第四話 山賊

 剣を手にした男は、ヴィドリアが力を抜くとその場へ静かに崩れ落ちる。


 彼女への恐怖を覚えていた男たちは、その姿に愕然とした。


 剣を持っていようが、防具を身に着けていようが、彼女にとっては関係ないのだ。


 相手の攻撃を止め急所を的確に貫く。たったこれだけで、人間という種族は敗北から抜け出せない。


 当然彼らは、目を守る訓練など受けたことがない。というか、剣の訓練すらまともに受けたことはない。


 ただ人を殺せる武器を持っているだけ。しかし何の技術も持っていない者が武器を持ったところで、無数の技術を併せ持つ達人の前では意味がなかった。


 剣は拳よりも強いというのは、当人の技量次第である。


 確かに、剣の達人と素足裸拳の達人では話が違うかもしれない。


 しかし今この場において、剣の素人と素足裸拳の達人とではあまりに実力差がありすぎる。


「て、撤退だァ!」


 後方でそんな声がする。恐らくは賊のボスだろう。遠巻きに見ていただけの彼すら、ヴィドリアの実力に恐れおののいたのだ。しかし……。


「わざわざ人間の領域内で相手をしているのに、逃げ出さないでくださいよ」


 精神的に敗北した彼らの敗走は、ヴィドリアのそんな言葉に覆された。


 もとより人間種は彼女の眷属。知恵の神であるヴィドリアに逆らえる者など存在しない。


 彼らはあくまでも、“ヴィドリアが逆らうことを許可した”だけである。無論、逃げ出すなどという行為を許可するつもりはない。


 彼女にしてみれば、人間程度死ねと命じれば死ぬ生き物なのだ。


 しかしそれではあまりに自然の領域を逸脱してしまうから、自主的に控えている。


 人間と戦うのならば人間の領域の中で。それが彼女のモットーである。


「く、くそォ! なんなんだよ!」


 脱兎のごとく逃げ出そうとした男たちは、急に止まった己の脚に文句を垂れる。


 どうして自分の思い通りに動かないのか。何故あの化け物に向かって行こうとするのか。


 わからないことだらけだ。己の身に降りかかった災厄を、今は否定することしかできない。


「クソったれ! やってやろうじゃねぇかァ!」


 しかしそんな中でも、特に早く行動を始めたものがいた。


 ヴィドリアからして一番近くにいたスキンヘッドの男。短絡的なのか、その男は先ほどの者と同じく剣を上段に構えて突進してくる。


「人間の悲しみは五段階。最初は否認。そして次は……怒りですね」


 勢いがある分、確かに先ほどの男よりは速い。だがそれでも、まだヴィドリアには届かなかった。


 怒りに任せた単純な一撃は、容易く横に弾かれてしまう。


 ある程度間合いが付いてしまっている場合は、鍔を掴むなどという曲芸を見せつける必要などない。


 ただ軽く剣の腹に手を添わせ、自分に到達するよりも先に軌道を曲げれば良い。もちろん相手の先を突く必要はあるが、鍔を取るよりは簡単だろう。


 剣を振りぬいたスキンヘッドの男に対し、ヴィドリアの手はまだ前方に残留している。


 あとは万力を込め胸を叩き、そのまま胸骨を圧し折るだけ。


 いざや、彼女が己の拳に力を乗せた瞬間、その鉄球は前方ではなく下方へと放たれた。


 そこにあるのは男の膝。関節を守る皿が防具ごと粉砕され、逆側からは夥しい量の血が噴き出している。


「走りこんだ勢いのまま膝蹴りとは、中々ダイナミックな戦い方をしますね」


 男はその場に崩れ落ち、落下の衝撃に喘ぐ。立ち上がることすらできない様子だ。


 しかしおかしい。最初の男とは違い、まだ膝を砕かれただけだ。魔法を用いれば、立つことくらいはできるだろう。


 いち早く抗戦を決断した、ある種勇気ある男がこの程度で戦意を失うとは思えなかった。


 後ろで戦いを見ていたビアンカも、男がすぐに立ち上がり一矢報いるのではないかと警戒している。


 何も、人外のような話をしているわけではない。魔法を使えば、確かに可能なことだ。


 痛みを緩和し砕けた関節を疑似的に再現するくらい、身体強化を鍛えていれば難しくないはず。


 惑星ヴィーダに住む民はこの程度の傷で戦闘不能になどならない。それこそ、目を潰されるくらいでなければ。


 であれば、何故彼は立ち上がらないのか。まさか心理の段階をひとつ飛び超え、抑うつの段階になったわけでもあるまい。


「……! 金的。飛び膝蹴りの姿勢に一番近い急所ですね、ヴィドリア様!」


 どうやらビアンカは気が付いたらしい。


