第4話

「少なくとも、演技ではないですね」

医者は無感情でそう告げた。

「そうですか」

スーツの女性は肩を落としてうつむく。

「本人たちは気づいていなかったようですか。二人とも頭部に打撲のあとがあります」

僕と少女は顔を見合わせる。

「おそらくそれが原因で一時的に記憶が飛んでいるのでしょう。珍しい症状ではありますが、たまにある話です」

「完治にはどのくらいかかりますか?」

女性の質問を聞いて、医者はペンを顎にあて、思案する。

「そうですね。数週間かもしれませんし、数年の可能性もあります。あるいは一生死ぬまでこのままということも」

「そんな……」

「とにかく二人が一緒に見つかって、二人とも記憶を失っていることが最大のヒントでしょう」

「ヒント?」

僕がそう聞くと、医者はやっと僕に目を合わせた。

「ああ、君たちが記憶を取り戻すには、君たちが関わることが欠かせない。コミュニケーションを取ればとるほど、記憶を取り戻す可能性は高まるだろうね」

「まさか、しばらくこの子と一緒にいるってことですか?」

「それが望ましいね」

「だーかーら! アリスは記憶を失ってなんかいません! 前いた世界のこと、全部覚えてます!」

女性は少女の言葉を聞いてため息をつき、僕の肩に手を置く。

「協力してもらうわよ」

家には帰りたくない気がするし、記憶を取り戻したいのは僕も同じだ。僕は女性の方を見ないまま、うなずく。

「それはいいですけど、あなたは記憶を失っていないわけでしょう? そろそろ話してくださいよ。あなたはこの子とどういう関係なんです? そもそもこの子は誰なんですか?」

「それは私も知っているよ」

「え?」

僕は医者とスーツの女性を交互に見て、首をかしげる。女性は当然と言った顔でうなずく。

「どういうことですか?」

「ほら」

医者が机から取り出したのは、予防接種のチラシだった。一面でかでかと、金髪の少女の写真が載っている。

「有名だよねえ。アリスちゃん」

医者にそう言われて、スーツの女性はやっと笑った。

「ええ、日本一のアイドルですから」

「アイドル?」

「そうよ、私は彼女のマネージャー。東京から逃げ出したこの子を追って、ここまで来たの。そしたら彼女は記憶を失って自分を童話の中から飛び出してきたみたいに自己紹介するじゃない。私があなたを疑うのも当然でしょう? この子には変なファンもたくさんいるんだから」




僕たちはその後、三人で東京まで移動。少女の所属しているという事務所にいって、彼女の顔をいろんな人間に見せて安心させたり怒らせたりした。

「私はとりあえず、この子をこの子の家まで連れて行ってみるわ。何か思い出すかもしれないから。あなたは少しここで待ってて」

「わかり……」

「ダメです!」

事務所中に大声を響かせて、少女は言った。

「アリスは一時も白うさぎを見失うわけにはいきません! 白うさぎも一緒じゃなきゃダメです!」

少女は僕の影に隠れて、周りの大人たちを睨む。

女性は驚いているようだった。意外そうに少女をみて、たじろいでいる。

「そもそも! さっきから好き勝手いろんなところへ連れ回して! アリスはアリスの行きたいところへ行きたいです!」

女性は一息つき、少女に尋ねた。

「わかったわ……どこへ行きたいの?」

少女は高い声をできるだけ低くしてうなり、答えない。

僕は背中の方へ目をやり、彼女に聞く。

「どこへ行きたいんだ?」

そのとき、少女のお腹がぐうとなる。

「お腹が空きました……」

少女は恥ずかしそうにうつむき、つぶやく。

「ご飯が……食べたいです」

「知ってるよ」

僕がそういうと彼女は顔をさらに赤らめ、やけになったように怒った。

「教えてあげたんです!」




「久しぶりのご飯です!」

ハンバーガーショップで受け取り用の列に移ると、少女は嬉しそうに笑った。子供みたいに単純で嫌味のない笑顔だった。

「あと少しで白うさぎを丸焼きにするところでしたよ」

「君、狩人かなんか?」

「アリスです!」

少女はすねた顔をしたが、番号を呼ばれるとすぐにけろっとして、トレーを受け取りにいった。

「よしよし、逃げてないわね」

トイレに行ったいたスーツの女性、山下は僕たちがその場にいることを安堵する。

「じゃあ行くわよ?」

「え? ここで食べるんじゃないんですか?」

トレーを持っていた少女はポカンとする。

「そんな時間ないわよ。すみません、袋に入れていただけますか?」

山下は店員にそう頼むと、少女の肩に手を置く。逃げないようにだろうか。

「ええ! ここで食べたいのに!」

「あなたが失踪していたから、スケジュールはただでさえめちゃくちゃなのよ。車で食べるわよ」

「ひーん」

僕は袋を店員から受け取り、少女の背中を押して進む山下についていく。


「ん〜! 美味しいです!」

ハンバーガーを頬張ると少女はまた笑顔になった。

僕も一口ハンバーガーを食べると、ホッとした。記憶がなくなる前に最後いつ食事をしたのかはわからないが、すごく久しぶりの気がした。空腹にジャンクフードは最高だった。

「白うさぎも嬉しそうですね!」

少女に表情を指摘されると、なんだか悔しくて窓の外に顔を向けた。

横目でミラーを見ると、山下が微笑んでいるような気がした。勘違いかもしれないけれど。

「あなたもアリスとそう年齢は変わらなそうね。同い年なんじゃない?」

僕は気分を悟られないようにできるだけ落ち着いた声色で、山下に聞く。

「彼女は何歳なんですか?」

「十七よ」

僕は窓に反射する自分を見る。少し伸びた黒髪に、クマのついた目元、背格好。確かに十七歳くらいの気がする。

車の移動で反射が像を見せなくなると、外の景色に焦点があった。

またこの少女の広告だ。新アルバムのリリースを告知するでかでかと掲げられた看板。

隣に座っているファンシーな設定の変人とは違って、おとなしそうなどこかお嬢様のような雰囲気だった。金髪は丁寧に編まれ、いかにもアイドルといった感じの衣装は意外にも似合っていた。衣装を着こなすカリスマ性がビシビシと伝わってくる。

「んま〜!」

隣でポテトをつまむ彼女は広告に比べてずっと幼く見える。本当に同一人物なのだろうか。人違いなんてことはないのだろうか。

「もうすぐ着くわよ」

山下が前を見て運転しながら、僕たちに伝える。

「そういえば、いまどこに向かって……?」

僕がいまさらながら問うと、山下は得意げに答えた。

「アリスのミュージックビデオの撮影よ」

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