしはあの子の母です。あの子がこうして大きく……美しく成長するまで見守ってきました。あの子はアーバン家を継ぐの。あなたは我が家の婿になるのよ。さっ、そこをお退きなさい」
「いいえ、僕はこの家の婿にはならないし、ロレッタもアーバン家は継がない」
「……フン、そう。残念だわ、魔道具士と結婚するのが一番あの子を活かせると踏んでいたのですけど。子もできていないようだし、ちょうどいいわ。あなたとは離縁させます」
「正当な理由なく離縁はできない。あなたもこの国の人間なら国の法律はご存じでしょう。僕も、妻も、離縁など望みません」
バルトルの言葉を夫人は鼻で笑う。
「ハッ、結婚して一年以上も経って、子の一人もできていやしないくせに。どうせろくに床を共にはしていないのでしょう。婚姻後しばらくずっと子ができない夫婦は国から離婚の承認を得やすいのよ」
「そうですか」
「成り上がりの魔道具士、あなたもあのクラフト家の次男のように、あの子の作る魔力の糸だけが目当てなのでしょう?」
つくづく、目のないご婦人だ。バルトルはまともに取りあう気もなかったが、呆れ果ててため息が出てきた。
ろくに床を共にしていないどころか、バルトルとロレッタは未だ清い関係だった。だが、夫婦関係が悪いわけではない。バルトルはロレッタを愛しているし、ロレッタも自分を愛してくれていた。どんな理由があろうと彼女は自分のそばに居続けてくれるはずだという自信がバルトルにはあった。
貴族という人間たちはどうしてこうも『子ども』というものに歪んだ執着をするのだろうと、物心ついたころには父も母もいなかったバルトルには不思議で仕方ない。
まるで、子を物やトロフィーのように扱う彼らがバルトルは嫌いだ。
「わたくしは……確かに厳しかったかもしれない。けれど、それは全部あの子のためだったのよ。あの子がこの家の当主となってもやっていけるように……。そして、あの愚かな父を叩きのめすには、これしか」
夫人はまるで己がいかに哀れなのかとでも言いたげにかぶりを振った。
「──ルネッタ嬢もあなたの娘でしょう。彼女はどうでもよかったんですか?」
「あの子のことももちろんわたくしの娘とは思っているわ。でも、ルネッタも愚かな子。身の程を知らずに驕りたかぶり……最初から身の丈にあった相手を選んでいれば、あそこまで無様を晒さずに済んだのに。ロレッタが家を継いだら、そうね、一生独り身だったとしても、この邸で不自由のない暮らしをさせてあげようと思っているわ」
「……」
ロレッタの妹ルネッタも褒められた人格ではなかったが、彼女がああやって歪んだのはこの両親の影響だろう。バルトルは彼女には同情する気持ちがわずかにあった。
この夫人がかつて夫に信じてもらえなかったことがショックで深い傷を負ったのだろうことは想像ついた。だからといって、その腹いせにしたことを許してはならない。
彼女の語る娘への愛情をまともに聞くべきではない。
バルトルは眉間に皺を寄せ、鋭い剣幕で言い放つ。
「あなたの言葉で、ロレッタに伝えるべき言葉など一つもない。ロレッタにはあなたからの愛情を受け取る必要も、義務もない」
夫人は一瞬目を見開き、そして堰を切ったように大声で言い返す。
「何を言っているの? ロレッタはずっと寂しい顔をしていたわ。ようやくわたくしは胸を張ってまっすぐにあの子を愛せるのよ! あの子はずっと、愛情を欲しがっていた! それなのに……」
「あなたのそれが『愛情』ではないとは言わない。けれど、それはロレッタが求めている『愛情』じゃない。あなたがすべきことは、不貞を疑われた時にただただ自分の娘を守り続けることだった。それをしなかったあなたからの愛情をロレッタが欲しがることはない」
「なにを……ッ」
「今後、ロレッタがあなたに会うことは一生ない。彼女は不貞の子と呼ばれていたロレッタ・アーバンじゃない。僕の大切な妻、ロレッタ・ガーディアだ」
「……ッ、このっ、成り上がりの平民が! わたくしの子を……返してっ! あの子は、わたしの……ッ!」
バルトルの視界がぐわりと揺れた。
火だ。
夫人が天高く腕を掲げていた。その手の先には大きな火球が踊っていた。フーフーと息を荒げながら赤髪を乱して、彼女はバルトルを睨む。
ああ、彼女は妄執の中だけで生きてきたのだなとバルトルは碧眼を細めた。
「……残念だ、本当に」
──他者に対して害意を持って魔力を発現させることは法律で厳しく禁じられている。
彼女が腕を大きく振って、火球を投げつけてきた、それと同時にバルトルは一歩前に踏み込んでいた。
「グッ……!?」
バルトルは彼女の腹に掌底を放つ。強い力ではない。代わりに、ほんの少しだけ電流を纏わせて。
彼女はすぐにグラリと倒れ込んだ。
対人への魔力の使用は禁じられているが、バルトルのこれは正当防衛だ。
「……うーん、レックス・クラフトがいればな……」
アーバン家の玄関が燃えている。アーバン家の親戚連中に水の魔力を持った人物はいただろうか。レックスがまだ残っていれば彼の力で消してもらえたのだが、先に出て行った彼の後を追って探すよりも、広間の親戚一同の彼らに声をかけて協力して水を運び、消す方が確実そうだ。
幸いまだボヤ程度だ。何度か桶いっぱいの水をかければ消火できるだろう。バルトルは走って、広間に向かった。
アーバン家の屋敷が大炎上すること自体はバルトルは構わなかったが、さすがにそこまでの火の勢いになったらアーバン夫人とのいざこざがロレッタにもバレてしまう。それは避けたかった。ボヤのうちに消しておきたい。何事もなかったように。
(もう、彼女がこの家と、この人たちのことで思い悩むことがありませんように)
バルトルはそう願ってやまなかった。
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