廊下の窓には今日も後輩が映っている。

ししおういちか

今年の一年は何かおかしくないか?


 1


 

 新入生のレベルが非常に高いらしい。

 何せ、三六五日速攻帰宅をモットーにしている僕の耳にさえ入る程なのだから、その噂は限りなく真実なのだろう。

 ああ、わかってると思うけど、レベルってのは戦闘力とかじゃないぞ。文字通りエゴに満ちた男子による、女子に対する勝手な容姿採点のことだ。

 案の定、進級初日登校日のお決まりイベント、正面玄関に張り出されたクラス分け表に群がる男子共の間では、その話が渦巻いていた。

 ――何か、今年から女子の制服リニューアルされたらしいぞ。

 ――男子は来年だっけ? どうでもいいけど。待てよ、ってことは今年の一年!

 ――ああ、ただでさえレベル高いらしいから、超楽しみだぜ。

 ――目の保養、目の保養っと。

 辺りに視線を巡らせると、成程確かに女子の制服は変わっているようだ。今まではテンプレの紺色ブレザーだったが、黒を基調としたものに変わりネクタイもリニューアルされている。スカートに至ってはゴシック的というか、フリルがやや華美すぎやしないか?

 まあそんな僕の心配など、新学期の浮ついた雰囲気の中ではシャボン玉よりも貧弱に押し潰されるだけだろう。気にしていてもしょうがないか。

 喧騒をBGMとしつつ、新たな教室へ歩を進める。女子連中はいつも通りだ。男子のことは話題にならないあたり、世における立場の違いが暗示されているような気がしてならない。

 ここだ、二年三組。

 ワクワク感があるのは正直ここまで。席についた僕に話しかけて来る奴らは、どの顔も見覚えがあるものばかりだ。

 ――おお。

 ――去年はめっちゃ離れたクラスだったし、ようやく話せそうだな。

 いやいや、授業は基本学力に合わせてクラス分けされたものが多いし、何度も顔を合わせているだろうが。ここは普通科で、進学コースのような精鋭たちは在籍していない。その中でもさらに底辺に位置する僕たちは、教師の演説中も親交を深め合った記憶しかないぞ。

 ――相変わらずつれねえ奴。それでさ、一年の話だけどよ……

 かくかくしかじか。さっきまで玄関で聞きまくった話、便利な言葉で割愛させて頂こう。気心知れた仲だけに、今度はもっと突っ込んだ話にはなったけどな。

 具体名。

 具体名。

 まあ、要するに力なき雄の妄想、叶わぬ獲物の選定だ。

 こういったいわゆる「恋バナ」など、僕は女子の専売特許だとすら考えている。そりゃもちろん、思春期だしこういう話に花を咲かせた方がらしいっちゃらしいんだろうが、それを格好悪いと思うこともまた思春期らしいと思わないか?

 ――お前ひねくれすぎ。おまけに拗らせすぎ。

 頑なに獲物の名を口にしない僕に下された感想。はいはい、聞き慣れているよ。何ならお前等だけじゃなく、母や姉にだって言われたさ。

 ホームルームまではまだ時間がある。しばらく話が続くうち、唯一記憶に残りそうなものがあった。

 それは、一つの噂だ。



 ――ここだけの話、何でも『見えない女』ってのが今年の一年の中に混ざっているらしい。そいつ俺と同中でさ、一つ下で部活一緒だった奴が教えてくれたんだ。



 意味が分からん。お化けか何かか?

 大体なんでお前は気付かないんだ。一つ下なら被ってるだろうが。

 ――そいつ、去年転入してきたらしいんだよ。何でも…… お化けなんかよりよっぽど恐ろしい美少女らしいぞ。

 ――わかりにくい例えだな。じゃ、最初はそいつ探しってことで。

 こうして、悪友たちの新学期最初のミッションが決定したようだ。

 見えない謎の美少女を探せ!

