第6話 三千世界③

「地下にある、核戦争がおきても耐えられる大型のシェルターだ」


 そう言ってB1と表記された丸いボタンを押した、このボロいビルにそんな施設があるとは思えなかったが、陽葵は黙って頷いた。


 エレベーターの扉が閉まるとふわっと体が浮くような感覚と共に下降していく。異変を感じたのは一分ほど時間が経ってからだった。地下一階にしては随分と時間がかかっている、止まってるわけでもない。


「長いですね?」


 神宮寺を見上げた、モジャモジャの毛が天井につきそうだ。


「仕方ない、六百メートルは下がるからな、階数で表すなら二百階だ」


「そんなに……」


「これから千年の間にどんな兵器で戦争が起きるか分からない。『銀河』の試算だとこれくらいの深さがあれば安心らしい」


 言い終えたところでエレベーターは「ガタンッ」と大きな音を立てて止まった、ゆっくりと扉が開く。


 地下だからだろうか、ひんやりとした空気が陽葵の膝を撫でた。真っ直ぐに伸びた黒いリノリウムの廊下は先が見えないほど長く左右にいくつもの扉が付いている、いかにも頑丈そうな鉄の扉。その一つを選んで神宮寺は立ち止まった。


「ここにしよう、ちょうど君たちと同じくらいの年齢だ」


 扉にはデジタル表示の下に数字のボタンが付いている、どうやらパスワードを入力しなければ入る事ができないみたいだった。陽葵は自分が緊張していることに気がついた。眉唾ものだと思っていた場所が想像以上に本格的で現実味を帯びていたからだ。


「えっと、パスワードはなんだっけな」


 神宮寺は白衣のポケットから手帳を取り出してぶつぶつと呟いている。


「これだこれだ、053241」

『ビー!』

「あれ? 間違えたかな、053241」

『ビー!』

「なんだよこれ、開かないぞ」


 神宮寺はもう一度丁寧にボタンを押したが再び『ビー!』という機会音だけが長い廊下に響き渡った。


「そうだ、手帳を見られても大丈夫なように暗号にしたんだった、なんだったかなあ」


 頭を抱える神宮寺の手帳を春翔が覗いた。


「この数字は間違いないんですか?」


「ん、ああ、部屋番号がこれで、ほら」


 神宮寺は手帳に書かれた神経質そうな文字をなぞりながら春翔に見せた。


「ちょっと良いですか?」


 春翔は数字が書かれたボタンを指差す、押しても良いかと尋ねているようだ。神宮寺は「あ、ああ、良いよ、回数制限はないから」と答えると少し考えた後に春翔はボタンを押した。なぜか0と1ばかりを並べてエンターを押す。


『ビー!』

「二進数じゃないか……じゃあ」


 今度は違う数字も混ぜてエンターを押した。


『ピロリン。ガチャ』

 扉は間抜けな音と共に開かれた。


「八進数に変換するみたいですね」


 春翔が言うと「そうだ! そーだった」と言いながら神宮寺は手帳を指差した。


「忘れないように八進数にするって書いておこう」


 ペンを取り出して書き足そうとする神宮寺に「それじゃあ暗号にした意味ありませんよ」と春翔がつっこむ。


「さあ入って入って」


 誤魔化すように神宮寺は二人を部屋の中に促した、室内は廊下よりもさらに冷えている。空調が効いているのかあたりを見渡したがそれらしき設備は見当たらなかった。


 十畳ほどの部屋には酸素カプセルのような円筒状の物が二台、左右の壁際に設置されている。どうやらこの中に人が眠っているのだな、と陽葵は予測した。


「彼は末期の癌で現代の医学では助からない、未来の可能性にかけてここへ来た」


 神宮寺は右の壁際にあるカプセルに歩み寄り説明した、ちょうど上半身の部分が透明なガラスのような素材になっていて中を覗くことができる。そこには高校生くらいの男の子が安らかな表情で横たわっていた。手術着のようなものを着用しているかと陽葵は思ったが、男の子はパーカーにジーンズという普段着のような格好だった。


「彼女は交通事故で下半身を失った、短距離の選手だったそうだ。生きることに絶望してここへ来た」


 今度は逆の壁際にあるカプセルを指差す、確かに陽葵と同年代と思われる可愛らしい女の子が中に入っていて、その下半身は無かった。


「なぜだろうな、人は命よりも便利を優先する」


 そう言った神宮寺はじっと女の子を見つめていた、その目は寂しそうな、やり切れないような憂いを宿していた。


「飲酒運転に轢かれたんだ、不思議だよ。これだけニュースに取り上げられても一向になくならない」


 まだ免許が取れない陽葵にはピンと来なかったが、酒を飲んで運転することが危険なことくらいは想像できる、なぜそんな無茶をするのか。


「呼吸にアルコールを検知したらエンジンがかからないようにすれば良いのに」


 横にいる春翔がボソリと呟いた。


「技術的には可能だ、なぜやらないと思う?」


「そんなものを作っても誰も買わない、からですか?」


 遠慮がちに答えた晴翔に神宮寺は黙って頷いた、この二人は本当に気が合うみたいだ。


「余計な機能を付けても売れない、ならば制度化すれば良い。その為に政治家がいる。ところがそんな法案はついぞ出てこない。なぜなら莫大な組織票をもつ自動車関連会社から少し圧力がかかればやつらは何もできない。民主主義が聞いて呆れる、その結果が今の彼女だ」


