第15.2話 失楽園





「白銀の人狼ですか……よく手懐けましたね。Mr.エンフィールド」


ワインが入ったグラスから口を離すと、青年は声をかけてきた男の方に顔を向けた。


「あんさんは確かあのおっさんの……」


「……ここではMr.ウィルソンと名乗っていたと聞きました。

私は後継人になりましたので今日はご挨拶をと思いまして」


「はは、おおきにな~僕みたいなまだこっち側に入りたての下っ端にも声かけてくれはるなんて」


青年はヘラヘラと笑うと、男のグラスにワインを注ぐ。


「……父に聞いていたので貴方の事を。

目利きの良いバイヤーがある時期からプレイヤーとしてこちら側に姿を現すようになったと……」


「それちょっと嫌味っぽく聞こえるけど……まぁ、ええわ」


「私は貴方を尊敬していますよ。

貴方が選ぶものは本当に価値があるとね。

……本当に私がもう少し早くにMr.ウィルソンを継いでいれば良かったと後悔していますよ。

あの白銀の人狼は欲しかった。私も、他の方もね……」


男は注がれたワインを一気に飲み干し一礼をすると立ち去っていった。


「最も戦闘力が高くて、ごく稀にしか誕生しない幻の人狼だっけ?

なんで手をだしちゃったのさーシキくんはさ」


「ニアくんいらっしゃい。

あと一応ここでは大きな声で本名はNGでお願いね」


マッシュヘアの少年はここ座っていい? と青年の隣を指さすと、ドサッと腰を下ろした。


「ここジュースないの?お菓子はー?」


「はいはい、アップルジュースでええやろか?

お菓子はマカロンがあったと思うから持ってこさせるわ。

あ、そこのボーイはんお願いしまーす」


器に山盛りに積み上げられたマカロンが来ると、少年は目をキラキラさせる。

大きな口を開け、マカロンを味わう。

そしてアップルジュースが入ったグラスのストローに口をつけ、音をたてながら飲み始めた。


「いや、何が楽しいのやろかと思って。

長い生涯の中のほんのちーとばかしの暇つぶしだよ。

あともう少しで見たかったものが見れそうなんだ」


椅子の手置きに右肘を置くと、手の甲にシキは頬をつけた。


「ふーん、僕が頑張ってお仕事してるのにシキくんは楽しんでてつまんない!!

世釋様に言いつけてもシキの好きにしてあげなって言うし……もう!! もう!! 」


「はぁー、怒ってる今のニアくん可愛いわぁ~手元に置いときたい……ずっと眺めたい」


「キモイ。シキくんの変態! 」


ニアは膨らました頬を突っつくシキの手をぺちぺちと叩く。

シキは嬉しそうにニアのその攻撃を受けていた。


「それにしてもあのお兄さんが言ってたようにさ、よく手懐けたよねリリィちゃんをさ」


「素質は元々ええんだよあの子は。

只、優しすぎるから最初は手こずったけどね……

もうコレを使わなくても、十分に戦闘は出来るようになりよったからなぁ。

育て甲斐はあったわ」


「うわぁ……何その液体」


「コカイン。

感覚神経の興奮を抑制したり精神を高揚するものだよ。

刺激剤みたいなものやろか。

……これもいつどなたはんからもろた知識かは僕も分かりまへんしさ、長く過ごし過ぎて忘れちゃったわぁ。

あ、よかったらニアくんも見てく? 」


「最初からその気だったくせに……もうちょっとで夕食の時間だからね?

僕がいなかったらマザー心配するし……真緒くんにまた怪しまれちゃう」


そう言いながらもニアはマカロンを口に運ぶ動作を止めない。周りが少し騒がしくなり、ザザッとスピーカーから音がし始めた。


『ようこそ、この神聖なコロシアムへ!

今回は今まで負けなし殺人鬼の左腕を持ち、蜂のように鋭く突き刺す剣を操る男ヴィルそしてその相手は……こちらはこの階級では初登場だ……!

