第13話 惑星シヴァー
水の惑星と地球が呼ばれていたのは地表の七割が水で覆われていたからだ。その豊かな水分によって様々な生命体は誕生し、果てには人類が生まれ高度な文明を作り上げた。
その地球から数千億光年離れた惑星『シヴァー』は地球を超える水分量で、その割合は地表の九十九%を占めた。恒星リリスから降り注ぐ膨大なエネルギーで生命は誕生し、独自の進化を遂げたが、人類ほどの知的生命体が誕生する事はなかった。正確にはこれから何千億年という時を経て、誕生する予定だったのかも知れない。
現在、惑星シヴァーには地球から分配された三百八十二個の脳が厳重に保管されているが、その全ては惑星唯一の地表である一%の大地、その地下施設にあった。
月面のように砂で覆われていたクリューソスとは違い、シヴァーの大地には豊かな自然と美しい四季が存在した。この限りある大地を守るためにシヴァーに集められた人類、脳は先住民とも言える生命体を駆逐してきた。結果的には地球人に侵略された惑星は偽りの平和を今日も過ごそうとしていた――。
宇宙船ゼウスはシヴァーの水面に無事着水していた。地表に着陸するよりも数倍安全で、遮るものがないので恒星リリスのエネルギーを効率よく吸収、充電するのにも適している。
「すごーい! 綺麗な海ー、みてみて春翔くん」
惑星到着の一週間前に目覚めた陽葵は日に焼けていない透明な白い肌に制服をまとい、一人はしゃいでいた。春翔は薄手のニットパーカーに短パンと、地球ならば初夏のような服装で陽葵の横から目の前に広がる海を眺めた。
「綺麗ですね、沖縄の海みたいだ」
「やっぱ外の空気は良いなあ、最高!」
「何言ってやがる、ほとんど寝てたくせに」
陽葵はゼウスの甲板部分から水面を見下ろしていた。頭上からは恒星リリスの光が降り注ぎ、キラキラと水に反射している。巨大な質量は重力を生む。重力が気圧を発生させて気圧は風を生み出す。その結果水面は波がたち海のようになっていた。
「で、どうするの?」
陽葵の質問に神宮寺は素っ気なく答えた。
「どうもせん、ゼウスの充電が完了するまで待つだけだ」
予想通りの答えに辟易しながらも陽葵は講義した。
「えー! 探検は? せっかくこんなに綺麗な星なのに」
「行きたきゃ勝手に泳いでこい、得体の知れない生命体に餌と間違われなければいいがな」
「うわあ、つまんな。春翔くんは行きたいよね?」
「僕はどっちでも……」
「ねえゼウス、この星に危険な生き物はいる? 人間食べちゃうみたいな」
『解析しています』
「あまりゼウスを無駄なことに使うな、充電が遅れるだろうが」
『惑星シヴァー、知的生命体四十九、生体反応三百八十二。微弱生命体は三万種以上確認されましたが人間を捕食するタイプは存在しません』
「ほらぁ」
陽葵が見上げると神宮寺はその場で固まっていた。
「生命体が四十九だと? ゼウス間違いないのか?」
『はい、船員三名を含めれば五十二です』
陽葵には何がおかしいのかさっぱり分からなかったが、神宮寺の表情は真剣だった。
「実体を持った人がいるって事ですか?」
春翔の質問に神宮寺が答える。
「そうみたいだな、脳の数が少ないのも気になる」
各惑星に送られる脳は六百六十六で統一されている。それが三百八十二しか残っていない、実体に戻った四十九を足しても途中離脱の数としては異常に多いと言えた。
「微弱生命体の種類もあまりに少ないですね」
地球の生命体は百八十万種を超える、同規模の惑星として三万種というのは極端に少ない。何か不穏な空気を察した二人と、何も考えずに目の前の美しい風景に見惚れていた陽葵に、それは突然現れた。
「こりゃ珍しい、他の惑星の人間を見るのは数百年ぶりやな」
人間とは思えないガラガラ声が不意に聞こえてきた、陽葵が声の方角に顔を向けると甲板の手すり部分に白いカラスのような鳥が羽を休めて佇んでいる。
「うわっ、びっくりしたー。なにこの生き物」
くりくりと可愛らしい目をしたその生き物はじっと三人を観察していた。
「ほんで自分らなんの用やねん、物騒な兵器を持ち込んでからに」
陽葵は目をパチパチと瞬かせた、確かに目の前の鳥が喋っているように見えたが、まさか。神宮寺と春翔を見ると同じように口を開けて驚いている。
「えっ、ちょっと待って、今これが喋らなかった?」
鳥を指差して神宮寺に確認するが反応がない。非科学的な出来事に混乱しているようだ。
「コレとは失敬やな、ワシの名は石井や。石井さんと呼ばんかい小娘」
陽葵は目をこすってからもう一度見直した。石井と名乗る白い鳥は、羽をバサバサとバタつかせながら憤慨しているようにも見えた。
「もしかして幻影ですか?」
春翔が石井に問いかける、幻影。脳が作り出した実体。
「当たり前やろ、こんな姿をした人間がおるかぁ」
石井がバサバサバサッと羽をバタつかせると、手すりから少しだけ浮いた。どっかで見たようなシルエット、そうだTwitterのマークだと陽葵は思い出した。
「脳はどこにある? 陸地からはだいぶ離れているはずだが」
神宮寺はようやく落ち着きを取り戻して石井に質問した。確かに幻影は脳からあまり離れることができないと言っていた事を思いだす。
