第20話アーバン家、魔力継承の儀
アーバン家の大広間には、親戚一同が会していた。
『魔力継承の儀』には家系の一族が集うのが通例だ。……居心地が悪い。
「……ああ、あの髪……」
「あの子が例の娘よね。……よくもまあ、来れたものよね」
「……」
隅っこの方にいようと思っていたのに、お母様が「あなたはこの家の娘なのだから」と言って無理やりわたしを儀式を行う父とルネッタの目の前に引きずっていったのだった。
父の家系の一族はほとんどがブロンドの髪だ。黒い髪のわたしは目立つ。かつて短く切り、帽子をかぶっていたわたしの髪はもう肩よりも長くなっていた。みな、わたしの伸びた髪を必ず一瞥していた。
母の隣に並び立つと、より一層周囲からの囁きは増していく。
「……不貞の母娘が……」
「成り上がりに嫁いで、まあお似合いだな」
「……ロレッタ」
「大丈夫です、ありがとう。バルトル」
周りには聞こえないような声でわたしたちはそっとやりとりする。
……曲がりなりにも、わたしは今日ここに来るのだと、決めたのだ。
家族に虐げられてきたことにより、わたしの心の中に打ち付けられた彼らの楔を、今断ち切るのだと。
彼らと会うのは今日が最後なのだと。
(……ありがとう、バルトル)
隣にバルトルがいてくれているおかげでわたしは今ここにまっすぐ立っていられる。
「……」
すぐ近くに、見慣れない薄い水色の長髪を結んだ男性がいた。見るからにアーバン家の親戚すじではない。
彼がルネッタの儀式が終わった後、一族にお披露目されるという婚約者なのだろう。
レックス・クラフト。侯爵家の次男で水の魔力を持つ男。レックス様ご自身は水の魔力が発現しているけれど、クラフトの家系としては電気の魔力を持ったものを多く輩出していたはずだ。アーバン家にとって血統的にいっても悪くない。貴族としての家柄でいえば、とんでもない良縁だ。クラフト侯爵家は肥沃な土地と財を持っている。
レックス様はわたしを横目で見やって、すぐに目を逸らされた。
……わたしの一族ではない彼からも感じてしまった侮蔑の気配。
両親はわたしを公の場にけして晒さないようにしてきた。病弱な娘と偽ってまで。それでも、どこからか噂は漏れ出て、貴族の間では公然の秘密となっていたのだろう。
広間の中央に魔法陣が書かれた布が敷かれる。その上に立つのは美しく着飾ったルネッタ。薄い布地を幾重にも重ねたドレスを身にまとう彼女は妖精のように美しい。母の結婚式の時の写真の姿によく似ている。ふわふわの長いブロンドヘアーは父譲りだけど、ルネッタの顔は母の生き写しだ。
「では、これより魔力継承の儀を執り行う!」
当主の父が合図をする。
父の魔力をルネッタに譲り渡すのだ。これにより当主の魔力は代が変わっても引き継がれる。
(……ルネッタがもう、家を継ぐなんて……)
ルネッタはまだ十六歳。ルネッタは不貞の子のわたしを姉とは思っていなかったみたいだけど……でもわたしにとっては幼い妹ということは変わらない。かつて、魔力の糸が紡げないのだと泣きじゃくって甘えてきたルネッタのことは忘れられなかった。……それはわたしをいいように使うための嘘で、本当はルネッタ自身はあの時からずっとわたしを蔑み、嘲っていたとしても。
親戚は皆嬉しそうな顔で父とルネッタが儀式を行うのを見守っていた。
二人の魔力に反応して、魔法陣が輝く。父とルネッタの身の周りで光が踊り出す。そして、二人が手を繋いだ、その瞬間。
「……!?」
「いっ、た!」
バチバチバチッと火花が散る。焦げ臭い匂いが鼻につく。
目を見開く父、そしてルネッタ。
「い……いたいいたいいたい!!!」
ルネッタが焦げた手を天高く掲げながら退けうち回った。
「グッ………ルネッタ……!?」
父もまた歯を噛み締めて痛みを堪えているようだった。
どよめく親戚たち。儀式の行っていた二人のほど近くにいた水の魔力を持つレックス様が素早く駆け寄り、父とルネッタの焼け焦げた手に冷水を浴びさせた。
二人は耳を塞ぎたくなるような声を上げていた。
「誰か! 桶を持ってきてくれ、早く冷やしたほうがいい!」
わたしも唖然としていたけれど、レックス様の声でハッと我にかえる。
桶を、と思うが、だめだ。ろくに足を運ぶことをなかった本邸、何がどこにあるのか全くわからない。
「お、お母さま、桶はどこに……」
すぐ隣にいた母に問うが、母はまるで微動だにせず、火傷に苦しみ喘ぐ二人を見つめていた。わたしの呼びかけにも応えてくれない。
レックス様は二人に冷たい水をかけ続け、フロアに敷かれた絨毯は水を吸いどんどん重たげに色を変えていった。
「な、なぜ、どうしたんだ? 継承の儀が失敗したのか?」
「継承の儀が失敗するだなんて聞いたことないぞ!」
騒めきが広間を包み込む。
やがて、使用人の誰かが桶を持ってきてくれたようだった。
桶に溜めた水に焦げた手のひらを沈めさせるとようやく二人は落ち着いてきたようで、こぼれ落ちそうなほど眼を見開いたまま、体全身を上下させ荒い呼吸を整えているようだった。二人揃って顔面蒼白である。