齢16にして注目を集めている異材その美しさに神の使いだと伝えられ、最も戦闘能力が高いとされる幻の白銀の人狼……リリィだー!!! 』


歓声がより大きくなり、ニアは眉間の皺を寄せると耳を塞いだ。


「……おいおい、お嬢ちゃん。

何にも武器持ってないじゃないか。

そんなんじゃ、すぐにその綺麗なお顔や体を穴ぼこにしちゃうぜ……」


リリィの対面する男はニヤニヤと笑い、リリィの身体を嘗め回すように見る。


「……勝負の前に聞いてもいいですか? 」


「あん? 」


「……貴方が此処で闘技をされているのはいつからですか? 」


「化物みたいな奴らとやり合えて金持ちの娯楽ゲームに参加するだけで金が稼げるって上手い話を持ち掛けられてな。

俺様にぴったりだと思って2.3年前から始めたのさ。

……まぁ、お嬢ちゃんみたいな子供相手は初めてだけどな」


「ありがとうございます。

じゃあ、はじめましょう!

今日は大切な約束の日なので私、早めに帰らないといけないんですよ~! 」


リリィは先ほどの無関心な表情と打って変わってパァッと可愛らしい顔で笑った。

男はそんなリリィの表情が癪に障ったのか、血管が浮き出るほど怒りをあらわした。


「ああん??! なめんじゃねえぞクソ餓鬼が!!!! 」


男の左腕がリリィを捕えようと、勢いよく伸びるがリリィは軽くかわす。

男は間合いを詰めながら、攻撃を繰り返し地面が粉々に破損していく。


『おーと、かわすだけだが段々と逃げ道がなくなっていくー! これも狙いか? どうする白銀の人狼!! 』


テンションが上がっているのかアナウンスの声が興奮気味に聞こえる。周りも更に歓声がどんどん大きくなっていく。


「はは、お嬢ちゃん戦い慣れてないな。宣言通り体中穴ぼこにしてやろう」


男は剣を高速でリリィに向けて突き刺していく。破損されていく壁の砂煙にリリィの姿は見えない。


「ねぇ……本当に大丈夫なの? リリィちゃん」


ニアはシキの方をちらりと横目で見る。

シキはグラスに新しくワインを注ぐと、グラスを慣れた手つきで回した。リリィを心配しているような様子はないのはニアにも分かった。


「まあ、勝負は決まったかな。さてと、送っていこうか? ニアくん」


「ううん、大丈夫。あ、そうだ本当に実行するの?

もう僕は準備できてるけど」


「うーん……中止はないとちゃう?

もうあそこには用はなくなったし。

それとも愛着でも湧いちゃった? 」


「そんなわけないじゃん。僕は早く帰りたいもん」


はははっとニアは笑うと、部屋から出ていった。

男は攻撃を止めると、勝利を確信したように両手を高らかに挙げる。


「はー……いたたっ、砂埃が目に入っちゃいましたよ~! 結構痛いんですよコレ~! 」


「な……?! 」


『おーっと、白銀の人狼が立ち上がっております!!

先ほどの攻撃は効いていなかったのでしょうか? ヴィルは大分驚いている様子ですねー!! 』


リリィはぽんぽんと砂埃を払うと、ぐっと拳を握ると左足を一歩出し、膝を軽く曲げると左手の拳を目より高めの位置に構え、右腕は肘を右わき腹にくっつける。


「さて、ちょっと油断してしまいましたが、今度は私の番ですね~! 剣握れなくなっちゃうかもしれませんが……恨まないでくださいね? お兄さん」


勝負は圧巻だった。男の腕や足は曲がらない方向に曲がっていたり、顔面は大きく腫れている。

大きくなる歓声を後にリリィは会場を出ると、シキが立っていた。


「かっこよかったよリリィ。

でも今回も残念やったな、見たかったのに綺麗な毛並みの姿。

やっぱり少しでも打っといた方がええのやろか……? 」


「……やめてください。それはもう入れられたくない……です」


リリィは唇を噛むと、視線を外すように視線を落とした。


「そないな悲しい顔せんでよ。嫌がる子に無理やりするほど僕も意地悪やないさ」


シキはぽんぽんとリリィの頭を撫でる。


「僕ね、もうここを離れへんといけなくなりよったんだよなぁ。やから今度が最後になると思うよ」


「え……っ?