「だから鳥の姿で飛んできたんや、人間の身体で泳いできたら時間が掛かるやろ」
石井は手すりからピョンと甲板に飛び降りた。
「こんな長い距離を幻影で保てるものなんですか?」
春翔はなぜか目をキラキラと輝かせながら、興味津々に石井に問いかける。
「複雑な人間の身体じゃあちょいと厳しい、まあ鳥の姿でもここまで自由に移動できるのはワシぐらいのもんやで」
胸を張っているが鳩胸でよく分からない、小さな可愛らしいシルエットに関西弁。偉そうな態度はすべてがアンバランスでゆるキャラみたいだった。
「で、お前たちの目的はなんやねん?」
石井は三人を見上げるのに疲れたのか、再びバサバサと羽根を広げると手すりにとまった。
「正体不明の怪しいやつに説明する義理はない」
すっかり自分を取り戻した神宮寺が白衣のポケットからタバコを取り出して火をつけた。
「あっそう、せっかく親切心でここまで来たったのに、ほうか、そーいう態度ね、ふーん」
石井はもったいつけながら首を縦に振る、陽葵は少しイラッとしたが続きが気になり下手にでた。
「石井さん、すみません。この人礼儀がなってなくて、後で教育しておきますから」
「うん、その方がええ思うぞ」
「それで、親切心って言うのは?」
陽葵は揉み手をしながら石井に近づいた。
「タバコ」
「え?」
「タバコ吸いたい」
石井は羽根で神宮寺が吸っているタバコを指差した。
「あ、ああ、はい」
陽葵は神宮寺からタバコを一本拝借して石井の口ばしに差し込んだ、春翔があわててライターを神宮寺から借りて火をつけると、器用に煙を吸い込んだ。タバコの先端がオレンジ色に光る。
「ふーーー」
燦々と照りつける太陽の、いや、リリスの下、美しい海を背景に異様な生物がタバコを吹かしている。陽葵は石井がタバコを吸い終わるのをただ茫然と眺めていた。
石井は短くなったタバコを甲板に備え付けられた灰皿に押し込むと、羽根を羽ばたかせながら定位置に落ち着いた。
「お前さんたち
「え、誰に?」
「この惑星の住人、いや、脳といった方が分かりやすいか」
陽葵は思考する、同じ人類が来たのであれば歓迎されることはあっても迷惑がられる事はないような気がした。
「なにかマズいのか?」
察したように神宮寺が聞いた。
「目的が分からなければ敵とみなすかもしれんで」
敵、敵、敵? 平和な時代、平和な国で育った陽葵には人間同士で敵味方になる事がピンとこない。
「ふんっ、そうなったところで向こうから手を出すことは不可能だろう、こちらから陸に近づかない限りな。もっともアンタみたいな変人が他にもいるなら話は別だが」
「あ、もしかして生命反応があった四十九体は肉体を持っているんじゃないですか? それならどこにでも行ける」
春翔が言うと神宮寺は「チッ」と舌打ちした。
「四十九体の人間は坊ちゃんの言う通り肉体を所持しとるが今は何もできん」
「なんだ、やっぱりただの脅しか?」
神宮寺は鼻を鳴らして白衣のポケットに手を突っ込んだ。
「奴らはポセイドンを所有しとる」
石井のセリフに神宮寺と春翔は固まったが陽葵には何のことか理解できなかった。
「ポセイドンだと?」
「そうや、終末戦争で使用された神の名を持つ兵器が一つ、大地を割り、大津波を引き起こす。天変地異を自在に操る最悪の兵器や」
「文献だとポセイドンなんてのはただの自然災害だって話だぞ」
「残念ながら現存する、もっともゼウスには敵わないがな、こいつにかかればこの星なんて宇宙の塵と化すで」
石井はくちばしでコンコンとゼウスの手すりをつついた。
「そんなつもりはない、それに今はエネルギー不足で満足に飛び立つことすらできん。この惑星に立ち寄ったのはエネルギーの確保、充電だ」
「ほー、侵略しにきたわけじゃないってことやんな」
「ああ」
「まあ、確かに惑星侵略を企てる三人には見えんな」
そう言うと「バァッハッハッハ!」と石井は笑った。
「それでお前たちはどこをめざすんや?」
「宇宙の果てです」
春翔が答えながら我慢できずに石井に触れようとする。
「こら、触るんやない、しかしそんなものを目指してどうすんねん?」
「知りたいんです、宇宙の
「探究心があるのは若い証拠か、しかし知らん方が良いこともあるんやで」
「石井さんはご存知なんですか?」
「お前たちよりはな」
「え、いっくんすごい! 教えてよ」
「いっくん?」
「石井っぽくないから、いっくん」
「いっくんか……。ええな!」
「おい。それより大丈夫なんだろうな、いきなりポセイドンで攻撃してきたりしないのか?」
「そのためにいっくんが来たんやろが、それより充電にはどれくらいかかる」
「十五年てとこだな」
「十五――!」
陽葵は卒倒しそうになる、どうも最近は時間の概念がおかしい。
「そうか、ずっと船の中にいるのも退屈やろ、ワシと一緒に本島にくればいい。この星は綺麗やぞ、地球を思い出す」
「いやしか――」
「いくー! 絶対行くー!」
陽葵が勢いよく右手を上げると、神宮寺は諦めたようにため息をつき、春翔は笑顔になった。表情がないはずの石井の口角が上がったような気がしたが陽葵はまるで気にしなかった。
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