 体表にある内臓とも称されるほど弱い部位、金的。腹や顔面を打たれるよりも遥かにダメージが存在する。


 全力で狙われれば、たとえ戦意が残っていようとも立ち上がることなどできない。


 膝蹴りは確かに強力な攻撃ではあるが、同時に弱点を相手に近づけるというリスクも孕んでいた。


「一対一じゃ勝てねぇ! 技でも勝てねぇ! 集団で叩き潰せ!」


 そんな状況の中、続々と恐怖を超え戦意をむき出しにした男たちが前に出る。


 後方にいるボスと思しき人物は、恐らく魔術師だろう。


 腰から銀の杖を取り出し、仲間を導くように指示を出す。


 そして彼をヴィドリアの視線から隠すように目の前へと近づく大柄の男。巨大な剣を大上段に構えている。


(全員上段。もう少し剣術を学ぶ機会がなかったのでしょうか)


 上段からの攻撃は確かに強い。特に彼のような大柄の剣士なら、上段を磨くのは間違いではない。


 しかし、他の手段も何か持ち合わせていた方が良いだろう。ヴィドリアに上段が通用しないことは、もう二度も見たはず。


 そんなことお構いなしに剣を掲げる大男。そのがら空きな腹に向かって、ヴィドリアは一歩踏み込む。


 今度は先ほどよりもさらに速い。もはや対面する大男には彼女が消えたようにしか見えなかっただろう。


 時速にすればそれほど速くはないが、大男が剣を振り下ろそうとするよりも先に踏み込んだ彼女に、男は一瞬反応が遅れた。


 そもそも今の間合い。一歩踏み込んだところで彼女の拳が届くはずなどなかったのだ。

 それが今は、もう腹に触れる位置まで近づかれている。


 慌てて剣に力を込めた男だったが、その一撃は出始めで挫かれた。


 剣のかしらを正確に抑えられたのだ。いくら魔力を込めていようとも、腕が伸び切りこの姿勢では力を出せない。


 大男は己に訪れる結末を悟った。


 そしてその通り、ヴィドリアは開き切った大男の胸骨に左拳を叩きつける。


 真ん中で圧し折れた骨は重要な内臓に傷を付け、男を失神させた。


 しかし安心したのもつかの間。力を失った大男の陰から、二振りの剣が挟み込むように振るわれる。


 最初から男を盾にした攻撃。二人の小柄な男が、短い剣を野球のバットのように振りかぶっていた。


 完璧な間合い。この距離からでは縮めることもできず、突出した鍔を掴もうにも腕の長さが足りない。


 選択はたったひとつ。ヴィドリアは迫る二本の刃をしゃがんで回避した。


 当然二振りの剣は彼女を追尾して軌道を変えるが、そこまで時間が稼げれば十分だ。


 ヴィドリアは冷静に右側の一人が突き出した右脚へ両足を掛けると、そのまま身体を地面へ向かって半回転する。


 膝裏から力を加えたことで男は簡単に転び、さらに回転を加えると彼の右脚の関節が折れる音がした。


 これで挟み込まれていた右側に大きな空間ができる。


 ヴィドリアは転ばせた男の目を素早く潰すと、右側に対比しながら距離を取った。


 と、そこへ炎の弾丸が放たれる。おそらくはボスが放ったものだろう。人を殺して余りある威力。それがもう目前まで迫っている。


 正確に狙いを済ませたその魔法は、彼女の頭を貫くべく研ぎ澄まされていた。


 流石にこれを受け流すことは難しい。


「魔法には魔法で対抗しましょう」


 見事、炎の弾丸はヴィドリアの側頭部に着弾した。


 ……しかし驚くべきことに、崩れ落ちたのはボスの方である。


 側頭部から煙を立ち昇らせ、ボスは昏倒してしまった。


「私が魔法の効果をそちらに飛ばしたのですが……その瞬間に魔法の威力を弱めたのですか。意外とやりますね」


 確かにヴィドリアの頭へ魔法は着弾した。しかし、その効果だけがボスへと行ってしまう。


 このような芸当すら、知恵神には容易いのだ。


 だが、讃えるべきはボスの方だろう。初見の魔法を瞬時に見抜き、魔法を弱めるとは。


 本来ならば頭を粉砕して余りある威力を秘めていたが、彼はギリギリ死んではいない。

 もちろん炎魔法に対して耐性があったのだろうが、すべての人間ができることではない。


「これだから人間は手強いんですよね。種族的には弱いはずなのに、たまにとても強い個人が存在する。絶滅させるには惜しいです」


 ボスが倒れてからの戦闘は、まさに一方的なものだった。


 ヴィドリアはそれから魔法を一度も使っていない。身体強化すら、彼らには無用と断じ使わなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る