これからも一緒にいたいという願い

 ※特に大きなネタバレ等はありませんが、『それぞれの日々』9月〈2〉の話題が出てきます。





 俺――香坂環は、ただいま雪寮の談話スペースで友人たちと打ち合わせ中。打ち合わせといっても学校行事のことなどではなく、単なる遊びの計画の話だ。


 週末、街に買い出しに行くという話をしたら、珠希さんと森戸さん、さらには三井さんも乗ってきて、みんなで街を歩こうということになったのだ。彼女とデートとはならなかったが、賑やかなのもきっと楽しい。


「そうだ、昼はどこで食べようか?」


「ああ、それなら」


 ここで森戸さんがどこからともなく取り出したのは、例のおにぎりカフェのチラシだった。学校最寄りの駅ビルにも出店したらしいので、昼食はそこで食べることに。


 俺の向かいに三人並んだ女の子たちは、オープン記念の割引券付きのチラシを見ながらキャッキャと盛り上がっている。


「とろとろの味玉はマストだよねえ。桜エビと枝豆の混ぜご飯が第二位かな。ああ、でも天むすも捨てがたいなあっ……よし、思い切って三ついくか!!」


 三井さんは、トレードマークの長いポニーテールを揺らしながら豪快に笑った。


「私も味玉が気になるんだけど、おにぎりはひとつにしようかしら。お味噌汁がどんなものかわからないから、足りなければデザートで帳尻合わせね……珠希さんはどうするの?」


 森戸さんは野菜嫌いは徐々に克服しつつあるらしいが、相変わらず少食なようだ。話を振られた珠希さんは、チラシに丸い目を寄せたままポツポツと答える。


「えっとね。ちりめん山椒は前に食べて美味しかったから絶対外せないんだけど、二個目を何にしようかなあって。大葉と焼き鯖……ネギ味噌もおいしそう……うう、選べないよ」


 選ぶものは相変わらず大人っぽいが、迷っている姿は年相応の女の子といった感じでとても可愛い。ギャップがたまらないとでもいうのだろうか。頭を撫でたくなってしまうが今は我慢しなければ。拳をギュッと握る。


「珠希さんも三つ食べちゃえばいいんじゃないかしら。たまのお出かけの時くらい」


「でも」


 森戸さんの提案を受けた珠希さんの目線が、一瞬こちらに向いた気がした。他の二人に比べるとほんの少しだけ丸みのある身体をしている珠希さんは、食べる量のことを……というより俺の目を気にしているのだろう。


