第9話 さくらちゃんはバレている
あ、この人既読で終わらせていいタイミングわからないやつだ。
割と早い段階でそれに気づいたけれど、連絡先を交換したときの雰囲気でなんとなく察していたので、慣れないうちはあるよねーと思いながら返事をしている間にその日は朝になった。
翌日は予定通りにさくらちゃんと澪瑠と一緒にお弁当を食べて、澪瑠のミートボールを一つ強奪して「なんでだ!?」と言われたけれど罪を犯した人間の言葉には耳を貸さなかった。
そんな風に平日が過ぎていって――土曜。
今日は朝から収録のために出かけなければいけないので、両親を起こさないように支度を済ませて家を出る。
転移魔法を使えばどこにでも無料であっという間に行けるのだけど、この世界では仕事のためにどこかに行くだけで領収書を求められるので各種交通機関を利用する。
収録先のスタジオの最寄り駅まで着いたらそこから待ち合わせをしていたマネージャーと合流してスタジオ入り。
スタッフさんに挨拶を済ませてから控室へ。
「センパイおはでーす」
俺の控室から朝に聞くには陽気すぎる声がする。
「なんでお前が俺の控室にいるんだよ、ぴあ」
「センパイを待ってたからじゃないですかー」
堂々と人の控室のお菓子を食べながらくつろいでいるのは同じ事務所の後輩の――年齢は俺のひとつ上の高校3年生――ぴあ。
もともと、SNSでかなりのフォロワーを持っていたインフルエンサーで、本格的に芸能活動をするために2年前に事務所に入ってきた、まさにイマドキの象徴みたいなあか抜けたタイプ。
一応の敬語は使っているけれど見た目の派手さそのままの明るく砕けた調子に人懐っこい距離感の詰め方。
インフルエンサーとして活動していたからファンサービスも良く、ますます人気を集めている。
「前に撮った春物のやつ評判良かったみたいでまた呼ばれちゃいましたっ!」
「そういうこと言ってるんじゃなくて、ここ俺の控室。お前は違うだろ」
「だってひとりじゃ暇なんだもーん」
「俺これから着替えとヘアメイクなんだけど」
「どうぞお構いなくー」
「構うわ。出てけ」
ぴあの誰とでも仲良くなれる性格と、同じ事務所の中では年齢が近いこともあって、仲が悪いとかではなく、むしろ仲は良い。
ただ、タレント活動がメインのぴあとモデル活動しかしていない俺は普段はそんなに接点がないので、たまに現場が一緒になると必要以上にこうして絡んでくる。
こっちももう扱いに慣れているので襟首でも摘まんで追い出してやろうかと思ったけれど……あれハニバレのだよな。
衣装を引っ張ってダメにする訳にもいかない。
そう思って伸ばした手を引っ込めたのを何と勘違いしたのか。
「やったー! 許されたー! センパイちょっろー」
「……静かにしてろよ」
「やーだー」
「……」
これは絶対に俺と同じ現場なの知ってて先にきて衣装に着替えて待ってたな。
というか、マネージャー知ってただろこれ、と思って視線を向ける。
「私はちゃんと伝えてましたよ?」みたいな顔をされて、そうだっけ? と打ち合わせのときのことを思い出す。
あの時は確かさくらちゃんのことばかり考えていたので、打ち合わせに身が入ってなかったのかもしれない。
というか、ここ数日は毎晩さくらちゃんがトークアプリに慣れるように夜遅くまでメッセージのやり取りを続けていたので今日のことがすっぽ抜けていた。
悪いのはこっちか。
「まあいいや。準備終わるまで……できれば今日の仕事終わるまでは静かにしといてね」
「数カ月ぶりに会った後輩になんてことを言うんですかっ!」
だってぴあがいると騒がしいし。
そうして、結局俺が準備を終えるまでの間、ずっと後ろから話しかけてくるぴあの相手をすることになり、ようやく撮影の時間。
ハニバレの主力商品はルームウェアなので、一着ずつ衣装を着替えて一人で撮るものが多いのだけれど、それは先週に済ませてある。
今日は一軒家のようなスタジオの中で、日常の生活の様子のワンシーンを切り取ったような撮影。
