第四章「戦争の親玉」1

 よく聞け戦争の親玉よ

 お前の勝手な命令で

 若い命が泥の中で

 血にまみれて死ぬのだ


 ヤパン人民諸君!

 我々の血を吸い、

 肉を食らう戦争屋どもを

 決して許してはならない!


 真の自由を手にするため

 最後まで戦うのだ

 人を愛する心を忘れぬ

 若き戦士たちよ

 

 おい戦争の親玉どもよ

 安全地帯で命令だけする

 まずはお前らこそが

 まっさきに死ね!

 

 そうすれば俺は戦地へ行き

 お前らがちゃんと死んだかどうか

 転がして確かめてやるよ

 このボロ靴で蹴飛ばしてな! (「戦争の親玉」by ボブ・デンジャラス)







 趣味が人間狩りといっても、同じ魔女や魔道士とぶつかる可能性もないではない。そうなると決闘になってしまい、面倒なことになる。殺人魔女のジェノスは、ただ弱いものいじめして遊びたいだけで、対等な相手と戦いたいわけではないので、出来れば同業に会うことは避けたいところだった。


 しかし度外れた幸運のせいか、今までに魔法を使うような相手とぶつかったことは一度もない。また、そういう者のいる場所や空気に気づく嗅覚が並外れて高く、ここはヤバいと思ったらさっさと飛び去るので、間違って同類に手を出して喧嘩になる心配はほとんどなかった。いじめっ子が、自分より弱い子と、そうでないものを瞬時にかぎわける天才なのと同じである。


 もっともジェノスは、ヨーロッパじゅうで恐れられた凶悪魔女ミケーネの娘のうえに、権威ある大魔女ティロットンの弟子だったという化け物である。それほどの腕があれば、そのへんの魔女や魔法使いなど一ひねりだろうが、それでも相手の発してくる魔法に、いちいち気を使って対応するのは無駄な労力で、かったるいのであった。


 それに相手が自分より強いことだってありうる。ただ無力な者を自由にいたぶって楽しみたいだけなのに、強い相手にひどい目にあわされたのでは意味がない。趣味で、単なる遊びだったはずのスポーツや芸術活動が、いつしか必死になってしまい、メンバーと争い、口論し、傷つけあう羽目になったときの、あの嫌さを思い出してみてほしい。えっ一緒にすんなって? 失礼しました。






 箒に乗って旅を続ける史上最悪の殺人魔女は、日の高いうららかな午後、漂う山々のかすみをかきわけ、ついにその国に到着した。


 ヤパン国は、その名前の響きにもかかわらず、ありがたいことに我々の住む日本とは全く関係なく――いくら近世の話とはいえ、ジェノスなんぞが自分の国に来たことがある、などと思うだけで、たちまちのうちに吐き気をもよおし、ジェノスのジェの字を見ただけでもう虫ずが走るほど嫌で、あまりの気持ち悪さに全身にジンマシンが起きて、白目むいて泡吹いて卒倒するような、とても聡明な方々もあろう――、ただのよくあるヨーロッパ中世のたたずまいをそのまま残す、たとえばイタリアやスペインっぽい町並みの都市国家で、じっさい建築物もほとんどがレンガ造りだった。

 しかし油断は禁物である。周りを海に囲まれているからだ。なんと日本のような島国だったのである。


 だが安心して欲しい。列島ではなく、一個の島がでんと浮いており、国のあり方はどっちかっつーとイギリスに近い。良かったね、美しい国。





 さて箒を降り、ヤパンのちょうど中央に位置する首都、ヤパパン――って、なにも考えてねえな――の散策を始めたジェノスは、すでに欧州のいくつかの国で大量殺人を起こして指名手配されているが、まだまだ顔を知られていない国はいくつもあり、ここもそうらしいので、気楽なものだった。

 なんですぐ人を殺さねえんだとっととやれ、と思うかもしれないが、別に義務ではないので、気が向かないと殺人はやらない。いまワープロを打ち違えて、「やらないす」になって感動した。



「聞いたか? 殺人魔女の話」

「ああ、アランポランにも現れたってよ。百人は殺したそうだぜ」

 街角で噂話を耳にし、ほくそえむ。箒は縮めてポケットにしまってあるが、でかいトンガリ帽子と黒づくめルックで、外見は魔女まる出しである。しかし、まさか話題の当人だとわかるはずもない。

