第8話 西暦3025年②

 『夢想状態』と言うものは陽葵の想像をはるかに超えて現実的だった。視覚はもちろん、嗅覚、聴覚、味覚、触覚。五感のすべてを感じることができる。なによりもここが夢想空間だということに本人は気がつかない。陽葵が無意識に選んだのは2005年、自分が生まれた年だった。当たり前のように本当の両親に愛情持って育てられた陽葵は、なに不自由なく平凡な幸せを掴み八十五年の生涯を終えた。



「どうだった?」

 いい加減、突然現れる神宮寺に慣れた陽葵は少し考えてから答えた。


「まあ、普通」


「おいおい、普通ってことはないだろう、君が望んだ人生だったはずだ」


「うーん」


 神宮寺の言う通りだ、陽葵が望んだ幸せが確かにあった。生まれてきた子供たちは可愛かったし、好きな人と生涯を共にできた。大きな病気をすることもなく、最後は家族に看取られて安らかな最後を迎えた。何一つ文句のない完璧な人生。


「やっぱ試練とかないとダメなのかなあ」


 上手くいきすぎるのもリアリティに欠けるのかも知れない。


「じゃあ、次はそんな人生にすれば良い、何度でも挑戦できるんだ、あと言うの忘れてたけど夢想の中で死ぬと意識がここに戻ってくる。途中でいやになったら自殺すれば良い」


 そんな重要な事は先に言ってくれ。陽葵はため息をついた。


「でも、夢想状態の時って自覚なくないですか?」


「慣れてくると、感じる事ができる、ほら、夢を見てて、あ、これ夢だなと分かる時があるだろう」


「ああ」


「そうなったらより完璧な夢想を作ることが可能だ」


「うーん」


 陽葵はなぜか心の中のモヤモヤが払拭できずにいた、何か違う、でもそれがなんなのか分からなかった。


「じゃあまたな」


 そう言って立ち去る神宮寺を見た時に小さな違和感を覚えた、狭い部屋をウロウロしながら陽葵は考える。前回会った時には感じなかったわずかな変化。


「あっ、白髪……」


 唐突にその正体が降ってきた。確か初めて会った時も、この世界に来た時も神宮寺のモジャモジャ頭に白髪なんてなかった。そう言われてみたら少し老けたような気がする。彫りの深い外人顔だからその変化を見落としてしまったのかも知れない。


 おかしい――。


 脳が作り出した幻影なら老化するはずがない、神宮寺は何か隠している。陽葵は確信した。そしてなぜか胸が高鳴るようなわくわくを感じずにはいられなかった。


 部屋の中央で辺りを見渡す、四方にコンクリートの壁があるだけの無機質な空間。神宮寺が出て行った扉を見つめる。特に鍵を掛けたようすもなかった、陽葵はなんのためらいもなく扉を開けて廊下に出た。


 薄暗い廊下はしん、と静まりかえっていた。左右を見渡すがすでに神宮寺の姿はない。どちらに行ったのかも分からなかった。陽葵はなんとなく左に向かって歩き出した。


 陽葵の部屋と同じような鉄の扉が等間隔で並ぶ、この一つ一つの部屋に脳があるのだろうか、そう考えると不気味だった。扉を八つほど通り過ぎたところで突き当たりだった、上に登る階段が陽葵を誘っている。階段に足を掛けたところで立ち止まった。


 どこまで行けるんだろう――。


 この身体は脳が作り出した幻影、その本体からもう十メートル以上は離れてしまっている。それとも距離に制限はないのだろうか。神宮寺に聞かなかったことを後悔した。


「まあなんとかなるか」


 口に出すことで不安をかき消すと陽葵は階段を昇った、下の階と同じように長い廊下に鉄の扉が並んでいた。


「――――たよ」


「―――か」


 静寂の中でわずかな声が漏れ聞こえてきた、その方向に足を向けて歩きだす。靴音が鳴らないように陽葵は慎重に歩を進めた、段々と声に近づいていく。


 やがて一枚の扉の前で立ち止まった。


 この中にいる――。


 そう確信すると陽葵は鉄の扉に耳を付ける、冷んやりと冷たい感触の後に中の会話が聞こえてきた。

 

「元気そうで良かったですね」


「ああ、でも不思議な子だよ。あまり楽しんだようすじゃなかった」


「可愛いですよね」


「なんだ、惚れたか?」


「いや、あの、そんなんじゃ」


 陽葵は耳を扉から離すとその場で塾孝した。一人は確実に神宮寺の声だ、問題はもう一人、考えるまでもなく春翔の声に聞こえたが、はて。


『彼はいま夢想状態に入っている――』


 確かに神宮寺はそう言った、陽葵に嘘を付いたのだろうか。それとも目を覚ましたのか。あまり考えても無駄なような気がして陽葵は唐突に扉を開けた。


「うわぁー! なんだぁ!」


 大げさに飛び退く神宮寺、陽葵の部屋よりも数倍広い部屋にはモニターやら電子機器などさまざまな機械が設置されていた。冷蔵庫のようなものまである。そしてテーブルを挟んで神宮寺の前に座っていたのはやはり春翔だった。


