第15話 ど近眼薬師は王子に絡まれる
くっ、なんたる不覚。まさか、あんなプライドの塊みたいなワガママ王子が下町に出てきているなんて想定外だった。というか、なぜ私だとバレたのか……!
「……やっぱり生きていたんだな」
王子が重みのある低い声でそう呟く。その言葉とあの視線が意味するのはたったひとつである。
なんてこった、このボンクラ王子。私の死を不審に思って探っていたんだわ……!ただのボンクラだと侮っていたが、まさか自分を命がけで助けて死んだはずの元婚約者の死すらも疑うような男だったとは……!(というか、偽装死だとバレていたのかと思うとかなり悔しい)
こんなことになるなんて……私の気が緩みすぎていたのだろうか。
だって、#アリアーティア__私__#のお葬式が行われてからかなりの時間が経っている。だからもうみんな王子の婚約者であったアリアーティアの事など記憶の彼方だろうと思っていたのだ。それでも頭からすっぽりと被るタイプのフード付きマントを纏っていたし、服装だって公爵令嬢時代に比べたら地味を通り越して“無”なくらい質素なワンピースにした。(動きやすくてお気に入りだけど)今更私がアリアーティアだと気付く人などいない。と、確たる自信があったのに……。
まさかあの王子が、私の死を疑っていたなんて!しかもまたもや一人きりで出歩いてるし、命を狙われた事なんて忘れてしまったのだろうか。もはやその時点で自分を命がけで助けた元婚約者を敬う気がないのはわかり切っているが、逆に私の偽装死を見抜いていたから馬鹿にしたくてこんなことをしているのかもしれない。
あぁ、もう!とっととヒロインとの出会いイベントを終わらせて大人しくしてなさいよ!と叫びたい。
王子が無防備に出歩いているということはまだ出会いイベントが終わっていないのだろう。きっとその辺にヒロインが潜んでいるはずだ。原作とはだいぶ違ってきているが悪役令嬢が死んでないから多少は仕方ないことだ。
それにしてもわざわざ私を見つけ出すなんて……今更あの時のボンクラ発言を思い出してムカついてたとか?それとも回し蹴りで蹴り飛ばした事を不敬だと訴えて断罪する気だったのだろうか?どっちにしたってなんて執念深いのか。そりゃ、最初のヒロインとの出会いイベントを邪魔したのは悪かったけどこっちは命がかかっていたのだから仕方ないじゃないか!
私の仮死薬は完璧だと思っていたのに、まさかのボンクラ王子に見抜かれた上に指名手配されていたなんて私至上最大の失態である。
「アリアーティア……!」
やや興奮気味な王子が、まるで獲物を追い詰めるハンターかのように手を伸ばしてきた。
ゾワッ。と、背筋に冷たい汗が流れる。もしもここで捕まったら、一緒にいるコハクも悪役令嬢を匿っていた罪に問われるだろう。それに今の私は師匠印の薬だってもっている。“森の魔女”の存在も暴かれるし、ハンナにだって迷惑をかけるかもしれない。
せっかく、自由を手に入れたのに……!
王子の手が勢いよく私に伸びてくる。この手に捉えられたら終わりだ。まさか、悪役令嬢の舞台を降りた後でも断罪されるなんて。……どうしてバレたんだろう?
服装?それともこの長い髪?素顔はこの瓶底眼鏡でしっかり隠してきたから、王子は私の顔を知らないはずなのに。それともいつの間にかバレてた?素顔での肖像画は全部断わっていたはすだが、もしかしたら瓶底眼鏡と出会う前の顔がさらされていたのだろうか。
あぁ、やっぱり黒いマントじゃなくってドドメ色のマントにすればよかった!実は出かけ様に悩んだのよ……!今日のラッキーカラーはきっとドドメ色の方だったんだわ!
王子の手が私に触れようとした瞬間にきつく目を瞑る。だが、その手が私に届くことはなかったのだ。
バシッ!
私と王子の間に滑り込んだコハクが、王子の手をはたき落としていたのだ。
「……この方に触れないで下さい」
「な、なんだお前は……!?俺はこの国の王子で、そいつの婚約者なんだぞ!」
たじろぎながらもコハクを睨みつける王子だが、コハクは私を背に守るように立ちはだかってくれた。
「申し訳ございませんが、人違いをなさっているようですね。この方はいつもは森に引き籠もっている一介の薬師見習いでぼくの主人です。王子だかなんだか知りませんが、あなたのような失礼な人の婚約者などではありません。それに、主人は爵位もなくただの平民ですよ。王子の婚約者に平民がなれるはずありません」
「へ、平民?薬師って……?!そんなはずはない!アリアーティアは公爵令嬢だ!薬師なんて労働できるわけが……!