ぴあと二人なので、つまりは恋人同士っぽい感じで。
「センパイ、見てみて、コレ超美味しそうじゃないですかー?」
「美味しそうだけど撮影用だから食べるなよー」
「はい、あーん」
「俺が食べるのもダメだっての」
ぴあはカメラが回っているのを分かっていてこんな風に悪ふざけをする。
俺はそれに振り回される形で、音を撮ってもいないのにぴあの調子に乗せられてそれに応える。
ぴあのこうした悪戯が、仕事だと割り切っている俺の中から日常の僕を引き出してくる。
こちらは仕事だからとこどものような一人称も喋り方も意識して変えているっていうのに、人の努力も知らないで、いつの間にかぴあの作り出す空気に呑まれてしまう。
そうしている間に朝の緩やかな朝食のシーンの撮影が終わり、今度は部屋を移してリビングで読書をしたり、テレビを見たり、ソファに寝転がるぴあの背中に起きろよと突っ込んだり。
そんな本当には存在しない日常を、ぴあはあたかも実在するかのように作り出す。
僕からすればぴあはただの後輩で、仕事仲間で、友人なのだけれど……カメラのレンズを通して見えるその光景は他の人が見れば「恋人同士の日常」なのだ。
時間が進むのに合わせて、衣装を変えて。
ナイトウェアに着替えて肩を寄せ合う。
ぴあは普通に疲れて寝息を立てていた。
スタジオのセットの中にはハニバレの商品がさりげなく散りばめられていて、ソファの上には折りたたんだブランケットが置いてある。
さすがにぴあが仕事中に本気で寝落ちしてるとかスタッフさんにバレる訳にはいかないので、ひとつのブランケットに包まるようにして身を寄せて――。
「ぴあ、起きろ。これ撮ったら終わるから」
「んあー? せんぱい?」
「起きたか? ちょっと頭触るぞ」
「いらっしゃいませー」
寝惚けているぴあの頭の角度をカメラにちゃんと横顔が映るように調整して、ちょっとだけ乱してしまった髪が跳ねたのを手櫛で直す。
「ハイ、オッケーでーす!」
スタッフさんの声を聞いてひと安心。
バレずに撮影を終えたので寝惚けているぴあの頬を摘まんでちょっと強引に目を覚まさせる。
「やってくれたな後輩め」
「私なんでほっぺたつねられてるんれふかぁ! しぇんぱぁい!」
「いいから、挨拶して帰る支度するぞ。本日もありがとうございました! みなさんお疲れ様です。またよろしくお願いします!」
「おつかれさまでしたー、ありがとうございましたー」
これでやっと撮影はおしまい。
ぴあはマネージャーと一緒にタクシーで帰宅。
僕は二人とは方向が違うので来たときの通りに駅まで歩き、そこから電車。
さて、ようやく一人になれた。
ぴあが一緒に居ると思っていなかったので普通に撮影の合間にもさくらちゃんに少しは返事をする余裕はあるだろうと思っていたけれど、スマホを見る暇もなかった。
何度もメッセージのやり取りをしてるのをぴあに見られたら絶対に変な誤解をして冷やかされるし。
スマホを取り出し、トークアプリを開く。
最期に僕が既読を付けてからかなりの時間が経っていた。
『凪:仕事でスマホ見れてなかった。ごめんね』から始まるメッセージ。
『さくら:お仕事おつかれさま! こんな時間まで大変だね』
帰ってきたメッセージには驚いた顔の絵文字と汗の絵文字。
さくらちゃんは遂に絵文字を使うようになっていた。
これは明日くらいにはスタンプを送ってきそうだな、と思っていたら、ピコンと音が鳴る。
僕が既読にしたまま終わっていたトーク画面が更新されて、『おちゅ!』とポップなフォントで一言添えられた謎の熊みたいな兎みたいな動物のスタンプが表示される。
「あー、可愛いなぁ」
あまりにも無意識に漏れた言葉は、自分でさえもそれを口にしたことさえ覚えていなくて。
駅にたどり着いた僕は、今日もまたこれから、さくらちゃんが眠ってしまうまでとりとめもないやり取りを続けるであろうことに、充足感を得ているのだった。
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