着ぐるみ生活
てつひろ
前編
鏡の中で二つに結んだ髪が揺れている。久しぶりにやった割には上手く出来た。
「こんなもんかな」
ま、丁寧に整えてもあんまり意味無いんだけど。
そんな私に母の声。
「フウカ、時間大丈夫なの?」
やば、まだ制服のままだ。
私は洗面所を後にして慌てて玄関に向かう。
「お弁当忘れないでね」
「はーい」
途中声を掛けてきた母に適当に返事をして玄関に置いてある着ぐるみを急いで着る。もう三年。慣れたものだ。
丁度頭を被った時、母がやって来た。
「ほらお弁当」
「ねえお母さん後ろちゃんとなってる? 髪出てない?」
「大丈夫よ」
「本当?」
「本当」
こないだ指摘されたばかりだから気になってしょうがない。
受け取ったお弁当を鞄に入れて玄関の時計を見ると普段家を出る時間を少し過ぎていた。
「あ、じゃ、じゃあ行ってきまーす」
見送る母に手を振ってカワウソ姿の私は玄関を飛び出した。
新型ウイルスによる感染症の世界的流行によって私たちの見える世界は一変した。その主な原因は人体着用ぬいぐるみの着用義務である。最初は人体着用ぬいぐるみとは何ぞやと思ったけれど、なんてことはない、着ぐるみの正式名称だった。要するに感染対策のために着ぐるみを着なさいってことだ。
もちろん始めは戸惑った。だってあっちを見てもこっちを見ても着ぐるみだ。普通に街を歩いていてもすれ違うのは二足歩行の犬や猫。まだカワウソじゃなかった私が豚の着ぐるみに肩をぶつけられて舌打ちと共に「着ぐるみ着ろよ」と因縁を付けられたのは今も忘れられない嫌な思い出。
着ぐるみでぎゅうぎゅうのバス、ラーメン屋のカウンターに並ぶ着ぐるみ、テレビはどこも教育番組みたいだった。と言うか天国? どこ見てもファンシーな天国みたいな光景。
だけどそんなのもやっぱり慣れる。今じゃ私も天国の一部、立派にカワウソとして街を走っている。目に映るのは当たり前の日常。時折見かけるこけしの着ぐるみは訳が分からないけれど。足、どうなってんだろ?
交差点、信号待ちで立ち止まる。
「あ……」
道路の向こうに着ぐるみを着ていない人が立っていた。綺麗な女の人だった。頭に猫耳が乗っているのは着ぐるみの名残りなんだろうか。
そうだ、最近は着ぐるみを脱ぐ人も増えてきた。別に違反ではない。感染症の流行が落ち着いてきたからだ。この間、着用義務も緩和された。
そのうち私も脱ぐんだよな、着ぐるみ。
むしろ着ていない方が普通のはずだったのに、こうなってしまうと逆に脱ぐ方に抵抗を感じてしまう。
学校が近付いて友達の姿を見つけた。
「ユイー」
「あ、フウカおはよう」
リスの着ぐるみが振り返った。周りを見ると知っている着ぐるみたちが増えてきている。
うん、やっぱりまだ暫くはこのままでいい。だって私の周りはまだまだ動物だらけなんだから。
なんて思っていたのに。
「と言う訳で、卒業式での着ぐるみの着用は、各ご家庭の意向、及びお前たちの自主性に任せる、と言うことになった。くれぐれも着てるからどうの着てないからどうのと人様に文句言うんじゃないぞ」
本日ホームルームでゴリ先からそんな通達があった。
ざわつく教室。
「なあフウカ、お前どうするんだ?」
そう言ってきたのは前の席の幼馴染の男子、マサキ。
でかいニワトリが振り返ってこちらを見ている。
「いや、うーん、どうって言われても、どうしようかな……」
今の今でスパッと答えられる訳がない。だって私たちはずっと着ぐるみだった。実際素顔を知らないクラスメートだっている。いや、知らない人の方が多い。それが急に……。
返事に困っていると不意にマサキが言った。
「あれ? お前今日頭傾いてね?」
「は?」
手でカワウソ頭を確認すると確かにそんな気がする。
そこで、あっ、と思った。
結んだ髪のせいだ。
中で引っかかっているのか、左右のバランスが悪かったのか。
「ちょ、か、鏡見てくる」
私は慌てて席を立った。被り物の下で顔面が熱くなっていた。
朝からずっとだったのかな。ユイも気付いてたのかな。てかマサキのくせになんなんだよこの前から。
実は髪の毛がはみ出していたことを指摘したのもマサキだった。
くそ。ニワトリのくせに。て言うかなんでニワトリだよ。
感染対策が始まって私がカワウソになった頃、あいつもニワトリになった。
実はその頃に何で着ぐるみがニワトリなのかは聞いていた。
単純に業者の発注ミスだったらしい。返品しようともしたけれど、祖父母が昔ニワトリを飼っていたらしく、思い入れがあったとかで結局そのまま着ることにしたんだとか。
くそ。トサカ邪魔なんだよ。へし折ってやろうか。くそ、くそ。
だけど数日後、そんなトサカをへし折ったのは私ではなかった。マサキが交通事故に遭ったのだ。
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