第4話 増悪




今は大手製薬会社として世間に名が知れている【宮下製薬会社】が経営を始めた場所がこの工場からだったのだと言われている。


当時はこの小さな工場で少人数で経営していたらしいが会社の名前が大きくなるにつれ、事業所を新しく建て直しこの場所は使われなくなった。

門の前で見上げると、木や雑草が鬱蒼と生い茂っている。


空に曇り風が出てきて、木々がざわざわと揺れていた。

門には鍵がかかっておらず、手で押すとなんなく開いた。


「お邪魔します~ 」


リリィは小声で言い、中に入ってゆく。

後を追って夕凪そして郁も足を踏み入れた。

窓ガラスは粉々に割れており、残置されているカーテンは半分だけずり落ちていた。


「あのドア」


夕凪は階段の裏側にドアがついているのを見つけつぶやいた。

階段の幅から察するに、物置ではないかと考えられた。

夕凪がノブを回すとドアが開く。

ドアの先は地下に向かって階段が続いており、底の方は暗くてよく見えない。


まるで底なし沼のように冷たい空気が皮膚に纏わりついた。


明かりがないため、手で壁を確かめながら歩みを進めていく。

ふと、先頭歩くリリィが歩みを止めた。


「……微かだけど血の匂いがする」


さらに突き当りに重たそうなドアが見え、下りていくにつれ匂いが郁でもわかるくらいになってきた。


郁を襲ってきたデッドであった彼女のアパート内から【宮下製薬会社】に関連したものが多く出てきたそうだった。

そして郁の彼女から聞いた証言により、もう使われていないこの工場に何かがあるのではないかという結論になった。


「……あのデッドは研究室で目覚めてから人体を弄られてたと言っていたんでしょう?

デッドの人体を弄るなんて悪趣味だけれど何か目的があるのは確か。

一目を避けて尚且つ好き勝手最適そうな場所ならここじゃないかと思ったけど、当たりみたいね」


「あと誰かに監視されてるとも言ってたけど……」


そう郁が言うと、リリィは郁達の方に振り向く。

そして自信満々そうな顔で郁達の方に人差し指を指さし満面の笑顔で言った。


「その誰かさんがここにいるかもしれないってことだよね! 」


夕凪は何か思い出したようにリリィに「そういえば、あれ使えるかもね」と言うと、リリィは「OK! ちゃんと持ってきてるよ~! 」と、そう言うと次の瞬間服のファスナーに手をかけた。


「肌身離さずって言われたから服の中に入れておいたの~、でも動いてたらどんどん下の方にいっちゃってね……」


今回のリリィの服装はライダースーツだった。

ずっと郁は目のやり場に困ってはいたが、あまり見ない様に自ら気を使ってはいた。

だが、やはり暗闇に目が慣れてきたのかリリィの身体のシルエットが暗闇の中でもわかってしまう。

なおさらリリィは今身体を動かしている為、なんというか……

郁ははっとし、目を瞑りそっぽを向いた。


「やばいな、全部脱がないと取れないかも~! 夕凪ちゃんどうしよ~ 」


「じゃあ、脱げばいいじゃない」


夕凪はズバッとそう言うと、郁は慌てる。


「いやいや、さすがにこの場は駄目でしょう? 俺一応……男なんですけど」


「……何を想像してんだか、変態。

こんな暗闇でリリィの裸体が見えるわけないでしょうが。

見えたらラッキー程度に思ってればいいのよ」


「夕凪ちゃんが言うなら、全部脱いじゃおう」


リリィはそう言うと、ファスナーに手をかける。

ジジジッとファスナーの音がする。


「……ん、服が肌に張り付いててうまく脱げないな~……あっ、ファスナー胸のあたりで引っかかっちゃったよ~ 」


「……めんどくさいから、刀で服切り裂いていい?」


夕凪は溜息を付くと、腰に下げている刀の鞘に触れる。


「ひゃっ、冷たい……ん、あ……っ あ、取れた取れた! それじゃあ、垂らすね~ 」


ライダースーツが床に落ちる音がする。


「……いや、待って?