「……あは、あはははは!」
呆然としつつ痛みに苦しむ父とルネッタ。戸惑いに満ち溢れ、訝しげな親戚一同の目。そんな中響いたのは母の高笑いだった。
先ほどまで、石像のように真顔で二人を見つめ続けていた母が突如大口を開けて笑い出したのだ。
「マーゴット! 何がおかしい!」
「だって、だって、こんなに愉快なことがありますか!」
父の怒声に母は鈴を転がすような声で答えた。わたしが生まれて一度も見たこともないような晴れやかな笑顔だ。
「なんて無様なの、うふふっ。ねえ、ロレッタ?」
母の骨張った手がわたしの肩を掴む。びくりと身体をこわばらせたわたしの身をバルトルが素早く引いて、すぐに母から離してくれたが、母はわたしの反応を気にしてすらいなかった。それほどまでに、彼女は今ごきげんなようだった。
「ああ、この日を待ち侘びていたの! あなたがわたくしの偽りに気づくこの日を! 皆の前で醜態を晒すその時を!」
「は……? 何を……」
「本当の娘を虐げて、偽りの娘を熱心に可愛がって……ふふっ」
「お、お母様……?」
桶に張った冷水に手をつけながらルネッタは顔を引き攣らせ薄い笑みを浮かべた。
母譲りの茶色くて大きな瞳を、縋るように揺らしながら。
「お、おい……おまえ、まさか……」
父の顔が引き攣り、震えながら桶につけたとは反対の手で母を指差す。
「……あなたが妹を可愛がるのは滑稽だったわ。あの子こそ、あなたとは血のつながらない娘なのにね」
「……っ」
お父さまは、察したらしい。
魔力の継承の儀は失敗した。
血の繋がるもの同士でなければけして行うことができない秘術。これこそが尊き血を脈々と受け継いできたという誇り高き貴族であるという証査。
「ルネッタは不貞の子です」
シン、と先ほどまでのざわめきが嘘のように広間は静まり返る。
真実を明かす母の言葉が無かろうと、一堂に会した人間たちは皆、儀式の失敗が意味することをすでに理解していた。
「……ルネッタが?」
「そうよ。それを、自分の小さい時とそっくりだなんて持て囃して……ばっかみたい」
母は鼻で笑い、吐き捨てるように言った。
「ま、まて。じゃあ、ルネッタは……どこの誰の子なんだ? あんなに俺に……似ていたのに?」
「さあ。わかりませんわ、あなたと同じ髪の色をした男だったことしか覚えてません」
「貴様──!」
青褪めていた父は激昂し、拳を戦慄かせながら母に向かってきた。
ビシャ、と水を吸った絨毯は父が足を踏み締めると水音を響かせる。
「……ッ」
かつて幼い頃、その拳に殴られたことのあるわたしは反射的に腕で体を庇い、目をきつく瞑った。今父の怒りの矛先は母に向いている。それはわかっている。けれど、身体に染み付いた恐怖が勝手にわたしの身体を動かしていた。
「……おいっ、離せっ! 卑しい成り上がりめっ!」
「……暴力は良くないですよ」
バシャ、バシャと水の音がした。父が暴れているのだろう。
わたしは恐る恐る目を開ける。
バルトルが暴れる父を羽交締めにして押さえてくれていた。
母がその光景を見て、「あははは!」とさらにおかしげに笑い声をあげる。
バルトルに押さえ込まれて、儀式の失敗による負傷もある父は憤り続ける体力もないのか、次第に顔の赤みはひいていき、やがて再び青白い顔になると、目を大きくして、ヨロヨロとわたしに震える指を向けた。
「ま、まて、さっき、お前……『本当の娘』と言っていたが、それは……」
「……そうよ、間違いなくロレッタはわたくしとあなたの子よ! わたくしはあなたが初めての相手でした! ロレッタが産まれるまで、わたくしは他の男を知りませんでした!」
父は絶句する。
静まり返っていた広間に再びざわめきが戻ってくる。
あのロレッタが。あの黒髪の娘が。父親に微塵にも似ていないあの娘が本当に?
──あの不貞の母の言うことを信じるのか、二人とも不貞の子なのでは?
ああ、最初から黒髪の娘が生まれてすぐにあの女とは離縁しておけばよかったのに──!
いろんな言葉が、声が聞こえてくる。
「……すまない、君たち一族の問題だとは思うのだが……少し、よいだろうか」
この状況にあって、冷静な落ち着いた声音。
皆は一斉に彼を見た。
ルネッタの婚約者、レックス様だ。
「俺はこのルネッタ嬢と婚約をしていた。そして、アーバン家に婿入りをする予定だった。完全な他人というわけではない。どうか横入りをゆるしてくれ」
広間は静かになり、彼の声を響かせた。
「君はどうやらアーバン家の血を引かないようだが……俺は君自身の能力を買って婚姻を申し込んだ」
「レックスさま……!」
青褪めて茫然自失としていたルネッタの顔に生気が戻る。
「——だから、今ここで証明してほしい。アーバン家が国に納めていたあの魔力の糸、あの素晴らしい糸を紡いでいたのは君なのだと」
「……うっ……!」
一転、ルネッタの顔は引き攣った。
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