第22話 さくらちゃんは泣いている

 ――――マディアラン大陸、北マディアラン・エインガナ砂龍帝国最難関迷宮・大砂瀑布龍墓だいさばくふりゅうぼ、第76階層【飛竜の巣】。


 ヨルベア大陸北ヨルベア地方を中心に名を上げていたトップダンジョンシーカー『星銀』のパーティメンバーはその地へと遠征し、全126階層からなる転移不能の最難関迷宮完全攻略を成し遂げる。


 しかし、最下層攻略後に発生した迷宮崩落事故からの帰還中、第76階層【飛竜の巣】と呼ばれる広大な吹き抜けの空間に、粗い蜘蛛の巣上に広がる細く頼りない橋の下は奈落のような迷宮の闇の底。その階層で、周囲を覆う迷宮の壁の穴から際限なく湧き出す飛竜の群れの襲撃に合い、ひとりのパーティメンバーが命を落とす。


「ルブギナ――――ッ!! 助け――っ」


『星銀』はルブギナの両親が率いる世代最強のトップシーカーの集団であったが、その中には成人である15を迎え、迷宮探索に加わってまだ二年程度の若者が二人いた。


 互いに新世代の最強候補と呼ばれ、幼い頃から共に『星銀』の仲間たちに育てられた仲睦まじい存在だった。


「お前は相変わらず足元がおぼつかないな! シユリカ!」


 人がひとり歩くのもやっとの足場、崩落する瓦礫を物ともせず襲い掛かる飛竜たち。

 そんな飛竜の一匹に隙を突かれ、その身を掴まれてしまったシユリカは今まさに、宙へと放り出され、既に崩壊した瓦礫で埋め尽くされた迷宮の深層へと落とされようとしていた。


 ルブギナは誰よりもはやくシユリカの声に気づき、一切の迷いもなく魔力を身に纏いシユリカの腹を抉るように爪を突き立てる獰猛な飛竜へと飛び掛かり、その翼を剣で切り裂いた。


「先に逝く。父さんと母さんにここは任せろと伝えてくれ」

「そんな、待ってルブギナ――――ッ!!」


 竜を切り裂き、シユリカの身を仲間の元へと放り投げ、ルブギナは竜の屍の上を蹴り上げ、残り少ない魔力の全てを使い果たすまで竜を狩り、それを再び足場にして飛び続けた。


「辿り着けよ……地上まで――――」


 父が、母が、仲間たちが、シユリカが第76階層を脱出し、崩落した壁から剥がれた岩が全ての橋を破壊し尽くし、それでも怨念のように湧き続ける無数の竜の群れに最期は逃げ場を失くし、崩れ落ちる迷宮と共にルブギナはその生涯を終えた。



 17の誕生の日を迎えるよりはやく、前世の僕の生は終わった。



 最近では思い出すことさえも無かった、大昔の出来事。

 現代の科学や医学というものを知ってしまった僕にはもう、今となっては本当にそれが僕の前世なのか、それともただの僕の妄想なのではないかとさえ思ってしまうほどの、荒唐無稽な話。


 けれど、改めていまの僕は、この体が転生者のものだと自覚している。


 さくらちゃんと別れてから、まだ時間もあるので勉強会に付き合わせてしまった和希に何かお礼をしようかと西吉鷹の駅前に戻ろうとしていた僕は、その手に持っていた荷物を人目につかないところで魔法収納にしまおうとして、さくらちゃんの物と自分の物を取り違えていたことに気づく。


 そうして慌ててかけた通話――のスマホのスピーカーから聴こえたその声に、僕は全力で駆けだしていた。


『蒼井くんっ……助けて』

「今すぐ行く」


 そう答えて、誰の目にも止まらない速度で僕は来た道を戻り、返事をした直後にはさくらちゃんの家のすぐそばまで戻ってきていた。


 今まで、外でこんな風に力を使うことなんて絶対にしないと決めていたのに。


 さくらちゃんの家のすぐ近くまでは何度も来ていたのでだいたいの場所はわかる。

 けれど、どの家かまでは知らない……だから、気配探知を全開にしてすぐにさくらちゃんの気配を発見し、家の前で『島野』の表札を確認してインターホンを押す。


「すみません。島野さんのクラスメイトの音海坂学園2-Aの蒼井と申しますが、島野さくらさんはいらっしゃいますか?」


 それからほんの少しして、さくらちゃんの家の玄関のドアが開く。


「……ハ、ハロー?」


 出てきたのは40歳くらいのおじさんだった。

 というか、これ多分お父さんだよね。

 え、両親ご在宅の感じ?