「あ、春翔くん、久しぶり」


 なんて声をかけていいのか分からない陽葵は、とりあえず定型分のような挨拶をして右手をかるく上げた。実際に会うのは千年以上ぶりだから間違ってはいないだろう。


「あ、久しぶり、です」


 春翔は持っていたスプーンを置いて、陽葵にペコリと頭を下げた。テーブルにはカレーが二人前、スパイシーな香りを部屋中に漂わせていた。


「おま、どうしてここまで……。どうやって来た?」


 神宮寺は目を見開いて驚いていた、化け物でも見るような視線には不満だったが質問に答えた。


「いや、普通に歩いて」


「歩いてっておまえ……」


「なんかまずかったですか?」


「いや、普通は具現化した幻影は部屋の中くらいしか保てないんだがな、部屋をでてここまで来るとは驚いた」


 ようやく冷静さを取り戻した神宮寺は椅子に座り直して続けた。


「まあ見つかっちまったら仕方がない、座ったらどうだ」


「あ、椅子持ってきます」


 そう言って立ち上がった春翔は壁に立てかけてあるパイプ椅子を陽葵の前に持ってきて広げた。


「あれ? 身長……」


 確か百五十八センチの陽葵と同じくらいの背丈だったはずの春翔だが、今は明らかに陽葵よりも大きい。幻影だから身長も自由自在なのか。


「食うか? カレー」


 考えがまとまらない中で神宮寺に話しかけられて余計に頭が混乱した。


「いや、大丈夫、てゆうか食事とるんだ?」

 素朴な疑問が口を出た。


「ん、ああ、まあな、気分だよ気分、な?」


 春翔に同意を求めると曖昧に頷いた。神宮寺の頭をじっと見つめる。まばらに散らばった無数の白髪。


「二人は幻影じゃないんですか?」


 神宮寺はさっき、幻影は部屋から出ることができないと言った、つまり脳からはせいぜい三メートルくらいしか離れる事ができないということだ。この広い部屋に脳がしまわれているようなスペースは見当たらない。つまり二人の脳はこの部屋にはない。そして少し老けた神宮寺に背が伸びた春翔。必要のない食事を摂る二人。そこから導き出される答えは一つしかなかった。


「いや、えーっと」


 神宮寺はあからさまに動揺すると春翔に目配せした、小さく頷いた春翔を確認してから話し出した。


「別に隠していたわけじゃない、言う必要がなかっただけだ」


「どうしてですか?」


「どうしても何も言ったところで君にはなんの関係もない」


「あ、いや、どうして幻影じゃないんですか?」


「ああ、そっちか、単純だ。幻影じゃあ部屋から出られない、君はどういうわけか出てしまったがな」


 そう言うと神宮寺は鼻を鳴らした。


「春翔くんはどうして?」


 春翔はカレーを食べている手を止めてハッキリと答えた。


「知りたいんです、宇宙の真理を」


「宇宙?」


「はい、この時代の科学技術なら他の惑星を自由に旅する事ができます、見てみたいんです。他の星を」


 春翔は目をキラキラと輝かせて夢を語る少年のように興奮していた。陽葵が知ってる春翔よりもずっと素敵な笑顔だった。


「そのためには幻影じゃあ無理だ、まあ俺の目的は春翔とは違うがな」


「え、二人で宇宙旅行に行くってこと?」


 宇宙旅行、なんて楽しそうな響き。


「いや、旅行ってお前、そんな楽しいもんじゃない、リスクも――」


「私もいきたい!」


 かぶせ気味に陽葵が言うと、神宮寺はあからさまに嫌そうな顔をして、春翔はパッと笑顔になった。


「春翔、このお嬢ちゃんにどれだけ大変なことか説明してやってくれ」


 呆れたように言い放って神宮寺は残りのカレーを食べ始めた。


「えっと、そうですね。まずこの星を出るためには幻影では無理です。つまり肉体が必要です」


 春翔はスプーンを置いて丁寧に話し出した、陽葵も体ごと向けて真剣に聞く。


「あ、私の身体、もしかしてない?」


 液体にゆらゆらと浮かぶ陽葵の脳を思い出す。


「それは大丈夫です、脳細胞から肉体は復元できますから」


 あのキモい物体から復元、ちゃんと元の陽葵になるのだろうか。一抹の不安がよぎる。


「復元した肉体に脳を設置すればどこにでも移動できます、ただ」


「ただ……」


 陽葵は息を飲んだ。


「現存する肉体は劣化、老化します。遺伝子操作により僕たちが生きていた頃よりもそのスピードは限りなく遅くなりましたが、確実に死に向かいます」


「外的要因でも死ぬぞ」


 神宮寺が割って入った。カレーはすっかり食べ終わり、コップに入った水を飲んでいる。


「はい、例えばナイフで刺されたり、銃で撃たれたり」


 つまりは老化が遅くなった普通の人間ということか。


「そんな、そんな事してくる人がいるの?」


「分かりません、ただ他の惑星にはその星のルールがあるだろうし、歓迎されるとは限りません」


「そうだ、京都に修学旅行に行くんじゃあないんだぞ」


「修学旅行はオーストラリアの予定だったけど」


 結局行く前に眠りについてしまったが。


「フンっ、俺の時代は京都、奈良だったんだよ」


 立ち上がって冷蔵庫に向かった神宮寺は、缶ビールを取り出して飲みはじめた。


「そんなリスクがあるのに春翔くんはどうして?」


 聞きながらなんとなく予想できた、陽葵自身この夢想の世界で生きていくことに疑問を感じはじめている。


「誰がこの宇宙を作ったのか、広い宇宙にはどんな世界があるのか、自分は何者なのか知りたいんです。僕らの時代じゃ無理だったけどこの世界なら可能なんです」


「三千世界、その意味は広大無辺、まさに宇宙だな」


 神宮寺は白衣のポケットからタバコを取り出して火をつけた、思いきり吸いこむと天井に向かって紫煙を吐き出した。

 

「俺たちが目指すのは銀河を超えた宇宙の果てだ」

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