第8話 迷える子羊に休息を




夕凪は医務室のドアに閉め、ため息を吐いた。


「あ、おかえり。夕凪」


声のした方へ顔を向けると、こちらに手を振りユヅルが近づいてきた。


「……お疲れ様。

ユヅル、頼みがあるんだけど」


「話の内容によって判断するけどいいよ」


「ユヅルのドールを借りてもいいか?

郁にもデッドと戦闘する為に色々教えなくちゃいけないと思って……ドールの戦闘レベルはユヅルに任せる」


「……自室に籠ってて今出てきたばかりだけど。

何かあった? 」


「世釋に会った」


ユヅルは一瞬驚いたように目を見開く。


「あっちの大将が姿現すなんてね……わかったよ。

けれど任せるって言っても彼の実力見たことないし……」


ユヅルは医務室の扉をちらっと見ると、困ったように頭を掻いた。


「危ない場合は私が援護する」


「……わかった。

とりあえず今日は自室で休みなよ。

明日準備しておくから」


「そうさせてもらう。

そうだ、さっき七瀬さんと会って……」


「え、七瀬さん?

あの人に捕まると朝まで帰れなさそうだからな。

見つかる前に僕もお暇させてもらおう……」


「いや、もう無理だと思う。

後ろ」


ユヅルの後ろから手が現れ、首に絡む。


「久しぶりだなー! ユヅ坊元気してたか? 」


七瀬がユヅルの背中に飛びつく。

ユヅルは少し態勢が崩れたが立て直すとめんどくさそうに笑顔を七瀬に向ける。


「お久しぶりですね、七瀬さん。

僕、そろそろドールの調整をしに行かなくてはいけませんでしてね」


「ラヴィとさっき呑み行こうって話になってさ。

ユヅ坊も来るよな? 」


「いやです」


「いい酒手に入れてさー、辛口【鬼乙嬢】。

なかなか入手困難なんだよ。

付き合ってくれたらなんでもお願い聞いてあげるよ? お姉さん」


「僕は行きませ「来るよな? ユヅ坊」……喜んで行かせていただきます」


「そう言ってくれると思った。

それじゃ行くぞー」


七瀬は上機嫌になりながらユヅルとラヴィと酒場に向かって行ってしまった。




朝7時。

夕凪とリリィに連れられ、郁は広いホールに入った。


「……郁、昨日のことだけど聞きたいことがある」


夕凪の声がホールに響く。

ホールの周りが防音状態になっていることが窺えられた。


「昨日、世釋と一緒にいた男を見てからお前の様子がおかしかった」


夕凪はじっと真っ直ぐ郁を見る。

リリィは心配そうに手を胸のあたりで握った。 


「……あの人は俺が刑事の頃の先輩。

デッドに襲われたあの日も一緒にいて、あの時俺をかばってデッドに殺されたと思っていたんだ。

昨日会うまで……」


「あの人が郁くんが探してた猿間さん? 」


リリィの問いに郁はうなずく。


「私離れて見てたけど、長銃を片手で発砲できて、なおかつ射撃範囲は正確だったから怖いなって思った。

だけど普通の人があんな風に出来ないよねって思えて、それに……」


リリィは口ごもる。


「それに? 」


夕凪と郁はリリィの次の言葉を待つ。


「あの猿間さんって人、血の匂いがしたの。

デッドとは違う匂いというか……世釋くんの匂いに近い気がしたんだ……。

煙の匂いと混じってよくわかんなかったけど」


「なあ、郁。