 僕はてっきり自分の家の感覚で週末だからといって家に誰かが居るという想定はしておらず、とにかくさくらちゃんが泣いているということだけに意識が向いていて、その想定はまったくしていなかった。


「こんにちは。蒼井凪と申します。あと、日本人です」

「あ、そうでしたか。はは……すみません、てっきり」

「いえいえ、いつものことなのでお構いなく」


 なんだこの空気は。


「あの、蒼井さんはどのようなご用件で?」

「えっと……」


 そちらはどのようなご状況で? とはさすがに聞けない。


「蒼井ぐぅん~っ!」

「さくらちゃん」


 明らかに僕を見て困惑しているさくらちゃんパパと、困惑されて困惑している僕の奇妙な間に割って入ってきたのは、めちゃくちゃ鼻声で顔をぐちゃぐちゃにしたさくらちゃんだった。


「もう大丈夫だよ」

「よ゛がづっだぁ」


 本当はどうしたのか聞きたかったけど……さすがにこれじゃあ聞き難い。

 仕方がないので、さくらちゃんパパに尋ねてみよう。


「あの、先ほどさくらさんにお電話したら様子が変だったので心配して来てみたのですが、ご迷惑でなければ上がっても構いませんか?」

「えっ? それは……いやあ、どうかな。どうしよう。えぇ……ちょっと待ってね……」


 激しく動揺するさくらちゃんパパ。

 僕もパパの立場だったら、いきなり娘の友達の男が家にやってきたらそうなると思う。


 でもごめんなさい、娘さんが泣いているのに事情もわからないで帰るとかできないんで押し通させて貰います。


「事情をお伺いして落ち着いたら帰りますので、何があったかだけでも確認させて貰えませんか?」

「お父さんとお母さんが私の言ってること信じてくれないの! 蒼井くんに貰ったお洋服ぐちゃぐちゃになっちゃった……ぐすっ」

「あ、ちょっとさくら、それじゃあお父さんたちが悪いみたいになっちゃうから……あの、ちょっとすみません。誤解しないで欲しいんですけど……というかどうしようコレ、参ったな」

「上がってもいいですか?」

「……どうぞ」


 さくらちゃんの言いたいことは把握したけれど、さくらちゃんパパはなんか普通に困ってる感じで、ただの家族間の問題のような気もしたけれど……ここまできてしまったのだからもう話をちゃんと聞いておこうとごり押し。


「お邪魔します」

「ぐすっ」


 さくらちゃんパパに家に入れて貰って、靴を脱いだら床を這いずっていたさくらちゃんがぐずりながら僕の袖を掴む。


 なんだろう……赤ちゃんかな?


 そのままさくらちゃんパパに案内されてリビングまでやって来て……破れたハニバレのショッパーと散らかったのルームウェアになんとなく状況を察する。


 あと、僕の顔を見てちょっと緊張した感じでおろおろしてる女の人は多分さくらちゃんママだ。


「さくらさんと同じクラスの蒼井といいます。今日、外出にご一緒させて頂いたのも僕です。もしかして、僕が今日さくらさんをお誘いしたことでご迷惑をおかけしてしまったでしょうか」


 とりあえず、ご両親に向かってご挨拶と謝罪の意味を込めて頭を下げる。


「違うよぉ。私はちゃんと蒼井くんとお出かけしただけって言ったのにお母さんたちが信じてくれなくて私が変なことしてるんじゃないかって怒ってるの」

「ちょ、ちょっと待ってさくら、お客さんの前でそんなはっきり……お母さんご挨拶もまだなのに……」

「はっきりもなにもそう言ったのはお母さんじゃん!」


 ちょっと状況がこんがらがってるな。

 さくらちゃんが完全に僕を盾にして喧嘩スタイルになってしまっているので、とりあえずこちらを先に宥めるか。


「良かった。さくらちゃん、これ僕が間違って渡しちゃったほうだから、散らばってるのは僕の部屋着だから。さくらちゃんのほうはこっちね、はい。ちゃんとさくらちゃんのは綺麗なままだから大丈夫だよ」