夕凪ちゃん……リリィは何を垂らすつもりなんだ……? 」


郁は焦りまくる頭で、夕凪にそう尋ねた。


「ああ、部屋が暗いと見つけられるモノを見落とすかもでしょう。

懐中電灯だと荷物になるから困ってたんだけど、ちょうどリリィが面白そうなものを持ってたから利用しようと思って持ってきてもらったの。

別にいかがわしいものじゃないわよ?

リリィも変な声出さないでよ」


「えへへ、ごめんごめん。

郁くんの反応が面白くてからかっちゃった! 

これは液体を他の固体に垂らすと垂らした場所が発光して明るくなる物質なんだよ~! 

床で良いかな? 」


リリィが郁の制止も聞かぬまま、何かの液体の蓋をぽんと開けた。


「ってことはラッキー通り越して、リリィの裸体を見られる……っ見てしまうってことだよね……? ちょ、まってリリィ! 俺準備がまだ!! 」


ぽたっ、


リリィはコンクリートの床に液体を垂らした。

垂らした場所からみるみるうちに光を発して明るくなり、広がっていく。

明るくなるにつれ、リリィが鮮明に視界に映り出す。


リリィは裸体ではなく薄ピンクの下着姿になっていた。


「……リリィ、とりあえず俺の上着羽織ってください」


「えー、下着姿の方が動きやすい「お願いします」


郁はリリィの言葉を遮り、頭を下げながら自らの上着をリリィに差し出した。


「……はーい」


リリィは残念そうな声を出すと、しぶしぶ郁から上着を受け取った。


「鼻血拭け、変態」


夕凪はそっと、ティッシュを郁に差し出した。










ギギギー…ッ、鈍い音を立てながらドアが開く。

生ぬるい熱気と血なまぐさい匂いがし、郁は手で鼻を覆う。


「1人や2人程度じゃないな……リリィ」


「はいはーい」


夕凪に言われ、リリィは先ほどの発光する液体をばら撒く。

ばら撒かれた場所からどんどん明るくなって部屋の全体が見えてきた。


「なんだよ、あれ」


視界に映ったものは少女たちの死体の山だった。


周りには大量注射器がばら撒かれ、部屋の奥には手足を固定する器具や手術台が置いてあった。


「死体の腐敗具合からして、一番古くて2、3前か……郁?」


「……夕凪ちゃん、変なこと言ってもいいかな」


夕凪は視線だけを郁の方向け、郁の深刻そうな表情を読み取ると、また視線を死体の山に向ける。


「手短に」


「……腐敗してる人はわからないけど、みんな同じ顔なんだ。

襲ってきた彼女(デッド)に」



「……鹿山真由」


夕凪はそう呟いた。


「お嬢さん方はどこから入ってきたのかな? 」 


後ろのドアがバタンと大きな音をたて、閉まった。

入口の方からスーツに身を包んだ40代後半の女が近づいてくる。

その顔に郁は覚えがあった。


雑誌、CM、朝の情報番組に最近出ていたのが記憶に新しい。


「宮下製薬会社 代表取締役の宮下智尋(ミヤシタ チヒロ)さん。

なぜここに貴女が? 」


「男には興味ないの。話しかけないでちょうだい」


宮下は怪訝そうに郁を見て、言い放った。


「……お前、人間か……? 」


夕凪の問いに宮下はふふっと笑った。


「……あら、なんで疑問形なのかしら? 