本当ですか、ユキちゃんは……? 」


「ああ、ウィルソンさんに聞いとくわ」


「お願いします。

でもよかった……これで真緒ちゃんに嘘をつき続けなくて良いんだ。

あの、夕食の時間には間に合いたいからすぐにシャワー浴びて準備して来ますので……」


「はいはい、すぐ迎えるようにしておくわ」


リリィは駆け足で向かって行く。シキはくすくすと笑うと、壁にもたれ掛かる。


「良かったね。君のラストステージにぴったりな最高の舞台を用意するから派手に踊り狂ってねリリィ」





「それでは皆さん手を胸に添え、心を落ち着かせましょう。

……主よ、この食事を祝福してください。体の糧が心の糧となりますように……」


マザーに続いて子供達も自身の胸に手を添え、目を閉じると口々に祈りを呟く。

祈りが終わると楽しそうな声が聞こえ始め、食事をする音が響き始めた。

リリィは大きな口を開くと、厚切りの豚肉にかぶりついた。そしてスープの皿を両手で持つと、一気に口に含み飲み干す。


「はあー、やっぱりいつ食べてもおいしいなぁ」


「良かった。いっぱい食べていって下さいねリリィ」


「ありがとうございますマザー」


真緒はスプーンですくったスープを口に運ぶ。


「マザー!!

お洋服にこぼしちゃったよ~!! 」


「あらあら、ちょっと待っていて。

お洋服で擦ってしまうと広がってしまうわ……」


マザーはスープを溢してしまった子のもとに駆けていってしまった。


「……リリィさ、なんか悩んでたりしないよね」


「ん?

どうしたの真緒ちゃん。

悩みなんてないよー? どうして? 」


「いや、別に。

そういえばさマザーに聞いたけど、此処に戻ってくるんだって?

それも此処の跡を継ぐとか聞いたけど……心配だねぇ」


「えー?

私しっかりしてるよ?

真緒ちゃんよりもお姉さんだからね」


「身体だけデカくなって、頭の中は昔から変わってないに一票」


「ちょっ、失礼!!

えーい、これは私が頂く!! 」


「おい、リリィ!

それ俺のパン……!! 」


「早いもの勝ちです~♪

あ、真緒ちゃん私のデザート取らないでよ!! 」


「モグモグ」


「ストロベリーチーズケーキ……食べたかった」


「モグ……そういえば、ユキ兄から手紙届いてたよ」


「ユキちゃんから……!?

どこにあるの? 」


「あとで読めばいいじゃん……」


「ええー……ああ、早く中身が読みたい」


「……ユキ兄も戻ってくるってさ、此処に」


「え、何真緒ちゃん見たの……?

約束は?

一緒に見ようって真緒ちゃんが言ったのに~!! 」


リリィは、なんでなんでと言いながら真緒の肩を揺さぶる。


「チビどもが破いちゃってたんだよ……修復するときに読んじゃった」


「ううーん、それは致し方がない……けど、切ない」


「悪かったよ……。

部屋に置いてあるから見れば?

あと、部屋変わったからマザーの部屋の隣。

一人部屋だから」


「一人部屋……!!

ついでにベッドの下も見させていただきます!