 何故か未公開だった担任の名前。会話の途中、チャイムの音と共に満を持して入場してきたそいつの顔には全く驚きを感じず、教室内はホームルームの時間へと移行した。



 *



 新学期初日というのは案外楽なものだ。大半がオリエンテーションで終わり、授業も短縮日課。こうなると大勢の思考は余計な方向へと加速することになる。、健全かつ勝利者としては放課後の部活や恋人との予定、不健全かつ敗者としてはただ直帰するか、あてもなく残って駄弁り続けるのみ。生真面目に自宅学習や塾? この教室にそんな奴はいても一人か二人くらいさ。

 残るは一限のみというところで昼休みを告げるチャイムが鳴り、教室内は弛緩と活気を同時に取り戻す。僕はもちろん前者。

 登校時にいた友人AとBは学食へと消えた。弁当派であるところの僕は、鞄からおもむろに弁当箱を取り出す。

 だが、孤独に迎えた愛すべきリラックスタイムはいきなりストップをかけられてしまう。

「あ、やっと見っけた! ちょっと顔貸しなさい」

 競歩の習慣でもついているのかと疑いたくなるようなスピードで、ずかずかと歩いてきた一人の女。そいつが一年だということを示すネクタイの色を確認した瞬間、一部の男子連中が色めき立つ。

「……飯食ってからにしてくれ」

「あたしの食う時間が削られるでしょ。ほら早く!」

 僕の抗議を恐ろしく自分勝手な理屈で一蹴したその女は、あろうことか先輩である僕のネクタイを引っ掴んで廊下へと引き摺り出した。

 幾ばくかの殺意が背中に刺さることで、さらに痛みが増加したような。

「何だよ星河せいか。こういうの目立つからやめてくれ」

「今まで溜めたボッチゲージ考えればこのくらい屁でもないわ。むしろ毎日あたしが来ることを祈るべきね」

「ボッチゲージってお前」

 愚痴る僕の前に立っているのは、前髪を丁寧にセットしたボブカットの少女。名を沢渡星河さわたりせいかといった。

 その髪型が似合うに足る小顔は、いかにも今風といったグレーのウレタンマスクで全容を隠している。相変わらず、小生意気な癖にこういうところは真面目なんだな。

 先程までの早足からわかる通り大変せっかちな星河は、早速本題を切り出す。

「あんた、降魔ごうまサレナって子知ってる?」

 いや知らん。というか一年の名前なら全員が初耳に決まっている。

「ふーん。まあそうよね。考えてみれば、あんたに女子の知り合いがいる訳なかったわ」

 心配し過ぎか、とどこまでも無礼な後輩は最後に、

「ともかく。その子とは会わない方が身のためよ。仮に話しかけられたとしても、無視することを勧めるわ。んじゃね」

 言うだけ言うと、星河は踵を返し歩き去っていった。

 残された僕。佇んでいても仕方ないので、再び教室へと戻る。

 しかし、足は妙に廊下に未練があるような気がした。星河が残した名前。

 そういえば、朝に『見えない女』がいるとか何とか話してたような……。

 一瞬過ぎる、取り留めのないはずだった会話。しかしそれも机に着いてしばらくすると、脳内どうでもいいことフォルダへと送られていく。

 間もなく友人CとDが、噂に違わぬ高レベルの新入生について問いただすべく、僕の机を囲んできたのだった。



 2



 短縮日課とはかくも素晴らしいものであろうか。教員に感謝することなぞ滅多にないが、毎日これでいくと方針を改めてくれるなら再考の余地があるかもしれない。

 言いたい放題だった星河のせいで、同性のみで構成される駄弁り組にカテゴライズされるのも何となく癪だ。会話もそこそこにして、早々にここを出ようと決心する。

 ――いやあ、本当に高レベルだぜ新入生。

 ――あの川内真緒せんだいまおってギャル、めちゃくちゃスタイルよかったな。隙あらば盗み見ていたい!

 ――そういや廊下ですれ違ったんだけど、ボブカットのすげー可愛い子いたんだよ。

 ――あれ? それって昼休みに、こいつに会いに来たっていう……

 ――は? おいお前、裏切るつもりかよ。

 見たか? これが異性に縁のない男達が交わす会話の末路よ。

 近くに住んでるだけだ、と適当に返しつつ、鞄を持って教室を後にする。

 廊下を過ぎ、玄関までの階段を下りる間にも、ルーザーたちのやり取りは続く。

 ――で? その子の名前は何つーのよ。

 僕が星河のことを教えてやると、

 ――すげえ、可愛い子ってのは名前からして可愛いんだな。俺も名前だけならカッコいいと思うんだが……

 その台詞、すごく格好悪いな。

「まあ確かに顔は良い。恋人がいる話は聞かないから、アタックは好きにしろ。とにかくせっかちだから、オーケーもフるのも秒だけどな」

 ああ、思い出した。あいつの言っていたことを確認しないと。

「ところでお前ら、降魔サレナって奴知ってる? 一年にいるらしいんだけど」

 こいつらを含め、どうやら男子連中は昼休み、揃いも揃って一階の一年教室周辺へと繰り出していたらしい。度が過ぎて教師に追い散らされたようだが、別のクラスの奴までいたとなれば結構な人数だろう。

 こいつらの信憑性のない話しかソースはないが、その女は相当な美少女らしいから見た奴がいれば覚えている可能性は高い。

 しかし、こういう肝心な問いに限って役に立たないのがルーザーがルーザーたる所以だ。

 ――いや、全然知らん。何か強そうな名前じゃん。

 ――でも一年だし、名前とは裏腹に超清楚だったりして?