 ストレートに「気にするな」と言っても逆に傷つけてしまうかもしれない。ここはどう出るべきかを考え、慎重に言葉を練る。


「あちこち見て回るならたくさん歩くだろうし、いつもより多めに食べたほうがいいかも。途中で力尽きたら大変だし」


 森戸さんが正解とばかりに力強く頷いている。よかった、叱られずに済むぞと胸を撫でおろす。


「そうそう。彼氏もこう言ってるんだから、たまには良いじゃん。気になるならあとでしっかり身体動かせばいいんだよ! とっておきのエクササイズ教えるから」


 三井さんに畳み掛けられてもまだ少し迷う様子の珠希さんだったが、ようやく決心したように頷いた。


「うん、じゃあ三つとも食べようかな。そうだよね、毎日じゃなきゃ大丈夫だよね」


「そうこなくっちゃ」


 楽しみだねと目を輝かせた珠希さんはやっぱり可愛い。めちゃくちゃ抱きしめたい。いや、我慢だ我慢。


「そういえば香坂くんは何にするの?」


 どうしても不埒なことを考えてしまう自分と脳内で戦っていたが、三井さんから問われ我に返った。差し出されたチラシを受け取り、一面に並ぶおにぎりを見つめて少し考え、


「えっと……俺は……」








「なんであそこでおかかと梅干しってカッコよく答えられなかったんだ俺は!!」


「……今日はいったいどうしたんだい?」


 しくじった……ベッドでもがいている俺を、仕事の手を止めた紺野先生が苦笑いを浮かべながら見ている。


 今は夕食後の自由時間。俺は先ほどの失言をひたすら後悔していた。


「やっぱり心惹かれるのはオムライスとウインナーコーンなんですよッ!! あと唐揚げっ!!」


 どのおにぎりを食べたいか。馬鹿正直に答えた俺に向けられたのは。


「なるほど、男の子って感じだ」


「落ち着いてるようで、中身はちゃんとわんぱく小僧なのよね」


 三井さんと森戸さんは、まるで小さい子を見るような目で俺を見た。言われてみればたしかに、お子様ランチを握ったようなラインナップである。


 まあここまではいい。この二人にどう思われようが別に痛くもかゆくもない。問題は珠希さんだ。彼女は俺を見てくしゃっと微笑むと、


「ふふ、環くんってやっぱり可愛いよね」


 と言ったのだ。


――大好きなはずの彼女の笑顔が、今日はズーンと重く腹に響いた。


 同時に俺はまずいことに気がついてしまった。『やっぱり』ということは、以前から可愛い――子供っぽいと思われていたのかもしれないと。


 心当たりはありまくる。間違いなく前回のツナマヨとエビマヨのせいだ。


 あの時のツナマヨはよくある滑らかなペースト状のものではなく、魚のほぐし身をしっかりと感じるものだったし、エビマヨも負けじと大きめのエビがプリプリと存在感を放っていた。どっちもめちゃくちゃ美味しくて、思い出すと唾が……じゃない!


 やはりおかかや梅干し、昆布……せいぜい鮭やたらこあたりを挙げておくのが正解だったのだ。


 近頃は背がまた少し伸びたし、同級生だけではなく先輩にも頼りになると言ってもらえるようになった。少しは理想とするカッコいい大人に近づけたつもりだったが、中身はまだまだ子供だったのだ。


 ごめん珠希さん。


 やっぱり大人なあなたと俺なんかでは、釣り合わないのかもしれない……





「……やっぱり大人の女性からしたら、マヨおにぎりを喜ぶ男なんてやんちゃなカブトムシにしか見えないんですかね」


「……どうしてそう突飛な考えになるんだい? 君らしくもない。そんなわけないだろう。可愛いっていうのは、別に悪い意味で言ったふうには思えないけれど」


「いいえ……彼女に可愛いって言われるなんて男として終わってます……」


 だって俺は心身ともに男なのに、と思う。それなのに可愛いってことは、きっと子供っぽい、頼りない、情けないってことで……想像が連鎖してどんどん悪い方へ行く。このまま珠希さんにも見放されるかもしれないとどんどん背中が丸くなって重いため息をついた俺を、先生がじっと見つめている。


「まあ、僕も君のことはけっこう可愛いと思っているし、彼女の気持ちはわかるよ」


「なんでですか!?」


「ふふふ。そういうところだよ、環くん。愛されてるってことさ」


「ええー!?」


 先生は相変わらず柔和な微笑みを浮かべている。


 というより、歳の近い同性にそんな感情を抱くなんていったいどういうことなのだろうと、俺は出口のない迷路の中に放り込まれた気分だ。心臓がドキドキする。ちょっと嫌な意味で。




 俺に笑顔でトドメを刺した先生は、俺が机に置いたままにしていたおにぎりのチラシを手に取った。ハチミツみたいな色の目を右に左に動かして、一点で止める。


「さて、僕ならまずハバネロチキンをチョイスするかな。他にも辛そうよさそうなのが増えてるねえ」


「えっ? そんな、なんとかルーレットのハズレみたいな具ありましたっけ」


「ハズレだなんてひどいなあ。辛いものが好きな人間は君が思っているより多いんだよ……ほら」


 差し出されたチラシを受け取る。


 そんな危険な具材のおにぎりが許されるのか? と思いながら、裏面に目をやると本当にあった。さっきは気が付かなかったが、明らかにヤバそうな真っ赤な肉が刺さっているおにぎりが。


 期間限定で激辛系メニューを強化しているらしく、『辛いものが苦手な方はご遠慮ください』との注意書きとともに、全体的に赤っぽいおにぎりたちがチラシの隅で禍々しい気配を放っている。数種揃えてこうして推してくるあたり、辛いものが好きな人が案外多いというのは事実なのだろう。


