聖王庁の魔女

@aiba_todome

第1話 聖王庁第六課

 エシェンの沼には呪いがあるという。エシェンは王国の北西の端にある小さな村であり、普段は訪れる者もない。

 しかし密かにささやかれる噂は王国の外にまで及ぶ。そこに長居すれば生きては戻れないという話は、好奇と恐れを入り混じらせながら伝えられるのだった。




「しかし本当にあるとはな。呪い」


「王子殿下、何も考えずに来たんですか?」


 モリトール王国の第一王子、リカルド・バルクロムはぼやく。副官のジェラルトは呆れた目で彼を見た。


「お前だって半信半疑だったろ。沼地で体調悪くなるのは珍しくもないしな。いやー、田舎だから旅人が話を盛ったとでも思っていたんだが」


「言いたいことは分かりますが……。いえ、しかし私も兵のほぼ全員が呪いにかかるとは思っていませんでした。考えが甘かった」


 ヨハンが外を見る。軍幕の外には雑な作りのベッドが並び、うめく兵士たちで埋まっていた。

 下痢がひどいのでそこらに寝かせるわけにもいかず、さりとてこんな田舎では軍勢を泊める家もない。苦渋の判断で沼地の近くに野戦病院もどきを作ったのだ。


 リカルドの軍勢は、隣国との戦争のためにエシェンの沼地を突っ切るところだった。もちろん普通の進軍路ではない。エシェンを出て三日も歩くと敵国の穀倉地帯があり、そこに奇襲をかけるのが目的だった。エシェンの呪いは有名なので、敵もまさかそこから攻撃されるとは思わない。

 豊かな敵地は宝箱も同然。略奪の餌をちらつかされた兵士たちも意気軒昂で、今ごろは敵の横腹に食らいついているはずだった。


 だが呪いはあった。沼地に入ってすぐに、脚の炎症を訴える者が続出した。本来なら気せず突き進む程度の異常だったが、呪いへの恐れが兵士たちの動きを鈍らせたので、引き返して様子を見ることにした。

 その後にこの惨状である。兵士のほぼ全員が下痢や腹痛で寝込んだ。当然進むことはできず、かといって呪いに怯えて引くことも、王国の軍団としてできない。

 文字通り進退きわまった状況で、リカルドたちは野営を続けていた。


「兵糧を多めに持ってきたのはよかったな。こんな小さな村じゃあ、徴発したって朝飯にもならん」


「それでも一ヶ月はもちません。腹が減れば略奪するものも出てくるでしょう。そのあたりがタイムリミットですね」


「だな。とりあえずは聖王庁からの使いを待つしかないか。俺は兵士の様子を見てくる。ヨハン、お前はーーーーー」


「報告!馬車に乗った何者かが近づいて来ています!」


 指示が終わらないうちに、見張りの声が届く。こんな辺境に馬車で来る人間はまずいない。待ち人に間違いなかった。


「流石は聖王庁。いい時期に来てくださる」


「ヨハン。紋章を確認しに行け。どこの課か分からんと応対もできん」


 リカルドの命令に頷き、ヨハンは走り出す。

 聖王庁は、リカルドたちの生きる西方世界の信仰を掌握する巨大組織である。高度に組織化され、十二課まで存在する部署が協力して、宣教や福祉を行う。

 その手の広さは国家をも超える。そのために彼らの協力が無くては国家の運営もできないため、国王であっても逆らえないほどの権威を持っていた。


 見張り台に上がったヨハンは、遠眼鏡で来訪者を観察する。彼は王国の学園で教育を受けたエリートのため、当然聖王庁の組織にも詳しい。

 すぐに報告がくると思っていたリカルドだが、ヨハンは遠眼鏡に目をつけたまま固まっていた。


「どうしたヨハン!どこの神官だ?施しの三課か?癒やしの七課?魔祓いの十一課と言うんじゃないだろうな!?」


 有名な部課をあげるリカルド。聖王庁には様々な職務があるが、表に出やすいところが目立つのは仕方がないこと。逆にそれ以外はリカルドもあまり知らなかった。


 だからヨハンの言葉の意味も、すぐにはつかめなかった。


「目明かしの枝と真実の斧。異端否定の第六課……!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る