第10話 邂逅Ⅶ 2人の本当のはじまり

 勢いで舞踏会会場に乗り込み、男女関係なく会場中の注目が集まった瞬間。その時すでに、ぼくはすぐさまその場から逃げ出したくなった。


 今のぼくは百人近い人の注目どころか、数人の注目が集まっただけで上がりそうになる。しかも、ぼくのことを見ている半分以上はここ1カ月以上避けてきた女性。特に女性の視線は気を抜くとぼくを凌寸前まで追いやった時のプロムの視線のように見えてきて足がすくむ。でも。


 会場の奥で唇をぎゅっと噛みしめて悔しさを堪えるお嬢様の姿を認めた途端、ぼくは一瞬、全ての恐怖を忘れる。


 ――お嬢様にあんな表情をさせないようにどうにかできるのはぼくしかいないじゃん。だから、ここで逃げたりなんてしちゃ絶対ダメ!


 そう自分を奮い立たせて、恐怖心なんかまったくないかのようにぼく……うんうん、「わたし」は会場全体の注目を集めつつ胸を張ってお嬢様の元へと歩み寄って、跪く。


「遅くなりました、お嬢様。――わたしと一曲、踊っていただけますか? 」




 それからのわたしは社交ダンスについていくことに必死だった。魔法騎士と言うクラス上、運動神経に自信はあったけれど、元々が庶民の出だから社交ダンスなんてやったことがあるはずもない。その上、社交ダンスがはじまってもまだまだ数十人近い女性の視線にさらされていて気を抜くといつでも気を失っちゃえそうな状況。そんな中でお嬢様と手を繋げる喜びなんか噛みしめる余裕もなく、ただ、「卒なくこなしきること」だけにわたしは注力した。


 そんなわたしがお嬢様の目にどう映っていたかは凄く不安だったけれど、お嬢様は


「アリエル様って社交ダンスできたんだね」


と笑顔で言ってくれた。その笑顔は余裕がなさ過ぎて干上がりかけていたわたしの心を少しだけ潤してくれた。


 それでも一曲終わる頃には、わたしの体力も精神力もかなりすり減っていた。


 ――でも、まだ人から悟られるほどじゃない。だから今は、このまま押し切る!


 そう思った時だった。


「アリエル様、ちょっと来て」


 お嬢様にそう声をかけられたかと思うと、気づいたらわたしは、お嬢様に手を引かれて会場の外へと連れ出されていた。




 会場の外に出て二人きりになった途端。張りつめていた緊張の糸がぷつんと切れて、わたしはつい、その場にへたり込んじゃう。呼吸が苦しい。


 こんな弱弱しい姿見せたらわたしはお嬢様が憧れてくれた『女騎士アリエル』なんかでいられない。しっかりしなくちゃ。


 頭ではそう思ってるのに身体が全然追いついていかない。呼吸困難になりながらせいぜいわたしが言えたのは


「ご、ごめんなさい、お、お嬢様。ぼ、ぼく、ちゃんとお嬢様の理想の女の子ができなくて」


という、かっこ悪い言い訳の台詞だけだった。


 ――これで完全に、わたしの初恋は終わったな。


 そう確信した時だった。いきなりお嬢様にぎゅっと抱き締められてわたしは一瞬、何が起こったのか理解できなかった。


「お、お嬢様!?こ、これはどういう……」


「うるさい! アリエル、あんた、なんでこんな無茶なことをしたの? そのせいでこんなにボロボロになって、少しは自分の体と心を労わりなさいよ! 」


いつの間にかお嬢様の頬は涙で濡れていた。


「そ、それは……お嬢様が、こっちのぼ……わたしのことが好きだって聞いたから、です」


「そんなことのためにこんな無理をして、ボロボロになったっていうの? 気にする必要なんてないのに」


「ち、違うんです。わたしは、お嬢様のことが、その……す、好きになっちゃって、お嬢様に振り向いて欲しかったんです! 」


 い、言っちゃった……! でも口にしちゃった以上、もう後戻りはできない。そう開き直ったわたしは必死にまくしたてる。


「お嬢様にもわたしのことを好きになって欲しい、お嬢様と相思相愛になりたい。そのために今のわたしができる精いっぱいが、お嬢様が好きになってくれた昔の自分に近づくことだったんです。元通りにはなれないけど、好きな人のために頑張って、少しでも自分を変えたい。その思いって、そんなにいけないこと、ですか……? 」


 最初はマシンガンのようにまくしたてていたけれど、最後の方は自信がなくなってか細くなっちゃう。そんなぼくの話を聞いて、お嬢様は少しの間呆然としていた。それからふっ、と小さく笑う。


「そっか……あたしのことを好きって言ってくれて、ぼろぼろになってまであたしのために変わろうとしてくれるのは正直、すっごく嬉しいよ。でも、それでアリエルが苦しそうにしているのを見るのは嫌だな」


「ご、ごめんなさい、今度はそう言うのお嬢様の前では隠せるように、もっと練習し」


「そう言うことを言ってるわけじゃないのよ」


 子供をなだめるようなお嬢様の言葉に、わたしは思わず言いかけた言葉を飲み込んじゃう。


「確かにあたしの初恋相手が帰ってきてくれたらあたしはめちゃくちゃ嬉しいし、間違いなく、またあなたと恋に落ちる。でもその裏でアリエルが本当の自分を押し殺して、苦しんでいるのだとしたら、あたしは純粋にあなたのことを好きになれないし、そんな形で両想いになっても幸せじゃないよ。――アリエルは今のお屋敷でのアリエルと昔のアリエル、どっちの自分の方が好き? 」


「それは……今の『ぼく』、です。だって、お嬢様がくれたものだから」


「そっか。なら――」


 そこでお嬢様は言葉を区切って、改めてわたしの目をじっと見つめてから口を開く。


「だったら、アリエルの好きな今のアリエルで、あたしのことを落としに来てよ」


「えっ? 」


 つい素っ頓狂な声を出しちゃうぼく。でもお嬢様はいたずらっぽい笑みを浮かべたまま続ける。


「今の僕っ娘で、男装していて、引っ込み思案なアリエルのことを、あたしは可愛いと思っても恋愛感情を抱けない。そんなあたしの気持ちを変えに来てよ。嘘偽りない、今のアリエルで、あたしにあなたのことを好きにさせてよ。期限は一年以内に。それでどう? 」


 それって……ぼくにチャンスをくれるってこと? ぼくの好きな今の「ぼく」をお嬢様が好きになってくれる――そんなことがもし実現できるなら、それがいいに決まってるよ。


 ぼくは御嬢様のくれたチャンスに泣きそうになりながら、でもここは泣くところじゃないなと思い直して必死に涙を拭い取りながら笑顔を作る。


「チャンスを下さってありがとうございます、お嬢様。――わたし、うんうん、ぼく、絶対にお嬢様に恋愛感情を抱かせて見せますから」


 この時、好きな人に「今のぼく」を好きになってもらう物語がようやく始まった。

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