私はちゃんとした人間よ? 」


かつんかつん、とヒールの音を立てながら宮下が近づいてくる。

リリィが夕凪の前に立つと、宮下も歩みを止めた。


「あら、そんなに怖い顔しないでちょうだいよ」


郁からはリリィの表情が見えない。


「どうしてこの場所を探り当てたのかはわからないけれど……特別に教えてあげるわ。

私は元々研究員でね、会社も大きくなってトップになってもよく他の研究員に隠れてここで人体研究していたものだよ。

生命は常に進化し続けている。

脳の活動制限だってもしかしたら10パーセント以上を引き出せる人間が作れるかもしれないと、そう思ったんだよ……」



人体実験はモルモットから人間へ、自分の娘へと変わっていった。

そう、興奮するように宮下はしゃべり続けた。


「真由は再婚した鹿山っていう男の連れ子だったわ。

まぁ、すぐに多額のお金を持って娘を置いてどこかへ行ってしまったけれどね」


「……仮にも自分の娘だろ? なんでそんなことができるんだ!? 」


郁がそう声を荒げると、宮下は迷いもせず言い放った。


「所有物だからよ。

私にとっては実験をしたモルモットと一緒よ」


宮下の志向が理解できない郁はただ拳を握り、怒りを抑えるしかなかった。


「……話にならないな。

悪いがお前の歪んだ志向には興味ないんだよ。

ただの人間がデッドの知識をどこで手に入れたか知らないけれど……」


夕凪は腰の刀に手をかける。


「拘束して洗いざらい吐いてもらう」


「拘束されるのはお嬢さんあんたたちだよ。

真由!」


次の瞬間、後ろを見ると同じ顔をした少女達が郁たちの腕を拘束していた。

死体の山に生存者がまぎれ混んでいたのかもしれない。


「あの日、この研究室に神父服に身を包んだ人たちが訪れた。

最初はびっくりしたよ、この場所は私しか知らないからね。

その者たちは私の志向を理解してくれたよ。

そして一瓶の薬を置いていった。

その薬を真由に飲ませたら、何が起こったと思う? 」



人間は生命の危機を感じると、生を残すため子孫を残す。


だが、真由は細胞を分裂させ自分のコピーを作りだし、大量のコピーを作り出した真由は息絶え死んだという。


「何人か体をいじっては息絶えていったよ。

たとえば餓死状態にしてお互いを喰わせあったりね。

まぁ、一番生命力が強くて意識がハッキリしてる子は逃げたみたいだけれど。


お嬢さん達も我が子(モルモット)のもっと強い進化のために栄養源になってはくれないかな? 」


「……強い進化のために犠牲になれと? 笑わせないでくださいよ」


リリィがそう呟く声が聞こえるや否、次の瞬間リリィを拘束していた真由達の腕が血しぶきをあげ床に落ちる。


血しぶきが少しだけ郁の頬に当たる。


そしてリリィは宮下の腹に拳を食い込ませる。

骨が軋むいやな音がし、宮下が血を吐き膝をつく。


「……私貴女みたいな人知ってます。

今でもあの日を思い出すと震えが止まりません。

もうこの世界にはいないと分かっていても全身の血や神経すべてがドロドロでぐちゃぐちゃになるくらい憎くて怖くて……仕方がない」


リリィは宮下に拳をあげ、振り落とす。


「リリィ!! 」


夕凪が声をあげると、拳は宙で止まる。


「落ち着け。そいつにはまだ聞きたいことがあるんだ」


「……そうだね、ごめん」


リリィは宮下を起き上がらせると後ろから腕を拘束する。


「痛いね……、そんなことしなくても逃げないさ。動いたら骨が臓器に刺さりそうだからね」


「郁。もうそいつらには拘束する力は残ってないらしいぞ」


「え、あっ、そう? 」


夕凪に言われて見れば拘束する少女の力が弱まっている気がした。


「デッドにしては弱弱しいと思ったんだ。

私達が倒したデッドが一番強い個体だったらしいな」


夕凪は服のほこりを払うと宮下の目の前に立つ。


「さっき、神父服の集団がここに来たって言ってたな。

そいつらが置いていった薬はどこだ? 全部使ってるわけがないよな? 」


「ふ、なんでそんなことお嬢さん達に教える必要があるのかな? 」


宮下は後ろで拘束されているにも関わらず、余裕のある表情で夕凪を見る。


「……仕方ないな。それなら直接理解するまでだ」


夕凪は髪をかき上げ、宮下の首筋に顔を近づける。

そして包み込むようにかぶりついた。


「……まっずい」


夕凪は首筋から顔を離すと口を押えつぶやいた。


「……真由のオリジナルは本当に死んだのか?」


夕凪は虚ろな目をしている宮下に問いかける。