 ジェノス自身はほとんど会わないし会ってもシカトするが、ここいらで魔女や魔道士は珍しくない。それを考慮して、今は趣味を控えている面もある。


「しっかし、魔女がいまどき人を脅すかねえ」

 商人ぽい痩せ型の、しなびた安そうな黒の背広を着た男がくわえタバコで苦笑し、隣の腕の太い、白Tシャツの労働者ふうの男も、うすら笑いを浮かべた。二人は人々が行き交う小さな交差点の隅、赤レンガのアパートの角で、突っ立ったまま話しこんでいる。どちらも若い。くだけた口調なので、上下関係はなさそうだ。身なりからして異業種のようだが、仕事で何か関係があった者同士だろうか。あるいはお互い同窓生で、たまたまばったり出会って話しているとか。


「百年前と勘違いしてんじゃないか」と腕の太い男。「たまにいるからな、昔の話に感化されて変なことするのが」

「今はもうそんな時代じゃないのに、いつまでやってんだかな」

「骨董品みたいなオツムしてんじゃないかねえ」


 げらげら笑う二人の後ろを過ぎて、町外れのほうに向かう。明らかにバカにしていたが、なんとも思わなかった。ただ、勝手に自分らの価値観を押し付けるのはどうか、とは思った。



「もうそんな時代じゃない」と言われても、自分がそうなら仕方がない。ほかの魔女が人を殺そうが殺すまいが、自分には関係ない。自分はたんに殺したいからそうしてるだけだ。

 魔女が恐れられていた母親の時代に戻りたいとも思わなかった。むしろ人間どもが平和ボケしてる今のほうが、不意を突けて面白い。


 ジェノスの行動基準は、尊い人の命を無残に奪えるのが楽しいから、というサディズムだけでなく、やって面白いかどうか、という点も大きかった。反応がつまらないと思ったら直ちにほったらかして次へ行くので、それで命を取り留めた幸運な者も多数いる。







「知ってるか、またボブが捕まったってよ」

「そらあ、あそこまでお上を挑発しちゃあな」

「なんだって、ああも突っかかるのかねえ」

「育ちのせいだろ。毒親育ちと聞いたぜ。自分より偉い奴はなんでもかんでも親に見えて反抗しちまうのさ」

「哀れだなぁ」


 今夜泊まると決めた宿の薄暗い廊下で聞こえてきた会話は、どうも聞いていると、あるミュージシャンのことを笑っているらしい。さっき自分が笑われたからでもないが、なにか気になって、壁際に立ってしばらく聞いた。すぐ先に102と書かれたドアがある。泊り客だろう。


 ざっと聞いたところでは、話題になっているボブ・デンジャラスというフォークシンガーは、彼らが言うように毒親育ちだからか、それともたんに心配性なのか知らないが、やたらに政府を批判する歌を絶叫で歌う過激な男らしい。



 しかしこのヤパンは五十年前の苦い敗戦以来、他国との戦争はおろか内戦も起きておらず、人々は平和を謳歌し、「首相なんて誰がなっても同じ」という若者の言葉がよく示すように、誰もが政治に関心を持たずに済んでいる。

 ただ景気は徐々に悪化しており、そっちを批判する歌をうたえば、もっと人気が出たろうが、このデンジャラスというシンガーは、なぜか頑固に反戦歌ばかりを歌って物笑いの種にされている。


 この国は新しい発明品である電気が通っておらず、ラジオもレコードもないので、歌手はもっぱら舞台かストリートで歌う。ボブは主に街角でギターをかき鳴らして、反戦・反権力のプロテストソングばかりをわめきちらし、うるさいと苦情がきて警官に引っ張られたり、護送馬車で留置場へ送られたりして、そればかりが目だって話題になった。反骨ミュージシャンのつもりが、歌よりむしろそういう「事件」で有名になってしまい、いまやその存在はほぼ色物である。


 ちなみに敗戦後の反省により、ヤパン国軍の規模はずっと縮小されてきたが、今の首相がかなり好戦的で戦前回帰志向なのと、このところの不景気の不満そらしの意味もかねて、軍備が拡張され、軍事費が年々ふくれ上がっており、ボブの政府への反抗心と反戦魂はますます燃え盛るばかりであった。




 いま宿で話題になっているのも、「戦争の親玉」というかなり素敵な題名の歌を首相官邸の前で、何度追い立てられても戻ってきてはガナりまくる、という「奇行」を五時間あまりもしつこく行ったため、ついに逮捕拘留された、というものだった。彼の言う「戦争の親玉」とは、戦争を決定し遂行する政府要人などの権力者を揶揄した呼び名である。


 だが、このような過激な芸術家が支持されるには、もっと景気がどん底まで落ちて、人民の不満が極限にまで達しなければ駄目だろう。革命も辞さないほどに、なりふり構わなくなった怒れる民衆の声を代弁できるのは、今のところ彼くらいだからだ。