棚の後ろとかな!! 」


「……なんも隠してないからな」


リリィは駆け足で階段を上がると真緒の部屋の扉を開けた。


「あ、あったあった……。

えーと、二人とも元気ですか。

僕は少し前に風邪を一度引きましたが元気で過ごしています……」


【元々料理を作ることに興味があったので、働きながら調理師の資格の勉強をしていました。無事に資格が取れたので育ててもらったこの施設の調理師の補佐としてこちらに戻ってくることになりました。二人に会えることを楽しみにしています】


「ユキちゃんは普通に調理師さんの資格取れたのか。最初はあの場所にいたらどうしようと思ってたけどウィルソンさんのところは普通のところだったんだな……良かった、私みたいにならなくて。

あの人も今度が最後だって言ってたからきっと嘘じゃないと思うし……ユキちゃんに会うの楽しみだなぁ~! 」


「うわっ、入口近くで床に寝そべらないでよ。リリィの髪踏みそうで嫌なんだけど……」


食事を食べ終わった真緒が部屋の前で寝ころぶリリィに驚いた。


「えへへっ、ごめん。

ユキちゃん調理師なんてすごいね~!

ん、真緒ちゃんなに? 」


「どうしたのそれ」


リリィは拳を見ると、少し赤く腫れていた。


「……あー、どこかでぶつけたのかな?

平気平気、真緒ちゃんに言われるまで気づかなかった~」


「もっと腫れるよそれ。マザーに言って冷やせるものでも貰ってくるよ」


「ありがとう~真緒ちゃん」


「それにしても書類整理の仕事手伝ってるだけなのにどこにぶつけるのさ……」


「あ~……本棚とかかな?

資料とか運ぶときにぶつけたのかもしれないし……」


リリィは真緒には青年が支援しているこの施設と同じようなところの管理業務の手伝いで書類整理などちょっとした事務仕事手伝ったり、青年の下で働いていると嘘をついていた。

本当の事を言うことが出来なかった。自分の手が他人の血で染まっていること何人の人を傷つけているのかを、言えずにいた。

真緒が部屋を出ていくと、リリィは眉を寄せると俯いた。


「これで最後だから……そうしたら、昔みたいに戻れるよね」









歓声がどんどん大きくなる。いつ聞いても耳障りだなとリリィは思っていた。


「スカート動きづらそうだな~……さっさと終わらせよう」


リリィはスカートの裾を触ると、溜息をついた。


「リリィ可愛いよー、そのドレス似合ってるわ、ウエディングドレスみたい」


シキにそう言われ、リリィはひくっと口角が動く。


「……前回と同じようなドレスにして欲しいですけど。

これじゃあ、血が目立つじゃないですか……」


「最高の舞台やからさ、そのドレスが真っ赤に染まる姿がみたいって観客の皆さんの要望で♡」


「……これで最後なんですよね? 」


リリィは確認する様にシキの方を見た。


「うん、良かったなぁ。

君はホンマに僕の理想に近い存在になりよったよ。おおきに」


「……? 」


シキはニコニコとほほ笑むが、リリィはその笑顔に少し悪寒を感じた気がした。

リリィは歓声が響く会場へ歩みを進めていく。ライトの光が眩しく目を細めた。

目の前にはすでにフードを深くかぶった長身の男性が立っていた。



『ようこそ、この神聖なコロシアムへ!

今回はあのヴィルを瞬殺で倒した伝説の白銀の人狼のリリィの登場だぁー!!