「……え? でも……あ、本当だ……あ! じゃあお母さん蒼井くんのやつぐちゃぐちゃにしたっ!」

「え!?」


 一瞬収まったかと思ったけれど、さくらちゃんママに飛び火してしまって、さくらちゃんママが余計におろおろしだしてしまう。


「僕は大丈夫だよ。どうせ帰ったら一回洗濯するつもりだったし、バッグもあるから持って帰れるから大丈夫」

「でも、お店の袋ぼろぼろ……」

「ハニバレのショッパーなんて古紙の日にまとめて出すくらい山ほど家にあるから心配ないよ」

「そんなに!? ゴミに出すなんてもったいない!」

「そうかな? でもとりあえずそういう訳だから、心配ないから一度落ち着いて座らせて貰えないかな? 何かあったなら一緒にお話し聞くから。叱られるようなことがあったとしたら、多分僕も関係あるよね? 申し訳ないのですが、ご両親もご迷惑でなければ、何か僕のしたことで問題があるようでしたら仰っていただければ改善致しますので、少しだけご一緒にお話しをさせていただけませんか?」


 さすがに全員いつまでも突っ立ったままというのもおかしいと気付いたのか、ようやくさくらちゃんもご両親もそれに気づいてリビングのテレビの前のテーブルを囲うようにして腰を休める。


 散らばった服は目に映るとまたさくらちゃんが不安定にならないか心配なのでさっとバッグに放り込んでおいた。


 ちなみに、リビングには三人分しかソファが無かったので、僕はお断りしてカーペットの上に座らせて貰った……のだが、何故かさくらちゃんもソファに座らず僕の隣に陣取ったのでソファがひとつ余るというよくわからない状態。


 そこからとりあえずさくらちゃんのママが全員分のお茶を出してくれて、お互いに改めて自己紹介を済ませてから、本題。


 ざっと全員の話を聞いたところ、さくらちゃんがヘアサロンに行くと言って妙に早く家を出て、帰ってきたらたくさんのブランド物の服を持っていたので問い詰めたら、朝に渡したお金を丸ごと返してきたので変な付き合い――まあ、所謂パパ活的なこと――をしているのではないかとご両親は不安になってしまって、さくらちゃんは正直に話しをしたものの、そんな男子高校生が存在するかと疑われる結果になってしまった、と。



「――――つまり、僕が色々と贈り物をしてしまったことで誤解を招いてご心配をおかけしてしまったようですね。本当に申し訳ありませんでした」


 全面的に僕が調子に乗ったのが悪かったので土下座した。


「いや、そんな私たちの方こそ、まさか本当に同級生の子と一緒だったなんて思わなくて……ねぇ?」

「う、うん。それに、蒼井くんはその……なんだ、さくらとは付き合っているのかい?」

「ちょっと! お父さん何言ってるの! そんなんじゃないよ!」


 さくらちゃんが高速否定する。


 ま、まあ、実際そうだし……効いてないし。


「さくらさんとは隣の席で、よく話す機会がありまして……僕以外にもさくらさんは学校では持田さんという女子生徒の数人を中心にクラスのみんなと仲良くしていただいています。今回はさくらさんからカットのことで相談を受けましたので、僕の知人の美容師がカットモデルとして無料で受けてくれるというのでさくらさんにお声がけしたんです。勿論、知人の名前や店の名前もインターネットで調べたらすぐに出てくるしっかりとしたお店なので変なところではありませんし、さくらさんが今日持って帰ってきたものは間違いなく僕が今日贈った物で、怪しい人との交流などは一切ありませんでした。数年振りにカットをされるとのことでしたので、記念になる一日になればと思い、贈り物をさせて頂いたのですが、結果としてご両親にご心配をおかけする形となってしまったことは本当に申し訳ありません」