聞きにくいんだけど、猿間っていう人がデッドに喰われるところ見たか……? 」


「……いや、見てない」


郁は首を横に振ると、夕凪は腕を組み難しい顔をする。

そして郁を見ると、口を開く。


「吸血鬼の血を摂取して身体が死亡した場合やすでに死亡している身体に血を与えた場合真由のようにデッド化する。

郁のように混血の吸血鬼が誕生するには双方の同意の上で与える宿主の血を多く摂取し、血の契りが交わされるはずなんだ」


「同意? 」


「与えた血に拒絶反応がないってことだよ。

少しでも身体が拒否して拒絶反応が起これば同胞は生まれない」


「それじゃあ……猿間さんも俺と同じ可能性があるってこと? 」


「もし息があった場合で世釋と何らかの接触があったら可能性は考えられる。

そうなるとあの戦闘能力は納得はいく」


猿間さんも自分と同じ状態の可能性が高いということが分かった郁はふと疑問が浮かんできた。

郁が混血となって目覚めたとき今までの記憶ははっきりとしていた。

それなのにあの時会った猿間は郁を見たとき知らないと言った。

それに何の躊躇いもなく郁を撃ってきた。

もしや記憶を失っているのだろうか、と。

だから次の夕凪の言葉を聞き逃してしまったのだ。


「……でも、双方が同じ性の場合混血が生まれるなんて聞いたことがない。

ラヴィさんが言い忘れるはずもないしな……」


夕凪もつぶやくようにそう言った。

ホールのドアが開き、ユヅルと七瀬が入ってきた。

後ろからはラヴィの姿も見える。

ユヅルは眉間に皺を寄せながら、郁達に近付いてくる。


「その、僕的には色々考えてはいたんだけど、七瀬さんが言っても聞かなくて。

早急に援護が必要になるかもしれない夕凪」


「え……ちょっと待てよ。

まさか……」


七瀬が郁の目の前に仁王立ちになり、笑顔で言葉を発した。


「郁くんの実力を私が見てみたいんだよね。

手合わせお願いしても良いかな? 」


「七瀬さんと手合わせ……?

あのここで何をするんですか? 」


ラヴィは郁に戦闘武器を渡すと銃を握る手を握った。


「特訓。

これからアルカラの戦闘に向けてワンコくんには強くなってもらわないといけないからね。

僕も七瀬相手はちょっと厳しい気がするけど」


「え、でも女性相手にそれもこの銃も弾入ってますよね……? 」


七瀬は自身の腰に手を当てると、にこりと笑った。


「大丈夫。

本物の銃弾は入れてないから。

本気で来ないと痛い目みるよ? 私強いからね」


「……わかりました」


郁は少し戸惑いながらも、戦闘準備をする。

郁、七瀬以外は邪魔にならないようにホール二階に移動し

た。

夕凪だけはすぐに止めに出れるようにとホール隅に立っていた。


「それじゃあ、はじめようか」


七瀬の声が聞こえると同時に郁の懐から激痛が走る。

それが七瀬の攻撃だとすぐに理解した。


「ほら、気を抜かないで。

私をデッドだと思って神経尖らして」


「っ、すいません」


郁は顔を上げると、七瀬の次の攻撃がすでに郁に向かってきていた。

郁は攻撃をぎりぎりのところで横に反れ、七瀬と距離をおく。

その間に七瀬の持っている武器を確認した。

自分の身長ほどある槍を七瀬は片手で振り回していた。

郁は銃を発砲させるが、七瀬によけられる。


「っ」


「どこ向けて撃ってんの?

