馬鹿と鋏は使いよう

 デトロイト市街。高架下。

 上を走る高速道路が屋根代わりとなり、道路を挟み込むように作られたビルが壁代わりになっている空間。

 金を使わずに雨風夜露を防げる数少ない場所であり、風が通らず淀んだ空気が溜まる場所でもある、吹き溜まりであった。

 そんな所には自然と落伍者が集まってくる。

 ホームレスや家出人、そして麻薬中毒者。

 段ボールハウスのそばで内職に励んだりなどの一定のに嵌っているホームレス達とは異なり、薬中というのは実にバリエーションが豊かだ。

 体育座りして何事かをブツブツと呟いている者。

 奇声を発しながら空中に手足を振り回す者。

 生きているのか死んでいるのか分からないくらい、地面に横たわったままピクリとも動かない者。

 ゾンビ生ける屍よろしく、俯いたまま徘徊する者。

 誰も彼も皆、薬物で脳を侵されている。

 彼等は虚無と絶望で濁り切った目をしているが、彼等が見ているのは現実世界ではない。

 極彩色の万華鏡か、モザイクがかった思い出か。

 どちらにせよ、この空間は平常な人間にとっては毒にしかならない環境だ。

 そんな地獄一歩手前の地に、二人の警察官が訪れた。

 リチャードとボブだ。

 二人の登場にその場の多くが興味を示さなかったが、ボブが脇に抱えていた袋からそれを取り出し、地面へ放った瞬間から空気が変わった。

 薬中のほとんど、死んだように横たわっていた者さえも飛び起き、それに群がった。

 それとは、ビニールの小袋パケに入ったヘロインだ。

 芥子の実から取れるアヘンを加工したモルヒネを、更に加工した物で、使用するとこの上ない多幸感を感じることが出来る。

 彼等が常用している安ドラッグよりも高級品で、少ない量で天国に行ける魔法の品なのだ。

 薬中の多くはヘロインの味を知っており、一個しかないパケを奪い合っている。

 中にはリチャードとボブに縋って、ヘロインをせがむ者もいた。

 場の空気が温まり始めた頃、ボブが脇の袋を頭上へ掲げた。


「聞け!」


 リチャードが叫んだ。薬中が一斉に彼を見る。


「この写真の二人を見付けて殺した奴に、この袋の中のヘロインを全部やる!」


 そう言いながら、彼は懐から何十枚もの写真をばら撒く。ばら撒かれた写真は全て同じ物で、二人の人間が写っていた。

 赤沼浩史とマリア・アストールだ。

 二人の目線はカメラから外れており、理性がある奴が見ればその写真が隠し撮りした物を焼き増ししたものだと分かっただろう。しかし、この空間にそんな人間は存在しない。

 薬中は写真を目線で燃やさんばかりに見詰めた後、街へと駆けだした。

 写真だけを持って飛び出していく者もいれば、ナイフや注射器、鉄パイプを持って出ていく者もいる。

 結局、空間から出て行った薬中は四十名弱だった。

 何かしら武器を持っている者はその半数。


「こりゃあ勝ったな」


 リチャードとボブは既に勝利を確信した顔をしている。


「流石に、二人であの数は相手出来ませんよね」

「ああ。……あのアカヌマって奴がターミネーターでもない限りな」

「そりゃあ無いですよ」


 下種な笑いが空間に反響し、不快な響きを奏でた。



 コーヒーショップは昼前というのもあって込み合っていた。

 芋洗い状態というほどではないが、席に座ってのんびりという訳にはいかなそうだ。


「テイクアウトして、支部の方で食うか」

「そうだね……」


 温かい店内の居心地が良く、また寒い外に出るのが嫌なのが丸分かりな声だ。

 気持ちは分かるが、仕方がない。列に並んでいる間に店が空いてきたらいいのだが、この込み具合ではそれも望めそうにない。

 望み薄なことより今すぐどうにかなることを考えようと、俺はショーケースに並ぶパイやドーナツの品定めを始めた。

 チョコ系もいいが、ベリーソースが掛かったドーナツも美味そうだ。


(少し多めに買って、早めの昼飯にしようかな)


 何を幾つか買おうか、財布と相談していると肩を叩かれた。

 叩いた相手はマリアだ。


「どうした?」

「……何か、見られてない?」


 俺はショーケースの中身に向けていた意識を、改めて周囲へと向けた。

 確かに外から見られているような気がする。それも、何人かに。

 俺は視線の元を辿った。

 窓の外、向かい側の歩道に三人程のグループがこちらを見詰めていた。

 三人とも薄汚れた防寒着を身にまとっているが、ホームレスとは少し雰囲気が違う。

 そして、奇妙なことに全員揃って紙切れを握っており、それとこちらを交互に見ている。


「なんだ?」


 その内の一人と目が合う。

 すると、突然その彼がこちらへ猛然と向かってきた。マリアの手が腰のホルスターへ伸びる。

 俺もジャケットの内側へ手を突っ込み、シグのグリップを握った。

 他の二人も後を追うようにして走り出し、三人とも勢いそのままにショーウィンドウへ衝突した。

 その時の音で周りの客や店員も異常を察知したようだ。

 距離が近くなったことで、三人の様子がよく観察出来るようになった。

 目は血走り、顔色が悪い。ウィンドウにぶつけたせいで鼻血が垂れているのに気にする素振りも無く、店の中に入ろうとしている。

 確実におかしい。

 しまいには、ウィンドウを叩き出した。何がなんでも店の中に入りたいらしい。

 店の奥から店員が出てくるが、俺はそれを制した。


「近づくな! 警察を呼べ! 他の客の安全を守れ!」


 叫んでいる間に、ウィンドウにヒビが入った。

 マリアがグロックを抜く。俺もシグを抜いて、三人に向けて構える。


「止めろ!」

「動かないで!」


 制止を呼びかけるが、彼等は聞こえてないのか、そもそも聞く気が無いのか叩くのを止めない。

 そうしているうちにヒビはみるみる大きくなり、限界がやってくる。


 

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