「こいつの記憶に娘の真由なんて、最初っから存在しない……」


「それは、彼女の記憶を少々いじったからです」


いつの間にか郁の隣にはシスター服に身を包んだ10代くらいの少女が立っていた。


「お初にお目にかかります【ノアの箱舟】様。

私は藍と申します」


少女の瞳は冷たく、郁は後ずさった。


「貴女が彼女から吸い取った記憶通り、今の彼女には偽の記憶を入れています」


夕凪は腕を組み藍と名乗る少女を見る。


「どうゆうことか説明してもらおうじゃない」


「そうですね、とりあえず彼女はもう要りませんよね」


そう言うと、宮下は次の瞬間苦しみだす。


「彼女の体内に神経毒を入れました。

体中がしびれだして時間がたてば心臓が停止します」


宮下は少しずつ動きがなくなり、遂にはぴくりとも動かなくなった。

少女は部屋の周りを歩き出す。

夕凪達は少女の行動を警戒しながらも、目で追う。



「さて、彼女が娘の真由だと思っていた女はこの会社の研修生です。

彼女に憧れて口車にのせられて私共が渡した薬を飲まされました。

真由はデッドになる段階で副作用によって人格や記憶をなくし、自分は研究室で生まれて人体を弄ばれた挙句、研究員の監視下に置かれ生活している思い込み外に出ました。

まあ、それはあなた方にすぐに倒されてしまいましたが……」


「……真由の細胞を使って何匹かデッドを作ったのか?

それがこの死体だっていうならわからなくもない」


夕凪は真由達の死体の山に目を向けるとそうつぶやいた。


「ご名答です。

彼女本当に研究熱心さんですよね。

ごく少量の細胞でここまでデッドに近いものを作ってしまうなんて……彼女の知識が今後必要なると判断しましたので手出しはしなかったのですが、どうも彼女の志向が歪んでいたもので、全滅しましたけど……」


「……目的はなんだ? なんで大量のデッドを作り出そうとした」


「……それは教えられません。

言う必要はないかと」


少女はそう言うと、少しうしろへ後ずさる。


「情報を漏えいしないよう口止めでもされているのか。

何をしようとしてるんだお前ら……? 」


リリィは拳を構え、少女に向かって距離を縮める。

しかし少女は袖の下からカードを取り出すと、突然少女と夕凪たちの間に水の壁がはだかる。


「……今は狼さんと手合わせする気はないんで、ここは引かせていただきますよ」


少女はいつの間にか宮下の死体を担いでいた。

そして姿を消す。

みるみるうちに水がはけていった。


「夕凪ちゃん、ごめん逃がした」


リリィは申し訳なさそうに夕凪に謝る。


「簡単には捕まらないのは分かっていたし、今回はしょうがないわね」


夕凪は溜息をつくと、携帯連絡端末をいじり耳にあてた。


「……あ、ラヴィさん? やっぱりあいつらが絡んでました。

はい、あいつらが宮下智尋に渡したっていう薬……多分あいつの血だと思います。

多分まだ宮下智尋の自宅の戸棚に入ってると思います……はい、すいませんよろしくお願いします」


夕凪は電話を切るのを確認し、郁は口を開いた。


「……あいつらって誰だよ。

敵はあの化物じゃないのか? 

あの女の子どう見ても化物には……! 」


「私たちをよく思ってない奴らもいるってことよ。

あの少女も多分その一人でしょう、初めて見た顔だったけれど」


「あの子以外にも何人かいるってことかよ……」


郁は手のひらに嫌な汗を感じた。


「今、考えてもキリがないわ。

とりあえず帰ろう」


すたすたと出口に向かう夕凪を追いかけ、郁達も出口に向かう。


「そういえば、狼? って聞こえたけどさ、狼なんてどこにも……」


「それ私だよ。私人狼なんだ。……郁くんさっきはごめんね」


「え」


リリィは眉を下げると、郁の方に顔を向けた。


「私さっき感情が制御できなくて、周り見えなくなっちゃうんだ。

恥ずかしいところ見せてごめんなさい」


リリィは困ったように笑う。

郁は思わず言葉に詰まる。


リリィの過去に何があったのかは郁は知らない。

ましては今の自分にはどう言葉に表せばよいか迷っていた。


「俺は……今のリリィしか知らないから、今ここに一緒にいるリリィしか。

それじゃ、駄目かな? 」


「ううん。ありがとう郁くん。

よーし、気を取り直してがんばろ~! 」


リリィはそういうと夕凪に向かって小走りにかけていき、郁も後を追った。

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