 梓さんの店が無料だったという部分についてはさくらちゃんにバラす訳にはいかないので嘘をついたけれど、その他のことは全て正直に話した。


「凪くん……でしたっけ? 全部贈り物っていうことだけれど、そのお金はどうしたの? こんなこと聞いちゃ失礼かもしれないけど……」


 僕の話を聞いたさくらちゃんママが恐る恐るといった様子で尋ねてくる。


「問題ありません。僕は幼少の頃に少しテレビに出演したりなどしていまして、そのご縁で今は芸能事務所に所属して普段はアパレルブランドの広告や雑誌のモデルとして活動をさせていただいています。今週は中間テスト前なので今日は久しぶりに休みだったのですが、普段は休日はお仕事をさせて貰っていますので、そちらの収入から全てお支払いしています」


 金銭的な物に対する不信感というのは、一度誤解が生まれてしまえば根深いものになる。

 今後のことを考えて隠し事なしで全部話してしまうことにした。


「その外見……名前、もしかしてって思っていたんだけど……凪くんって去年テレビのCMに出てたりする?」

「え?」


 さくらちゃんママはどうやら僕のことを見たことがあるらしい。

 さくらちゃんパパは驚いた顔をしているので多分知らないっぽいけど、あれは本当に期間限定のCMだったし、僕はセリフさえなかった――演技が必要なものは断っている――のであまり印象に残る物じゃないだろうし仕方ない。


「スポーツウェアのですよね。出てました。確か2ヵ月くらいの放映しかなかったと思うのですが、よくご存じですね」

「わっ! やばっ……あなた、この子芸能人よっ! 本物っ!」

「ええ!? 母さん知ってるの?」

「何度か見たことある……っていうか、思い出したけど、確かに凪くんの顔って……あー! パソコンでも見たことある! 本でも見たことある! どうしようっ! サイン、サイン貰わなきゃ、あなた」

「いやいや、落ち着きなさい。蒼井くんに失礼だろ。というか、コホン。それにしても蒼井くん。きみが本当にさくらの同級生で、お仕事もしているのはわかった。けどね、高校生の贈り物にしてはちょっと無理をしすぎているんじゃないのかな? 俺はあんまりイマドキの子のブランドのことはわからないけれど、結構するんだろ? いくらモデルをしているからってあんまり女の子にその……貢ぐようなことをするのは良くないと思うんだ。その、収入だって安定している訳じゃあないんだろう?」


 収入か……確かに安定していない。

 学校のある日はどうしてもと頼まれた仕事以外は受けないし、逆に長期休みのあるときは仕事でスケジュールが一杯になっていて月ごとで言えば収入はバラバラ。


 4月などは春休みがあったから手取りだと確か……


「そうですね。先月あたりは40万弱くらいでした。それより少ない月も多い月もありますけれど、学業と並行しているので不安定ではあります。ただ、学生なので普段はお金を使わないので殆ど貯金に回していますし、今のところは――――」

「――――さくら、お父さんとお母さんが悪かった。蒼井くんはこんなに真面目でしっかりとした考えと立派な収入のある素晴らしい男の子だ。疑って済まなかった。こんないい人とはそうそう出会えないよ。そのことに感謝してがんばりなさい。お父さんは応援するよ」

「……ねえ、あなたの先月のお給料って確か」

「やめろ、言わないでくれ」


 僕が喋っているのを食い気味に遮ったさくらちゃんパパが何故か逆に僕に頭を下げ、何かを応援し始めた。


「ふんっ。今回だけだからね!」


 そして両親からの謝罪を受け入れたさくらちゃんはなんだか誇らしげな感じで胸を張っているけれど、頬に涙の痕が残っていて、なんだかおかしい。


 けど、泣き止んでくれたなら、両親と仲直りができそうならそれでいっか。


「さくらちゃん。僕のせいでごめんね」

「蒼井くんは悪いことしてないよ。私のほうこそ、変な電話してごめん」

「電話をかけたのはこっちだから気にしないで。むしろ、こうして両親にご挨拶する機会になったからありがとうだよ」

「両親に……挨拶……」

「さくらちゃん?」

「ふえぇ!?」

「また何かあったらいつでも駆け付けるから。泣きたくなるようなことがあったら、我慢しなくていいから、僕を呼んでね」

「うん。ありがとう……凪くんのそういうところ、私、大好き」

「……!?」


 ちょっとさくらちゃん、今それはご両親の前で言ったらまた新たな誤解が生まれる気がするんだけど!?

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