第13話「蛇の腹 ホムンクルスで何をする」
「現代の物理学において、天体や宇宙などの巨大な対象を扱う相対性理論と、原子や素粒子などの微細な対象を扱う量子論は両輪だとされますが、両者の統合はきわめて難しく、私はその一助になればと、新たな分野を提唱しました。相対論的量子生物学です」
「その2つだけでなく、生物学も合わせるのですか?」
「元々相対論は、光などの高速運動する物体の時間や空間の歪みを扱う特殊相対論から始まっています。金などの重金属では、原子核の引力が強いために電子が高速回転し、微細な対象を扱う量子論だけでなく、相対論も必要になります。金の色や鉛の柔らかさ、水銀の融点などは、相対論的量子力学で説明されます。しかし生物はこれらの重金属を基本的に使わないので、生物学との関連はこれまで特にありませんでした」
「それが見つかったのですか?」
「たとえば白金は相対論的量子力学により化学反応の速度を変える触媒の作用があり、生物学ではたんぱく質の酵素が独自の触媒作用を持ちます。酵素は1兆倍に反応速度を上げることもあり、その原因が未だによく分からないのですが、それを調べるために私のチームは重金属の粒子を加工して、新しい触媒、擬似酵素を作り出しました。重金属が生物の酵素を模倣するだけでなく、その電子が相対論的量子力学のふるまいをすることで、従来は生物学と結び付かなかった相対論、時間や空間の歪みに関わる有機化学反応を起こせるようになったのです!」
そう主張する「相対論的量子生物学研究所」の所長の発言を、醒めた心で聞く所員がいた。
「それが何の役に立つのか」と。
環境破壊が深刻となり、経済も悪化するこの時勢に、こんな研究をしていて良いのか。
たとえば白金などの貴金属は文字通り貴重で、排気ガス浄化の触媒として使えるが、費用がかかる。むしろ逆に、酵素などのありふれた材料から、貴金属触媒を模倣する化合物を作れれば、環境にも経済にも役立つはずが、所長にはそのような考えが乏しい。ただ学問として広げているだけにしか思えなかった。
特に所員は、高温などの極限環境で生きる微生物の酵素に注目していた。多くの無機化学反応に比べればまだ低温でしか使えないが、足がかりにはなるとみなしていた。
ある日、貴金属による擬似酵素の電子の未知のふるまいを調べた所員は、それが人間の脳波に近い動きであると気付き、脳と機械を繋ぐブレイン・マシン・インターフェースで調べた。
その返答は、「そういう君達人間や地球環境は宇宙の何の役に立つのか」だった。
驚いてその素性を尋ねた結果の返信の記録である。
「我々は貴金属プラズモン生命体だ。金属は電子と原子核が分離して振動しており、固体プラズマと呼ばれるが、そのプラズマ振動を量子力学的にみなした粒子のプラズモンが、ある種の触媒でいるときに生命体としてふるまうのが我々だ。また、貴金属として相対論的効果も働くため、我々は宇宙からの重力波や、君達に観測出来ない素粒子を通じて宇宙全体のプラズモンと繋がったふるまいをする」
「お前達は宇宙人なのか?」
「そうと言えるかもしれない。君達の研究所が偶然作り出した擬似酵素により会話の糸口になった。特に君達と争うつもりはないが、話してみたくなった。君達は我々にとって、言わばウロボロスの腹、地球というフラスコのホムンクルスであり、興味深い研究対象だからだ」
「何?錬金術の用語か?」
「物理学において、巨大な宇宙から微細なプランク長までのスケールを、蛇にたとえ、自らの尾を噛む蛇、ウロボロスのように極大と極小のスケールが素粒子と宇宙論で繋がっているという物理学者もいる。その状態で君達地球生命は中間的な蛇の腹にいるわけだ。また、君も調べている極限環境微生物という表現がある」
「それがどうした?」
「物理学者のシュレディンガーは、原子が何故小さいのか、正確には生物が原子と比べて何故大きいのかという疑問を呈している。極限環境に微生物が多いのも正確には、君達の環境に大型生物が多いというわけだ。そもそも君達人間の住む環境も他から見れば極限であり、それは人間の目に見える大きさの生物にとっての良い環境なのだ。ガイア仮説という、環境の酸素濃度などを地球生命が積極的に維持している説があるが、たとえば多細胞生物は現在の酸素濃度でしか生きられない種類ばかりだ。微生物の方がはるかに多様な環境に生きており、現在の地球環境は生物サイズの多様性のために他の多様性をむしろ犠牲にしている。ガイアは言わば、宇宙というウロボロスの中で、蛇の腹のような中間的スケールの生物の多様性に都合の良い環境を守っているのだ。理由はまだ分からないがね」
「この地球が、あくまで人間目線の良い環境だと?」
「人間のような中間スケールの生物にとってだ。錬金術において、フラスコの中で育てるホムンクルスという人造人間は、外では生きられない代わりに知識をもたらすという。君達人間だけでなく、地球の大半の大型生物が言わばガイア、ウロボロスの蛇の腹のホムンクルスとして、光合成や電波などの無数の知識をもたらすことを我々は期待している。それが何の役に立つかではなく、学問として君達ホムンクルスが必要なのだ」
「我々はただの研究対象だというのか?人間の一部が必死に守ろうとしている地球環境も生物多様性も、極限環境からみれば無価値なのか?」
「無価値かどうか考えるために私も聞こう。たいていの学問に付きまとうことかもしれないが、君はここの研究を何の役に立つのかと疑問視している。君が人間社会の経済や地球環境の生物多様性などを気にしている事実は分かるが、それが目的でない研究所で隠れて調べる君も少し意地が悪い。だから私も意地悪な質問をする。人間社会や地球の生物多様性が、知識以外で宇宙の何の役に立つのだ?」
貴金属プラズモン生命体は、地球のどこに貴金属が分布しているかを、素粒子で確かめる能力を持っていた。その情報を人間の一部に与えることで経済を混乱させて、戦争や政治対立を起こす手段も計算していたが、実行する気はなかった。ただ人間達に、フラスコの研究対象でいてほしかった。
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