 下半身を失った女の子はカプセルの中で穏やかに眠っているように見えた、千年後の未来、無くなった足を取り戻すくらい医療は発達しているのだろうか。


「まあ、とにかくこんな感じで千年後まで過ごしてもらう、起きた後はさっきも言った通りだ」


 陽葵の目をみて神宮寺が言った。


「好きにすればいい、と」

 答えた陽葵に神宮寺は笑顔で答えた。


「あのー、中はどうなってるんですか?」


 ショーケースの中にあるおもちゃを見る子供のように、春翔はガラス面に張り付いて観察している。すぐに神宮寺が答えた。


「中は酸素の代わりに硫化水素で満たされている、結局すべての老化の原因は酸素だからな」


「でも、硫化水素は人体に毒なんじゃ?」


「そのとおりだ、しかしそれはあくまでも人工的に作り出した硫化水素に限る。実は人間は誰でも体内で硫化水素を発生させている、その微量な硫化水素を増幅して循環するのがこのカプセルだ」


「なるほど、自らの体内で作られたものだから拒否反応もないって事ですね」


「そう、そしてこのカプセルに入る前に人工的にニューロンを刺激、いわゆる冬眠状態にする。それにより細胞は活動を止めて仮死状態になる」


「すごい……」


 またしても二人で話を進めるが陽葵にはちんぷんかんぷんだった。なんにせよ居心地、いや、寝心地は悪くなさそうだ。


 陽葵は散々二人のマニアックな話に付き合わされた後に来た時のエレベーターに乗り込み、また時間をたっぷりとかけて地上に戻った。春翔の決意は変わらず、いや、むしろ前向きになり今日このまま三千世界を目指すと言った。陽葵は結局決断することができずに事務所を後にした。


「いつでも歓迎する、命を大切にな」


 帰り際にそう言って微笑んだ神宮寺の表情は慈愛に満ちていて、陽葵を心配する父親のような眼差しだった。後ろ髪を引かれたが、今日いきなりこの世界を捨てて未来に行くなどと春翔のように即断することはできなかった。




 自宅に着く頃には九時を回っていた、鍵を開けて静かに玄関に入ると、リビングから言い合いが聞こえてくる。陽葵はドキドキと心臓が鼓動を早めるのを落ちつけようと小さく深呼吸した。


 とりあえず二階にある自分の部屋に行こうと階段に足を掛けた時だった。

 

「あんなの引き取らなければよかったわ!」


 母の怒鳴り声に陽葵の足が止まる。聞きたくないのにその場から動けない。


「なんてこと言うんだ」

「あなた陽葵に何してるわけ? 気持ち悪い」

「なにってなんだ、娘を心配して――」

「育ての父親に担任の教師までたぶらかして、いやらしい女」

「誰がたぶらかされたって言うんだ!」

「だからあの時、男の子にしようって言ったのよ」

「元気がないからやめないかって言ったのはお前だろうが」

「無駄金がかかるだけじゃないのよ」

「お前、自分の子を」

「自分の子じゃない、あなたは良いわよね、性の捌け口にできて、まさかあの女と子供でも作る気じゃないでしょうね、この変態」

 

 あの女――。


 陽葵は昇りかけた階段から足を下ろした、そのまま踵を返して玄関に向かう。ピカピカに磨かれた黒いローファーに足をつっかけて玄関を出た。十七年間住んだ家を振り返り眺める。


「退屈な家……」


 小さな声で呟くと、陽葵は街灯の切れた暗い夜道をシトシトと歩き出した。



       


「良いんだな?」

 陽葵の腕を取り注射器をかまえながら神宮寺は問いかけてきた。


「はい」

 陽葵は気がつくとこの場所に舞い戻っていた、自宅からどうやって来たのか記憶も曖昧、時間は十時を過ぎていて真っ暗な闇のなかに佇むこのビルを見上げていた。


 神宮寺はまだ事務所にいた、驚いた表情で陽葵を見た後、すぐに優しい笑顔になって「ずいぶんと早い再会だ」と歓迎してくれた。


 カプセルは透明なガラス部分が開いて、陽葵は制服のままその中に入った。反対側にあるもう一つのカプセルにはすでに春翔が入っていて仮死状態になっている。春翔と同じ部屋になれた事が陽葵を少し安心させた。


「では、千年後にまた会おう」


 そう言うと神宮寺は注射針を陽葵に刺した、説明を聞いたがよく分からない液体が体内に流れ込んでくる。すぐに眠気は襲ってきた、目の前がぐにゃりと歪んで体の力が抜ける。気を失うように倒れこむ陽葵の体を大きな腕が支えた。


「おっぱい触らないでね……」


 囁くように言うと、神宮寺の大きな笑い声が聞こえてくる。それは陽葵が生まれた時代に聞いた最後の声だった。

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