おお、美しい白いドレスですねぇ~今回こちらのドレスをオーダーメイドされたのは……』


リリィは目の前の男性をじっと見つめる。

フードで隠れていて顔は見えないが細身で華奢そうな体をしている。

両手はフードのポケットに入れており、ポケットの中に武器か何かが入っているのだろうかとリリィは推測したがすぐに考えるのをやめた。


「女の人みたいに綺麗な人そうだな~……さてと、苦しませずに倒しますか! 」


リリィは構える姿勢を取ると、少しジャンプする。


「こんにちはMr.エンフィールド」


「今日はよろしくなぁ~? Mr.ウィルソン……ジュニア? まさかこんなに早くあんさんと並んで座るとは思わなかったわ」


Mr.ウィルソンはシキの隣のソファーに腰かけると、白いワインのグラスを回した。


「Mr.エンフィールド。約束通り私が勝ったらあの白銀の人狼をくださいね」


「あはは、多分それ無理だと思うわ」


「ふ、すごい自信ですね。ですが今回は私の勝ちですよ。その為に彼を連れてきたんですからね……」



会場の熱気が高くなってきており、アナウンスの声はまだ続いている。


「……大きくなったね、リリィ」


「……え」


リリィはぽかーんと口を開け、じっと目の前の男性を見つめる。

フードを外すと、にこっとほほ笑む。その顔はずっと見たくても見れなかった顔だった。


「ユキちゃん……? 」


「久しぶりリリィ。こんな所で会いたくなかったよ」


シキはくすくす笑い出す。


「Mr.エンフィールド。何が可笑しいのですか? 」


「いいや、堪忍な。どうしても口角が戻らんの……ほんま、楽しいわぁ」


「……不気味な男だな。おい、ワインが切れているじゃないか!!

新しいものを……ぉぉぉ?? 」


Mr.ウィルソンはゆっくりと倒れていき、ピクピクと痙攣を起こす。






「ユキちゃん……なんで? 」


「……」


ユキノはポケットから手を出すと、リリィに向かって手の平をかざした。


「こうゆうことだよ。リリィ……」


氷の破片が刃物のようにリリィの体も突き刺した。

リリィは交わしきれず攻撃を受ける。


「ゲホゲホッ……はぁ、はぁ……」




攻撃は止むことはなく、頭上から降り注ぐよう鋭い氷が落ちてくる。


「はっ、やばい……きゃっ……!! 」


いつの間にか足元が氷によって地面と一緒に固まっており、身動きがとれず落ちてきた氷がリリィに振り注がれる。


『おっーと!!

もろに攻撃を受けました!!

スピードがすごい!

すごいですね~!!

白銀の人狼リリィ手も足も出ないか?! 』


司会者は興奮しているのか、いつもよりもワントーン声の音量が高い。

観客の歓声と熱気が重くリリィに絡みつく。


「はぁー、はぁー……」


「リリィ。なんで攻撃してこないの?

……死ぬよ? 」


「ユキちゃん……なんで、どうしてー……! うっ……」


ユキノはリリィの首の掴むと、指に力を込める。


「……今ここで僕らが戦ってる間にあの場所を無くすらしいよ。

僕らの戻る所がないようにって……酷いよね」


「……!! 」


「手を出さないなんて嘘だったんだよ。でもね、僕はそれを聞いて安心したんだ。

場所は違うけどまた皆で一緒に居れるよ」


「……は?

何、言ってるのユキちゃん……」


「リリィ、僕はもう昔の僕じゃないよ。

自分の目的の為なら……誰が犠牲になっても哀しさを感じない」


リリィは目を閉じた。

そしてゆっくりと目を開くと、ユキノの腕をぎゅっと両手で握った。


「……なにそれ?

犠牲になれってこと?

真緒ちゃんや小さな子達にこんな風になれって?

