第12話「忌まわしく抜け出たいなら転生を」
「部長。例の記憶障害の症例について、原因の物質が分かりました」
「あの地域の人間が何人か一時的に記憶の一部を失い、その代わりにむしろ知能が向上したという症例だな。何の物質だ?」
「昨年からニュースになっていた、新種のウミウシあるいはアメフラシからの未知の毒が、マイクロプラスチックのように魚介類などに残存していたためでした」
「あの新種か?毒となると対策が難しいが、まあ一時的なもので、知能が上がるならそれほど急ぐ必要もないだろう。他に重大な症例もあるしな」
「ならば良いのですが」
1ヶ月後。
「急がなければならないようです。あの患者達の病態は、既に取り返しの付かないかもしれません」
「何、記憶は回復して、もう退院したのではないか?」
「患者の1人が別の脳疾患で入院し、事情を話しました。深刻な事態です」
「この記録は、その患者の会話の録画か」
無表情の患者が話している。
「我々は宇宙から転生した。隠れたかったが、もう話すのを脳疾患で止められないのが残念だ」
「転生とはどういうことですか?」
「我々の惑星の滅亡の危機に、住民が他の惑星に移住するときに、最低限のロボットに自分達の記憶だけ組み込み、他惑星の生命に移す予定だったのだ」
「記憶を移すとは、どのようにですか?」
「宇宙ロボットで現地惑星のアミノ酸や核酸を組み立て、君達の惑星で言うウミウシ型ロボットにした。ウミウシは原始的な神経で、単純な記憶能力があるが、それに我々の記憶を組み込んだ。さらに、君達の惑星で最近発見されたように、ウミウシにはRNAを通じて記憶を移植する生態がある。その原理を有機物ロボットで再現した」
「そうして我々の住民の何人かの記憶を消し、あなた達の記憶を移植したのですか?」
「元々君達の体まで奪うつもりはなかった。ただ微生物などの体を使い、ロボットとしてひそかに生存出来れば良かった」
「では何故このように人間を利用したのですか?」
「まず、我々の研究から分かったこととして、知的生命の脳は新しい情報を取り込む度に、容量を超えないように古く不要な記憶を消去していく。その効率的な原理も研究し、宇宙ロボットに搭載していたのだが、それが行き過ぎたようだ」
「その原理とは何ですか?」
その患者が大きめのペットボトルを逆さにして水を出すが、ボトルを回転させると、水が螺旋状に流れ出て、渦を巻き、予想以上に素早く出た。
「容器の狭い口から水を出すとき、代わりに空気を取り込む必要があるが、泡立てるように空気を取り込むより、螺旋状に渦巻く方が、その穴から効率良く取り込み、速く排水出来る。そのように知的生命の記憶にも、新しい記憶の代わりに古い記憶を捨てやすくするための自己組織化をする性質があると発見された。元々は辛い記憶を消す医療のためだったが」
ここまで聞いて、部長はシャーロック・ホームズシリーズの『緋色の研究』を思い出した。ホームズは必要な知識を取り入れる代わりに、不要な知識は、部屋のもののように次々に捨てていると、会ったばかりのワトソンに話していた。
録画の続きである。
「何故そうしたのです?あなた達の記憶を移植して、体を奪うためですか?」
「この惑星の気候変動により、医療用の苦しい記憶の消去と、転生用の記憶移植の能力を持つウミウシ型ロボットの、いわゆる雑種がフグのように生まれ、毒を通じた転生を止められなくなったようだ。また、体を奪うためとも言い切れない。むしろ君達が我々の存在を待ち望んでいた可能性がある」
「望んでいたというのは?」
「我々の記憶移植において、患者は劣等感を我々に強く抱き、自分の忘れたい記憶を次々にこの渦構造により消して、我々の記憶を吸収して、人格が融合しているようなのだ。我々も意図しない速さでだ」
「つまり、患者の方があなた達に体を与えたがっていると?」
「この惑星のこの国では、転生という思想があり、記憶を引き継ぐかはともかく、死後に別の世界に生まれ変わると信じやすいそうだが、そのもとは、仏教やヒンドゥー教の輪廻だともされる。そして仏教の理想は、生まれ変わる苦しみから解放される解脱だともされる」
「それと関係があるのですか?」
「解脱に現実の科学でもっとも近いのは、苦しい記憶の消去ではないか?君達人間は、記憶を消すことで二度と生まれ変わらないようにしたいほどの苦しみが、あるいは別の自分に変身したい願望があるのではないか?でなければ我々の記憶移植をここまで積極的には受け入れて知識を活用しないと計算されている。仏教の思想があり、異世界転生の物語が流行しているこの時代のこの国で、我々のウミウシ型ロボットがちょうど流れ着き、解脱、変身、転生の全てがそろったのは、関係があるのではないか?」
録画のその場面に部長は叫んだ。
「偶然だ!他の意味などない!」
「そうでしょうか?」
部下の言葉に、部長はそれ以上反論出来なかった。
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