 しかしこの平和ボケしたヤパン――って結局、日本みたくなっちまってるな、おい――では、彼はどんなに真摯に戦おうが、お笑い扱いである。


 しかし何度投獄されようが、あざけりの的になろうが、この頑固な反逆のシンガーは一貫して、その権力への不信と、過度の戦闘的態度を変えることがなかった。明日の朝も独房で、決意のまなざしを燃やして朝日をおがむことだろう。





  xxxxxx





 これは同業にしてはおかしい。

 ジェノスはそう思った。


 翌日、街の路地裏で、そろそろ殺人でも一発かますかと思って手ごろないけにえを探していたところ、そいつに会った。ベージュの安そうな薄手のシャツとズボン、小柄な体にでかい頭に、癖の多いもしゃもしゃのボブ髪。垂れたでかい目はやや見開き、うっすら笑っているように見える唇といい、全体の雰囲気が、なにかヤバげである。


 だが、いま両側を高い塀にはさまれた薄暗い路地のどん突きに、やや足をひろげて仁王立ちしているそいつは、こっちがいくら杖を向けようが驚きもあせりもせず、ただ突っ立ったまま、なんの反応もしない。最初は、たんにそういう人形が置いてあるだけでは、と疑いさえしたが、見ていると急に首をかしげ、またまっすぐに戻ったので、それはなさそうだ。



 そもそも、なぜこいつに杖を向けたかといえば、両側は塀、向かいは壁の行き止まりで人目はないし――いや別にあってもいいけどぉ、しょっぱなから騒がれるとなんか興がそがれるっつーか――なので、一人目は静かにおごそかに風流に殺りたいんですわ。


 てなわけで、ほかに誰もいないしこれ幸い、どれ首でももぎ取ったろか、という軽い気持ちだった。なのに、相手の変な雰囲気で、ぶち壊しになった。ジェノスは少しムカついた。

(ちょいとお嬢さん、魔女が自分に魔法かけようとしてんだよ)(悲鳴あげんでもいいからさぁ、せめて、あせるくらいはしてちょうだいよ)(風情がないわね)

 ところが、急にはっとなった。

(あっ待てよ)

(やべ、さてはこいつ――)

(同業か?!)


 魔女同士の戦いは、かったるさを何よりも嫌うジェノスにとって、もっとも避けたいシチュエーションである。たんに雰囲気が変なだけで魔法関係じゃないかもしれないが、少しでもその疑いがある奴とは関わらないのが吉。実際、彼女の勘は当たることが多い。やべやべ、逃げよ。



 ところが、杖を下ろそうとした、そのときだった。相手の、いきなり雰囲気以外のものまでが、数倍レベルで変になった。それは結果的に、杖を向けていて正解になってしまった。

 そいつの右手が、いきなり手首の中にすぽっと引っ込み、代わりに中からとんでもなくまがまがしいものが生えてきたのだ。音もなくするりと出てきたそれは、長さ一メートルをゆうに越える細長い刃だった。剣のようだが少し内にカーブしていて、日本の侍が持つ刀に似ている。それが全部で四、五本、右手首の中からそろって生えるように飛び出したので、いっけん野獣の長い爪の趣だ。

 それらは完全に出きったのか止まると、それら全てが根元からぐぐっと外向きに直角になるまで曲がり、全体が大きくひらいた、銀ピカのまがまがしい花びらのようになった。


 これだけなら、ただの曲芸で拍手すればいいのだが、これには信じられないような嫌な続きがあった。その巨大花びらが、ブウウゥゥーン! という耳障りな機械音を立てて、なんと猛スピードで横にぐるぐる回転しだしたのである。



 やっと電気というエネルギーの利用価値が発見されたばかりで、まだ扇風機も船のスクリューもない時代である。まして回転刃など想像もつくまい。

 ジェノスの頭に浮かんだのは、回るかざぐるまや風車(ふうしゃ)の羽根である。だが風車はここまでぐるぐるしないので、やはり近いのはかざぐるまということになるが、これは一本が長さ一メートルもあり、外にそれぞれ直角まで折れ曲がっているので、その二本分、つまり直径は二メートル近くあることになる。この少女が腕を上げて振り上げ、斜めにかたむけて、やっと地につかないほどの、とんでもないでかさである。

 というか明らかにその花びらの直径のほうが、それを持っている少女の身長よりも長い。また刃が円を描いているせいで、女の子がバカでかいまっ平らな傘を、無理にやっとさしているようにも見える。