家族のように一緒にご飯食べたり、笑い合ったり過ごしたのに……笑わせないでよ。そんなの許さない……なんの為に私は今まで……!! 」


力を込めると、骨が割れる音がした。ユキノが怯んだ隙にリリィは距離をとる。

リリィはユキに向かって襲いかかると、思いっきり腕に噛みつくと腕を引きちぎった。


『素晴らしい!! やはり美しいですね~! 遂に狼になるのかー?! 』


司会者の声も更に大きくなり、観客も殺せ殺せと声を張り上げる。

ぼたぼたと、血が床に落ちる。 

ユキノは負傷した腕に手を当てると、傷口を一時的ではあるが冷却させた。

リリィは噛みちぎった腕を放り投げ、姿勢を低くする。


「……そうだよ、リリィ。それで良いんだ」


リリィは飛びかかると、ユキノの首筋に噛みつく。

ぐちゃぐちゃと肉が血と混じった音が響く。

リリィが我に返ると、観客席には何人もの人が倒れており、壁や床、天井までもが血に染まっていた。

パチパチと拍手が響く。

リリィは振り向くと、シキはニヤニヤと不気味に笑っていた。


「おめでとさん! ええ舞台を見せてもろたよリリィ。ずっと見たかったんだ、人っちゅうモノが極限まで絶望を感じ、信じとったモノに裏切られたらどうなるか。

僕がこれからの長い生涯の中の知識として……君はとっても価値があることをしてくれはったね、おおきに」


リリィはゆっくりと血で真っ赤に染まったドレスと見た。

そして少し離れたところに血だまりの中に横たわったままピクリとも動かないユキノを見つめた。

全身が震え出し、大粒の涙が流れ出してきた。


「あ、あ、いゃぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッッッ!!!!! 」


「それにしてもまさかユキノ君がリリィの中の獣の枷を外してくれはるなんてなぁ。でもまだコントロールは出来ないのやろか?

ユキノ君の他にも殺しちゃうなんて……あらっ? 」



スパンと刀で切られたシキの首が飛ぶと、壁にぶつかる。


「はぁー、はぁー……八百さん、シキらしき人物を斬りました。

生存者一名発見……保護します」


リリィは自身の赤く染まった手のひらを見ると、気を失ったようにその場に倒れた。


「っ、大丈夫?!

なんでこんな子がここに……」


「夕凪、その子は俺が運ぶ。

お前はユヅルと一緒にまだ息がある奴らを連行してくれ」


「……八百さん。

わかりました、お願いします」





子供達は自身の椅子に座り、それぞれ向き合っていた。マザーと子供たちの前にコップ一杯の水が置かれる。子供達は何を発さず、虚ろな目をしていた。

ニアはつまんなさそうに欠伸をした。


「んー……Mrs.リオ準備できたぁー? 」


マザーはこくりと頷く。その瞳には精気を感じない。


「……主よ、罪深いわたしたちのために死を迎えるときも祈ってください。私たちにご加護を与えください……」


マザーの言葉を復唱すると、子供たちはコップに口をつけ、飲み干した。

バタバタと暴れ出し痙攣を起こすと動かなくなる。


「Mrs.リオ。僕に教えてもらおうか?

書物の場所をさ」


マザーはこくりと頷くと、ニアの手を握り階段を上がっていく。

子供達の部屋から銃声がリズムを奏でるように響く。


「んー?真緒くんまだ眠ってないの?

眠った方が楽だよ?

何も感じずに天に召されるんだからさ……」


「はぁ、はぁ……、」


「強いな……。

まぁ、いいか。ノアの箱舟も向かってきてるらしいし、さっさと回収して帰ろう」


マザーは少年に一冊の本を差し出す。


「はい、ありが……っ」


「我、汝ら血の精霊と契約を結びし者よ、血の加護により呪われし記録を葬りたまえ……」


マザーはそう唱えると、本のページに血が染み込んでいく。

ニアは奪いとるがすでに遅くべたりとページが血によって張り付いていた。

マザーは崩れるようにその場に倒れる。


「ちっ、奪われそうになったときに発動するように先祖のこいつの中にも入れてたのか……本当ムカつく。はぁ、世釋様に怒られちゃうよ……」


ニアはピーッと口笛を吹くと、バグのぬいぐるみが飛んできた。


「ポぺちゃん帰ろうか。

え、シキくん倒されちゃったって?!

……しょうがない回収しに行くかー」


ニアはちらりと真緒の部屋を見る。真緒はまだ苦しそうに息を吐いている。


「ばいばい、真緒ちゃん。ユキくんとリリィちゃんにも遊んでもらって僕一瞬でも楽しかったよ」


ニアは手を振ると、ぬいぐるみと一緒に階段を下りていった。

パリーンと窓ガラスが割れると、一人の女性が入ってくる。


「動くなよ坊ちゃん。

もう大丈夫だ……ゆっくり息を吸って吐け」


真緒はゆっくりと呼吸を整える。


「七瀬さん、駄目です。間に合いませんでした……」


「……そうか、チガネ少しでも救える子がいないか探して。

これ以上罪がない子達が死ぬのは見過ごせない……」


「わかりました、全力で探します」





死亡者310名

うち大人290名

うち子供20名

生存者5名。

うち大人3名(コロシアム関係者)

うち子供2名


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る