第7話君が怖いもの
バルトル様に手を引かれてやってきたのは大きな噴水広場。
大小の建物が建ち並ぶ中そこは広く拓けていて、陽当たりがとてもいい。日差しを受けて噴水のしぶきがキラキラと輝く。噴水の中央には大きな日時計がしつらえられていた。
周りにはベンチと食べ物の屋台が並んでいて、ちょうど昼時なこともあって多くの人が噴水の周りに座ってなにかを食べながら歓談しているようだった。
「あそこの屋台のクレープはおいしいよ。ご馳走しよう」
「クレープ……ですか」
「食べたことない?」
コクンと頷く。バルトル様はそうか、そうかと言いながら、繋いだ手のひらの力をわずかに強めた。
「苦手なものはないかな? 食べられないフルーツは?」
「嫌いなものはありません」
「好きなフルーツは?」
「……ええと、イチゴが好きです」
「うん、じゃあイチゴのクレープだ。かわいいね」
……かわいい?
そう言われてちょっと怪訝に思ったけれど、わたしはすぐに納得した。
「はいよ、お待ち!」
「まあ……」
威勢のいい声の女将さんから渡されたクレープなるもの。真っ白な生クリームに点々と乗っけられた真っ赤なイチゴ、それをクルクルと包んだ乳白色の薄い生地。きれいだし、華やかな見た目でとてもかわいらしい。
バルトル様はこのことを仰っていたのだ。
「……本当。かわいいですね、イチゴのクレープ」
「……ううん、君はちょっと、そういうとこがあるのかな?」
「え?」
「いや、かわいい分には大歓迎だ。気にしないで」
……どうしてそうクスクス笑われるのかしら?
「こうやってね、かぶりついて食べるんだ」
「は、はい」
本当は食べ方がわからなかったわけじゃない。バルトル様があまりにもわたしを微笑ましげに見られているから、なんとなく居住まいが悪くて食べづらかったのだった。
おずおずとバルトル様が促す通りに大きく口を開いて頭から齧り付けば、口いっぱいにふわりと甘くて柔らかい感触、そして噛み締めるとイチゴの甘酸っぱい味が心地よく染み渡る。
「……おいしい」
「それはよかった」
バルトル様はオレンジが散りばめられたクレープをお召しになっていた。柑橘の爽やかな甘さもきっとこのたっぷりの生クリームと相性抜群だろう。
こぼさないように気をつけながらクレープを食べ進めていく。おいしい。けれど油断をすると生クリームが生地の端からこぼれ落ちそうになって大変だ。これは真剣に食べなくてはならない。
「あはは、バルトル。かわいい彼女だね。どこで見つけてきたんだい?」
「ありがとう、内緒だよ」
「おや、気障ったらしくなったと思ったら秘密主義かい! すっかりお貴族様になったね!」
クレープ屋の女将さんが大きな声で笑う。
「……」
ふと、思う。
わたしは黒い髪だし、髪の長さも短い。
(きっと、街の皆さんたちはわたしが貴族の令嬢だったとは思っていないでしょうね)
貴族の女性は大抵は髪を伸ばしている。平民であれば短い髪もそう珍しくもない。
……でも、そう思われていた方が居心地は良いかもしれない。
バルトル様の街のお知り合いの方々がこんなふうに気さくに話してくださっているのも、彼らがわたしのことを平民の娘だと思っているから……というところも大きいと思う。きっと、バルトル様のお知り合いはみなさん、良い方ばかりなのだろうけど。でも。
「ロレッタ。食べ終わったらまた少し歩こうか。疲れていない?」
「あ……はい。大丈夫です」
バルトル様に声をかけられて、ハッとする。慌てて最後のひとかけを口に放り、飲み込んで差し出された彼の手を再び取る。
「慌てて食べなくてもよかったのに」
「す、すみません。つい」
「いいよ。ゆっくり歩こうね」
それからは、街並みを楽しんだ。
バルトル様は観光名所になっているという古い物見の塔に案内してくれた。
「階段を登るのも風情があるが、ここはありがたく文明の利器を使おう」
「……」
ぽん、とバルトル様がパネルに手を触れる。少し時間があったのち、ガチャンと音を立てて重たげな鉄の扉ごしに何かが目の前に到着した。パネルが点滅し、扉が自動的に開く。
初めて見た。
「こ、これも、魔道具なのですよね」
「ああ。全くすごいものがあるもんだ」
「バルトル様はこういったものも作られるのですか?」
「うーん、僕はどちらかというともう少し生活に身近なものの改良がメインかな。こういうのは便利は便利だが、活躍する場所がちょっと限られるからね」
少し話しているうちに、あっという間に高い塔の最上階まで到達する。
「さっ、降りよう。ここからは街が全て見下ろせるよ」
バルトル様が先に降りてわたしを導いてくださる。
「……すごい……」
「いいタイミングで来たね。いつもは何人かがいるんだが、二人っきりだ」
風に煽られてバサバサとスカートが揺れる。