 これだけ異常な行動を取ってはいるものの、ジェノスはまだこれが人間でない、妖怪とか幽霊とかの、あやかしのたぐいであると断定はできなかった。魔法使いが手首の中に、この数本の刃を縮めて隠し持っていただけかもしれない。そんな技を使うには見た目が若すぎるが、いやわからんぞ。これで歳かもしれないし、もしもうかつに相手して、ベテランだったら、めんどくせえにもほどがある。

 野菜でも切るとかだったら、こんなジャイアントなソードはいらんやろ。つまり、これはどう見ても、目の前にいる奴――すなわち私――を、攻撃しようという腹なのだ。きっといま杖を向けたんで、「なんだ、やんのかコラァ」となったに違えねえ。


 などと思ったが、同時に、あくびが出そうなほどかったるくなった。いや別に戦いたいわけじゃないんすよ、遊びたかったんだよ、あんたを殺してさ。なのに、こうも強そうじゃ、あーた、激萎えですよ。どうしてくれんのさ。

 それで、弁解した。これはこれは魔女とは知らず、失礼いたしました。てっきり人間と思ったもんで。すんまそん、すぐ行きま――わっ、あぶねえええ!


 ジェノスがあせったのも無理はない。せっかく人が丁寧に謝っているのに、その垂れ目少女は話の途中で、いきなり回る刃をこっちへ向けて、ガーッと突進してきたのだ。そのままではでかすぎて地面に当たるので、少し刃を引っ込めて円を縮めている。

 臨機応変はいいが、人の謙虚さを無視して凶器を振るうのはいただけない。トカゲのごとく半ば這って右にしゅるっと逃げなければ、今ごろ薄切りハム数枚にされていただろう。


 カッときてくるりと向き直り、杖をあげる。

「てっ、てめえ、ふざけ――!」

 怒鳴りかけて、止まる。

 そいつと戦うことはなかった。

 そいつの目的はジェノスではなかった。


 刃を突き出したまま、疾風のごとく通りのほうへ駆け、塀の向こうへ見えなくなった。とたん、男女混声の調子っぱずれの大合唱のような、すさまじい悲鳴が聞こえてきた。びゅるるるるという何かを切り刻む音、ガチャン、ドチャン、グチャンと物が割れ壊れる音がここまで響き、往来で恐ろしい惨事が起きているのは明白である。

 ジェノスはわくわくしながらのぞきに行った。



 果たして通りに出ると、そこは彼女の期待を上回る、目も覚めるほどの素晴らしい大残酷絵巻が展開されていた。

 おしゃれなゴシック風の赤レンガ造りの通りはさながら地獄の戦場と化し、元は人間だったものたちの引き裂かれた死体がそこらじゅうで山積されている。ざっと五十人はいよう、老若男女大人子供、平民、兵士、そして上流階級とおぼしきものなど、その貴賎の区別なく、肉体をズタズタに切り裂かれ、無残に破れて血に染まる衣服の切れ端をまとうグロテスクな肉塊になり果てている。もがれた無数の手足がまっかな切り株をあちこちに向けて丸太のように転がり、どれも一様に鮮血でべったべたぬるぬる、上半身と下半身が泣き別れ、断ち切れた腹の底からぶよぶよの胃や心臓、腸などのやわい臓物が飛び出し、石畳にさながらクラゲの足のごとく四方に伸び広がっていたりする。その下、往来の地と石の路面は一面、血の海である。


 死体はほとんどみなバラバラで、どれも胴体や肩、腿の付け根などに、明らかに鋭利な刃物ですぱっと断ち切られた赤い切り口を見せて横たわっている。さっきあの変な少女が路地裏から飛び出し、そのすぐあと上がった嵐のような叫びからして、奴がさっき手首から出したあの異様な回転刃を使い、この哀れで不運な人たちを、瞬時に血祭りにしたことは間違いない。



 そして、積まれたいくつもの死体塚のまんなかに、その変な少女がいた。突っ立ったまま顔をあげ、誰もが見てぎょっとするような、ある異常行動を取っていた。もぎ取った首を右手で高らかにかかげ、その根元から流れ出るまっかな血流を、大口をあけてごくごくと飲んでいるのである。血に濡れそぼる髪がべったりと頬にひりつき、ぎょろ目を死にざまの恐怖にかっと見開いて、オー字の口からいまだ声なき断末魔をあげ続けるその生首の頭をぐっとつかみ、内部の液をぎゅいぎゅいしぼり出してラッパ飲みする様は、そのなんの表情もなく、ただ虚無的にまっ黒な瞳のせいで、不気味な変質者の恍惚にも見えた。



 だがジェノスには、これらが、このうえなくおもろいビジュアルで、まあ当たり前だが、そんなのは初めて見るし、しかしこいつがいったいなんなのか、どこから来てなぜこんなことをしているのか、全てがいまだ謎だから、ますます興味深く眺めることになった。