郁くんって狙撃の腕良いって聞いたんだけど、この程度? 」


七瀬の攻撃はどんどん来る。

郁は避けるのに精いっぱいでスキをつくことができない。

そうこうしている内に壁まで追い詰められた。

七瀬の攻撃を腹に受け、郁は崩れ落ちる。

ぱらぱらと壁から抜け落ちた破片たちが床に広がった。


「郁くん。

君弱いね」


頭上で七瀬の声が降り注いだ。

郁はぐっと拳を握る。


「洞察力と運動神経。

私の攻撃を瞬時に判断して対応出来ているのに、反撃して来ようとしない」


七瀬は郁の服を掴むと、片手で郁を壁際に持ち上げられる。


「君の今の弱さは迷いだ」


「え」


郁はどきりとした。

視界が揺れ、瞬きもままならない。


「このままデッドを倒していいのか。

それとも例の彼とまた会うことになったら怖いから? 」


七瀬は郁の顔をじっと見た。


「君の決意ってそんな簡単に壊れるものだったの? 」


「……俺は」


郁は口籠る。

郁の脳裏に西野の言葉が浮かぶ。


「俺は、もう誰かが悲しむのは嫌なんです。

苦しんです。だから」


郁はぐっと銃口を七瀬に向けた。


「自分の出来ることを全力でします」


郁は七瀬の肩を蹴りあげ、態勢を崩した。

そのスキに槍に照準を定め、引き金を引く。

槍は七瀬の手から離れ、弧を描くように飛ばされた。


「ふっ、やっと本気出してくれたね郁くん。

私もそれに答えてもう少し本気出してみるかな……」


七瀬は嬉しそうに笑うと、空気が一瞬乱れる。

まるでその場の空気が七瀬の身体に集まってきているように感じる。

郁は嫌な予感がし、身構える。


「はい、ストップ」


いつの間にかユヅルが二人の間に入っていた。

ユヅルは七瀬に視線を向ける。


「七瀬さん。

嬉しいのはわかりますけど味方相手にその殺気なんですか?

七瀬さんは一応上司ですよね? 部下の見本ですよね? 」


ユヅルの表情は分からないが、なんとなく怒っているのは分かる。


「んうー……。

ごめんね、郁くん。

私ちょっと楽しくなっちゃってー……」


てへっと笑うと、申し訳なさそうに頭を掻く。

七瀬を見るとちょこんと額に菊のような模様がうつし出されている。


「その模様なんですか? 」


さっきまでこんな模様はなかった為、郁は気になり七瀬に尋ねた。


「ああ、これ?

さて、ここで質問です!

私の正体はなんでしょうか」


七瀬は人差し指を立てると、いたずらっぽく笑う。


ノアの箱舟に来て、夕凪によって半吸血鬼になった郁の前には今まで吸血鬼、人狼、魔女。

ラヴィの正体は分からないが多分何かの種族に違いないと思う。

ここで七瀬が普通の人間ですだったら逆にこわいと郁は心の中で思った。


「ヒントは私の姿を見ればすぐわかるよー! 」


「姿ですか…? 」


郁は腕組みをしながら、まじまじと七瀬を見る。

すらっと伸びる身長。

薄いピンク色の唇。

くりっとした女性らしい目元。

手足も長く、スタイルはそこそこ良い。


「ちなみに、胸はCカップです。

ユヅ坊に聞くと形も詳しく知って……」


「変なこと吹き込まないでください。

興味ありません」


「そうだよね。

ユヅルくん女の子に興味ないもんね~」


「……リリィもちゃっかり参戦しないでくれる? 」


ユヅルは二階でくすくす笑うリリィを睨む。


七瀬は髪の毛を手ですくい上げて、やっと頭の中に答えが浮かんだ。


「……鬼? 」 


「おぉ、当たり。

わたしは鬼なの」


七瀬の側頭部にはちょこんと角が生えていた。

鬼と云えば昔から日本の昔話とかに出てきたので、郁は馴染みがあった。 


「普段は妖気を抑えてるんだけど、極限まで妖気を増やすと額に模様が浮き出てくるってわけ」 


七瀬の極限まで妖気を引き出した姿ってどうなふうなのだろうかと郁は興味深かったが、この空気で言い出すのも気まずいのでやめた。


「夕凪よかったね。

君が一番ワンコくんのこと心配してただろうから」


下の階へ下りてきたラヴィは夕凪の肩に手を置く。


「別にそんなに心配してなかったので。

ただ、私は落ち込んだままのあいつとこれからも一緒に戦っていくのが不安だっただけですから」


夕凪はそう言いながらも、静かに胸を撫で下ろしていた。


「そう?

僕には素直になってもいいのに」


「……」


「さて、食堂行かない?