景色はいいけど風が強い。ふらついてしまったわたしの身体をバルトル様が支えてくださる。
──けれど、わたしは思わずビクッと肩を震わせ、彼を避けるように身を縮こませてしまった。
「あ……す、すみません」
よろめくわたしを支えようと、それで腰を引き寄せられただけなのに。それに、夫であるその人に対して失礼な態度を取ってしまった。
萎縮し、わたしはすっかり俯いてしまった。
彼の磨き上げられた革靴の先だけしか目に入らない。
「……ねえ、ロレッタ。デリケートなことを聞くよ」
「は、はい」
「君はもしかして、男性が怖い?」
ぎゅ、と手を握り締める。
……バルトル様がそう思われるのは当然のことだ。
わたしはまともに彼の顔を見ないし、話すたびに吃ったりして。
「……こ、怖いかは、わかりません。あの、そもそもわたしは、ずっと屋敷の中におりましたので、異性はもちろん……あまり他人と接したことがなかったので……」
「そうか」
どう答えるべきか、悩んでみても我ながらよくわからず、ただ素直に答えた。
男性が怖いというわけではないし、ましてやバルトル様を怖がっているわけでもない。
……わたしが怖いのは……。
(……)
何が怖いのかは、ハッキリしていた。ただそれを口にしてしまうことすら、怖いと思ってしまう。
「どうも、僕は君を怯えさせているようだから」
「……申し訳ありません」
バルトル様の革靴が乾いた音を立てて、一歩、一歩とわたしに近づいてくる。
「僕の、顔? いや、目かな? 君は僕のことをあまり見上げないまま話すよね」
「……その」
バルトル様は聡明な方だ。わたしの不自然な目線に気づかれていて、当然だろう。
こうして改めて言われると、申し訳なさに胸が締め付けられる。こんなに優しい方なのに、わたしはひどく失礼な態度をとり続けていた。
恐る恐る、顔を上げようとして、でもバルトル様の口元が目に入るところでわたしは固まってしまった。
「……」
口を開いても震える声しか出ない。けれど、この優しい彼にせめて本当のことくらい言わなくてはあまりにも不誠実が過ぎる。
「お髪の色が、実は」
「……髪?」
バルトル様はきょとんとして、それから「ああ」と言いながら髪を一房つまんだようだった。
「ブロンドヘアーはお嫌いかな。君が嫌いなら、染めちゃおうかな」
「えっ、そ、そんな!」
「君を怖がらせる髪なんていらないよ」
「いえ、その」
髪の毛は、その人の持つ魔力の特徴を映す。金色の髪は父やバルトル様のように電気の魔力。火の魔力を持っていれば赤い髪、水であれば青、風ならば緑……など。
魔力を持たない平民のほとんどは、黒か濃い茶色の髪の毛をしている。ごく稀に、魔力を持っていなくても色味が金髪や赤に近い髪色だったりすることもあるけれど……。例外は少ない。
わたしだって、魔力なしの証の黒髪なのになんの役にも立たない魔力だけはあるのだし、必ずしも髪の色が全てではないのだけど……。
……だから、魔力を持った人間にとっては、自分が生まれ持った髪の色というのは、大事なものなのだ。自分の力を示すものなのだから。
(それを、染めるだなんて……!)
「悪いね。困らせてしまった。それじゃあ、染めるのはよしておこうかな」
「す、すみません」
「君が謝ってはいけないよ」
わたしは、どんな顔をしていたのだろう。見るからに困りきった顔でもしてしまっていたかしら。
「……き、聞かないのですか? なんで、金色の髪が怖いのか」
「いいや? 話したいならいくらでも聞くけど、君が苦手なものの理由をわざわざ聞くほど僕は野暮じゃないんだ」
バルトル様は目を和らげて、微笑んだ。
「君のことを、教えてくれてありがとう」
「……っ」
わたしは息を呑んだ。
そう言って微笑んだバルトル様のお顔は、わたしが見たこともないような、優しいものだった。
(……お父さまとは、全然違う……)
──バルトル様が「髪を染めようか」と言った時、わたしは反射的に顔を上げて彼の顔を真っ直ぐ見つめてしまっていたのだった。そしてそのまま、彼から目が離せなくなっていた。わたしは今も彼の整った顔も、ブロンドの髪もしっかりと見つめ続けていた。目を逸らすことなどなく。
風にたなびく金の髪。
陽の光を浴びて輝くその金糸を眺めて、わたしはふと気づく。
彼の髪は父と同じブロンドヘアーと思っていた。けれど、父の色よりもバルトル様の髪の色のほうが鮮やかでハッキリとした色をしている。
バルトル様の髪は美しかった。父の髪とは、全然違う。なんで同じと思い込んでいたのだろう。
なぜか、じわと目頭が熱くなる。
彼を見つめながら、わたしの胸はトクトクと音を奏で出していた。
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