 うん。こいつらに聞いた僕が馬鹿だったな。

 明日、駄目元で別の奴にも聞いてみようと決めた時、あることに気付く。

 やばい。端末がポケットに入ってない。

 教室に忘れてきただろうか? 鞄をごそごそと探り始める僕を見て、先を歩きかけた二人が立ち止まる。

「ごめん、端末置いてきちまったっぽい。後で追いつくから先行っててくれ」

 さっさと取って来いよー、という声を背中に受け、僕は教室へと取って返した。

 しかし、階段を再び上りなおす徒労の後に待ち受けていた結果は、

「ないな…… もしかして視聴覚室か?」

 机にも引き出しにも端末は見当たらない。もう一つの見当といえば、先程余りにも眠たい中受けた視聴覚室での授業。世界史でただ映像を見ただけだったのだが、退屈の余り途中で端末をいじり始めていたのだ。

 眠気をごまかす行動が仇となった。仕方ない、探しに行こう。

「遠いんだよなあそこ……」

 二年三組は二階の真ん中付近。対して視聴覚室は四階の東外れにある。別棟に歩く手間は生徒の間でも大変不評であり、運動部のアップには丁度いい程だった。

 東棟。

 部室棟とも言われる西棟とは真逆にあるここは、旧部室棟にして今は数少ない実習教室があるに過ぎない、校内で一番古く寒い場所だった。場所によっては地面がぎしぎしと軋むことさえ珍しくない。

 当然、放課後のこの時間となれば人の気配など皆無だった。再び視聴覚室に入る。

 だが、

「ない、だと?」

 計算外だ。頭を抱えそうになったのも責めないで欲しい。

 参ったなあ。こうなるともう落とし物コーナーか、最悪職員室行きだ。

 端末というのは持ち込みを許可されているものの、やっぱり使用は推進されないのが学校がつまらない所以。こりゃ追い付けそうにないな、と覚悟した僕は、今度は南棟にある落とし物コーナー及び職員室へと足を向けることにする。

 ――しかし。



「探してるのは、これかな♪」



 閑散とした廊下に響く、背後からの声。

 心臓が飛び出たかと思った。

「……え?」

 すごいスピードで振り向いた僕の視線の先には、一人の女子生徒が立っている。

 ここで白い着物などであれば躊躇いなくアジリティ全開にする必要があっただろうが、ちゃんとこの学校の黒ブレザーを着ていた。

 人間で良かった、なんてこの時間に思うなんてね。

「んー?」

 腰までは届かないか、という黒髪を真っ直ぐに伸ばした、律儀にも黒いマスクで顔を覆う女子生徒。しかしこの時代の尺度で図るなら、恐らくその目元だけで相当な人気が出るだろう。制服の絶妙な着崩し方といい、SNS上での覇王は、大抵こういった佇まいをしている気がする。

 僕は戸惑いながらも、細められた女子生徒の目元を見て答える。

「あ、うん。それ…… だ。すまん」

 何で僕は謝ってしまったのだろう。

 しかし手を伸ばそうとした瞬間、僕はふとある違和感に気付く。

 何でこの子は、こんな時間にここに? ってかこの教室って確か。

 そう。思い出される光景。

 偶にちらりと見るだけだが、ここは教師がいつも鍵をかけているような……

「廊下っていいよね。サレナはここがすっごい好きなの。出会いも、別れも、会話も、思い出もみんなここにある。だーれもいないはずのここでさえ、出会いがあった。ね? 

 るん、るんと。

 噂の存在が。

 見えないのは当然だった片割れが、さぞ映えるだろう仕草で後ろ手を組み、優しく微笑んだ。



「初めまして、一年の降魔サレナです♪ 君の捨てた名前、返しにきちゃった」



 その、忌わしきを。

 降魔サキトはこの時、再び認識することになった。










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