七瀬さんお腹すいちゃったよユヅ坊」


七瀬はお腹を擦りながら、ユヅルを見つめる。


「そうですか。

僕はここ片付けてから行くので、どうぞ? 」


「ユヅ坊会わない内に態度が冷たくなったよね。

昔は金魚のフンみたいにくっついてたのにー」


「誰が金魚のフンですか。

むしろくっついてくるのは七瀬さんの方でしょう」


七瀬とユヅルのやりとりを見ていた郁はふと思ったことを口にした。


「あの、七瀬さんとユヅルさんって仲いいんですね。

なんか距離が近いというか」


「まぁ、師弟関係みたいな?

ねぇ、ユヅ坊」


「はいはい。そうですね。

ほら、早くいかないと食堂閉まりますよ」


「え、今何時?

うわっ今日のスペシャル定食売り切れるかも。

リリィ行くわよ~!!

それじゃあ、また手合わせしようね郁くん」


そう言い、七瀬はリリィと一緒にホールを後にした。

ホールに残された郁はユヅルに話かける。


「七瀬さんって昔からあんな感じなんですか? 」


「まぁ、出会った当時からあんな感じ。

本当元気な人だよあの人は」


「そうなんですか。

あの、これからもよろしくお願いします。

ユヅルさんとはまだ戦闘とかご一緒したことないですけど」


「僕元々待機組だからね。

でもまぁ、郁くんとなら一緒に戦っても良いかもね」


ユヅルの手が郁に重なる。

郁は一歩後ずさろうとしたが、ユヅルの片手がいつの間にか郁の腰に添えられていた為阻止される。


「……ユヅルさん? 」


こんなユヅルと至近距離初対面の時以来だと郁は思った。

それにしても整ってる顔している。

猿間がクールワイルド系ならユヅルはクールビューティー系だなと郁は思いながら握られていない手をユヅルの胸に置き、押し返そうとする。

しかしユヅルはびくともしない。

同性なのになぜこんなに力の差があるのかと感じてる間にも鼻と鼻がつくくらいの距離まで近づく。


女の子に興味がないとリリィは言っていたが、まさかそういった感情を抱く対象が違うのかと唐突に郁は思い、混乱する。


「えと、あの、俺そんな気はなくて……だからその」


「郁くんの瞳の色綺麗だな。

肌も白いし」


「そ、ですか? 」


「きめ細やかで、唇もピンク色で」


「あの、ユヅルさん」


これ以上はやばい。と郁は固く目を閉じる。


「今度のドールのコンセプトは男の子にしよう」


「……はい? 」


ぱっとユヅルは郁から離れると、すっきりした顔をした。


「実は、行き詰ってたんだ新しいドール作るのに。

昨日黒髪ドール完成後新しいドールを徹夜で考えてたから」


「なるほど。俺、ユヅルさんは女性に興味ないと聞いて、俺はその気持ちに答えることが出来ないから…どうしようかと勝手に思って……すいません」


「もしかしてリリィが言ってた?

正直言うと人に興味が湧かないだけなんだよ僕。

別に郁くんが謝ることじゃないから」


「そうですか……勘違いしていたとはいえ、一瞬でもそう思ってしまい、本当すいません」


「やっぱり吸血鬼になると目の色変化するんだね」


「え、変わってるんですか? 」


「いや、今は黒目だけど、さっきは赤色だったよ」


全く気にしていなかったが、やはり前とは違うのだなと郁は思った。

そういえば夕凪も戦闘中瞳が赤色だった気がする。


掃除を終え、郁達もそれぞれ自室に戻る。郁は部屋のシャワーを浴びながら汗を流す。

七瀬と戦い、改めて自分の実力のなさがわかった気がした。迷いが完全に消えたわけではないが、もう一度猿間に会った時にはきっと戦闘になるだろう。


「……考えてても駄目だ。直接猿間さんに聞くしかない」


もしも記憶を失っていても、もしかしたら何かの反動で思い出してくれるかもしれない。

そしたらまた一緒に……

シャワーの水量を弱め、シャワー室から出ると眠気に一気に襲われ、郁はそのままベットに崩れるように身体を沈めた。

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