は!そ、そうだ!平民だというのなら、そのみっともない眼鏡を外してみせろ!王子の目の前で不敬だぞ!素顔がわかればーーーー「素顔を見たとして、あなたの婚約者だと証明するなにかをお持ちで?」そ、それは……」
コハクの言葉に顔色を悪くする王子。よかった。やっぱり王子は私の素顔を知らないようだ。それにしても、別人の可能性があるにも関わらず瓶底眼鏡を奪おうとするなんて……もしや眼鏡ハンターなの?コレクターなの?
ーーーーそうか。ずっと鏡大好き王子だと思っていたけど、自分のコレクションを増やすために私から眼鏡を奪おうとしていたのね。しかし、私が死んでも眼鏡を離さなかったからって目の前で死んだはずの人間をそこまで疑ってくるなんて……こいつかなりのマニアか!
私は怒りで頭に血が昇りそうになった。だって、あんなに私の瓶底を蔑んで馬鹿にしてきたのに、その本心はこの瓶底眼鏡をコレクションのひとつに加えたいだけだったなんて……!そんなに眼鏡が好きなら、まずは今の眼鏡の存在を“はしたない”と拒否する世情をどうにかしなさいよぉ!!そう叫びたかったが、ぐっと堪える。さすがに民衆のいる中で下手に王族と争う訳にはいかないからだ。
「それならば、もう構わないで下さい。我々も暇ではないので……」
自分を抑えている間にコハクは形ばかりに頭を下げる。王子はコハクの態度が気に入らないのか歯ぎしりをしてコハクを睨みつけてきた。
「な、生意気な……。平民だと言うならば、無理矢理にでも……」
王子のそんな呟きが耳に届き、またもやゾワと悪寒が走ったその時。
「おー!うー!じぃー!さぁまぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”!!」
どこからともなく怒号が響き渡り、とある方向から砂煙が上げながら誰かがこちらに走って突進してきたのだ。
「げっ!また来たのか?!」
王子はその方向を見て、さらに顔色を悪くする。そして挙動不審になりながら辺りを見回し「くそっ!隠れる場所がないじゃないか?!」と叫んだ。
「ア、アリアーティア!俺はお前を諦めるわけじゃないから……絶対連れ戻すからな!」
そんな捨て台詞を吐いて「ヤバい!逃げなければ……!!」とどこかに走って行ってしまったのだ。
「……なんだったのかしら?」
首を傾げる私の手をコハクが引き寄せ「とにかくここから離れましょう」と、一緒に移動する。しばらくすると砂煙の原因がさっきまで王子がいた場所に現れた。
「お、王子様は?!くっそぉ!また見失ったぁ!!あたしの運命の王子様ぁぉぉぁぁぁ!!早くア・タ・シと出会ってぇぇぇえぇぇ!!」
と、ピンク頭をした少女がものすごい形相をしてまたもや砂煙と共に走り去っていったのだった。
……ピンク頭ってことは、あれってヒロイン?なんか、イメージが全然違うんだけど……というか、なんで王子はヒロインから逃げてるの?!これじゃ出会いイベントがいつまで経っても始まらないじゃない!
呆然としていると近くの店のおじさんが教えてくれたのだが……。
王子はちょくちょく下町にお忍びに来ていて、銀髪の人や眼鏡の人に声をかけているらしい。そして毎回、謎の平民の女がいつも王子がいる場所に襲いに来るのだとか。その度に王子は必死に逃げるのだそうな。というか、周りの人に王子だとバレている時点でお忍びは失敗だ。
それにしても、ヒロインは必死に出会いイベントを果たそうとしているようなのに王子が逃げ回っているなんて……原作とはだいぶ違ってきているようだ。原作には王子が眼鏡フェチだったなんて描写もなかったし、やっぱりいくら小説の世界でも現実に生きるとなると違ってくるものなのね。
「アリア様、大丈夫ですか?あの王子とやらは、その……」
コハクが言いにくそうに言葉を濁す。たぶんハンナに聞いて私があの王子の元婚約者だと知っていたのだろう。私はコハクに向かって腕を伸ばし、そっと抱きしめた。
「……!」
「ふふ、心配してくれたの?ありがとう……。でも、大丈夫よ。それにコハクのおかげで誤魔化せたしね!さぁ、買い物を済ませて早く帰りましょう?」
私より頭ひとつ分だけ小さいコハクが、私の腕の中でモゾモゾと動きくるりと背を向けてきた。たぶん照れているだろう顔は見せてくれないようだ。
「ーーーーこれからも、ぼくがアリア様を守りますから!」
小さな背中から力強い言葉が聞こえてくる。なんとも頼もしい小さな#騎士__ナイト__#の姿に妙にくすぐったい気分になる。
「ーーーーうん、ありがとう」
そうして私は王子のことなどすっかり忘れてしまったのだった。
そう「絶対連れ戻す」と言われたものの、それがどれだけ執念深い言葉だったかなんて考えもせずに。
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