「ほんとだ。すみません……とはいえ俺は遠慮したいですけどね」


「ちなみにハバネロはまだマイルドな方なんだよ、環くん」


「嘘だ。先生の評価は信用できないです」


 激辛大好きの先生の言う『マイルド』を鵜呑みにしたら、カレーは中辛で十分すぎる俺なんかは喉が焼けて死んでしまうに違いない。命大事に。俺は騙されないぞ。


「まあ、とにかく。釣り合いなんて気にせずに好きなものを食べたらいいんだよ。カッコつけて好きでもないものを食べるより、お互いに美味しいと思うものを笑顔で食べた方が楽しいだろう?」


「それはそうなんですけど……」


「見栄のために我慢するのが当たり前になってしまったら、お互いに疲れてしまうよ。たとえば本城さんが君の目を気にして、好きな食べ物をずっと食べられずにいたとしたらどう思うかな?」


 そう言われてハッとした。あの時、彼女はまさに俺の目を気にしていた。俺がちっぽけなプライドを守るためにカッコつけたら、彼女にも我慢を強いることになるかもしれない。一緒にいることが苦しくなってしまって……やがて。


「それは嫌です。そうですよね。別に相手を傷つけたり、自分の健康を害する訳じゃないなら、引け目を感じることなんてないんですよね」


「そうだね。だから僕は包み隠さず激辛を食べるんだ。我慢してしまっても相手のためにならないからね。ああ、もしも彼女が綺麗になるために努力しようとしているなら、そっと応援してあげるんだよ」


 もちろん今のままでも、なんならちょっとくらい太っていたって全然気にしないけども。もし珠希さんが自分が理想とする姿に変わりたいと思ってのことなのだとしたら、俺にできることは。


「否定しちゃいけない、ですよね」


「うんうん、やっぱり君は聡いね。さすがだ」


「でも、先生の激辛はちょっと……」


「おっと?」


 それっぽくウインクなんかしたりして、いい感じに締めくくったつもりだったんだろう先生は、軽くよろけた。


「だって、そろそろ健康被害が出るんじゃないかって心配なんです」


「そんな無茶はしてないと思うけどな」


「いやいや」


――先生は湯気に近寄っただけで咳き込んでしまうほどの刺激物を『目覚まし』と称して普段から大量に摂取している。激辛と書かれているものに、さらに一味唐辛子を山盛り追加することもあるほどだ。


 俺は刺激物を好まないのでネットで調べた知識になるが、辛いものを食べるとある種の脳内物質が分泌され、それにより爽快感や高揚感が得られ、まさに目が覚めるんだそうだ。寝る間を惜しんで仕事をしているらしい先生にとって、時に必要なものなのは理解できる。


 一方で、食べすぎると胃腸や喉の粘膜を痛めてしまい、心拍数や血圧が上昇して心臓に負担がかかってしまうらしい。先生は特にカップラーメンを好んでいるので、塩分が及ぼす影響も心配だ。日常的にコーヒーを飲み過ぎているのもきっと良くない。若くして内臓が、なんてことになったら目も当てられない。


「この話の流れで先生の楽しみにケチをつけるのは申し訳ないですけど、本当に、本当にほどほどにしてくださいね。身体を壊したら、元も子もないんですから」


「あはは、肝に銘じるよ」


 先生は俺をかわすように軽やかに笑った。


 わかってるのかなあ……と不安だが、コツコツ言い聞かせていくしかない。俺は先生のもとで学びたいというだけではなく、いつかは研究や仕事を一緒にできたらいいなとも思うようになった。


 俺が密かに叶えたいと思っていること――いつか家族で一緒に暮らせるようになりたいというものだ――は、今までにない魔術を開発するという先生の研究の延長線上にあるのではないかと思うのだ。


 だから、先生にできるだけ健康で長生きしてほしいという気持ちは、もはや珠希さんとずっと一緒にいたいという願いと同じくらい、大きくて強いものになっていたりする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る