 が、いかんせんやってることが虐殺なので近づくわけにはいかず、やや遠巻きである。危険動物の観察である。

 ところが、ひょんなことから、相手のほぼ全てを短時間で知ることになった。


「おっと」

 ジェノスはややしりぞいた。奴がしぼりつくしたのか生首を放り、いきなりこっちにくるっと向き直ったからだ。人のことは言えないが、人を殺したあげく血を飲むような危ない奴だ。今度はこっちに来るはず。

 ところが来ない。そして杖を出そうとしてやめたとき、奴の頭のへんに、あるものを感じた。

 驚いた。

 脳のあるあたりに渦巻く、小さくもやもやしたもの。一般人には見えないが、魔女クラスなら感じ取れるもの。

 これは――

 想念、ではないか。





 人の心を読む「読唇術」ならぬ「読心術」は、魔法としてはとんでもなく高度で、たとえばジェノスの師匠のティロットン先生でも使えないほどの超絶技能である。人心を読む妖怪などもいるが、そういうのは、まるでその代わりの対価として神に取られたかのごとく、知能が著しく低かったり、存在が薄くてダメなモニターの映像のようにちらちら消えかかっていたり、メタクソに弱くて子供にも鼻息で負けるとか、なんらかの大きな代償を払っていることが多い。


 それほどに人の胸のうち、考えていることを読み取るという行為は半端なく難しい。人の精神と言うものが複雑怪奇でつかみどころがなく、そのメカニズムはいまだにほとんど解明されていないほどだから、まして近世の科学では不可能に近かった。


 かつて嘘発見器という機械があったが、相手の鼓動の早さや表情から、「今あせっているから、きっと隠し事がある、嘘をついているに違いない」などと判断する程度の、あいまいで不確実で当てにならない代物にすぎず、冤罪が多発するだけで、はっきりいって使えなかった。


 実は科学のみならず魔法の世界でもそうで、催眠術で人を操ることは出来ても、いま何を考えているのかを正確に知るのはとてつもなく難しく、いっそ表情から判断したほうが早いくらいである。最高位の魔術師の数名がそれを出来るといわれているが、それが誰かははっきりとはわかっていないし、作者もまだ考えていないので不明である。

 そんなわけで、読心の魔法というものはオカルト界隈では「触れるのもアホらしいほどに不可能なナンセンス」とされ、ただの冗談、あるいはタブーに近い扱いであった。


 それでも前向きなジェノスさんは、弟子時代に暇を見つけては、なんとか人の心が読めないかといろいろ調べて研究した。べつに向上心があったわけではない。相手の思っていることを見抜ければそのぶん殺しやすくなるし、逃れようとする相手の思惑を、神のごとく全て先回りできるから、いじめがいがあって面白そうだからだ。まさに人間のクズである。快楽至上主義のジェノスの、その行為の全ては、この神も死にたくなるであろう、無差別殺人という最低のいかがわしい娯楽に直結していた。


 もちろん魔法界の最高峰が出来ないことを、こんなクソガキにやれるはずもなく、動物のメンタルを知るくらいが関の山だった。しかし猫や牛は何も考えていないから、せいぜい「腹減った」とか「暑い」「寒い」「敵、逃げろ」みたいな単純きわまる感情もどきが伝わる程度で、それを知ったところで、ほぼ意味がなかった。たとえばトンカツが食いたいなら、すぐ殺して料理すればいいわけで、豚の思うところを知る必要は皆無である。


 で、そういうときには、対象である動物の頭のところに、前述の見えないもやの渦が発生する。これは魔法でその動物のメンタルが抽出されたことを意味し、このもやが、それをこっちの脳に送る中継地点となる。かくして牛なら牛の「腹減った」などがこちらの頭に送信され、彼のその不毛などうでもいい欲求を知ることが出来るわけである。

 そのもやが、なんと今、この殺人吸血少女の頭に現れたのだ。



(な、なんだ?! こいつ、動物か?!)(それとも、人のくせに動物並みの脳しか持ってないのか?)

 疑問符が頭に充満したとき、それをぬって何かの塊がジェノスの思考に飛び込んできた。それは真冬の石壁のように冷たく、思わず背筋がぞくっとしたほどだ。


 ――動物ではない。私は機械だ。

(機械?!)

 抑揚のない単調な声が脳内で響き、思わず目を丸くして思った。すると、相手はなんとそれに答えたのだ。同じく冷え切った無感情な女の声で。

 ――そうだ。私はブラッド一号。ロボットと呼ばれる人造の機械人形である。

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